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第73話:侵攻

 朝日が差し込む魔術協会本部。ガラス張りの天窓からは穏やかな光が差し込み、清掃が行き届いた中央玄関を照らし出す。

 その玄関を歩くシリルは、反対側の扉から入ってきたリリィに向かって小さく頭を下げた。


「おはようございますリリィさん。昨晩はよく眠れましたか?」

「ああ。レウスの奴はまだ寝ているよ。よほど疲れていたようだな」


 リリィは止まった部屋に置いてきた息子の寝姿を思い出し、苦笑いを浮かべる。

 そんなリリィの言葉を聞いたシリルは、困ったように微笑んだ。


「無理もありません。ブレイドアーツからここまでかなりの距離がありますし」


 しかも急いできたものだから、なかなかの強行スケジュールだった。

 もっとも今ラスカトニアが抱えている危機を考えれば、急ぎの旅になるのは止むおえなかったのだが。


「それにしても、シリル。朝が弱い君にしては早い目覚めだな?」

「えっと、そう、ですね。そういう日もあります」


 核心を突くリリィからの質問に対し、控えめに両手の指先を合わせながら返事を返すシリル。

 つくづく嘘のつけない性格のようだ。

 心配をかけまいとして、シリルは嘘をついている。

 恐らくシリルは昨晩、一睡もできてない。だからこそ今、こうして起きていられるのだろう。

 目隠しで隠された顔からでも、その体調が万全でないのは直感でわかる。

 しかしそこまで理解しながらリリィは、それ以上言及しなかった。


「……そうか」


 リリィはぽんっとシリルの頭に手を乗せ、にっこりと微笑む。

 頭の先からリリィの体温を感じたシリルは、少し恥ずかしそうに頬を染めた。


「ひぁっ!?」


 その瞬間シリルの足に微かに痛みが走る。

 シロはつまらそうな表情でシリルを見上げ、その尖った爪で軽くシリルを引っ掻いていたようだ。


「ふふっ、やんちゃなネコだな。道中はあんなに大人しかったのに」

「……にぁ」


 シロはリリィの言葉を聞いているのかいないのか、不満そうな顔でそっぽを向くとリセが眠っている部屋に向かって歩き出す。

 そんなシロの姿を見送っていると、後ろから低く上品な声が響いてきた。


「お二人とも、おはようございます。朝食をご用意していますから、食堂へどうぞ」

「フォアラもいるよ!」


 深々と頭を下げるガルドレッドの足元から、茶色い髪をした少女がひょっこりと顔を出す。

 そんな二人の様子を察したシリルは、にっこりと笑いながら返事を返した。


「おはようございますガルドレッドさん、フォアラさん」

「朝から元気だな、フォアラ」


 リリィは膝を折ってフォアラと視線の高さを合わせ、楽しそうに話しかける。

 そんなリリィの言葉を聞いたフォアラは、にぱーっと笑いながら言葉を返した。


「うん! フォアラね、朝大好き! パンがいっぱい食べられるもん!」

「はっはっは! フォアラは正直だな」


 真っ直ぐなフォアラの言葉を聞いたリリィは楽しそうに笑いながらわしわしとフォアラの頭を撫でる。

 うゆーとくすぐったそうにするフォアラを見たガルドレッドは、頬をかきながら口を開いた。


「少しは慎みを持つように言っているのですが、なかなか言うことを聞いてくれません」

「なに、子どもなのだから正直なのが一番だ」


 リリィは立ち上がりながらガルドレッドの言葉に返事を返す。

 その会話を聞いていたシリルは、微笑みながら口を開いた。


「そうですね。レウスくん達も―――」

「っ!?」

「??? みんな、どーしたの?」


 突然街の外の方角を見て固まってしまった三人を見上げ、フォアラは不思議そうに疑問符を浮かべる。

 やがて遠くから巨大な爆発音が響いてきた。


「きゃああああああああ!?」

「これは……遠距離からの砲撃か!?」

「外壁の方から聞こえます!」


 ラスカトニアを包んでいる巨大で重厚な外壁。その方角から爆発音と若干の熱気が届く。

 その状況が深刻であることを感じたガルドレッドは、その頬に一滴の汗を流した。


「しかしここまで音が届くとは、ただことではありませんな」

「とにかく屋上に上がるぞ! あそこからなら様子も見れるだろう!」

「はいっ!」


 駆け出したリリィを追いかけて、シリルとガルドレッドも走り出す。

 ガルドレッドに突然抱えられたフォアラは、ひたすら頭に疑問符を浮かべて呆然としていた。






「こ、れは」

「そんな……」


 魔術協会本部の屋上に上がった一行の視界に飛び込んできたのは、ラスカトニアを包む黒い波。

 よく見ればその黒い波を構成するのは、すべて人間。

 そこから放たれる圧倒的な殺気に、リリィは奥歯を噛みしめた。


「裏魔術協会、か。どうやら本気で、この国を潰すつもりらしい」


 戦力の規模を考えると、視界に収められるだけでも1万人以上は想定できるだろう。

 ラスカトニアがいかに巨大国家といえど、この時代にこれだけの人数を動かすのは簡単ではない。

 そして何よりその軍勢から発せられる殺気には、この国の終焉を感じずにはいられなかった。


「とにかく私はすぐにこの情報を拡散させます。退路を確保すればまだ、一般市民だけは避難できるかもしれない」

「ガルドレッド卿、頼む。シリルはここで、本部を守ってくれ」


 真剣な表情で頷くガルドレッド。しかしリリィの言葉を聞いたシリルは即座にその真意を理解し、声を荒げた。


「そんな。リリィさんはどうするんですか!?」

「私は……あの軍勢を止める」

「そんな、無茶です! あの足音からして、相手は1万人以上いるんですよ!?」


 シリルは心の底からリリィの身を案じて、ここに残ってほしいと懇願する。

 しかしリリィは真剣な顔でシリルを見つめると、促すように言葉を続けた。


「これまでの人生も、無茶と無謀の連続だった。しかしそれを乗り越えた先にこそ幸せと平和があると、私は信じている」

「リリィさん……!」


 言葉を失うシリル。そんなシリルの様子に構わず、リリィは屋上から外壁の方角に向かって飛翔する。

 その場に呆然と立ち尽くすシリルを見たガルドレッドは、その大きな口を開いた。


「ナンバーゼロ、リリィさんの言葉を聞いていたでしょう!? 相手の狙いはこの魔術協会なのです。長であるあなたがここを守らずしてどうしますか!」

「っ!」


 気迫の籠ったガルドレッドの声を受けたシリルは、びくんと肩をいからせる。

 ガルドレッドは抱えているフォアラを抱き直すと、踵を返して走り始めた。


「とにかく私はフォアラを部屋に戻して、一般市民の避難を開始します。ナンバーゼロはこの本部の統率を!」

「……はいっ!」


 自分の立場と状況を瞬時に理解したシリルは、決意の籠った表情でガルドレッドへと返事を返す。

 相変わらずというかなんというか、頭の切り替えが抜群に早い。

 自身の仕える長の頼もしい表情を見たガルドレッドは、不安そうなフォアラを抱えて彼女の部屋へと走っていった。

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