第9話:魔術都市ラスカトニア
魔術都市ラスカトニア近郊の草原を、レウスが歩いていく。
その背中にはリセが背負われており、強い日の光に照らされたレウスの額には大粒の汗が流れる。
レウスは終わりの見えない草原の先を見つめ、小さく言葉を落とした。
「ちく、しょお。どこ行っちまったんだよ。母ちゃん、父ちゃん」
レウスは痛めてしまった足を引き摺りながら、その瞳を潤ませる。
しかしそれでも背中のリセを降ろすようなことはせず。ただ愚直に前へと進む。
そんなレウスの背中に背負われたリセは、レウスの服を掴みながら言葉を紡いだ。
「ごめん、ね。レウス。私が足を痛めなきゃ……」
「へっ、素直に謝るなよ気持ち悪いな。お前くらいは、いつも通りのリセでいてくれよ」
ある朝目覚めるとレウスとリセの両親は忽然と姿を消しており、二人は知り合いの女性の家で世話になることになった。
突然の事態に困惑する二人だったが、女性の手厚い歓迎によって衣食住には困ることはなく、日々は過ぎていった。
しかしそれでも「何故両親はいなくなったのか?」という謎を解明せずにいられない。
二人はある日決心し、自分達の暮らしていた村を飛び出した。
しかし、レウスもリセもまだ子ども。二人きりで旅をするのはまだ早すぎる。
お金はすぐに底をつき、仕方なく自分達の脚を使って旅を続けたがそれももう限界だろう。
レウスの強靭な足腰もギシギシと軋み、今にも崩れてしまいそうだ。
それでもレウスは背中にあるリセの重みを感じて歯を食いしばり、一歩を踏み出していた。
「ちっく、しょう。どこ行っちまったんだよぉ……!」
レウスは今にも泣き出しそうになる心を必死に押しとどめるが、両親と共に過ごした幸せだった日々がその瞳を潤ませる。
毎朝用意されていた暖かい朝食。つまみ食いをする自分、振り下ろされる母親の拳骨。
父とは果たして何度、山の中を駆け回って遊んだだろう。何度共に笑い、共に母に怒られただろう。
夜布団に入った時の充足感、自分の頭を優しく撫でる母の温もり。
それら全て、今ではただの思い出。形のないものになっている。
当たり前だったその日常が突然崩れ去った絶望感は、筆舌に尽くしがたく。
だからこそ二人は、自身の育った村を飛び出してまで両親を捜し求めた。
しかし―――
『く、そお。両足がいてぇ。腹も減って、力が入らねえ』
レウスはリセに自身の表情を悟られないようにしながら、できるだけ一定のリズムで両足を前へと踏み出す。
リセはそんなレウスの心中を察しているのか、レウスの身体を強く抱きしめていた。
「もう、ちょっとだ。もうちょっとだけ進めば、ラスカトニアに着くはずなんだ……!」
レウスはリセを励ますように、言葉を落とす。
両親を探すために二人が選んだ方法は“魔術協会に依頼する”というものだった。
3年ほど前に二人を助けてくれたシリルも、最初は魔術協会に依頼を出そうとしていた。
それを覚えていたリセは両親探索を始める際に「魔術協会に依頼しよう」と言い出したのだ。
「うん。魔術協会に行けば、お父さんとお母さん、見つかるかもしれない……!」
リセは自分の足が少しでも早く回復することを願い、レウスの服を強く掴む。
そんなリセの力強い手を感じたレウスは今にも泣き出しそうな心を抑えると、歯を見せて笑った。
「おおよ。ラスカトニアは魔術協会の本部だ。きっと俺達の両親を探し出してくれるだろうぜ」
レウスは悪戯に笑いながら、軋む足を前へと進めていく。
そうしてしばらくすると、二人の視界に美しい城と外壁が見えてきた。
「っ!? おい、リセ。あれって……!」
「!? うん。多分あれが、ラスカトニア!」
リセはレウスの背中から身を乗り出し、自身の視界に映る光景に言葉を紡ぐ。
そんなリセの言葉を受けたレウスは、笑いながら両足に最後の力を込めた。
「よぉし。いっく、ぜええええええ!」
「っ!?」
レウスは力を振り絞って、ラスカトニアに向かって走り出す。
そんなレウスから振り落とされないよう、リセは賢明にレウスの服を掴んでいた。
魔術の英知と技術の集う国、ラスカトニア。
魔法陣の描かれた石畳は活気ある城下街を支え、杖や書物を扱う店から旅人の購買欲を誘う声が響く。
国の中心には魔術を応用した水のアーチに包まれている白塗りの王城が、ゆったりとその姿を晒している。
卓越した魔術知識と技術により近隣諸国との戦争を避けてきたこの国の資源は豊かで、旅人を歓迎する声と魔術に関する暑い議論が街全体を包み込む。
安全と自由が約束され寝食の安定したこの街だからこそ、魔術師達はのびのびと議論することができる。
しかし―――今日に限って、この街には活気がない。
多くの旅人と商人で賑わう商店街は軒並み店を閉め、鍵をかけられた状態。
常に活発な議論と魔術実験のなされていたはずの集会場ですら、今日この時だけは静寂を守っている。
そんな時が止まったような街の中で活気溢れ、人々の声が飛び交う場所がある。
ラスカトニアの安全と収益を支える、その機関。魔術協会ラスカトニア本部。
その本部前に広がる通称“噴水広場”には今、国中の人々が集まっていた。
「なあ、この召集。例のあの噂が関係してるんじゃないか? 近日中に“ナンバーゼロ”がお披露目されるとかいう……」
「ははっ、まさか。ただの噂だろ? ナンバーゼロなんて、永久欠番に決まってるじゃねーか」
「その通りです。まったく、君も魔術士なら常識でものを考えたまえ」
多くの人々でごった返した噴水広場の中心部。口火を切った黒髪の男の言葉を、金髪の男と眼鏡をかけた男は鼻で笑った。
「いやだって、全魔術師及び国民を広場に集めるなんてよっぽどのことだろ? 絶対何かでかい発表があるんだって!」
「だーから、どうせ国王に子供が生まれたとかそんなもんだって。うちの王様手が早いんだから。何回召集かければ気が済むんだっつの」
“まったく羨ましい……”と小さく呟き、金髪は奥歯を噛み締める。
眼鏡をかけた男も口には出さないまでも、金髪に同意してうんうんと頷いていた。
「いやでも、お前らだって三年前の新聞見ただろ? マジで、ナンバーゼロに任命された魔術師がいるんだよ!」
興奮した様子で言葉を続け、鼻息を荒くする黒髪。
その言葉は、金髪のため息によってあっけなく掻き消された。
「はぁ。だからずっと前から言ってるように、どーせ誤報だって。全属性最高ランクの魔術を操れる奴なんて、いるわけねーじゃん。どうせガルドレッドのおっさんが、ペテンにでも引っ掛かったんだろ? スナッチの時みたいにさ」
金髪は日々聞かされている友人の妄想にうんざりした様子で頭を横に振り、ため息と共に言葉を返す。
腑に落ちない黒髪は不満そうに口を尖らせ、言葉と紡いだ。
「ええー? そうかぁ? 俺、今度は本物のような気がすんだけどなぁ……」
ため息混じりに言葉を落とす黒髪。
その肩にはいつのまにか金髪の手が置かれ、ぽんぽんと優しく叩かれた。
「まあまあ、過度な期待はすんなってことよ。どーせガセネタだから、な? なんなら1万ゼール賭けてもいいぜ」
「あ、それなら僕も乗ります。ガセネタの方に5千ゼール」
「はぁ、お前らは夢がねえなぁ……」
金髪と眼鏡をかけた男の言葉にため息を落とし、ついでに肩もガックリと落とす黒髪。
その刹那、魔術によって拡声された声が広場内に響き渡った。
『あ、あー、テステス。皆さん、よくぞ集まってくれた』
「しっ、なんか始まるみたいだぜ」
噴水広場の中央に設営された壇上に、一人の男……いや、怪物と言っても相違ないだろう。そんな男が堂々と前を向いて立っている。
厳つい形をした顔面。大きな口からはみ出すように突き出ている牙。頭部から伸びた角。
その筋力だけで大岩を粉砕しそうなごつい両手。丸太のような太い腕。
遠い昔の種族戦争時代。バーバリアンという種族はていのいい傭兵として、各国に雇われていた。
数も繁殖力も強く、戦闘力は折り紙つき。知性には致命的な欠陥があり、不潔で蛮行が過ぎる。しかし各国の王にとっては、それも都合が良かったのだろう。
そして壇上に立つ男はどう考えても、その獰猛なバーバリアンだ。
しかし―――壇上に立つバーバリアンには、不潔の欠片も見当たらない。特注のスーツをきっちりと見につけ、ピカピカに磨かれた靴が眩しい。
筋肉の量によってスーツはパツパツになってしまってはいるものの、もし体型と顔が人間のそれであれば、ごく普通の紳士にしか見えないだろう。
悍ましい形相のバーバリアンが魔術文様の描かれた拡声器を手に持ち、驚くべきことに言葉を紡ぎ始める。
本来であれば狩りや戦争時にしか見ることのないバーバリアンが理知的に話をしている姿は異様で、普通ならば警戒するか逃げ出すかのどちらかである。
しかしながら広場に集まった人々は逃げるどころか、全員もれなくその言葉を受け取り、静寂を守っている。
普段からラスカトニアの街中に顔を出し、買い物どころか素行の悪い魔術師に説教までたれているバーバリアンを今更誰が怖がるというのか。
壇上のバーバリアン。いや、魔術協会筆頭職員ガルドレッドは静寂が守られていることを確認すると、満足した様子で言葉を続けた。
『多忙な中集まって頂いたのは他でもない。我が魔術協会、そしてラスカトニア王国にとっての重大発表を今この時執り行うためである』
「うわっ、やっぱそうだ。王様の子どもだよ子ども。はい決定~」
「しっ、まだなんか言うみたいだぜ」
ガルドレッドの言葉に一部の魔術師や国民は口を動かすが、大きく取り乱した様子はない。
先ほど金髪も言っていたが実際珍しくないのだ。こういった集会は。
やれ王様の第十子が生まれただの、王様の妹に恋人ができただのということで一々全国民が召集される。
それだけ皆暇で平和であるということなのだが……当の国民達はその事実に気付いていない。
中には欠伸を噛み殺し、ガルドレッドをぼーっと見つめている者までいた。
『静粛に。静粛に願う。今日この発表は、下手をすれば世界中を揺るがす大ニュースとなる。だから今日は、各国の報道陣の皆さんもお呼びしたのだ』
目配せするバーバリアンの目線の先には、メモと念写能力者を携えた報道陣が本題はまだかと待ち構えている。
念写能力者がいるということは、これから発表される何かを記録して画像として各国に配る必要があるということ。
かなりの重大発表でなければ、彼らが取材に借り出されることはなかった。
ガルドレッドは集まった取材陣を横目で確認すると、満足した様子で言葉を続けた。
『実はこの事実は三年前に判明し、新聞にも掲載されていたのだが……あまりにもその真偽を疑う声が大きく混乱しているため、今日は正式に事実を発表するに到った』
「「!?」」
ガルドレッドの言葉に、黒髪と金髪は顔を見合わせ、驚愕に目を丸くする。
彼らがその言葉を頭で理解するより先に、拡声器から声が響いた。
『魔術協会で永久欠番とされていた“ナンバーゼロ”。それに任命された史上最高の魔術師。彼女の存在を今日……正式発表する!』
「「「何ィィイイ!?」」」
黒髪と金髪、そして眼鏡をかけた男は壇上のガルドレッドへ大声をぶつけ、それに呼応するように周りの人々もざわざわと騒ぎ出す。
小さな番号になるほど優秀な魔術士とされる魔術協会のナンバーで、“ナンバーゼロ”は実質永久欠番とされていた。
魔術の才能は基本的に生まれ持ったもの。“魔術の父”と呼ばれる大魔術師ドラグライト=バークナーでも、最高ランクの魔術を操るのは三属性が精一杯だった。
そんな世界でナンバーゼロとなる条件は、ただ一つ。
“全属性最高ランクの魔術を、自由自在に操るもの”
それのみに、ナンバーゼロは与えられる。
魔術協会発足時魔術士達の意欲向上のため、半ば冗談交じりに作られた規定。まさかその条件に適合するものが現れるなど想定していない。
今は壇上で冷静に言葉を選んでいるガルドレッドも、二年以上その真偽を確認してようやく信じたほどだ。
「うそつくなー! ガルドレッドのおっさん! そんな奴いるわけねー!」
「し、しししし、証拠、証拠を見せてもらいましょう! でないと、な、納得できない!」
ガルドレッドの足元から多くの魔術士からの罵倒の声が届く。その中には、眼鏡の男の姿もあった。
声を荒げる魔術士の中にはその小さなプライドを壊されまいと、懸命にナンバーゼロである証拠の提出を求める者もいた。
才能と努力の乏しい彼らにとってナンバーゼロの席が空いているというのは、一つの希望でもあったのだ。
どんなに強大な魔力と技術を持つ魔術士でも、ナンバーゼロには届いていない。
一桁のナンバリングを持つ魔術士を目指すものたちにとってそれは、一つの慰めになっていた。
まったくもって、情けないことに。
「…………」
ガルドレッドは広場の様子を見ると、眉間に皴を寄せて大きく息を吸い込む。
普段彼の傍で仕事をしている補佐官達は、慌てて両手を使って自身の両耳を覆った。
『だぁぁぁぁまらっしゃい! 揃いも揃って、情けないと思わんのかぁ!』
「ひっ……!?」
「いぐっ!? み、耳がぁ……!」
バーバリアンの、怒りの咆哮。
種族戦争時代恐怖の代名詞となっていたそれの威力は果てしなく、一撃で広場を沈黙させるに至った。
『こほん。心配せずとも、今日はそのナンバーゼロを招いています。簡単なデモンストレーションも予定していますので、その目で確かめてください』
「なにいいいいいいい!?」
「は、はは。うそぉ……」
黒髪はガルドレッドの言葉に大声で驚き、金髪は放心状態で中空を見つめる。
眼鏡の男はぽかんと口を開け、ついでにレンズがちょっと割れていた。
しかしそんな彼らと広場に集まった魔術士達の焦りなど、ガルドレッドに とっては瑣末な事でしかなく。
ガルドレッドのスピーチは滞りなく、淡々と続けられた。




