第75話:奥歯を噛みしめて
リリナと再会したシリルは、職員たちの報告を待つ間を利用して会話を始める。
シリルが端的にラスカトニアの状況を伝えると、リリナは両目を見開いて驚いた。
「ほんとにラスカトニアがそんなことになってるとはねぇ。しかもあの二人飛び出していっちゃったのか」
リリナは横目で出口の方向を見つめ、小さく息を落とす。
そんなリリナの様子を見たシリルは悲しそうに眉を顰めた。
「ええ、そうなんです。今すぐにでも追いかけたいのですが、私がここを離れると―――」
「間違いなく混乱するだろうね。今以上の犠牲者が出るよ」
リリナは真剣な表情で冷静に状況を分析し、返事を返す。
遠慮のない、しかし的確なその言葉を受けたシリルは俯きながら言葉を返した。
「はい……確かに、そう思います」
言葉を落とすシリル。その姿には不安と焦燥が見え隠れしている。
相手は恩人で、大切な友人だ。出来ることなら力になりたい。
そう考えた時すでに、リリナの心は決まっていた。
「んーっ。よし! レウスちゃん達は私に任せんしゃい! 絶対連れて戻るから!」
リリナは自身の胸をドンっと叩き、シリルに向かって自信満々の表情で胸を張る。
そんなリリナの言葉に動揺するシリルだったが、やがてリリナは真剣な顔で言葉を続けた。
「これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかないっしょ? 私と、あの子たちの残した手紙を信じてよ」
「…………」
シリルの脳裏に、リセからの手紙に書かれていた“信じて”という言葉が蘇る。
視覚を失ったシリルに、その文字を見ることはできない。しかし、感じることはできる。
そしてあの手紙からは、リセの確固たる覚悟が感じられた。
「そう、ですね。わかりました。レウスくんとリセさんをよろしくお願いします」
シリルはその心を決め、リリナに向かって深々と頭を下げる。
そんなシリルの肩をぽんっと叩くと、リリナは歯を見せて笑った。
「よっしゃ! 任せんしゃい!」
「にぁー……」
「うぉっ!? にゃんこだ!」
突然足元に歩いてきた白猫に驚き、声を荒げるリリナ。
その鳴き声からその猫がシロであるとすぐに判断したシリルは、驚きながら口を開いた。
「シロさん!? リセさんとご一緒じゃなかったんですね」
「にぁ」
まるでシロはシリルの言葉を理解しているように、小さく鳴き声を返す。
リリナは膝を折ってシロに近づくと、その手を伸ばした。
「よーしよし。かわいいにゃんこだー……いたひっ!?」
「ああ。引っ掻かれちゃいましたね」
「にぁ」
シロはふんっと鼻息を吐きながら、ぷいっとそっぽを向いてみせる。
そんなシロの顔を見たリリナは、ふにゃっとした笑顔を浮かべながら言葉を続けた。
「うー、憎たらしい顔して。だがそこがいい」
「そ、そうですね」
リリナの気持ちも理解できるが焦りを隠せないシリルは、頭に大粒の汗を流しながらもこくりと頷く。
リリナは完全に当初の目的を忘れ、両手でわしゃわしゃとシロを撫でた。
「よーしよしよし。良い毛並みじゃー」
「ふにゃーっ」
シロはいやいやと顔を横に振りながら、懸命にリリナの手を振りほどく。
そんな二人(一人と一匹)の様子を察したシリルは、わたわたとしながら言葉を発した。
「えっと、あのぅ、リリナさん」
「はっ!? そうだ、行かねば!」
シリルの困ったような声を聴いてようやく当初の目的を思い出したリリナは、その場から勢いよく立ち上がる。
やがてリリナは踵を返すと、出口に向かって走り出した。
「じゃ、行ってくるわ! ここはよろしくね!」
「にぁ」
シロはやれやれといった様子で、リリナの後ろをとことこと歩いていく。
シリルはそんな二人の足音が遠ざかっていく音を聞きながら、その方角へ深々と頭を下げた。
「リリナさん、シロさん。お二人をよろしくお願いします」
シリルは何もできない自身の無力さを感じながら、生きてきた中で最も深く頭を下げる。
その後職員の求める声によってその頭を上げたシリルは、奥歯を噛みしめながら職員たちへの指示を徹底した。




