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第95話:強さ

 魔術協会本部の階段を駆け上がるシリル。息を切らせながら屋上に通じるドアを勢いよく開くと、冷たい風が頬に触れた。


「はぁっはぁっ―――シロさん!?」

「遅かった、ですわね。ナンバー、ゼロ」


 屋上で倒れているシロは口の端から血を流し、腹部に致命傷と思われる深い傷を負って青い顔をしながらシリルを見つめる。

 そんなシロに駆け寄ったシリルはすぐに右手をシロに向かってかざした。


「待っていてください、今すぐ治療します!」


 かざした手には黄緑色の柔らかな光が宿り、シロの体を優しく包む。

 シロは傷口を手で押さえながら小さく笑って言葉を紡いだ。


「無駄、ですわ。体の許容量を超えた怪我を治癒することはできない。あなたもわかっているはずです」

「でも、延命すればまだ活路はあります! 諦めないでください!」


 シリルは目の奥が熱くなり、溢れ出す涙を懸命に抑え、「泣いている場合じゃない」と治癒の魔術を強めていく。

 しかしシロは真剣な表情に変わるとさらに言葉を続けた。


「それより、ナンバーゼロ。今すぐこの場を離れなさい。わたくしを倒した男がまだ近くにいるはずです」

「っ!? で、ですが、近くに気配は感じません。それより今はシロさんの怪我を―――」

「ナンバーゼロ!」

「っ!?」


 強くなったシロの声に驚き、息を飲むシリル。

 シロはどこか諭すような声色で言葉を続けた。


「あなたは魔術協会の長、でしょう? であればまずは生き残ること、そして、魔術協会を立て直すことに注力なさい」

「シロさん……」


 今まで、こんなに弱気になったシロの様子をシリルは感じたことがない。

 全身のオーラが弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。

 シリルは不安に押しつぶされそうな心を必死で支えながら、治癒の魔術をかけ続けた。


「今になって思えば、わたくしは酷い女でしたわね。自身の国のためとはいえ、多くの人を傷付けてきました」

「…………」

「でも、それでも、後悔はしていません。お母様から受け継いだ国ですもの。全力で守ることに、後悔などありませんわ」

「そう、ですね。それでこそシロさんです」


 シリルはぎこちなく笑いながら頷き、その笑顔を見たシロは小さく微笑む。

 しかしやがてシロの目から光は消え、シロの視界には何も映らなくなっていた。


「あ、あ……ナンバー、ゼロ。まだそこにいますか?」

「はいっ。いますっ。いますから、少し休んでくださいっ」


 シリルはシロの様子からもうその目が機能していないことを悟り、あふれ出る涙を押えながら言葉を発する。

 シロは手探りで見つけたシリルの手を弱々しく握ると、震える口元で言葉を紡いだ。


「ね……。わたくしのこと、ミアって、呼んでくれる?」


 震えるミアの口からかろうじて紡がれた言葉。

 シリルは大きく頷いて口を開いた。


「ミアさん……もちろんです。これからもずっと呼び続けます。だから、聞いていてください」

「ありがとう、シリル。……わたくしはずっと、これを探していたのね」

「ミアさん……」


 段々と、シリルの手を握るミアの力が抜けていく。

 逃げていきそうなその手をシリルが強く握ると、ミアはにっこりと笑いながら言葉を紡いだ。


「ふふっそうそう。あの2人にはもう少し大人しくするよう、言っておい、て……」

「ミアさん!? ミアさん! 起きてください! ミアさん!」

「…………」


 シリルの言葉に、もうミアは答えない。

 オーラはまだ、消えていない。しかし消えていないだけだ。活力はまったく感じられない。いずれ消えていくのはわかっている。

 その命が失われていくことを誰よりも強く感じられるシリルは、絶望に顔を青くした。


「そん、な……」

「たーらったらー♪ たったらー♪」

「っ!?」


 突然シリルの背後から、弾むような歌が聞こえる。

 シリルが声のする方向に顔を向けるとそこでは、ボロボロの服を纏った少年がふらふらとシリルの前に歩いてきていた。


「たらららったらっ、ちゃちゃん!」

「あなた、は……」

「あれ、この曲知らない? ヒーロー参上のテーマ。俺結構好きなんだけどなぁ」


 少年はボリボリと頭をかきながら楽しそうに笑い、言葉を発する。

 シリルは真剣な表情で少年の方向に顔を向け、やがて口を開いた。


「裏魔術協会ナンバーゼロ。ノイズ=ブレイカー」

「おっと、俺も結構有名になったかな。そこで死にかけてるミアほどではないけどね」


 ノイズは悪戯な笑顔を浮かべながらミアを指さし、声を発する。

 悪気のないその声色にシリルの表情はこわばり、眉間に力が入った。


「……っ。何故、ですか。何故ミアさんを―――」

「弱いから」

「えっ」

「俺より弱いから、生きてる価値がない。ただそれだけだよ」

「何を、何を言ってるんですか?」


 ノイズの言葉の意味がわからず、震える声をただ返すだけのシリル。

 ノイズはすたすたと歩いて屋上の端まで進むと、高い位置から見下ろす形となったラスカトニアの街並みを指さした。


「ナンバーゼロ。ここからの景色、何が見えると思う?」 「何って……ラスカトニアの街並みでしょう」

「違うね。“歪んだ世界”だ。大した魔力もない、特殊能力もない、剣すらまともに振れない弱いやつらが、平和な日々を過ごしてる。これっておかしいだろ?」


 ノイズは心の底から納得いかないといった様子で、淡々と言葉を紡ぐ。

 一片の迷いもないその声色に、シリルは静かに恐怖した。


「なに、を。何を、言ってるんです?」

「簡単なクイズをしようか。むかしむかしある所に、少年がいました。少年は日々を精一杯生きて、笑い、両親と幸せに過ごしていました」

「…………」

「ある夜少年の村を、野盗の集団が襲いました。村は焼かれ、両親は殺され、たまたま山に山菜を採りに行っていた少年を残し、少年の日常はあっさりと壊されました。さて……悪いのは一体誰でしょう?」


 ノイズは両手を左右に広げ、さあ答えてくれといわんばかりのジェスチャーを見せる。

 その様子を察したシリルは、ごくりと喉を鳴らしてから返事を返した。


「当然、野盗です。平和に過ごす人々を襲うなど、許される行為ではありません」

「ぶー。だい、だい、大不正解。魔術協会の人はみんなそう答えるんだよなぁ」

「???」


 不満そうに言葉を落とすノイズに対し、疑問符を浮かべるシリル。

 ノイズはニヤリと笑うと、楽しそうに正解を発表した。


「正解は“殺された村の人間と少年が悪い”です。彼らが強ければ、野盗を倒すことができた。日々の生活に満足してぬるま湯につかっていなければ、抵抗できたんだから」

「っ!? それは違います! 本来人は争わずに生きていける。それを先の戦争で、我々は学んだはずです!」


 種族戦争以前の世界は、戦いの連続だった。別種族というだけで、別の国というだけでいがみあい、殺し合ってきた。

 その悪しき歴史から人類は平和を求め、学び、勝ち取った。シリルはその歴史を尊敬しているからこそ、ノイズの正解に対して真正面から反抗した。


「そう! 戦争が終わって、戦いが無くなった! それが問題の根幹なんだよなぁ。戦うことを他人に任せたりするからみんな弱くなって、こうしてちょっと突かれただけで逃げ惑うようになった。これが“弱い”って言わずして何よ」


 ノイズは裏魔術協会の襲撃から逃げることしか出来なかった国民たちを、一方的に糾弾する。

 そんなノイズの言葉に、“強さ”への理解に対し、シリルはぶんぶんと顔を横に振った。


「違う……違います。強さは、そんなに単純なものじゃない。ものを売る人の笑顔の中に、物を作る人の汗の一滴に、子どもを見守るご両親の瞳の中に、本物の強さがある。魔術も剣も、そんな彼らを守るためにあるんです」

「ははっ。強さに種類なんかない。相手を倒し、蹂躙すること。それこそが強さだよ」


 ノイズは馬鹿にするような表情でシリルを見下し、言葉を発する。

 その言葉とオーラを受けたシリルは手元で弱っていくミアを確認すると、意を決して立ち上がった。


「どうやら、話し合いは無駄なようですね」

「だねぇ。まあ最初から、生きて帰す気なんかないけど」


 ノイズは右手をシリルに向かって突き出し、そこに魔力を集中する。

 シリルはミアを庇うように立つと、自身も体の中の魔力を高め始めていた。


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