05.遠い夢
懐かしい夢を見た。
それはまだ地球にいた頃、高校二年生になってすぐの時のことだ。
「………」
「ちょっとシュウ、顔が怖いわよ」
腕組みをしてトントンとつま先で屋上の床を叩き、一心に校内に繋がるドアを見つめるシュウに、ベンチに座る雫が言う。
呆れ気味なその言葉に、ようやくシュウは自分の顔が極度の緊張から険しくなっていることを悟り、ハッとして表情をほぐした。
「まったく、そんな顔見たら彼、怯えるわよ?」
「……そうだよな。すまん」
「私に謝ってどうするのよ」
「……そうだよな。すまん」
「………はぁ」
ガチガチになりすぎて同じ言葉を繰り返すシュウに、また雫は嘆息する。しかし、シュウの緊張は仕方のないものであった。
日は四月六日。新一年生の入学式も兼ねた始業式を終えた二人は、この屋上でとある二人の人物が来るのを待っている。
比較的落ち着いている雫に対して、シュウは屋上に来てからかれこれ10分、ずっとこの調子だ。いつもの泰然自若とした様子は何処へやら、まったく落ち着きがない。
ガチャッ
仁王立ちするか、あるいは右往左往するかのどちらかを繰り返し、それを雫が呆れて見ていると、扉を開ける音がした。
「ちょ、なんだよそんな引っ張って」
「いいから、早く来てくださいね」
シュウはほぼ音がしたのと同時に、雫がゆっくりと振り返ると、扉を開けた主は屋上に入ってくる。
そしてそれは、ずっと待っていた人物であった。一人は瑠璃色の髪をした美しい少女。そして、もう一人は………
「屋上なんかに、何があるって……」
少女に手を引かれてやってきたその人物ーー龍人は、シュウたちを見た瞬間柔らかい表情から一転、顔を強張らせて瞠目した。
それまでなされるがままだった龍人が、扉をくぐってすぐのところで足を止める。それに感づいた少女……瑠璃は手を離し、龍人の顔を見た。
「ほら、あったでしょう?センパイが驚くようなものが」
「………ああ、確かにな」
龍人は一瞬二人のことを見ると、すぐに視線を落として答える。その暗い表情は、二人に会いたくなかった気持ちを雄弁に物語っている。
そしてそれを、シュウたちはよくわかっていた。なにせあの事件から十年以上、二人は徹底的に避けられていたのだから。
覚悟はしていたつもりだった。だが実際に対面してこのような態度を取られたことに、シュウは悲しげな顔をする。
「さあお二人とも。センパイは連れてきましたね。あとはあなた達次第ですね」
「ええ。ありがとう白井さん」
瑠璃の言葉に雫が答えて、ベンチから立ち上がる。そしてカツカツとシュウに歩み寄っていくと脇腹を肘で突いた。
呻いたシュウは、何か話しかけろという雫の目線に従って龍人を見る。だが開いた口からは何の言葉も出ず、ただおろおろとするばかり。
「ちょっと、何してるのよ。あなたが先に話すって言ってたじゃない」
「す、すまん……でもどうしても言葉が」
小声で話す二人。それに龍人は居心地悪そうに表情を歪め、まるで怯えるように……実際怯えているが……震える腕を抱いた。
今にも逃げ出しそうな龍人と、何も話し出せないシュウ。見かねた雫は一度深く溜息を吐き、仕方がなく龍人に話しかけた。
「こうして話すのは久しぶりね、龍人くん」
「……あ、ああ」
下を向いたまま、蚊の鳴くような声で返事をする龍人。無理もない、親を殺してしまった相手に、どう普通に接しろと言うのだ。
もしこの時、隣に瑠璃がいなければ龍人は何も答えず、そのまま逃げていただろう。それほどまでに、龍人の心の傷は深かった。
しかしいつまでも沈黙していてはそれも時間の問題だろうと、未だに緊張しきっているシュウに代わって雫が続けて話す。
「白井さんがこの学校に入学すると言うから、いい機会だと思ってここに連れて来させてもらったの」
「……そうか」
ちらり、と少し恨めしげな目で瑠璃を見やる龍人。それに瑠璃は涼しげな顔で微笑を浮かべた。
瑠璃を非難しても仕方がないと思った龍人は、また目線を床に落とす。あまりに情けないその姿に、雫は嘆息するしかなかった。
「人と話すときは相手の目を見て話す。お祖父様にいつも言われてないの?」
「……けど」
やや強めの口調で言うが、龍人は一向に顔を上げようとしない。そして小さな声で俺には目を合わせる資格すらない、と呟いた。
罪悪感に塗りつぶされた声音に、雫は呆れを通り越して無理やり顔を上げさせたくなりながらも、それでは逆効果だと思い直す。
「大丈夫ですよ、センパイ」
「……瑠璃?」
どうしようかと迷っていると、不意に瑠璃が龍人に微笑みかける。少し顔を上げる龍人に、瑠璃は……
「たとえセンパイが子ウサギみたいにビクビクしてるヘタレでも、私がついてますから」
このときから、瑠璃の龍人への毒舌は鋭かった。
「酷いなお前!……って、あ」
ツッコミにかられて、龍人が顔を上げた。その隙を逃さず、雫が一歩踏み込む。たじろぐ龍人。
「やっと顔を上げたわね。まったく」
「……すまん」
「別に、怒っているわけじゃないわ」
ちょっと呆れてるけど、と付け加える雫。それにプッと瑠璃が吹き出し、龍人が先程とは別の意味でバツの悪そうな顔をした。
だがそれで多少怯えが収まったのか、龍人は二人のことを恐る恐る見る。ようやくまともに見られたことに、二人は内心喜んだ。
「……相変わらず、仲が良いんだな」
「まあ、ね。そう言うあなたこそ、こんな可愛い後輩と仲良くしてるじゃない」
ちらりと瑠璃を一瞥する雫。文字通り神々しささえ感じる儚げな美しさを持つ瑠璃に、龍人は確かにな、と呟いた。
「いつから、瑠璃と知り合いだったんだ?」
「去年の夏あたりだ。偶然お前と街で遊んでいるのを、雫とデートしてる時に見かけてな」
時間が経って、ある程度調子を取り戻したシュウが答える。龍人が確認を取るように瑠璃を見れば、彼女はコクリと頷いた。
二人は龍人が家の中でも暗いことを彼の祖父から聞き、それなのにとても楽しそうに瑠璃といた龍人に衝撃を受けた。
なぜならそれは幼い頃、二人にも向けられていたものだったから。龍人が心から信頼している者にのみ向ける、純粋な笑顔。
それを見た二人は、諦めかけていた願いが心の奥底から再び姿を現した。
「お二人に相談されましたね。もう一度センパイの笑顔を見たいと」
「………今、なんて言った?」
呆然と聞き返す龍人。あまりに予想外のことを聞いた気がしたのだ。
「お二人に相談された、と。センパイはいよいよ難聴になりましたかね?」
「おい、わざとやってるだろ」
「あら、バレてしまいましたね」
ジト目で見る龍人に、くすりと笑う瑠璃。かつて失われた自然なそのやりとりに、シュウは少し羨ましいと内心思う。
二人の願い。それはまた、あの笑顔を自分たちの前でも浮かべてもらうこと。今も浮かべていた苦しげな顔ではなく、昔と同じようにまた、笑ってもらいたい。
ちなみにそのとき、シュウたちは二人の通う中学の校門の前で瑠璃が出てくるのを待っており、その頃から整っていた容姿でかなり目立った。
キッと表情を引き締めて、シュウは龍人に近づいた。そしてスッと手を差し出す。それを訝しげに見る龍人。
「龍人。もう一度、俺の親友になってくれ」
「……っ!?」
龍人の反応は、まさしく劇的だった。瞠目し、恐怖して、その場から逃げ出そうとし、しかし瑠璃がいるので不可能だとわかると、また俯く。
「……なんで、そんなこと言うんだよ」
「俺が、お前と一緒にいたいからだ。親友として、幼馴染として」
「私もよ。また昔みたいに、三人でいましょうよ」
「あら、私をお忘れですかね」
「もちろん、白井さんも一緒よ」
シュウ同様に差し出された雫の手を一瞥すると、龍人は悲痛そうな顔をした。
「無理だよ……だって俺は、お前たちの大切なものを奪ったんだから」
だからお前たちとは一緒にいることも、笑い合うことも、目を合わせることさえ俺には許されない。龍人は言外にそう言う。
龍人は、徹底的に自分を二人から遠ざけていた。本来なら一緒に行くはずだった小学校や中学もシュウたちとは遠く離れた場所にし、家の近くでも会わないようにした。
全ては、これ以上二人を傷つけないため。そして自分がまた、罪を犯さないため。それなのに二人は、自分と一緒にいたいという。
龍人の心を、言いようのない恐怖が覆っていく。それは淀んだ瘴気のように怯える龍人を蝕んでいった。
「それでいいんですかね?」
「……何?」
どんどん目から光を失っていると、不意に瑠璃がそう呟いた。龍人は緩慢な動きで顔を上げる。
「いつまでも逃げたままでいいんですかね?」
「でも俺がいたら、また二人が……」
「いい加減にしろ」
いつまでもうだうだとしている龍人に、いよいよ我慢の限界にきたシュウが襟首をつかんだ。そして至近距離で龍人の目を見る。
「あんまり甘く見んな。お前がいない間に、俺たちも努力してきた。いつまでも、何もできないガキじゃねえ」
「ええ。もしまたあなたが暴走したら、私たちが止めてあげる。私、結構強いのよ?」
それは、よく知っていた。傷つけないようにと遠ざけていたものの、龍人にとって二人は大切な幼馴染だ。
二人がそれぞれ薙刀やムエタイの大会で輝かしい成績を残していることも、強い戦士であることも小耳に挟む程度には知っている。
それでも龍人は……
「……ごめん。俺は、俺自身を信じられない」
「だったら、俺たちを信じろ」
シュウの言葉にハッとする龍人。そこにシュウはさらに畳み掛ける。
「俺たちはもう傷つかない。誰にもお前を傷つけさせもしない。だから……信じてくれ。俺たちの強さを」
シュウの瞳は、どこまでもまっすぐだった。雫を見れば、そちらも澄んだ目で自分を見ている。龍人は訳が分からなくなってきた。
「どうして、そこまで……俺はお前らを傷つけて、逃げ続けて……それなのに……」
「決まってるだろ。友達だからだ」
「友達は、決して苦しんでる友達を見捨てない。当然のことでしょ?」
その言葉に、いよいよ龍人の心は限界に達した。ガクリと膝をつき、うなだれる。屋上の床に、ポタポタと雫が落ちた。
ずっと、恨まれていると思ってた。顔を見たくもないほど憎まれていると思ってた。だから二人に嫌われるのが恐ろしくて逃げてきた。
それなのに二人は、こんな自分に信じてくれと言う。それはすなわち、自分たちも龍人を信じるということだ。それは並大抵のことではない。
「俺は……俺はどうしたら……」
「お二人の手を、とってみてはいかがでしょうか」
透き通るような瑠璃の声が、龍人の耳に届いた。涙に濡れた顔を上げる龍人の手に、瑠璃はそっと自分の手を重ねる。
「たしかにすぐには信じられないでしょうね。けれど、人とはえてしてそういうもの。未知を恐れ、その結果傷つくことを恐れる」
「………」
「例えそうだとしても、分からないならとりあえず掴んでみる方が賢明だと思いませんかね?結果がどうであれ、何もしなくては何も起こらない」
「………たしかに、そうだけど」
少し、龍人の心が明るい方に傾いた。続けて瑠璃は言う。
「それに、もし傷ついても平気ですね。その時は私がいてあげますから」
「……お前ってほんと、変な奴だな。からかったり、寄り添ってくれたり」
「知らないんですかね?女の子は気まぐれなんですよ」
悪戯げに微笑む瑠璃に、龍人は少し笑った。そうすると立ち上がり、真剣な表情でいるシュウたちを見る。
交互に二人の顔を見ると、龍人はおもむろに話し始めた。
「……俺は、怖い。俺の中にある力が大切な何かを壊すことが、すごく怖い。そんなことになるくらいなら、誰にも関わらないようにしようって、そう思う」
「龍人……」
「龍人くん……」
悲しげな顔をするシュウと雫。それはそうだ、いくら言葉で言ったって、そう簡単に心の傷が癒えることはない。
「でもお前らは、信じてくれと言った。俺にチャンスをくれた。本当なら、殺されても文句は言えないくらいなのに」
「そんなこと……!」
「俺たちはお前を恨んだりしてない!お前は何も悪くなかった!」
叫ぶシュウに、龍人は少しけおされる。しかしすぐに小さく微笑みを浮かべた。
「ありがとな……だから、こんな俺でいいのなら。二人とも、また俺の友達になってくれないか?」
そう言って、龍人は……二人に向かって、おずおずと手を差し出した。それを見た二人はは感極まっていき、そして……
「「龍人!」」
「おわっ!?」
二人が龍人に抱きつき、まさかそんなことをされるとは思ってもみなかった龍人は二人もろとも倒れてしまう。
自分に覆いかぶさり、嬉し泣きをする二人に龍人はなんとも言えない顔をする。だがそこにはどこか、嬉しさのようなものも混じっていた。
そんな龍人の顔に影が覆いかぶさる。そちらを見上げれば、優しげな笑顔で瑠璃が龍人を見下ろしていた。
「良かったですね、センパイ」
「……ああ。ありがとう瑠璃。お前は最高の友達だよ」
「……友達、ですかね」
一瞬、悲しげな顔をする瑠璃。勿論この時、龍人は瑠璃への好意を自覚してない。だから、彼女のちょっとした悲しみを知ることもなかった。
そうしてこの日、シュウたちはおおよそ十一年ぶりに、龍人の心を開くことができたのであった。
読んでくださり、ありがとうございます。
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