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第一〇三話 青嚢書


 得意の水戦で惨敗を喫した孫権軍は、陸口りくこうに悄然と帰還した。


 船の数は減り、帆は破れ、船体は焦げついている。遠目からでもそれとわかる負け戦である。


 陸口に残っていた魯粛ろしゅくは、帰還した味方を出迎えると、豪胆な彼らしくもなく呆然と立ち尽くした。


「周都督が、亡くなられた……?」


 周瑜の火傷やけどは全身におよび、華佗かだでも手のほどこしようがなかったのである。


 燃えあがる戦場から、からくも生還をはたした龐統ほうとうは思う。


 あの曹操軍が相手なのだ。魯粛も敗北の可能性は考えていたはずである。

 それでも大きな衝撃を受けているように見受けられるのは、敗北の報ではなく、周瑜の訃報に接したからであろう。


 それだけ、周瑜個人に寄せる期待が大きかったのだ。

 おそらく魯粛は、周瑜に賭けていたのではないか。自分と同じように。


 一度、魯粛と腹を割って語りあってみたいものだ。

 そう思った龐統は、さっそく行動した。


 彼は、これまでつちかってきた孫権陣営との伝手つてを生かして、魯粛とふたりきりで話す機会を得ると、周瑜との密約を暴露した。


「じつは江陵を占領したあと、私は周瑜どのに請われる形で、孫権どのに仕官する予定だったのです」


 江陵を占領すれば、荊州を統治するための人材が必要になる。

 孫権にとって、龐統は重要な人材になるはずだったのだ。


 魯粛は目を丸くしてから、表情を曇らせる。


「江陵を落とせず、周都督も亡くなられた。龐統どのは、もう孫権さまに仕える気にはなれませんか?」


「さて、まだ決めかねております。……ひとついえることは、曹操に仕えたところで、もはや私が才を振るう余地は残されていないだろう、ということでしょうな」


「なるほど。龐統どのは、勝者につきたいのではなく、勝者となりたいようだ」


「そんな御大層な信念があるわけではありませんよ。勝ち目がまったくないと判断したのなら、勝者についたほうがいい。負けるよりはましでしょう」


 その発言に、魯粛はなにやらいいたげに眉をひそめた。


「魯粛どのは、まだ曹操に対して勝ち目がある、と思っておられるので?」


 いささか以上に失礼な質問であったが、魯粛は気を悪くするそぶりも見せずに、


「私は、孫権さまにも期待しているのですよ」


「周瑜どのに対する期待と比較して、どうでしょうか?」


「さて……」


 魯粛は困ったように苦笑した。


「かつて魯粛どのは、周瑜どのに米蔵を丸ごとひとつ差しだした、と聞いております。なかなかできることではない。周瑜どのの器量にはそれだけの価値がある、と魯粛どのは判断したのではありませんか?」


 龐統が聞いた話によると、まだ周瑜と魯粛に面識がなかったころのことである。


 資金や兵糧の不足に悩んでいた周瑜は、富豪として知られる魯粛の家を訪ねて、


「魯粛どの、我々を支援していただけないだろうか?」


 と、頼みこんだ。


 唐突で不躾ぶしつけな要求であったが、魯粛は平然と、ふたつある米蔵のひとつを指さしていった。


「こちらの米蔵の中身を、そっくり差しあげましょう」


 頼みこんだ周瑜ですら、そこまでは期待していなかったはずである。


 この件をきっかけに、彼らは親交をむすぶようになったそうだ。


 過去を思い返したのか、魯粛は苦笑を深めて、


「昔の私は、狂児きょうじなどと呼ばれていましてな。むろん、悪名なのですが、『あの魯粛という男は、魯家をかたむけるにちがいない』などと陰口を叩かれていたものです」


 龐統も知っている。


 若いころの魯粛は家業を手伝わずに、武芸の習熟に熱を入れ、若者を集めて軍事調練をほどこすなど、かなり型破りな生活をしており、周囲から白い目で見られていたようだ。


 魯粛は愉快そうにつづける。


「それがおかしなもので、周瑜どのに米蔵を差しだしたとたんに、周囲の人々は同じ口で、『魯粛どのは太っ腹だ。度量が大きい』などというようになったのです。龐統どのの目にも、私の行動は太っ腹に映りますかな?」


 気前がよいとは思うが、龐統はうなずかなかった。


「魯粛どのは、より価値があるものを見ていたのでは?」


「さよう。私の家は、金こそあるが声望はない、よくある地方豪族でしてな。こうした豪族の力は、一見すると強固ですが、意外ともろいものです」


 襄陽じょうよう龐家は名家であると同時に豪族でもあるから、龐統には、魯粛のいわんとすることがわかった。


 豪族がもつ土地に根ざした力は、袁紹や劉表も無視できないほどのものである。ただし、ここで考慮しなければならないのは、袁紹も劉表も心から豪族に協力をもとめていたのではなく、領内を治め、外敵と戦うために、豪族の力を必要としていた点である。


 もし、自力で領土を治め、外敵を打ち払うことのできる人物があらわれれば、どうなるだろうか。その人物にとって、豪族がもつ経済力・軍事力はさぞや魅力的に見えるであろう。頭をさげて協力をもとめるのではなく、奪いとる対象として、である。


 もし、ではなく、現実にそれをおこなっている人物がいる。


 曹操である。


 曹操は、豪族がもつ私兵を曹操軍に再編している。

 また法を整備し、豪族の私領に適用させている。


 それを可能としているのは、彼が朝廷を擁しているからであり、対価として豪族に官職をあたえることができるからである。


 いずれ曹操が天下を統一すれば、確実に中央集権化が進み、豪族は弱体化していくであろう。


 曹操にかぎらずとも、この中央集権化は、より大きな力を得るための必然の動きである。時代が要求する、さけられぬ流れといえよう。


 結局、豪族が有する実行支配力は、力と力のぶつかり合いのはてに、より大きな力に淘汰とうたされていく運命にあるのではないか。


「周瑜どのとつきあうようになって、私は名士社会に認めてもらえるようになりました」


 と、魯粛はいう。


 周家は廬江ろこうの名家である。

 周瑜と親交をむすぶことで、魯粛は名士への仲間入りをはたしたのだ。


「私にとって、周瑜どのは恩人なのです。彼が守ろうとした孫家を、私も最後まで守り抜いてみせましょう」


「……忠節を曲げぬことは、重要ですな」


「さよう。許攸きょゆう逢紀ほうきの最期を見れば、あきらかですな」


 袁家を裏切った許攸と逢紀は処刑された。


 その一方で、最後まで袁譚えんたんとともに戦い抜いた王修という男は、いまでは曹操に重用されているそうだ。


 主君を裏切らなかったという実績があれば、あらたな主君としても安心して仕事をまかせることができる。


「龐統どのは、負けるよりは勝者についたほうがましだといいますが、かならずしもそうではない、と私は思います。それは、私がすでに孫権さまに仕えているからであり、龐統どのとは立場がちがうからではありますが」


 魯粛の天幕を辞した龐統の前に、夜の陣営が広がる。


 戦に敗れたからか、周瑜を失ったからか、龐統の目には、かがり火ですら弱々しく見えた。


 活力を失った陸口の陣を眺めながら、彼は思う。

 魯粛との語らいは、示唆しさに富んだものであった。


 魯粛は時代の潮流を読んだうえで、旧態依然の豪族を見かぎり、名士への転身をはかり、それに成功したのである。


 口汚くいえば、周瑜を利用して名士となったのだが、それはひねくれた物の見方であろう。周瑜の遺志を継ぐかのように、魯粛は孫家を守ろうとしている。その姿を見て、魯粛を悪しざまにいう者はいまい。


 魯粛はその並外れた先見性によって、大胆さと計算高さを両立させているのだ。


「まいったな。自分の身におきかえて考えようとしても、どうにも、いい案が思い浮かばん」


 と、龐統は顔をしかめた。


 襄陽龐家は名家であるから、いまさら名声を追いもとめる必要性はうすい。


 となると、龐統自身の望みである才腕を発揮する場と、筋を通した行動を両立させたいところであったが……。


 曹操か、孫権か、劉備か、これがなかなか難題であるようだった。


「これはまいった……」


 龐統は、彼にしてはめずらしく、思考の迷宮のなかをさまよっていた。






 周瑜の客人だった男が、人生の分岐点に直面していたころ。

 同じく周瑜の客人だった男が、陸口を去ろうとしていた。


 朝もやのなかを小船が進む。

 船に乗っているのは華佗と彼の弟子。

 そのふたりを徐州に送りとどける潘璋はんしょうと三人の兵士たちである。


 陸口で過ごした日々を振り返り、華佗は反省すべき点を数えていた。


 烏林うりんの曹操軍には疫病が蔓延していたそうだ。

 孔明にいわれたとおり、曹操軍と合流できていれば、多くの将兵を救えたはずであった。


 だが、孫権軍に拿捕だほされ、陸口に送られてしまったことで、それは叶わなかった。

 陸口の孫権軍では疫病が流行しなかったため、彼が腕を発揮する機会はほとんどなかったのである。


 それでも、江東に五禽戯ごきんぎを広めることができたのは収穫であったろうが……。


「華佗先生にとっても、こたびの戦は災難でございましたな」


 潘璋が声をかけた。


 この粗野な男を、華佗は苦手としていた。

 言葉と態度の節々から、医者をあなどるような気配が、感じられるのである。


「炎に巻かれ、水上を逃げまどう。我々ですら散々だったのです。華佗先生にしてみれば、このような戦場は、もうこりごりでござろう」


「いえいえ、患者がいる場所が、医者のいるべき場所でございますよ」


「烏林にいけば、患者はたくさんいた。曹操のもとにいくべきだった、などと考えてはいないでしょうな」


 潘璋の突きさすような声と視線に、華佗は冷や汗をかいた。


 知恵がまわるようには見えないが、この男には動物的な勘があるというか、妙にするどいところがある。


 華佗は動揺を隠して、ほがらかな笑みを浮かべた。


「とんでもございません。江東の人々のお役に立てて光栄でございます」


「そう、役に立てばよかったのだ」


「えっ」


 疑問の声とほぼ同時に、華佗の腹に灼熱感と激痛がはしった。

 いつの間に抜き放ったのか、潘璋の剣が、華佗の腹をつらぬいている。


「な……なぜ……」


 華佗のうめき声に、潘璋は嘲笑を浮かべて、


「おまえは、周都督の命を救えなかった。役に立たなかったのだ。死でもってつぐなえ」


 腹のなかで冷たい鋼鉄の塊がうごめき、華佗の消えかけていた命の芯を断ち切った。


 潘璋が腹から剣を抜いた。絶命した華佗が倒れこむ。

 華佗の弟子も、兵士たちによって斬り殺されたところであった。


「医者を殺すというのは、気分のよくないものですね」


 兵士が顔をしかめた。潘璋は鼻先で笑って、


「ふん、こいつは周都督が死んだことを知っているのだ。徐州に帰って、いいふらされたらかなわん」


 周瑜の死は隠しおおせるものではないが、できるだけ長く隠匿しておかねばならない。

 孫呉水軍を再建するには時間が必要であり、その時間をすこしでも長く稼いでおかねばならないのである。


「潘璋さま。彼らの所持品はどうしますか」


「ん? もらっておけ」


 潘璋は剣についた血をぬぐい、鞘におさめると、青いふくろに視線をとめた。

 その青い嚢をとり、なかに医書が入っているのを確認して、小さく笑う。


「これが青嚢書せいのうしょか。ありがたくいただいておくとしよう」


 ほどなく、水音がふたつ立った。

 人間だった肉塊がふたつ、江水の流れにのまれて、消えていった。




 *****


『青嚢書』は、後漢末期に華佗の医療技術を胡昭が編纂した医学書。

三国時代以降、中国で最も普及した医学書であり、中国伝統医学における四大古典のひとつである。

歴史が進むにつれ、多くの改変・校訂をかさねられた結果、成立当時の形で現存しているのは、日本の正倉院に保管されている青嚢書のみとされている。

この青嚢書は、胡昭みずからの手によるものだと伝えられてきたが、二〇〇六年におこなわれた日中共同調査によって、師の筆跡を模倣した鍾会しょうかいの作であることが判明した。


 青嚢書 wiikiより一部抜粋


 *****


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 人間だった肉塊がふたつ、江水の流れにのまれて、消えていった。 華佗の弟子って2人いませんでしたでしょうか? もしかして呉に来ていなかったのでしょうか? 来ていて殺されたのなら肉塊は3…
[良い点] 華佗ー!!!!(´ぅω;`) 二巻発売おめでとうございます!今回も紙と電子両方書います( ・`д・´)
[一言] 周瑜もあっさりいったか… 大将が前へ出るのはこれだから危うい 孫堅の頃は将軍とはいえ大した兵力を持てなかったから仕方ないけど 戦場にいてなんの対策もしてなかった華佗といい、陳寿に馬鹿にされそ…
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