第77話:瓦礫の山の中で
空中を浮遊するサイコは肩にかけた白い上着を揺らしながら、巧みにリリナの放つ魔術を回避する。
素早く移動するサイコにリリナは的を絞ることができず、悔しそうに眉間に皺を寄せた。
「最初の威勢はどうしたのかな? そんなことじゃ、私に傷一つ付けられないよ」
「くっ……! フレイムアロウ!」
突き出したリリナの両手の先に複数の炎の矢が生成され、空中のサイコに向かって真っすぐに飛翔する。
その速度は素人ではまず避けられないレベルのものだったが、サイコは余裕を持って空中を移動してそれを回避した。
「無駄無駄。どんな魔術であっても私には当たらない」
「その能力。あんた、念力使い?」
最初は風を操っての浮遊かと考えていたリリナだったが、それにしては動きがスムーズすぎるし風も感じられない。
魔術士ではなく生まれながらの能力者と判断したリリナは、その結論をサイコにぶつけた。
「イエス。と言いたいところだけど少し違うな。正確には“念動力を魔術化した唯一の魔術士”だ」
サイコはどこか得意げに両手を広げ、少しだけ浮遊の高度を落としてリリナを見下ろす。
リリナはにぃっと笑いながら言葉を返した。
「なるほど、ね。どーりでどの魔術も避けられるわけだ」
通常の秤で考えると、念動力を魔術で再現するのはほとんど不可能に近い。
炎や水など実体に触れることができるものと比較すると、念動力という存在はあまりにも曖昧だ。そして、曖昧な存在ほど魔術で再現するのは難しいと言われている。
実際、念動力を魔術で再現した魔術士は魔術協会ですら一人も存在しない。“唯一の魔術士”というサイコの言葉も、当然ながら否定できない。
そしてそれは、リリナとサイコの間にある圧倒的な格の差を表していた。
「絶望的な状況が判明したところで、どうするね? 今なら楽に殺してやることもできるが」
「じょーだん、でしょ。魔法少女リリナちゃんを舐めてもらっちゃ困る」
リリナは悪戯な笑顔を浮かべ、右手を空に掲げる。
その瞬間サイコの周辺に複数の赤い魔法陣が生成され、その中から炎の球が飛び出してきた。
「これは……罠か!?」
「遅い! 全方位からのファイア・ボゥル、避けられるなら避けてみな!」
空中に浮遊するサイコに向かって全方位から襲い掛かる炎の球。
その勢いは凄まじく、一発でも体に当たれば致命傷になるだろう。しかしそんな火球に囲まれてもなお、サイコの表情は崩れなかった。
「なるほど、確かに発想は悪くない。しかし……それでも至らない」
「っ!?」
サイコは涼しい表情を浮かべながら空中を浮遊し、自身に向かってきた火球を見ようともしない。
やがて火球はサイコに向かって突き進むが、その体に激突する直前でまるでサイコの体を避けるように進んだ。
すべての火球はサイコの体を避け、明後日の方向に進むと空中で四散する。サイコは余裕の表情を浮かべながら口を開いた。
「言っただろう、念動力だと。たとえ全方位から攻撃されても、弾道を変えてしまえば意味のないことだ」
「ぐっ……!」
リリナは悔しそうに奥歯を噛みしめて、空中に浮かぶサイコを睨みつける。
せめて魔法少女……いや、魔装を全身に纏うことができれば勝機は見えるかもしれない。というより、それしかもう自分に勝機はないと考えてもいいだろう。それほど実力の差は歴然としている。
そんなリリナの思考を読み取ったように、サイコはくすくすと笑いながら言葉を発した。
「―――君の考えてることはわかるよ。魔装を整えたい、だろう?」
「えっ」
「おいおい、何の下調べもなしに私がこの国に来ると思うか? 戦う可能性のある魔術士の情報くらい掴んでいるさ」
「…………」
やれやれといった様子で顔を横に振るサイコを見上げ、沈黙を守るリリナ。
サイコはそんなリリナの様子に構わず言葉を続けた。
「魔術協会ナンバー7リリナ=ア・ラモード。通常時は中級魔術士程度の実力だが魔装関連の魔術を得意とし、全身の魔装を整えた際の攻撃力は圧倒的。実戦向きではないものの、純粋な攻撃力なら上位ナンバーにも引けをとらない、か。……面白い」
サイコはゆっくりと地面に降り立つと、瓦礫の中に埋もれた机を自身の前に移動させる。
上着の内ポケットから取り出したハンカチで机の上を拭うと、どこからか浮遊したトランクを引き寄せた。
「ふむ。今日は……この茶葉にするか」
トランクの中からティーセットを取り出したサイコは、机の上にティーカップを置いていつのまにか引き寄せていた椅子に腰かける。
いつのまにかお茶で満たされているティーカップを片手に足を組んで椅子に座るサイコを、リリナは信じられないものを見る目で睨みつけた。
「あんた、何を!?」
「見ればわかるだろう? ティータイムだ。決まった時間にお茶を飲まないと落ち着かなくてね」
サイコは上着のポケットに入っていた懐中時計を取り出すと、リリナに向かって文字盤を見せる。
その後リリナの返事を聞くこともなく、サイコはゆっくりとしたティーカップを傾けてお茶を口に運んだ。
「なに、を……」
「ああ、気にしないでくれたまえ。何なら魔装を整えても構わないよ。このお茶を飲み終わるまでの時間、君に預けよう」
「っ!?」
信じがたいサイコの言葉。しかし傍から見ればその姿は隙だらけで戦闘の意思があるとは思えない。
リリナは頬を膨らませてサイコの様子を見ると、瓦礫に埋もれた椅子を引っ張り出してサイコの反対側に腰かけた。
「私も、お茶。砂糖多めにね」
「……どういうつもりだ?」
サイコはリリナの行動の真意がわからず、怪訝そうな表情で言葉を発する。
そんなサイコの雰囲気にのまれることなく、リリナはあっけらかんとした様子で返事を返した。
「見ればわかるでしょ? 敵とお茶してんの」
「ふふっ、まったく君は面白いな。せっかくの私の厚意を無駄にするつもりか?」
サイコはどこか呆れたように笑いながらも、もう一口お茶を口に含む。
リリナは腕を組んで椅子に座り、不満そうにサイコを睨みつけた。
「別に無駄にはしないよ。喉乾いてたから丁度いいってだけ」
「……なるほど。それなら仕方ない」
サイコは顔を横に振りながらも、一杯のお茶をリリナに振る舞う。
リリナはお茶を一口飲むとその芳醇な香りに驚きながら言葉を発した。
「あんた。こんなに美味いお茶が淹れられんのに、なんで裏魔術協会員なんてやってんの?」
「人は誰しも自分の真の価値を認め、そして生かしてくれる場所にいたがるもの。それだけだ」
リリナとサイコは互いにお茶を飲みながら、穏やかに言葉を交わす。
真の価値を認めるという言葉に反応したリリナは、カップを皿に置きながら言葉を続けた。
「魔術協会では正しい評価が得られない。ってこと?」
「そうは言っていない。だが少なくとも、世界を変革させるほどの気概はあの組織にないだろう」
サイコは優雅な仕草でお茶を飲みながら、遠目に見える魔術協会本部を見つめる。
その目は何も感じておらず、そこに感情は灯っていないように思えた。
「変わる必要のない世界だってあるっしょ」
「それは妄信だ。常に変化し続けることこそ、我々を次のステージに歩ませてくれる」
「たとえそれで、多くの血が流れることになっても?」
「この星の歴史は犠牲と革新の繰り返しだ。私たちはただ、それを成そうとしているだけ」
サイコは遠い目で青空を見上げ、小さく息を落としながら言葉を交わす。
そのサイコの目に迷いのなさを感じたリリナだったが、僅かな希望にかけてさらに言葉を続けた。
「その革新の歴史の中で、たくさんの人が死んだ。そこから何かを学ぶことが“進化”だと私は思うけどねぇ」
リリナは穏やかに波打つお茶の水面を見つめ、上品な赤をたたえたそのお茶をもう一度口に運ぶ。
最後の一口を飲み終えながら、サイコはそんなリリナの言葉を受け止めた。そして皿の上に空のカップを置きながら言葉を紡ぐ。
「この議論に、終着点はないだろう。変化を進化と捉えるのか、平和を進化と捉えるのか。我々は発想の根幹からズレている」
「……だね。残念だよ」
リリナもサイコと同じように最後の一口を飲み終え、カップを皿の上に置く。
その様子を見たサイコは座っていた椅子・机・そしてティーセット全てを四散させて自身の体を浮遊させた。
「議論はこれまでだ。悲しいな。しかし―――始めようか」
「……っ上等!」
リリナは座っていた椅子から立ち上がり、浮遊を始めたサイコを再び見上げる。
さらなる戦いの予感に空は震え、冷たい風が二人の間を駆け抜けていた。




