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第87話:ラスカトニアの盾

 中央地区に到着したジャスティスは混乱している国民を誘導し、避難路に設定した大きな街道へと導く。

 キセは慣れない避難誘導に戸惑いながらもジャスティスの指示をよく理解して確実に避難を進めていた。


「キセ! こちらはだいぶ落ち着いてきた。貴様は残った国民を南通路へ誘導しろ!」

「はっ! 中央地区の皆さーん! こちらです!」


 キセはぶんぶんと両手を振って国民たちを誘導し、時に声を張り上げて人の流れを作っていく。

 慣れないながらも懸命に働くキセを横目で見ながらジャスティスも避難誘導を続けていたが、遠くを歩く老婆の上に瓦礫が落下してきていることに気が付いた。

 ジャスティスは思考よりも早く体が動き、落下してきている瓦礫を飛び蹴りで粉砕した。


「ご婦人、気を付けてください! おひとりですか!?」

「あぁぁ、隊長さんかい。すまないねぇ」


 老婆は動揺した様子も見せず、少しだけ息を切らせたジャスティスへお礼の言葉を伝える。

 ジャスティスはキョロキョロと周囲を見回すと、本を抱えて歩いていたひとりの青年を指差した。


「そこの魔術士! このご婦人を南通路までお連れしろ!」

「へぁっ!? お、俺っすか!?」

「緊急事態だ! さっさと動け!」

「はっはいい!」


 青年は老婆をエスコートし、その頼りない見た目とは裏腹にテキパキと南通路まで歩いていく。

 二人が無事避難路に向かったことを確認すると、ジャスティスは小さく息を落とした。


『今のところ伏兵の気配はない。が、油断はできんな』


 リリィの話では、街中にはすでに裏魔術協会の兵士が潜入しているらしい。

 ジャスティスは警戒心を働かせながら周囲を警戒し、一方キセはようやく避難誘導の終わりが見えてきたことに安堵のため息を落としていた。


「ふぅっ、避難はほとんど完了したかな。やっと一呼吸置ける」

「おーいあんた、警備隊の人かい? 避難路はこっちでいいのかな」


 息を落としているキセに対し、避難中の男性が声をかける。

 どうやら道に迷っている様子で、キセはすぐに避難路を指さして返事を返した。


「あっはい。そちらです。真っ直ぐいけば―――っ!?」

「???」


 突然顔色が変わったキセを見て、頭に疑問符をうかべる男性。

 男性の頭上にはいつのまにか漆黒の槍が生成されており、男性の進行方向に向かって突き刺さろうとしていた。その状態を察したキセは声を荒げる。


「危ない! そこで止まってください!」

「え? え?」


 キセの声に動揺しながらも歩いていた足を止める男性。その足元に漆黒の槍が二本地面に突き刺さり、石畳の地面をたやすく貫通した。


「ひっ……」

「これは、ダークランサー!? こんな中級魔術を誰が……」

『…………』


 突き刺さったあと空中に四散した漆黒の槍を見たキセは、それが魔術によって生成されたものと判断する。

 魔術の使い手を探して周囲を警戒するキセの視界に、まるで人のような形をした“影”が目に入った。

 その影はまるで亡霊のようにその場に立ち、頭部に浮かぶ赤い瞳が得も言われぬ恐怖感を植え付ける。

 キセはその影にただならぬ雰囲気を感じながらも、とにかく男性の手を引いて避難路へと誘導した。


『術者の姿はない。でも中級魔術を遠隔から発動させるなんて可能なの?』


 ダークランサーは闇系魔術の中でも中級に属し、国家が抱える魔術士が数分間の呪文詠唱の後にようやく発動できるレベルの術である。

 キセは咄嗟に男性と影の間に割って入ると、影を睨みつけながら男性に向かって言葉を発した。


「気をつけてください! 私が盾になりますから、後ろから逃げて!」

「はっはい―――むぐっ!?」

「っ!?」

『…………』


 影の中から伸びた腕が、男性の体を拘束する。

 口元を完全に押さえ込まれた男性は影の中で必死にもがくが、その腕が解かれることはない。キセは即座に反応し、伸ばした手から光球を発射した。


「くっ。ホーリーボゥル!」

「ぶはぁっ!?」


 光球は男性を拘束している影を打ち払い、拘束から放たれた

 キセは乱れた呼吸を繰り返す男性に肩を貸し、避難路まで誘導する。

 男性が避難路の先まで無事進んだことを確認したキセが広場に戻ると、複数に分裂した影が次々と国民たちを襲っていた。


「うわっ!? な、なんだこの影!?」

「わぁぁぁ! おかーさん!」


 次々と影に拘束されていく人々。泣き叫ぶ子どもが母親と引き離されて影に吸い込まれていく光景が広がり、キセは懸命に光球を発射して影を追い払うが地面や建物の外壁から次々と影は溢れ出てきた。


「だめ、倒しきれないっ」

「わっ!?」


 石畳にしがみついていた子どもはついに握力を失い、影の中へと吸い込まれていく。

 子どもの手を掴もうと手を伸ばすキセだったが、その手が子どもを掴むことはない。

 キセはその瞳から光を失い、そして声を荒げた。


「だ、だめえええええええ!」

「———キセ。貴様が今すべきは絶望ではない。希望を与えることだ」

「隊長!?」


 キセの目の前を横切るジャスティス。その両足から放たれたキックは子どもを掴んでいた影を打ち払った。


「“闇を這い回る者”か。闇の高等魔術だな」


 ジャスティスは少しズレてしまったつばの硬い帽子を直しながら、蔓延している影を睨みつける。

 キセは動揺した様子でジャスティスに向かって質問した。


「た、隊長。一体どうしたら……」

「貴様は国民の護衛を一番に考えろ。こいつらは−−−」

『ギシャアアアア!』

「隊長! 危ない!」


 ジャスティスの背後から突然影が出現し、ジャスティスの首をへし折ろうと襲い掛かる。

 しかしその手がジャスティスを捉えようという刹那、カウンターのキックが影を打ち払った。

 その姿を見たキセが一度瞬きをすると、その瞬間ジャスティスは広場を高速で移動して全ての影にキックを打ち込んだ。

 ジャスティスの蹴りを受けた影はすぐに四散し、帽子を直すジャスティスをキセは呆然としながら見つめた。


「すご、い。あれだけの数を一瞬で」

「倒したとしても、またすぐ復活するだろう。この魔術を破るなら術者を倒す他はない」


 ジャスティスはすでに石畳の隙間から影が立ち上っていることを確認し、周囲を警戒する。

 その時、同じく周囲を見回していたキセが声を荒げた。


「隊長! 建物の上に怪しい影があります!」

「…………」


 キセは目の前の住宅の屋根に人影があることに気付き、その方角へ即座に右手を突き出した。


「ここは私が! ホーリーボゥル!」

「っ!? キセ、うかつなことはするな!」


 光球を人影に向かって発射するキセ。ジャスティスは初めて声を荒げてその動きを止めようとするが、発射された光球は人影を突き抜けて青空へと飛んで行った。


「そんな、当たらない! 幻影!?」

『グォアアアアアアアア!』

「ひっ!?」


 光球を発射した隙を突くように、一体の影がキセへと襲い掛かる。

 影が自身の体全体を口に変異させてキセに嚙みつこうとした刹那、その巨大な口をジャスティスの左腕が受け止めた。


「くっ……!」

「隊長!」

 影の鋭利で巨大な牙はジャスティスの腕に容赦なく突き刺さり、溢れた大量の鮮血がキセの顔に付着した。

 ジャスティスは右拳に光を集約させると、左腕に噛みついている影を打ち砕いた。


「るああああああ!」

『っ!?』


 拳を打ち込まれた影は四散し、その姿を失う。

 ジャスティスは鮮血にまみれた右腕を押えて奥歯を噛みしめながらキセに向かって言葉を紡いだ。


「いつも言っているだろう。目に見えるものだけにとらわれるな」

「たい、ちょう。腕が……」

「大したことはない。貴様は国民を守れ」

「ですが……!」


 さらに言葉を続けようとするキセ。その時ジャスティスは巨大な光球をキセの背後へと発射した。


「警備中に油断するな。我々の後ろに、もう盾は無いんだ」

「!?」


 何もないはずのキセの背後へ発射された光球は、まるで見えない壁に激突したように突然空中で四散する。

 その壁の向こうから、黒いワイシャツに黒いスーツに身を包んだ男がゆっくりと歩み出してきた。


「気付かれたか。ただの警備隊にしてはやるな」

「姿を隠しても、下衆の臭いまでは隠せないものだ」

「手厳しいねぇ。魔術協会ナンバー8、ジャスティス=ジャスト」


 黒いスーツの男は薄い笑顔を浮かべながら、挑発的な眼をしながらジャスティスへと言葉を紡ぐ。

 キセは男に向かって声を荒げた。


「お前、隊長の名を!?」

「下がっていろキセ。こいつは私が相手をする」


 男に詰め寄ろうとするキセの進行を遮る形で右手を横に突き出すジャスティス。

 キセは反論しようと口を開くが、その言葉を遮るようにジャスティスは言葉を発した。


「キセ。お前には、大事な任務を与える」

「任務……? わぷっ」


 ジャスティスは被っていた帽子を脱ぎ、キセの顔に当てる。

 いつも通りの仏頂面で、ジャスティスは言葉を続けた。


「逃げ遅れた国民と、この帽子を守れ。私が隊長になった折に作った大切な帽子だ」

「隊長……」


 キセは両手で帽子を受けとると、呆然とした表情を浮かべる。

 ジャスティスはそんなキセに背を向けると、少し強い声色で言葉を発した。


「わかったらもう行け。使命を忘れるな」

「は、はっ! 隊長もご無事で!」


 キセはその背中に確固たる意志を感じ、敬礼を返すと逃げ遅れた国民に向かって駆け出していく。

 黒いスーツの男は遠く離れていくキセを見送ると、再びジャスティスへと視線を戻した。


「いいのかい? 手負いの君に私が倒せるとは思えないが」

「やってみるさ」

「ほう。それは楽しみ、だ!」

「っ!」


 黒いスーツの男は呪文詠唱なしで漆黒の槍を空中に生成し、ジャスティスの心臓に向かってそれを高速で発射する。

 ジャスティスはキックで槍を打ち落とし、四散した槍の向こうから真っ直ぐに男を睨みつけた。


「ほう。あれを防ぐか」

「守るのが私の仕事だ」

「違いない。なら、こいつも防いで見せろ!」

「っ!?」


 男は複数の槍をジャスティスに向かって発射し、その槍のひとつひとつが正確に体の急所を狙う。

 しかしジャスティスはその全てを蹴りによって打ち落とし、その背後に一本の槍も通さなかった。


「驚いたな。身体能力ならうちのトップレベルだ」

「貴様らのトップか。名は?」

「言うと思うかい?」

「言わないだろうな。しかしすぐに言いたくなる」

「面白い。やってみろ!」


 男とジャスティスは対峙した状態で魔力を充実させ、魔術の発動の準備を始める。

 二人の足場にはいつのまにか闇が蔓延し、不穏な空気が広場を包んでいた。

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