第89話:優先避難
中央地区北側の住宅地。ここには魔術協会本部に所属している多くの魔術士が暮らしている。普段は魔術について熱い議論を交わしている彼らだが、今この時ばかりは状況が違う。
皆我先にと逃げ惑い、住宅地の中にある中央通路は大混乱に陥っていた。
「まずは子ども達の避難が優先だ! 避難路には充分な余裕があり、敵兵の到達には猶予もある。焦らず迅速に避難しろ!」
ガルドレッドは太い腕を振りながら避難を誘導し、声を荒げる。
余裕のないせいか元々凶暴な顔がさらに凶悪になっていたが、幸い周囲の魔術士にそれを気にする余裕はない。ガルドレッドの側には職員が1人いるだけで、実質この場は2人で避難誘導していた。
「ガルドレッド様申し訳ありません。筆頭職員であるあなたに現場の仕事をさせてしまって」
「気にするな。この人数を君1人でさばくのは無理がある。それに、有事の際に管理職が率先して動かずしてどうする」
「ありがとうございます。2人ならなんとかなるかもしれませんね」
「油断するなよ。いつ何が起こるかーーーそこ! 走るな! 早足で歩け!」
ガルドレッドは職員と会話しながらも、避難の列を乱す魔術士に怒号を飛ばす。
ガルドレッドの拳骨の味を知っている魔術士は皆大人しく避難し、その人数とは裏腹に避難は滞りなく進んだ。
「研究資材は置いてゆけ! 荷物は最低限に、機動力を重視して行動せよ!」
「おいたんはにげないのー?」
「そうだ! おいたんは逃げない……ふ、フォアラ!? なぜここに!?」
突然足元から響いてきた高い声に驚き、両目を見開くガルドレッド。
茶髪で目の大きな少女フォアラは、不思議そうに首を傾げて口を開いた。
「??? だって、フォアラのおうちあそこだよ?」
「いやそれは知っていますが、本部の部屋に隠れているよう言ったでしょう?」
裏魔術協会の軍勢を見たあの時、ガルドレッドはすぐにフォアラを抱きかかえて本部内の休憩室に連れて行った。
フォアラはまだ小さい。職員が不足しているこの現状で下手に避難するより、シリルの側にいた方が安全だと判断したからだ。
しかしフォアラは今ガルドレッドの目の前、つまり住宅街のど真ん中に立っている。その事実の意味がわからずガルドレッドが理由を尋ねると、フォアラはにこっと笑いながら抱えていたクマのぬいぐるみを突き出した。
「あのね、この子をおうちまで迎えに行ってたの!」
「oh、クマちゃん」
「うん! クマちゃん!」
「ああもう。どうすればいいのか……」
ガルドレッドは両手で頭を抱え、その場で膝をつく。
フォアラは心配そうに眉をひそめ、ガルドレッドの顔を覗き込んだ。
「おいたんだいじょぶ? おかしたべる?」
フォアラはどこからかクッキーを取り出し、ガルドレッドへと差し出す。
小さな手の上に置かれたクッキーを見たガルドレッドは困ったような笑顔で返事を返した。
「大丈夫ですよフォアラ。お菓子は貴女が食べなさい」
「じゃあはんぶんこしよ! はい!」
「あまぁい。ありがとうフォアラ」
フォアラに手渡されたクッキーの半分をその巨大な口の中に入れ、幸せそうに微笑むガルドレッド。
ふわふわとした雰囲気をまとう2人に対し、職員は涙目で口を開いた。
「ガルドレッドさぁん!? 今緊急事態なんですけど!?」
「はっ! そ、そうだった。フォアラ、とりあえず私の肩に乗りなさい!」
ガルドレッドはフォアラを肩車して、再び避難誘導に戻る。
現場は少なからず混乱している。小さなフォアラを足元に置いておくよりは、自分の目の届く場所にいてもらったほうが良いと判断したのだろう。
「わーい! おいたんの上高いからすきー!」
「ああもう、力が抜ける……いや、今はとにかく皆を避難させなければ」
フォアラの楽しそうな声に肩透かしをくらうガルドレッドだったが、やがてぶんぶんと顔を横に振って避難誘導を続ける。
こうして楽しそうな女の子を肩車したバーバリアンの奇妙な避難誘導は、住民の避難完了を目指して止まることなく続けられた。




