十六話 影と癒しとハンバーグ
「………ん」
その少女ーー鬼人族と兎人族の間に生まれし魔物、ヴェルメリオは深い眠りから目を覚まし、むくりと起き上がると眠たげに目をこすった。すると体にかぶさっていた毛皮の布団が滑り落ちる。
ぼーっとした表情でそれを見つめ、しかし数秒間たつとハッとして完全に意識を覚醒させる。そしてばっと周囲を見渡した。すると壁に付けられている吊るし金や道具入れであろう大きな箱、そして自分が眠っていた敷布団から、そこがどこかの家の寝室であることがわかった。
頭上にはめ込まれた窓から差し込む陽光に少し目を細めながら、ヴェルメリオは一体自分はなぜこんなところにいるのかと思い出そうとする。するとすぐに昨日の記憶が浮かび上がり、自分が風の噂で聞いていた西部に突如現れた人間の男に助けられたことを自覚した。
とすると、ここはあの男…スメラギリュウト、といったであろうか。彼の寝床なのだろう。清潔にされている毛皮の敷き布団は、東部で繁殖期であり、頭の中が性欲まみれのゴブリンどもから逃げるためヴェルメリオが眠っていたゴツゴツとした洞窟の中とは雲泥の差である。夢を見ないほど熟睡するなど、幼少期以来だ。
故に、もう少し寝てしまおうかなという欲求がヴェルメリオの中で鎌首をもたげる。しかしそれをブンブンと首を左右に振って振り払った。彼女が今まで生きてきた環境は、助けられたからといってそう簡単に信用できるようなものではないのだ。まあ、あの人が良さそうな男がそうだとは思いたくないが。
そんなことを考えながら、ヴェルメリオはのそのそと敷き布団の中から這い出て部屋の扉を開ける。すると昨日も話を聞いてもらった机の上に、おそらく〝維持〟の結界で状態の保たれた、湯気を立てる食事と思しきものがあった。
ヴェルメリオはそれに恐る恐る近づいて、一応用心して手に魔力を纏って結界を突く。するとスゥ……と結界が消えて、ダイレクトにヴェルメリオの鋭い嗅覚に食べ物から芳醇な香りを送ってきた。途端にきゅう、と鳴るヴェルメリオの腹。
ヴェルメリオは顔をその綺麗になった赤髪のように真っ赤にしながら、慌てて腹を隠して周囲を見渡す。また聞いていたら今度こそ殴ってやろうかと思ったのだが、どうやらスメラギリュウトは近くにいないらしい。
一応乙女としては腹の音を聞かれるのは恥ずかしいので、ホッとしてヴェルメリオは食事に目線を戻した。
「………」
じーっと無言で食事を見つめるヴェルメリオ。彼女の食欲は早くありついちゃえよ!と訴えかけてくるが、しかしそれを自然に鍛えられた警戒心が阻む。どうしようかと逡巡するが、結局人間の三大欲求にも数えられる食欲に負けた。
「罠は…ないよな」
もう一度家の中を見渡して警戒してから席に座り、恐る恐るといった様子で昨日見たスメラギリュウトの真似をして「い、いただきます」と手を合わせ、スープのようなものを一口飲んだ。
「ーー!?」
途端に目を見開くヴェルメリオ。スープ…ヴェルメリオはまだ知らないが、味噌汁…の深い味わいに驚いたのだ。こんなに美味しいスープを飲んだのは生まれて初めてといっても過言ではない。久しく食べていない兎人族秘伝のスープに匹敵する美味しさである。
ヴェルメリオは思いの外熱いそれを舌を火傷しないようにちびちびとすすりながら、ホッと感嘆のため息をついた。
「えっと、次は……」
次は置いてあった木製の二本で一つの木の棒…リュウト曰く〝はし〟という食器をどこか危なげな手つきで取り、塩と油の香りを漂わせる焼き魚を悪戦苦闘しながら一口ぶん割ることに成功する。ヴェルメリオは小さな達成感を得た。
これは余談だが、後にリュウトの知り合いの中で真っ先にマスターしたヴェルメリオに、エグセイザーが悔しがるのだが、それはまだ先の話だ。
それはともかく。持ち上げた魚のかけらを鼻先に近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。そしてパクッと口に入れて……口内に広がる油の旨味と絶妙な塩味に涙が出そうになった。ついでに〝茶碗〟とやらに盛り付けられている炊かれたラスも一緒に食べると、もうはしが止まらない。
「ふぅ…えっと、ごちそうさま」
ものの数分で食べ終えて、またスメラギリュウトの真似をして手を合わせる。美味しさで確認をし忘れていたが、どうやら食事に毒が入っているということはないようだ。まあ、朝食を何よりも大切にする龍人がそんな冒涜的行為をするわけがないのだが。
そこで、ふと疑問に思うヴェルメリオ。圧倒的な強さを持ち、正体不明の飛び道具を使い、初対面の自分も無償…いや、話し相手が増えて嬉しいといっていたから一応見返りはあるのであろうか…で助ける器量の大きさを持ち、あまつさえこれほどまでに美味しい料理まで作れる。
突如この遥か高き果ての森に現れたスメラギリュウトというあの人間は、一体何なのであろうか?
ガン……ガンッ………
物思いにふけっていたヴェルメリオの十分な休息とエネルギー摂取により完全に調子を取り戻した鋭敏なウサミミに、家の外から何か硬質な音が響いてきた。それはまるで、武器をうちあわせるような、それでいて清涼な音。
「……?」
不思議に思い、ヴェルメリオは席を立つと昨日治療された時に運ばれてきた時のことを思い出し、移動して外へとつながる扉を開けた。
すると、そこには……
「ハッ!」
『……っ!』
超至近距離で戦闘を繰り広げている昨日と同じコート姿の龍人と、龍人と全く同じ背格好……それどころか全く同じ顔をした黒髪赤眼の龍人が戦闘を繰り広げていた。
片方の灰色の髪の龍人は昨日も見た謎の飛び道具……確か〝オールスMr.I〟、と言ったか。それを持って本来なら拳や剣を打ち合う間合いで超高速の射撃をしている。ヴェルメリオの超人的な視覚でも発砲音がしたと思ったら次の瞬間、もう一人の龍人に攻撃が仕掛けられたとしか見えなかった。
一方、射撃を防御しているもう片方の黒髪の龍人のほうは両腕に灰色の魔法陣を浮かび上がらせ、飛んでくる弾丸のほぼ全てを反射、もしくはいなしていた。しかし何発か被弾したのだろうか、魔力でできているその体の何箇所かから黒い瘴気のようなものが漏れ出ている。
それでも黒い龍人の全く動きは衰えず、時折灰色の龍人に反撃を仕掛けていることから実力は拮抗していると思われた。時折、拳や足がぶつかり合うような音もしているあたり、どうやら体術も使っているらしい。
ヴェルメリオはそれをぽかんと見つめた。これほどまでに高度な戦闘技術を持っているとは、本当にこの人間は何者なのだ。それに、あの黒い龍人は一体……
「おや、起きたのか」
「っ!?」
そう考えていると、頭上から声を投げかけられる。びくっ!と体を跳ねさせ、ばっとログキャビンというらしい住処の屋根を見上げれば、そこには同性のヴェルメリオでさえ思わず見惚れてしまうほどの煌めく紫色のドレスを纏った銀髪紫眼の美しい女性…銀龍神エクセイザーがこちらを見て微笑んでいた。
「あんたは……」
「ふむ…まず人に会ったら挨拶を。それが礼儀だとは思わんかの?」
「え、あっ。すま…すみま、せん。おはよう……ござい、ます」
自分とは比較にならない強さを持つ、亜神へと至った相手なのでなれない敬語を使ってたどたどしく挨拶すれば、エクセイザーはからからと笑って「別に、無理に畏まらなくても良い」と言ってきた。
想像していたよりフランクな彼女にヴェルメリオはそれにこくりと頷き、戦っている二人の龍人に目線を戻す。
「えっと…あれ、何なんだ?」
「あれか? 鍛錬じゃ。なんでも、至近距離での銃撃戦も慣れておくとか」
「へぇ…それじゃあ、あの黒い龍人は?」
「あれは主人が魔力で作り出した人形のようなものじゃよ。自律的に動き、実力も拮抗していることからいい訓練相手になるらしい」
「……マジか」
気前よく答えてくれたエクセイザーに、またしても驚いて唖然とするヴェルメリオ。魔力…龍人からすれば霊力……でできた自律的な思考を持ち、高度な戦闘までこなせる人形など見たことも聞いたこともない。おそらく、あの憎っくき黒鬼神ですらそんな芸当は不可能だろう。
「規格外すぎんだろ……」
思わすぽつりと呟けば、同じように思っているのか苦笑するエクセイザー。ヴェルメリオは改めて、自分はなんて存在に助けを求めたのだろうと思った。
それに……
「いくらなんでも精巧すぎないか?肌の色や顔まで再現するなんて……」
「……何じゃと?」
ぴたり、とエクセイザーの上機嫌そうに揺れていた体が止まる。そして少し前まで微笑みをたたえていた顔を訝しげにして半ば放心しているヴェルメリオを見て、次に龍人の【影舞】で作り出された人形を見据える。
だが、エクセイザーにはいくら見ても、今自らの主人の訓練相手になっている魔力人形が目だけが怪しげに赤色に輝く真っ黒な影法師にしか見えない。間違ってもヴェルメリオのように肌色や顔があるようには思えなかいのだが………
…実は、これにはヴェルメリオが生来持っていた特殊な固有スキルが関係している。魔族と呼ばれる人型の魔物、その異なる二種族の間に生まれたが故なのか、ヴェルメリオは母の腹から生まれ落ちた瞬間その固有スキルを手に入れた。
その固有スキルの名は…【真眼】。事象や物体の本質を直接見ることのできる、常時発動型の固有スキルだ。それのせいでヴェルメリオは黒鬼神の悪辣で深く、泥沼のような心象やイヴィルゴブリンどもの下卑た感情を見てしまうこととなっていたのだが…まあ、彼女の辛い記憶をあまり言うこともあるまい。
その【真眼】スキルにより、ヴェルメリオは見ていた。否、見てしまった。狂気の宿る赤眼を光らせ、不気味で獰猛な笑みを浮かべて灰色の龍人…本体と戦う、黒い影法師の顔を。
その顔は、ヴェルメリオに心の底から震えるような恐ろしさを感じさせた。
「うらぁっ!」
『っ……』
ヴェルメリオとエクセイザーがそれぞれ別のことを考えている間にも、本体の龍人と影の龍人の戦いは続いていた。
片やドガンッ!ドガンッ!ドガンッ!と凄まじい発砲音を響かせながら、片やそれを弾く音とともに魔力の火花のようなものを散らせながら、激しい戦闘を繰り広げる。
だが、それも長くは続かなかった。
「レベル〝弐〟」
『っ!』
灰色の龍人が、あの時イヴィルゴブリン達の魔法とともに後ろの木を十数本も木っ端微塵にした時の言葉を呟く。それと同時に甲高い音を立ててオールスMr.Iに今まで以上の魔力が充填され、防御しようと掲げられた黒色の龍人の魔術障壁を霊力弾が貫いた。
すると今までずっと同じ点に集中的にダメージを入れられていた魔術障壁はいとも容易く砕け散り、そのまま霊力弾は黒色の龍人の腹を貫通する。
『ーー!』
「ハッ!!」
目を見開く黒色の龍人の腹部に、気合いのこもった声とともに霊力と【龍鱗】を纏った灰色の龍人の鋭い拳が突き刺さった。ごぽっと霊力の血を吐く影法師。
しかしそれに構わず、龍人はそのまま手を手刀の型にすると裂帛の気合いがこもった声とともに横に振り抜き、影法師を一刀両断した。それにより勢いよく宙を飛ぶ上半身と、崩壊する影法師の下半身。
「…すごい」
基本的に足技を主にした徒手空拳が戦闘スタイルのヴェルメリオには、龍人の一撃がかなりのものであることがすぐに理解できた。あれほどまでの戦闘技術を会得するまでに、一体どれほどの鍛錬を積み重ねてきたのであろうか。
半分あっけにとられながら龍人の様子を見ていたヴェルメリオは……ふと、倒され消滅する影法師はどうなったのだろうとそちらに目線をよこした。
『………』
「ーーっ!?!!?」
そして、見た。こちらを半分光を失いかけた赤眼をこちらに向ける、影法師を。ヴェルメリオは体の芯から凍えるような悪寒が全身に走り、思わず声にならない悲鳴をあげた。
そんなヴェルメリオを影法師はニヤァ……と嗤い…そして消える直前、ヴェルメリオに対して何かを言ってきた。
ーーヒ ミ ツ ダ ヨ 。
声無きその言葉は、確かにヴェルメリオの頭の中にぬるりと入り込んでくる。先ほど以上の悪寒…否、恐怖がヴェルメリオを襲った。
しかしヴェルメリオが言葉の真意を問いただそうとする前に、影法師は完全に魔力の残滓となり消え失せてしまった。あげかけていた手が、ダランと落ちる。
「ふぅ……今日はこんくらいにしとくか」
「お疲れ様じゃ、主人よ」
「おう……ん?」
しばし呆然としていたものの、オールスを腰のホルスターに収めた龍人と屋根から一足でふわりと龍人の目の前に降り立ったエクセイザーの声で、ようやく我に帰る。そして自分に目線が向けられていることに気がついた。
「おはようさん。ぐっすり眠れたか?」
「……あ、ああ」
「そりゃよかった。朝食は?」
「……食べた」
「そうか。口に合わなかったらメニューを考えるから言ってくれよ」
先ほどまでの様子から一変、人当たりの良さそうな笑顔でヴェルメリオの肩をポンポンと叩き、龍人はそう言った。
その笑顔を見てヴェルメリオは、ふと先ほどの影法師のことを考える。今本物である龍人が浮かべている笑顔とは真反対の狂笑をたたえていた、あの不気味な人形を。今自分の目の前のいる人間からあれが生まれたとは、到底ヴェルメリオには納得できず不安が豊かな胸中に宿った。
しかし、それをふるふると首を左右に振って振り払う。今、そんなことを考えても仕方があるまい。
「……その」
「うん?」
「…うまかった。また、食べたいかもな」
「……そっか。気に入ってくれたんならよかったよ。明日は一緒に食うか?」
「………ああ」
だからヴェルメリオは、とりあえず先ほどゆっくり味わってとは言えない食べ方をした絶品の朝食のことに、気持ちを切り替える意味も込めて返事をした。考え込んでもわからないことはとりあえず考えない、彼女の性分はどことなく龍人と似通っていた。
それに相変わらず柔らかな笑顔で龍人は「りょーかい」と答え、開きっぱなしだった扉からエクセイザーとともにログキャビンの中へと戻っていった。
それを後ろ目にちらりと見てから、次にヴェルメリオは先ほど影法師が消えた場所を見てもう一度、先ほどより勢いよく頭を右横左横に振って、ログキャビンの中へと戻っていくのだった。
●◯●
鍛錬が終わった後。
風呂に入って軽く汗を洗い流した後、どうやら終盤から見ていたらしいヴェルメリオ…ヴェルを連れ、剣状態になったエクセイザーを背に背負い逃げ延びている鬼人族と兎人族の捜索に出かけた。
この世界のほとんどのことを知っているシリルラに西部の地形や隠れられそうな場所…例えば洞窟やちょっとした茂みなどを説明してもらいながら、自分も周囲の気配を探って進む。
《お気をつけください、ヴェルメリオ様。この先数十メル、道が険しくなっております》
「お、おう」
捜索がてらまだ発券していなかった新種の鉱石や薬草を根絶しない程度に取りながら足を進める俺の後ろで、ヴェルに直接脳内に話しかけるシリルラ。それに従い、ヴェルは足元を注意して進む。
どうやら、シリルラは人それぞれ違う霊力の波動…まあ、指紋とか顔の作りとかと同じと想像すれば分かりやすいだろうか。とにかくそれを認識できれば、誰でも話しかけられるようだ。
……便利だからヴェルにも使ってくれって言った時、なんでかすっごい不機嫌そうな声音だったけど。理由は皆目見当もつかない。
《……龍人様はバカなんですかね?バカなんですよね?バカでいいんですよね?ああ、バカでしたね。申し訳ありませんねバカ人様》
唐突な罵倒っ!?
なぜだ、俺は何も悪いことしてないぞ……多分!
『…うむ、流石に妾もこれは鈍いと言わざるをえんな。もう少しなんとかしたらどうじゃ?』
エクセイザーまで!?
ーーそうですわね……この鈍チンのバカリュート様!
なんか今リィスの声まで聞こえたぞ!
三人(多分一人は幻聴)から意味不明の罵倒を受け、がっくりと肩を落とす。それを見て、なんとか隣に並んで歩いていたヴェルが訝しげに首を傾げていた。
が、次の瞬間、いきなりガクッと体勢を崩す。俺はそれを咄嗟に手を取って支えた。突然のことにぽかんとしていたヴェルは慌てて体勢を直す。
「あ、ありがと」
「んにゃ、どうってことねえよ…それより、もっ!」
片足を持ち上げ、地面の表面を抉り取らない程度に強く地面を蹴れば、ヴェルが先ほどつまづいた場所の土が盛り上がり、焦げ茶色の鱗を持った30センチほどのヘビの魔物が出て来た。
やっぱりな。こいつの名前はトリックシーカー。幻術魔法やその体色で地面や自然の中に隠れ、その毒牙で獲物を仕留める隠密性の高いスネーク系上位種の魔物だ。いたずら好きなことで地上でも知られているらしい。
どうやら、ヴェルは木の根っこに扮したこいつに足を引っ掛けられたらしい。俺も前に同じされたことがあるが、割とイラッときた。
「そいっ!」と声を上げながら、俺を見てケラケラ笑い声のようなものを上げている曲者の尻尾を掴み取ると藪の中に放る。放射線を描いてトリックシーカーは飛んでいき、茂みの中に姿を消した。
とまあ、道中そんなこともありながら移動をしていく。ルートは地面に残った足跡とそれから感じられる魔力の残滓を追っている感じだ。明らかに他の魔物と違って人に似ているからな。
しかし、探せども探せどもなかなか見つからない。丸々種族二つ分の大所帯…逃げて来る途中で数は減っただろうけど……だから、すぐ見つけられると思ったんだがな。
もしかして、もう西部の魔物達に助けを求めて保護してもらったんじゃないか?そもそも魔物がいないところがあんまりないしな。
そう考えていると、不意にがさりと近くの茂みから音がなった。一瞬小型の魔物かと思ったが……どうやら、違うようだ。
「ヴェル、止まれ」
「わぶっ、な、なんだよ?」
真剣な声音で先に進み掛けていたヴェルを手で制する。そして茂みを指差し、警戒しろとアイコンタクトをした。果たしてそれは、どうやら彼女に伝わったようで、警戒態勢に入る。
俺もいつも通り警戒心を最大に働かせながら後ろ腰からドラゴエッジを静かに引き抜き、左手で逆手に構えた。右手にはおなじみ土ナイフを装備する。
もう一度何かしらの武術のような構えをとっているヴェルと目線をかわしてうなずき合い、灰狼のブーツ・疾風の中に仕込んだ端末の札に霊力を流し込んで地面を操作。
すると生えていた草木が横にずれ、そこにいた何者か……満身創痍な様子の鬼人族の女性と、それを守るように取り囲っている三人の兎人族と思わしき10歳ほどの兎少女三人を見つけた。どうやら、先ほどからしていた血の匂いは女性のもののようだ。
いきなり現れた俺に三人組は一人は鋭い警戒のこもった目を、残りの二人は怯えた向けてくるも、後ろにヴェルがいるのがわかった途端困惑したような表情をした。俺は両手に持っていた武器を収め、襲う意思がないことを示す。
じっと一番前にいた、一見少年にも見える勝気なつり目の少女が俺の顔を睨みつける。ヴェル以上に頑固そうだ。
え、なんで女の子だってわかったかって?
そりゃ……胸部の起伏?
《『ド変態』》
酷いっ!?
しかし、ヴェルがいたことによりある程度信用できるとわかったのか、(表面上は)冷静そうな俺を見て不意に目元を少しだけ和らげた。
「………あんた、誰だ?なんでヴェル姉と一緒にいるんだよ?」
「俺は皇龍人。呼びにくかったらリュートでいいよ。んで、君たちは兎人族でいいよな?」
「そうだけど……」
またしても困惑したような、しかしどこか嬉しさをにじませる声音でいう少女に俺は頷き掛け、なるべく優しい声で話す。
「無事でよかった、ヴェルに頼まれて探してたんだよ。それで、後ろの人は?」
「っ、そうだ!なああんた、助けてくれよ!ニィシャさんがひどい怪我で……」
「ちょっと見してくれ」
「あ、ああ」
まだ名も知らぬ少女に了承を得ると、全身ボロボロで傷だらけの女性に近づき、太もものホルスターからヴェルにも使った〝治癒〟の木札を何枚も取り出し、惜しげも無く使って女性を治療し始めた。
「「「ヴェル姉!」」」
「リル!レイ!アリィ!お前ら、無事でよかった!」
そんな俺の後ろでは、ヴェルと三人が抱き合って再会を喜びあっている。うむうむ、仲良きことは美しきことかな。ていうか、まだ顔と名前が一致しないが三人の名前を知ることができたな。
霊力を木札が壊れないギリギリの限界量まで注ぎこみ、効力を促進させる。同時に全身の傷を治療するのに使っている木札の霊力を全てつなぎ合わせ、相乗効果を発揮させることでさらに速度を上げていった。
するとその甲斐あってか、荒い息を吐いていた女性がだんだん穏やかになっていき、ついにはうっすらとだが目を覚ます。そうすると緩慢な動きで周囲を見渡し、最後に治療を施している俺を見て少し目を見開いた。
「あな…たは……?」
「この近くに住んでるものです。じっとしていてください、体に響きますから」
「は…い……」
その返答を最後に、ぱたりとニィシャさんとやらの頭が地面に落ちた。一瞬、ひやりと背中に冷たいものが走る。
同様に、それを見た後ろで固唾を飲んではらはらと見守っていた少女の一人が走り寄ってきた。例のつり目の子だ。
「ニィシャさん!」
「…いや、心配するな。この人の体内霊力…魔力はまだ動いてる。生きてる証拠だ」
「ほ、ほんとか!?」
本当も何も、嘘をつこうはずがない。
この子や他の二人もこの人のことを大切に思っているようだし……なにより、大切な家族、もしくはそれに匹敵する誰かを失う恐怖と悲しみ、怒り、絶望、虚無感………その全てを、俺は知っているから。
だから、俺がここで嘘を教える要素は何一つとして存在していないのだ。
「ああ…といっても、これは応急処置だからな。どこかで安静に寝かせなきゃいかん」
「じゃあ……」
「ああ、うちに連れてく」
問いかけてきたヴェルにこくりと頷き、外傷はあらかたなくなったニィシャさんという鬼人族を背負って元来た道を帰ろうとする。
いざ進もうとした時、くいっとコートの裾が引っ張られる感覚を覚えた。それも三回も。
振り向いて下を見れば、兎人族の三人が俺を見上げていた。
「あ、あの、あたし達も……」
「…何言ってるんだ?」
「「「っ!?」」」
「お、おい!」
目を見開いて泣きそうになる三人と、何かわ早とちりしたのか怒気のこもった声を出すヴェルを見て、俺はニッと笑んで三人の頭をそれぞれ撫でながら言葉を続ける。
「早く行くぞ? この人だって、知らない奴より起きた時に家族がいた方がいいだろ」
「! う、うん……」
「は、はい……」
「あぅ……」
「?」
なんかいきなり顔を赤くした三人と、一瞬呆気にとられたような顔をした後もじもじしてるヴェルを促し、俺はニィシャさんを助けるためこの世界への我が家へと足を進めるのだった。
《……ロリコン》
『…変態主人』
だから何故だ!?
●◯●
ニィシャさんの治療を終え、一つ息を吐きながら寝室から出る。すると机に座ってじっと待っていたヴェルと兎トリオが立ち上がり、俺に近づいて来た。
「ニィシャさんは!?」
「大丈夫だ。様子は安定してる。あとは、目覚めるのを待つばかりって感じだな」
俺が親指と人差し指で丸を作って答えると、真っ先に近づいてきたつり目の少女は目を見開き、顔をうつむかせた。
一体どうしたのだと様子を見ると……
「そっか……よかった…本当に、よかった……っ!」
俺のズボンをつかんでいたつり目の少女は、嗚咽を噛み殺しながらそう言った。家族思いな様子にふっと破顔し、もう一度その頭を撫でる。うん、この子もウサミミモフモフだね。
少女は泣いていて気がついていないのか、それとも心情がそれどころではないのかヴェルのように振り払おうとはしなかった。むしろ、そのうち泣き止んで気持ち良さそうに目を細めてスリスリ頭を擦り付けて来る。
おろ、懐かれたかな?ていうか、ゴロゴロと喉を鳴らしているところとか、ちょっと猫っぽかった。兎だけど。
…っと、危ねえ危ねえ。いつまでもこんなことしてたらまたロリコンだの変質者予備軍だのシリルラに言われちまう。そう思って頭から手を離すと、「あっ……」といって少女はしゅんとしてしまった。
「そ、その、もうちょっと、だけ………」
「………」
ナデナデ。
「あ、えへへ……」
やっぱ無理。可愛すぎる。
《『…………………………』》
「はっ!?」
どこからか極寒の視線を二つ感じ、今度こそやめて代わりに手を繋いで、ジローーーッとこちらを見て……一部凝視している兎三人の座っているテーブルの方へ向かった。そして空いていた椅子に座る。
すると、少し逡巡したのち手を離したつり目の少女はなんと俺の膝の上にその小さな体を乗っけて来た。びっくりとする俺を見上げ、えへへと照れ臭そうに笑う少女。
あぁあぁもう可愛すぎだろぉぉおぉおお!?
先ほどまでの警戒心は何処へやら、チョロいとも言えるほどの急変ぶりで甘えるような仕草をして来る少女に、俺は心の中でそう叫んだ。当然、シリルラとエクセイザーに聞かれているわけで。
《やっぱりロリコ……》
『幼女趣……』
いや違うよ!?断じて小さい子が好きなわけじゃないからね!ただ単にほら、癒しっていうかさ!心が洗われる感じがするんだよ。あいつやリィスが一緒にいて和む感じだとすればあれだな、この子は見ていてほんわかするタイプだ。
とにかく、心がぴょんぴょ…おっと、これはなんかやばい気がする。
とまあ、おふざけはここまでにしておいて。表情を真剣なものに変え(ただし少女は膝の上に乗せて頭を撫でながら)、残りのふくれっ面(こっちはこっちで可愛《変態》だから違う!)な少女二人に事情を聞くことにした。これ以上なんか下手に考えたらなんかエクセイザーも頭めがけてすっ飛んで来る気がする。
二人は当然話ずらそうにしていたものの、しかし話さなければいけないと思ったのだろう、ポツリポツリと話してくれた。話の内容はヴェルと大体同じだったが、一つ違ったのはあのニィシャという鬼人族の女性は二種族の中でもとても優しい心の持ち主だと言われていたそうで、よく子供達の遊び相手になってあげていたようだ。
だが黒鬼神の狩りが始まり、子供達を連れて一生懸命西部まで逃げて来たはいいもののここにいる三人以外の大部分とはぐれてしまい、自分は重傷を負ってしまった。そして三人がどうしようかパニックになっていたところ、俺が現れたのだとか。
「それじゃあ、間一髪だったってことか……」
俺が善良な人の命を救えたことに安堵していると、三人(つり目の子がレイ、気弱そうな子がアリィ、タレ目の子がリルならしい)が少し顔を赤くしながら、何かを言おうとしていた。
「あ、あの……ありがと、リュー兄!」
「ニィシャさんを助けてくれて、ありがとうなの!」
「それに、わ、私達のことも助けてくれて、感謝しきれません!」
「ーーっ!」
三人の感謝が、俺の心に響く。地球にいた頃はあまり人との交流がなかった身だ、こうやって素直に感謝されるとなかなかジーンと来るものがあった。
だが、だがしかし。問題はそこではない。いや、十分重要なのだが、それよりも何よりも俺の心にクリティカルヒットを決めたものがあった。
「レ、レイ。今、俺のことをなんて……?」
「えっ? えと、リュ、リュー兄?」
「かはっ!」
『主人っ!?』
あ、危ねえ!マジで吐血するところだった!なんだこの破壊力、頰染め&上目遣いとか破壊力高すぎだろ!しかも見た目が愛らしいので、余計に精神的に多大なダメージ?癒し?を受けてしまった。思わずエクセイザーが声を上げるほどだ。
よし、決めた。レイは俺の妹にする!一人っ子だったので、リュー兄呼びは俺の心を一発で鷲掴みにした。いやほんと、もう決定事項な。誰にも異論は許さん。
《ロリコン変態やろ……コホン。龍人様。アホなことをしていないで、早く話を進めてくださいね》
お、おう。あと今なんか不名誉極まりない呼び名を言われた気がするんだが……
《あら、何か文句でもあるんですかねこの変態》
もはや名前ですらなくなった!?
脳内でシリルラとコントじみた会話を繰り広げながら、さてどうしようかと頭を悩ませる。するとクゥ、と丁度よく三人のお腹が鳴った。顔を真っ赤にする兎トリオに俺は苦笑する。どうやら、かなり高難易度の逃走劇で腹が減っているようだ。
よし、なら……
「三人とも、あるものを作ってみないか?」
「「「あるもの?」」」
「ああ、ハンバーグって言ってだな……」
ハンバーグ。日本のどの家庭でも出る定番な献立の一つだ。特に子供に大人気であり、かくいう俺も大好物の一つだったりする。ちなみに一番好きなのは前にあいつが作ってきてくれた弁当に入ってた豆腐ハンバーグだ。
そういうわけで、三人にはハンバーグを自分たちで作って食べさせようと俺は考えていた。幸い材料は揃っているし、主な材料が肉だからお腹にもたまる。魔物だから多少味覚は違うだろうがきっと気にいるだろうしな。それと、丁度お昼時だし。
結果として、俺の説明したハンバーグに興味を示したのか三人+ヴェルは目をキラキラと輝かせてハンバーグ作りをしたいと言い始めた。俺は上機嫌で四人を伴いキッキンに立ち、棚の中から色々と材料を取りだす。
今回作るのは一番スタンダードなハンバーグだ。材料は豚…によく似た味のひき肉、玉ねぎ…ヒュリス名タギ、人参…によく似た鮮血色の野菜、パン粉…っぽいもの、牛乳、塩胡椒、ナツメグとよく似たもの、卵。もちろん全部たべれるのは確認済みである。
コートを脱いで、コートの作成者が作ってくれたエプロンを着て袖をまくる。そして一通りの食材を置いたテーブルの前に立ち、足元と隣の兎少女4人に実演を踏まえながらハンバーグ作りをさせていった。気分はさながら料理教室の先生である。
まず最初に、人参と玉ねぎ…慣れ親しんだ名称でいくことにする…を支給した小型土ナイフで切る。これまで生きてきた環境上全員手先が器用で、すんなりと野菜を解体していった。
次にボウルに注いだ牛乳にパン粉を浸し、同時平行で黒鋼のフライパンで飴色になるまで炒める。これは少し危ないので俺が1人でやった。それを後ろから4人はおーっと見守る。
それが終わるともう一つ取り出しておいた大きめのボウルの中にそれまで調理していたものすべてを入れ、ナツメグと塩胡椒をふりかけ、それぞれ六つの塊にすると全員で捏ね始めた。一つはエクセイザー用だ。
「真ん中をくぼませてから、両手でぱたぱたするんだぞー」
「ね、ネチャネチャしててやりにくい……」
「手がベトベトですう〜」
「ち、ちぎれちゃう!」
「難しいなこれ!?」
そんなふうにワイワイ騒ぎながら、みんなでハンバーグを作る。
全員がタネを作り終わると、フライパンにもう一度油を引いて、形も大きさもバラバラなそれを弱火で焼いた。蓋をして待つ間、ぱち、ぱちっと中で肉汁と油が混ざったものが飛び跳ねる音を聞いてみんなで今か今かと待つ。
それからほどなくして、テーブルの上に美味しそうな匂いを漂わせるハンバーグが野菜やラスと一緒に盛りつけられていた。いい出来栄えに、人間態になったエクセイザーも含め全員の顔がキラキラと輝く。
食欲を刺激され、他の五人を促して自分も席に座る。そして両手の手のひらを顔の前で合わせて。
「それじゃあ、いただきます」
「「「「「い、いただきます」」」」」
慣れない合言葉を使いながら、はしをとって食べ始めた。ヴェルや俺、エクセイザーは言わずもがな、一口食べた瞬間三人は今日何回目かになるが驚いて目を見開き、すごい勢いで食べ始めた。途中からラスも一緒にどんどんなくなっていく。夢中なその様子に俺は、「喉を詰まらせないようになー」と言いながら苦笑するのだった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「うむ、ごちそうさまじゃ」
「「「ごちそうさまー!」」」
ものの20分ほどですべて食べ終え、満足げな表情をして「美味しかったなー」「そうだね!」「また食べたいの!」などと意見とも呼べぬ感想を交わし合うヴェルと少女三人。俺はそれに、元気付けは成功したかなと達成感を覚える。
《満足しているところ、失礼いたしますね。ニィシャさまが、目を覚ましました》
そんな俺の脳内に、シリルラの声が響いた。おや、思ったより早かったな。もう数日は眠っているかもと思ったんだが。
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