第88話:ジャスティス=ジャスト
中央地区で激突する二人の魔術士。黒いスーツの男は天空に無数の槍を生成し、ジャスティスを含めた広場全体に降り注がせる。
ある槍は石造りの噴水を粉々に破壊し、ある槍は頑丈な建物の外壁を容易に貫通する。
そんな槍の雨の中でジャスティスは高速移動を続け、避けきれない槍をハイキックで粉砕していった。
「速いな。しかしそれだけでは勝てない相手だ」
「ぐっ」
高速移動を続けてきたジャスティスだったが、突然右腕を押えてその場に静止する。
大量に滴り落ちた鮮血は石畳に落ちて広がり、ジャスティスの足元を赤に染めた。
「どうした? 随分と動きが鈍くなっているようだが」
「…………」
男はジャスティスの怪我が深刻であることを察し、余裕のある表情で質問する。
その質問に沈黙をもって答えるジャスティスに対し、男はその右腕を突き出して空中に人ひとり分はあろうかという巨大な漆黒の槍を生成した。
「腕が痛むか。ならばその痛み、死によって終わらせてやる! シャドウランサー!」
「っ! ホーリーランサー!」
ジャスティスは男とほぼ同時に右手を前に突き出して白色の槍を生成すると、ドリルのように回転しながら迫ってくる漆黒の槍にそれを激突させた。
光と闇が激突し、一瞬の閃光の後で重苦しい闇が落ちてくる。自身の槍を打ち消したジャスティスの魔術を見た男は楽しそうに笑った。
「光の魔術士か。しかしその状態で脳内詠唱とは、意外と元気なのかな?」
「…………」
少しおどけた様子で質問する男を真っ直ぐに見つめるジャスティス。そんなジャスティスを見た男はクスクスと笑った。
「沈黙が答えというわけか。まあ言葉にせずとも、その怪我を見ればおおよその状態はわかるがね」
「―――ジェイル」
「っ!?」
「貴様はジェイル=ブラックだな。ダークマターの弟子に、闇の魔術に精通した者がいたのを覚えている」
ジャスティスはかつて魔術協会ナンバー2の座にいた魔術士ダークマターの記憶から、隣に立っていた弟子の顔を思い出す。
あの頃から人相は変わっているが、目の前の男は確かにダークマターの弟子ジェイル=ブラックだった。
「へぇ、よく気付いたな。だが今更なんの意味も、ない!」
ジェイルは正体を見守られてもジャスティスの状態を冷静に分析し、自身の勝利を疑わない。
会話の隙に漆黒の槍を発射したジェイル。ジャスティスは自身の心臓に向かって正確に発射された槍を右手で掴んでかき消すと、ジェイルを真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
「……希望だ」
「あ?」
「貴様の攻撃には希望がない。意志がない。そんな攻撃で私は倒せん」
「何を言うかと思えば、希望だと? 希望は逃避。意志は虚勢。それが真実さ」
「そこで死ぬまでそう思っているがいい。私たちは先に進む」
ジャスティスはふらつきながらも立ち上がり、一瞬にしてジェイルとの間の距離を詰める。
砂塵と共に接近したジャスティスの瞳に意思の強さを感じたジェイルだったがそれに怯むことはなく、ジャスティスは接近した時のスピードのまま下段から拳を突き出した。
「接近戦か。確かにそれしか活路はない。しかし―――」
「っ!?」
余裕のある笑みでジャスティスの繰り出してきたボディーブローを体術によって受け止めるジェイル。
右ひじによって綺麗にボディブローを防御されたジャスティスは目を見開いた。
「接近戦に対応できてこそ魔術士。だろう?」
「……私とて、無駄に鍛えているわけではない」
ジェイルの右ひじによって押さえ込まれているジャスティスの拳。しかしジャスティスは拳を引きながらその場で体をねじり、狭い空間の中で威力ある拳撃をジェイルの胸元に打ち込んだ。
「あぐっ!? ……なんちゃって」
「っ!」
打ち込まれたように見えたジャスティスの拳は空を切り、影によって作られていたジェイルの姿は四散する。
その後ろではジェイルが右手をジャスティスへ突き出し、ドリルのように回転している漆黒の槍を発射した。
「この至近距離でも、避けられるのか?」
「っ!? ぐぁあああああああああ!」
ほぼ距離のない状態で発射された漆黒の槍。拳を突き出した状態のジャスティスに蹴りを放つ余裕はない。しかし右手で槍を掴んでも、あの回転では手の方が吹き飛ばされてしまうだろう。
それがわかっているから、ジェイルは余裕の笑みを浮かべた。
「分厚い岩を貫通する威力だ。死んだかな?」
槍が直撃したジャスティスは両足を地面に着けたままズルズルと後ろへと押され、削られた地面から大量の砂塵が舞い上がる。
そんな砂塵の向こうから、右腕を美しい銀の手甲に包んだジャスティスが現れた。
「はぁっはぁっはぁっ……」
「へぇ。それが噂に名高い“強行右腕”か。意外と綺麗なんだね」
銀色に輝く手甲はジャスティスの右腕全てをすっぽりと包み、鮮血にまみれた左腕とは対照的に光輝いている。
ジャスティスは未だ体勢を立て直せないままジェイルを睨みつけた。
「この魔術を使うのは5年ぶりだ」
「ほう、それは光栄。ではどれほどのチカラか試してあげるよ」
「っ!?」
ジェイルは空中に浮遊すると、両手を広げて自身の周囲に影をまとわりつかせる。
いつのまにか空は重い雲に覆われ、日の光が遮られた広場の上空でジェイルは呪文を詠唱した。
「狂宴の宴、捧げるは汝の鳴動。影に蠢く真なる闇よ、喰らい尽くせ、薄弱なる白を。”ヴァイスエクストリーム”」
ジェイルの呪文詠唱が済んだ瞬間ジャスティスを中心とした闇の渦が発生し、徐々にジャスティスへと迫ってくる。
まるで竜巻の中心にいるような状態になったジャスティスの目には、壁になって迫ってくる圧倒的な闇が映っていた。
「闇の、上級魔術か」
「君を中心として展開した。これをどう避ける?」
ジェイルは次第に狭まっていく闇の渦の外側に着地すると、両手を広げた状態で堂々と口を開く。
そんなジェイルの言葉を受けたジャスティスは銀色に輝く右腕を体の後ろに引き、腰を落とした。
「避ける必要はない」
「何……?」
「この右腕で押し通る」
「っ!?」
ジャスティスは闇の渦に駆け出しながら体の後ろに引いていた右手を突き出し、闇と銀の拳が衝突する。
闇の渦は最初こそ抵抗するようにジャスティスの右腕を取り込もうとしていたがやがて銀の光にかき消された。
そして闇の渦が消えた瞬間、突き出された重厚な拳がジェイルの体へと迫る。ジェイルはかろうじて回避するが、拳がかすめたスーツの裾は無残に千切れていた。
「ははっ、私の体に触れるとは驚きだよ。しかし―――」
「くっ」
攻撃をしたはずのジャスティスが膝を折り、奥歯を噛みしめながらジェイルを見上げる。
ジェイルは右ポケットに手を入れると、左手を空に向かって突き上げた。
「体力は風前の灯火か。なら最後に良いものを見せよう。君を絶望に連れていく光だ」
「???」
突然右手を挙げたジェイルを不思議そうに見上げるジャスティス。
ジェイルはそんなジャスティスを嘲笑しながら見つめ、言葉を続けた。
「深遠の闇よ、狂乱なる慟哭の果てに、何を見る。全てを無に帰す、暗黒の一撃……」
「その呪文は!?」
「もう遅い! “ダークマター”!」
呪文の内容から事態の深刻さに気付いたジャスティスは魔術の発動を妨害しようと右手を伸ばすが、その手が届く前に呪文詠唱が完了する。
魔術が発動することに気付いたジャスティスは即座に脳内詠唱を終え、光の槍を生成した。
「ホーリーランサー!」
「脆弱だな」
ジェイルは自身に向かってくる光の槍に欠片も同様することなく、軽く右手を横に振る。
するとジェイルの手の中から暗黒球が発生し、その暗黒球に触れた光の槍は音もなくその存在を消失させた。
「今度はこっちの番だ」
「っ!?」
ジェイルは暗黒球を操り、ジャスティスに向かって発射する。
暗黒球は空中を舞う砂塵全てを消失させながらジャスティスに向かって真っすぐに進み、異質すぎるその存在を感じたジャスティスは横に跳躍してそれを回避した。
「あらゆるものをかき消す圧倒的闇。攻撃に使用すれば対象の存在を抹消し、防御に使えば相手の攻撃を無力化する、まさに究極の魔術だ」
ジェイルは両手を広げ、暗黒球を手元に携えながら言葉を紡ぐ。
ジャスティスはゆっくりと立ち上がりながら返事を返した。
「ダークマターか。失われた魔術と聞いていたが、まさか使い手が残っていたとはな」
「我が師を最後に使い手はいなくなった。しかし私はその身を闇に落とし、ついにこの術を復活させたのだ」
「その術ひとつのために、一体どれだけの犠牲を払った」
暗黒球の生成には、膨大な量の魔力と人の魂が必要となる。
ひとつ生成するだけでも国一つ滅ぼすほどの犠牲がその背後にあるだろう。
「さあ? 覚えてないな。もう過去のことだ」
ジェイルは過去手にかけた罪なき人々の顔も忘れ、薄笑いを浮かべる。
その姿を見たジャスティスは、眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「———貴様にもはや同情の余地はない。ここで断罪する」
「ほざけ! お前に何ができる!」
「できるさ。そのために強くなった」
「そういうセリフは、こいつをかわしてから吐くんだな!」
ジェイルが腕を横に振ると、それに呼応するように暗黒球は広場内を縦横無尽に駆け回る。
暗黒球が追突した建物や地面は消失し、広場の周りにある建物は次々と倒壊していった。
「っ!? よせ、無駄な破壊はするな!」
「何故? 変わらないだろう。この国はもうすぐ無くなるんだから」
「…………」
ジェイルの言葉に声を失い、奥歯を噛みしめるジャスティス。
その姿を見たジェイルは薄い笑い声を響かせた。
「おいおい、ここで諦めるのか? もう少し付き合ってくれても良いだろう」
苦しそうなジャスティスの頭部へ、暗黒球を向かわせるジェイル。
深く不気味な輝きを放つ暗黒球は、ジャスティスの頭部を躊躇いなくかき消そうとした。
「言ったはず、だ」
「あ?」
「かわす必要はない。この右腕で、押し通る!」
「!? そん、な。ダークマターを殴った?」
ジャスティスはその目に光を取り戻し、銀色に輝く右腕で暗黒球を殴る。
わずかに軌道が逸れた暗黒球を回避しながらジャスティスはジェイルへとステップインし、その腹部に拳をねじ込んだ。
「油断しすぎだ」
「あぐっ!?」
「我が右腕はどんな魔術も無効化する。それはダークマターとて例外ではない」
「ぐっ。しかし、ダークマターは消えたわけではない。ただ殴れるというだけだ」
「…………」
確かにジャスティスに殴られた暗黒球は若干軌道がズレたものの、その存在を失ってはいない。
むしろジェイルが込める魔力を増幅したせいで一回り大きくなっているように見えた。
「私の圧倒的優位に変わりはない。消えろ、ジャスティス!」
「っはぁああああ!」
背後から迫ってきた暗黒球を右拳で迎え撃つジャスティス。
光と闇が交互に弾け、台風のような風が広場を包む。ジェイルは弾けるような音と共に暗黒球と
競り合っているジャスティスを見て、驚きに目を見開いた。
「大したものだ。右腕一本で我がダークマターを防いでいる。しかしそれも、あと数分だな」
「……っ!」
ジェイルの言う通り、均衡は徐々に崩れていた。次第にジャスティスは暗黒球に押され、その両足は暗黒球からの圧力によって地面にめり込んでいく。
それでも右拳を引かないジャスティスの姿に、ジェイルは小さく舌打ちを打った。
「それにしてもしつこい。一体いつまで粘るつもりだ?」
「はぁっはぁっはぁっ……! くっ!?」
ガクンと落ちるジャスティスの膝。大量の出血と魔力消費によってジャスティスの体力は底をつき、体から力が抜ける。
その様子を見たジェイルは暗黒球へさらに魔力を注いだ。
「ようやく膝を折ったか。これで終わりだな」
「隊長! 避難完了しました! 隊長!?」
広場の外から、帽子を抱えたキセが走ってくる。
その姿を横目で見たジェイルは、暗黒球を操りキセに向かってそれを放った。
「ちょうどいい、最後にいいものを見せてやる。世にも不思議な人体消失ショーだ」
「っ!?」
人ひとりを飲み込むほどに成長した暗黒球。その暗黒球が地面を削りながらキセに向かって進んでいく。
進行方向上にキセがいることに気付いたジャスティスは目を見開き、キセは圧倒的な死の気配に震えた。
「あ、あ!?」
「消えろ」
ジェイルは薄笑いを浮かべながら暗黒球を加速させる。
そのゴールにキセの死が待っていることを悟ったジャスティスは心の中で叫んだ。
自分は一体何のために、魔術士になった?
この国を、守りたかった。日々を暮らす人々の笑顔を、みんなの平凡な毎日を守りたかった。
ならば、この現状は何か。目の前で今、キセが消えようとしている。
部下一人守れず、何が隊長か。人ひとり救えず、何が魔術士か。
ジャスティスは奥歯を噛みしめてその両足に力を込め、心の中で叫んだ。
『た、て、ジャスティス。立てえぇええええええ!』
「っ!?」
ジャスティスは両足を無理やり動かしてキセの元に移動し、動かなくなっていた左腕をかろうじて持ち上げる。
その左腕に暗黒球がめり込み、左腕は闇の中にかき消された。
「あっがあああああ!?」
「た、たい、ちょう」
「……怪我はないか、キセ」
ジャスティスは右拳で暗黒球を殴って軌道を変えると、キセを引っ張って自身の後ろに引き寄せる。
キセは失われたジャスティスの左腕を見て、震える口を動かした。
「隊長。腕が、うで、が……」
「元より戦えん腕だ。問題ない」
「…………」
この状況においてなお、ジャスティスの声は震えない。
そんなジャスティスの姿を見たジェイルは、遠くまで直進した暗黒球を呼び戻した。
「忌々しい……さっさと消えろ!」
「これだけは使いたくなかったが……キセ、帽子を出せ!」
「は、はい!」
ジャスティスの怒号にも似た声に反応し、両手に持っていた帽子をジャスティスに手渡すキセ。
薄汚れたその帽子を見たジェイルは、苛立った様子で声を荒げた。
「そんな帽子が何になる!? もう諦めろ!」
「俺は、負けん。俺の背後に守るべきものがあるかぎり、俺は倒れん」
「ほざけ! 下位ランクの魔術士風情が!」
ジェイルは暗黒球をさらに巨大化させ、ジャスティスとキセに向かって直進させる。
もはや山一つ崩せるほどに成長した暗黒球は、ためらいなく二人の命を刈り取ろうとしていた。
ジャスティスは深く帽子を被り、つばの位置を合わせる。その両目には魔力が満ち、強い意志を感じさせた。
「生まれつき才能を掴めなくても、両の目で未来を夢みることはできる。そしてその夢はいつか、力に変わる!」
「なっ!?」
ジャスティスは銀色に輝く右腕を天に掲げ、自身の中に残ったすべての魔力をそこに注入する。
やがて帽子は分解されるように空中に四散する。
その後右拳はどんどん肥大化し、巨大な銀色の右腕は広場の空を完全に覆い隠した。
「なん、だ。なんだその拳は!」
「知らなくていい。その必要もない」
ジャスティスは空中に飛翔すると巨大な右腕を体の後ろに引く。
やがてその右拳はジェイルに向かって振り下ろされ、ジェイルは咄嗟に暗黒球を自身の前に呼び戻してその拳を防御した。
「我が拳は、何者をも貫く。メテオォォ・ナックル!」
「っ!? 馬鹿な。そんな馬鹿なぁあああああ!」
ジェイルを守っていた暗黒球はジャスティスの巨大な拳によって打ち砕かれ、ジェイルの体は銀の拳に圧し潰される。
白目をむいて地面にめり込んでいるジェイルに、もはや意思は感じられなかった。
「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ……!」
やがて地面に降り立ったジャスティスは乱れた呼吸を繰り返し、激痛と共に巨大化した右腕の魔装を解除する。
ふらつくジャスティスに駆け寄ったキセは、懸命に涙を押えながら口を開いた。
「たい、ちょう。ごめんなさい。私が至らないせいで、こんな」
「キセ。国民の避難は済んだのだな?」
「え。あ、は、はい! この地区の避難は完璧に終わりました!」
ジャスティスの低く響いてきた声に反応し、反射的に敬礼をともに返事を返すキセ。
その言葉を聞いたジャスティスはその足から力を抜いてキセのいる方向に倒れた。
「そうか。なら少し……休む」
「た、隊長!?」
キセはわたわたとしながら倒れようとするジャスティスの体を支え、言葉を紡ぐ。
ジャスティスはいつのまにか晴れ上がっていた空を見上げ、目を細めた。
「気付か、なかった」
「えっ?」
「今日は―――こんなにも、晴れていたんだな」
「隊長……」
ジャスティスは小さく笑いながら空を見上げ、その全身から力を抜く。
その体を支えるキセは心配そうにその顔を見つめながら、体を支えるその両手に力を込めていた。




