第97話:魔術・デイブレイク
シリルの放った魔術全てが無効化された空間で、二人は対峙する。
ノイズは黒く巨大な剣を背中に担ぐと、楽しそうに笑って口を開いた。
「こいつは断絶の剣ブレイカー。あらゆる魔術を無効化するチカラを持つ」
「本来キャンセル系の魔術は、魔術を構成する術式を理解し、分解することで魔術を無効化します。ですがその剣は―――」
「そう。こいつは魔術の概念そのものを破壊するチカラを持つ。俺の最高傑作だ」
ノイズは巨大な剣を軽々と振り回しながら言葉を紡ぐ。
ブレイカーが振られるたび、普段から空中に存在している微かな魔力すら最初からそこになかったように消されていくのを感じる。
そのチカラに重く冷たい何かを感じながらも、シリルは口を開いた。
「断絶の剣……ですか。それでも私は、退くわけにいきません」
「それは俺も同じだなぁ。結局さ、どっちかが死ぬしかないわけよ」
「っ!?」
ノイズは驚異的な身体能力で一瞬にしてシリルとの距離を詰め、左拳を握りこんで攻撃のモーションに入る。
しかしシリルは咄嗟に後ろ飛びして距離を取り、奥歯を噛みしめた。
「へぇ、よく反応したね」
「ムーヴィング・エア!」
とにかく今は距離を取ろう。あの剣と対峙してはいけない。
移動魔術であるムーヴィング・エアを即座に唱えるシリル。すぐにシリルの足元には逆巻く風が生成され、彼女の体を浮遊させた。
「飛ばさせないよ」
「!? そんな、風を切った!?」
ノイズは目にも止まらぬ速さでブレイカーを振り回すと、シリルの足元に逆巻いていた風を“切り捨てる”
魔術で生成した風を物理的な剣で切り裂くなどありえない。
シリルの驚きは当然だったが、ノイズはそんな驚きを意にも介さず口を開いた。
「正確には打ち消した、かな。まあどっちでもいいさ、結果に変わりは、ない!」
「くっ。あぐっ!?」
次の瞬間巨大なブレイカーの刃が、シリルの頭部に向かって横なぎの形で襲い掛かる。
シリルは咄嗟に創術を使って両腕に銀の手甲を装備すると、頭部への斬撃を受け止めた。
「両腕を包む銀の手甲か。創術まで使えるとは思わなかったな」
「魔術を打ち消すその剣でも、この手甲は貫けないはずです」
シリルの命を刈り取ろうと力が込められていくブレイカーを受け止めながら、シリルは苦々しく言葉を落とす。
その様子がわかっているから、ノイズは余裕のある表情で言葉を続けた。
「確かに魔術として打ち消すことはできない。でも、いつまで耐えられるかな?」
「はぁっはぁっはぁっ……!」
シリルは移動力を強化する魔術を駆使しながら、かろうじてノイズの剣撃を回避する。
一方ノイズは楽しそうに笑い、まるで獲物を追い詰めるように剣を振るった。
「人は知恵と知識を持って剣を作り、作ったその剣によって命を狩られる。矛盾しているが真実だ」
「ですが、剣で守れる命もあります」
「それは空想だよナンバーゼロ。ヒトはそんなに賢くはない」
「いいえ! たとえ剣がなくても、魔術がなくても人は人を守れるはずです!」
何度も何度も急所に向かって振りぬかれるノイズの剣。
シリルは寸前のところでそれを回避するが、確実に息は上がり、限界は近づいていた。
「話は終わりだ。俺も魔術を使わせてもらうよ」
「ムーヴィング・エア!?」
ノイズは自身の足元に逆巻く風を生成し、残像も残さないほどのスピードで屋上内を移動する。
シリルは全神経を研ぎ澄ませてノイズの現在地を探るが、まったくとらえることができなかった。
「魔術を使えるのは自分だけなんて、そう思ってたわけでもないだろう?」
「は、速い……!」
シリルは残った魔力で最大限の攻撃魔術を周囲に向かって放つが、そのどれもが空を切る。
当たれば即致死量の怪我を負うであろう強力な魔術の連発だったが、ノイズの服にすら触れることはなかった。
「はははっ。いくら魔術を放っても、当たらないんじゃ意味がない。もっとも、当たったところで効果はないけどね」
仮に当たりそうになったとしても、自分はこの剣を使ってその魔術をかき消す。
その自信があるノイズは、余裕のある表情でシリルが隙を見せるその時を待った。
「くっう……!」
「ほう? その目は……」
シリルは目隠しを首元にずり下げ、魔術文様の刻まれた右目をあらわにする。
時計のような紋章が刻まれたその右目の文様は回転し、それに合わせてシリルは呪文を詠唱した。
「悠久の彼方より流れ出ずる、この世のすべての時よ、この瞬間、我は命ずる。創世せよ、凍結の領域。“エンペラー”」
「!?」
「…………」
駆け回ったノイズによって発生した粉塵も、空を舞う鳥も、高速で移動していたノイズすらも目を見開いたままの状態で静止している。
凍結された世界。静止した世界の中でシリルはゆっくりと右手をノイズに向かって突き出し、その掌に巨大な炎弾を生成した。
「ごめん、なさい。でも少しだけ、眠っていてください」
「あやまること、は、ない、さ」
「!?」
静止した時間。この時間を動ける者など自分以外に存在しないはず。
そんな常識を打ち破ったその言葉。発したのはノイズ。
ノイズはまるで壊れた人形のようにカタカタと動き、まるで鎖の拘束を引きちぎる獣のように静止した時間から解き放たれた。
「言ったろう? この剣はどんな魔術も切り裂く。たとえそれが、凍結された時であっても」
「なっ……」
ノイズは動揺したシリルの隙を見逃さず、一瞬で互いの距離を詰める。
元々攻撃魔術を放とうとしていたシリルに、ノイズの剣撃を防御する術はない。
それがわかっているノイズは、にっこりと微笑みながら言葉を落とした。
「さて、終わりだ」
「っ!」
振り上げられたその剣。その黒く巨大な剣はためらいなくシリルの命を刈り取るだろう。
やがて振り下ろされた剣は重力の力も借りて、シリルの頭部を粉砕しようと接近する。
しかしその剣先がシリルに激突しようという刹那、一つの火球がノイズの背中に直撃した。
「っ!?」
「痛ってぇ……」
思わず剣を振り下ろしていた動作を止め、火球が飛んできた方向へと顔を向けるノイズ。
そこではかろうじて上半身だけを起こしたミアが右手をノイズに向かって突き出していた。
「ふふっ。やっとあなたに、借りを返せましたわね」
「ミアさん!」
ミアが、ミアが生きていた。生きていてくれた。その事実が何より嬉しく、シリルは満面の笑顔を見せる。
ノイズはつまらなそうにため息を落とすと、ボリボリと頭をかいた。
「あーあ……ナンバーワン。あんたはもう少し賢いと思ってたのになぁ」
「!? だめぇええええええええ!」
一度瞬きをしたその刹那ノイズはミアの背後へと移動し、剣を逆手に持ち変える。
やがて突き刺すように突き下ろされたその剣先は、ミアの胸元を躊躇いなく貫いた。
「あっ……」
「死んだ、かな。あんたが一番わかるだろう? シリル=リーディング」
ミアの体から剣を引き抜くノイズ。噴き出す鮮血、目から光を失うミア。
その体から、オーラが消えていく。
もう二度と、あの声を聴くことはない。あの笑顔を感じることはない。
なのに何故、嗤っている? 彼は何故、嗤っているのか。
気づけばシリルは激昂し、声を荒げていた。
「あなた、は。あなたはああああああああ!」
「ほう、左目が開いたか。一体何をしてくれるんだい?」
シリルはこれまでずっと閉じてきた左目を開き、その瞳の奥に浮かぶ魔術文様を回転させる。
しかしすぐに何かが起きることもなく、沈黙がその場を包んだ。
「…………」
「沈黙が質問に対する答えか。まあ、これでわかるだろう!」
ノイズはミアの死体を飛び越えると肩に担いだ剣を縦一線に振り下ろす。
その刃がシリルの体を切り裂いたかと思われたが、結果的に剣は空を切って切っ先は地面に突き刺さった。
「踏み込みが甘かったか。ならもう一度!」
「…………」
横なぎの剣撃に切り替えたノイズは今度こそ距離を正確に測り、その剣を振るう。
しかし何度振っても剣は空を切り、シリルの体をとらえることはなかった。
「馬鹿な、俺がこんなに距離を計り間違えるわけが―――」
「フレイムランサー!」
シリルは沈黙を破り、右手に集中させた魔力から炎の槍を複数生成する。
直進的な動きでノイズに向かって放たれた炎の槍を見たノイズは馬鹿にするような表情で笑ってみせた。
「無駄だ! そんなわかりやすい軌道で―――何っ!?」
「…………」
ノイズはその身体能力を駆使し、体を横移動させることで炎の槍を回避した。
した、はずだった。
だが炎の槍は今ノイズの腹部に突き刺さり、鮮血を流させている。吐き気をもよおすような痛みに耐えながら、ノイズは真っ直ぐにシリルの左目を睨みつけた。
「あっぐ……まさか、まさかその眼は!?」
「はい。今度は時間ではなく……空間を操りました」
シリルは淡々とした調子で回答しているが、その目の奥には強い意志が確かに燃え、宿っている。
つまりシリルはノイズの足元の空間を操作して距離感を狂わせ、炎の槍の進行方向にある空間を歪めてノイズの腹部に槍を激突させたのだ。
シリルの目にこれまでにない決心を感じたノイズは額から汗を流しながら言葉を落とした。
「ははっ、まさか時と空間を一人の魔術士が操るとは、本格的に化け物だな」
「負けるわけには……いきませんから」
シリルの脳裏には今も、胸を貫かれたミアの目が焼き付いている。
その全身には魔力が溢れ、一般人ですら視認できるレベルで練られていた。
圧倒的なその魔力を目にしたノイズ。しかしその目に恐怖はなかった。
「そうかい。でも―――」
「!?」
「歪めた空間も、この剣は破壊する」
ノイズは自身の周囲にある歪んだ空間すべてを剣でかき消し、再びシリルとの距離を詰める。
シリルは空間を操作して次々と襲い掛かってくるノイズの剣を回避するが、歪めた空間はすぐに剣によってかき消され、徐々に避けきれない剣撃が増えてきた。
「くっ……!」
「どうした? 歪めてみろ、止めてみろ、時間でも空間でも操ればいいさ。でも―――」
「!?」
「その度俺は、上を行く!」
「あああああああっ!?」
剣での攻撃をフェイントとしてゼロ距離で放たれた強力な炎弾。
その炎弾は躊躇いなくシリルの腹部を貫き、シリルは口の端から血を流しながら膝を折った。
「魔術協会のトップ、ナンバーゼロ。そうなったらただの女だな」
「あっぐ……!」
「身を焼かれるような痛みだろう。今終わらせてやる」
ノイズはゆっくりとした動作で剣を上段に構え、薄笑いを浮かべる。
消え入りそうな瞳で呆然と振り上げられた剣を見上げ、シリルは心の中に言葉を落とした。
『レウスくん、リセさん、リリィさん。そして……ミアさん。ごめんなさい』
「くらえぇああああああああ!」
「っ!」
ノイズの容赦のない一撃はシリルの体を斜めに切り裂き、大量の鮮血がノイズの体を真っ赤に染める。
完全に致死量の出血と傷だ。もはや生き残ることは叶うまい。
ノイズは剣を肩に担いで踵を返すと、ゆっくりと屋上のドアに向かって歩き出した。
「手応え、あり。終わりは案外あっけないもんだな」
ノイズは乱れた呼吸を整えながら、屋上のドアノブに手をかける。
しかしその刹那、背後に冷たい気配を感じた。
「―――確かに、終わりました。でもまだ、終わらせません」
「なっ!? 馬鹿な、今そこに倒れていたはず―――!?」
振り返ったノイズの視界に映るのは、金色の光を発しながら浮遊するシリルの姿。
シリルは両手を広げた状態で空中に浮遊し、開かれた両目でしっかりとノイズをとらえている。
そしてそのままゆっくりと、口を開いた。
「確かに私は斬られた。事実はそうです。ですがその事実は今私が“革命”しました」
「なに、を……なにを言ってる?」
死んだはずの人間がいま、自分と会話をしている。
その事実はノイズの中に未だかつてない恐怖を感じさせ、ノイズの背中に冷たい嫌な汗が走る。
シリルは淡々と、言葉を続けた。
「時間を操る魔術エンペラー。空間を操る魔術キング。その両方を同時発動したとき、新たな魔術が創造される」
「新しい、魔術?」
「魔術デイブレイク。この世の理全てを“革命”し“変革”させる魔術です」
「ふざ、けるなよ。そんな魔術があってたまるか!」
この世の理すべてを変革するというなら、そうだというのなら。
それはもう、神の所業ではないのか。
認めない。認められるわけがない。ノイズは声を荒げるが、シリルは淡々とした調子で言葉を続けた。
「はい。確かにこの魔術は存在しませんでした。つい先ほどまでは」
「!? 剣、が」
ノイズの肩にあったはずの重量がいつのまにか忽然と消え、気付いた時にはブレイカーはその姿を完全に失っていた。
あらゆる魔術を打ち破るはずの最強の剣が、その存在を消失した?
事実がノイズを揺さぶり、心拍数が上がっていく。気づけばノイズは、叫んでいた。
「ふざ、けるなあああああ! ……!?」
「あなたの魔力も、戦闘に必要な筋力も全て無くしました。これからはどうか、誰かの“平和”を守る日々を送ってください」
シリルは悲しそうに眉を顰めながら、ノイズに向かって言葉を紡ぐ。
その発言は、現象は、どれほど今のノイズにとって残酷なものだろうか。
シリルはそれがわかっているから眉を顰め、驚愕に目を丸くするノイズの視線を一身に受けた。
「何を、何を言ってる。今更、下がれるわけが―――」
「ごめん、なさい」
「…………」
自分の中にもう、魔術を使えるほどの魔力は感じられない。
両足に力が入らない。拳を握ることはできても、それを突き出す意思が湧き上がらない。
大切な何かを失った。しかしどこか、何かから解放されたような気持ちもある。
ノイズは今まで感じた事のない感情を胸に降ろし、やがて急激な体の変化についていけずその意識を手放した。
シリルは倒れるノイズを確認すると、ゆっくりとミアに向かって近づく。
するとミアの体の傷はまるで最初からなかったかのように巻き戻され、全身に魔力が戻っていた。
膝を折ったシリルはミアを抱きかかえると、悲しそうに眉を顰めた。
「ミアさんも、ごめんなさい。痛い思いをさせてしまって」
「ん……しり、る?」
「おはようございます、ミアさん」
シリルは少し困ったように笑いながら、ミアに向かって言葉を返す。
状況が理解できないミアは頭に疑問符を浮かべながら口を開いた。
「あなた、一体何を? あの男は―――」
「大丈夫ですよ、ミアさん。もうぜーんぶ、だいじょぶです」
シリルはにっこりと微笑み、言葉を落とす。
その笑顔に嫌な何かを感じたミアはシリルの肩を掴み、声を荒げた。
「ちょっと、どういうことですの? 説明なさい!」
「ごめんなさいミアさん。疲れてしまったので、ちょっとだけ眠ります」
「シリル……シリル!?」
シリルはぽふっとミアの胸に顔を預け、体の力を抜いていく。
それと同時に全身を覆っていた金色のオーラは姿を消し、痛々しい姿になったシリルの体だけが残された。
「ミアさん。貴方が助かって本当によかっ、た」
「っ!? 許し、ませんわ。二度もわたくしを置いていくなんて!」
全てを察したミアは両腕でシリルの頭を抱え、声を荒げる。
しかしシリルはそんなミアの言葉にもう反応を返すことはなく、ゆっくりとその呼吸を止めた。
「…………」
「起きなさい、シリル。起きて……起きてよ」
ミアはまるで家に一人置いて行かれた子どものように涙を流し、シリルの体を揺さぶる。
しかしそれでも、シリルの意識は戻らない。
その状況を理解したミアは乱暴に涙を拭い、シリルを抱えて立ち上がった。
「あきらめ、ませんわ。絶対にもう、あきらめない!」
ミアはシリルの体を抱え、屋上を後にする。
ラスカトニアの空はいつのまにか茜色に染まり、一日の終わりを告げるその色は、一つの物語の終末を表しているようだった。




