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第86話:砂塵と黒剣

 ラスカトニアの外壁にはいくつか関所が設けられ、その関所以外は見上げても先が見えないほどの壁が続いている。

 つまりラスカトニアの入国と出国を管理する重要な機関が関所であり、そこを守る警備隊は当然ながら精鋭揃いである。

 しかしその警備隊も、ラスカトニアの周囲に集まっている黒い軍勢には驚きを隠せなかった。

 中でも新人警備隊であるキセは動揺した様子で隊長であるジャスティスの隣に立ち、軍勢を指さしながら口を開いた。


「た、隊長。あれは一体なんなんです!?」

「…………」


 ジャスティスは風によって少しだけズレた帽子の位置を直すと、鋭い視線で黒の軍勢を射抜く。

 そんなジャスティスの横顔をキセが不安そうに見上げていると、背後から凛とした声が響いた。


「恐らくは、裏魔術協会の軍勢だろう。まさかここまでの数とはな」

「あ、あなたは確か、ナンバーゼロと一緒にいた……剣士さん?」


 キセは気配もなく背後に立っていたリリィの姿に驚き、警戒心を働かせながら質問する。

 リリィは小さく頷くとできるだけ穏やかな声で返事を返した。


「自己紹介したいところだが、時間がない。ここの責任者と話はできるだろうか」

「えっ……」

「キセ。少し下がっていろ。それと警備隊メンバー全員に戦闘の準備をさせておけ。当然本格装備だ」

「っ!? は、はっ! 了解しました!」


 ジャスティスの言葉を受けたキセは動揺しながらも敬礼を返し、警備隊の同僚たちに指示を伝えるため関所に戻る。

 そんなキセの背中を見送ると、リリィはジャスティスに顔を向けて言葉を紡いだ。


「私の言葉を、怪しまないのだな」

「貴女からは他の者にはない強さと誇りを感じる。それにもしあなたがラスカトニアに害をなすと言うなら、私が倒すだけだ」

「そうか。ふふっ、シリルは部下に恵まれているな」


 迷いのないジャスティスの言葉とその表情に、思わず笑みをこぼすリリィ。

 ジャスティスは腕を組んで魔術協会本部の方角を見つめると、ぽつりと言葉を落とした。


「良い上司の元には、良い部下が集うものです」

「ふっ、違いない。それにしてもあの軍勢……どう見る?」


 リリィは魔術協会本部から黒の軍勢へと視線を移し、声のトーンを落としながら質問する。

 ジャスティスは同じく黒の軍勢を視界に収めると、鋭い視線のまま返答した。


「人数は確かに多いですが、隊列は乱れている。指揮は決して高くないでしょう。つまり部隊長クラスを何人か打ち取れば、逃げ出す者も出てくるはず」


 黒の軍勢の中にぽつぽつと見える明らかに戦闘力の高い兵士。その兵士一人一人を判断しながら、ジャスティスは拳に力を込めていた。

 リリィも同じく戦闘力の高い兵士を見出してはいたが、その表情は暗い。


「しかしあれだけの軍勢だ。部隊長を倒されて逃げ出した兵が近隣諸国に害をなす可能性もあるだろう」

「ええ。確かにそれが問題です」

「それに、既に街中に敵兵が少数侵入している。いや、あらかじめ潜入していた兵が動き出したと言うべきか」

「……申し訳ない。全て私の不徳の致すところです」


 ジャスティスは自身の中に渦巻く悔しさを封じ込め、心からの謝罪をリリィに送る。

 リリィは小さく顔を横に振って口を開いた。


「自分を責めることはないさ。奴らの計画は恐ろしく周到でかつ大胆に進められている。入り口だけでは防げない脅威もあるだろう」


 ラスカトニアの警備が甘かったわけではない。しかし入り口を締めすぎれば流れる水は少なく、得られる恩恵も限られてしまう。

 ジャスティスは出来うる限りの仕事をした。それでも侵入を許してしまったのはむしろ、敵が強大すぎたと考えるべきだろう。


「しかし、どうするか。あれだけの兵を止めるなら、当然警備隊全員の戦力が必要となります。かといって街中の兵も放っておけば、市民に被害が広がってしまう。それだけは避けなくては」


 ジャスティスは奥歯を噛みしめ、普段から触れ合っている市民の笑顔を思い出す。

 そんなジャスティスの想いをくんだリリィは、黒の軍勢を睨みつけながら言葉を紡いだ。


「解決する方法はひとつ。攻め入ってくる敵兵を私が倒し、市民の避難誘導及び護衛を警備隊で行えば良い」

「なっ!? 馬鹿な。万を超える軍勢を一人で相手にするなど不可能だ」

「不可能でもなんでも、やってみるさ。市民を守るにはそれしかない。このままジリ貧で市民を見捨てるか、それとも私を信じて市民を守るか、どちらを選択する?」

「……っ!」


 ジャスティスには、良い解決法が思い浮かばない。各国に散らばっている魔術協会支部から魔術士を募って戦力とするのが現実的だが、敵は眼前に迫っている。その時間はないだろう。

 しかしいくらなんでも、一介の剣士にこの場を任せるというのは―――


「ともかく、私は行く。これ以上彼らをこの国に近づけるわけにはいかない」

「っ!?」


 リリィの言葉の終わりを聞いたジャスティスは、いつのまにかリリィの気配が消えていることに気づく。

 そのまま視界を回すと、すでにリリィは軍勢の目の前まで駆け寄っていた。

 いかなる魔術、魔術機構、能力を駆使しても、一瞬にしてあの場所まで移動することはできないだろう。

 その事実はそのままリリィの実力の程を証明し、その強大さにジャスティスは乾いた唾を飲み込んだ。


「隊長! 戦闘準備完了しました! ……隊長?」

「黒騎士。一体何者なんだ、彼女は」

「???」


 ある種の恐怖すら感じているジャスティスの様子に、疑問符を浮かべるキセ。

 やがてリリィは黒の軍勢の目の前で、ゆっくりと腰の黒剣を引き抜いた。






「やれやれ。万を超える軍勢か。さすがにこの人数を相手にしたことはないな」


 リリィは黒剣を肩に乗せながら、目の前に迫ってくる軍勢を見つめる。

 次の瞬間その赤い瞳に強い光が宿り、リリィは両手で黒剣を肩に担ぐと前方に狙いを定めた。


「しかしやることは一対一の決闘と変わらん。この場合は―――先手必勝だ」

『ぎっ!?』

『あがあああああああああ!?』


 肩から地面に向かって振り下ろされたリリィの剣は大地を割り、その衝撃波によって前方に展開していた軍勢のほとんどが吹き飛ばされる。

 部隊長は眼前のリリィによって引き起こされたことを理解し、即座に声を荒げた。


『前方から衝撃波だ! 地面が割れたぞ!』

『あいつだ! あいつに集中砲火しろぉ!』


 魔術部隊を率いている部隊長はすぐにリリィに対して火球を発射するよう指示するが、すでにリリィの姿はそこにない。

 瞬きをした一瞬の間に、リリィの姿は忽然と消えていた。


『き、消えた!?』

「判断は悪くない。が、動きが重い」

『あぎゃあああああ!?』


 リリィの次の一振りによって部隊長の一人は後方数メートルにわたって吹き飛ばされ、それを見た周囲の兵たちにどよめきが広がる。

 やがてリリィの周りを軍勢が取り囲むが、リリィは息一つ乱さず次々と兵士達を吹き飛ばしていった。


「せあああああああ!」


 リリィの気迫の籠った声が響く度、数百という単位の兵士たちが吹き飛ばされていく。

 まるで鬼神のような闘いぶりに、遠目から見ていたキセは目を見開いた。


「あ、あの人いったい何なんですか!? あの強さは異常ですよ!」

「落ち着けキセ。警備隊としての我々の使命は何だ?」

「えっ」


 キセはジャスティスの言葉が理解できず、唖然とした表情で聞き返す。

 ジャスティスは腕を組んだままマントを風に靡かせ、そして言葉を続けた。


「我々の使命は何かと、貴様に聞いているんだ。キセ=コークス」

「は、はっ! ラスカトニア王国の平和を保ち、国民及び研究者たちの安全を守ることが我々の使命です!」

「そうだ。彼女は今この国を脅かす外の脅威を押えてくれている。ならば我々のすべきことはひとつだ」

「……っ」


 並々ならぬ決意の籠められたジャスティスの横顔に、呼吸すらも忘れるキセ。

 ジャスティスは一瞬寂しそうに目を伏せると、やがて警備隊のメンバーに向かって指示を出した。


「警備隊全員でラスカトニア全域の避難誘導を援護する! 怪しいもの、市民に攻撃するものがあれば容赦なく捕縛せよ! ただしこの場に数人残り、外の闘いの戦況を逐一私に伝えろ。戦況が悪くなれば私が加勢する!」

「「「はっ! 了解しました!」」」

「は、はい!」


 警備隊の先輩メンバーに遅れながら、敬礼を返すキセ。

 そんなキセを横目で一瞬だけ見ると、ジャスティスは真っ直ぐに街の中心部を見つめた。


「行くぞ、キセ。私とお前は中央地区の避難誘導だ」

「はっ! 隊長、了解しました!」


 キセは市民の命を預かる使命であることを自覚し、意を決して駆け出したジャスティスの背中を懸命に追いかける。

 ジャスティスはすぐに加勢できない悔しさを噛みしめながらも自身の使命を硬く握りしめ、中央地区への道を急いだ。


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