第72話:シロとの時間
夕暮れと夜の狭間の時間。ゆっくり沈んでいく太陽と共に、優しいオレンジの光がラスカトニアの街をぽつぽつと照らし出す。
夜も営業している酒場の周りには楽しそうに人が集まり、路地裏も漏らすことなく優しい街灯がその道を照らしている。
穏やかに輝いている街並みを見ることはできないが、頬を撫でる少し冷たい風が心地よい。
シリルは夜の姿に変わっていく街の空気を感じていた。
しかしその表情には、明らかに憂いが感じられる。
そんなシリルの手元に、ふわっとした暖かい感触がおりてきた。
「シロ、さん?」
「にぁー……」
シロは相変わらずつまらなそうな顔をしながらも、控えめな鳴き声を響かせる。
シリルは一瞬にっこりと微笑むが、やがて肩を落としながら空を見上げた。
「私、怖いんです。裏魔術協会の話を、ノイズさんの話を聞いてからずっと、震えが止まらない」
シリルは震えた自身の体を抱きしめると、口元を一文字に結ぶ。
そんなシリルの様子を見たシロは、黙ってシリルの言葉の続きを促した。
「おかしいですよね。ノイズさんには会ったこともないのに、名前を聞いた瞬間から悪寒が止まらないんです」
シリルはどこか落ち込んだように息を吐きながら、悲しそうに顔を俯かせる。
シリルのナンバーゼロとしての資質を唯一疑うとするなら、その攻撃性の低さだろう。
その点ノイズに、遠慮や慈悲はない。倒れた者に手を差し伸べるような人間なら、ここまで悪い意味での突出はしなかっただろう。
しかしだからこそ、怖い。シリルは今まで自分より強い人間には会ったことがあっても、自分より優秀な魔術士には会ったことがない。
そしてノイズは間違いなく、シリルと同等かそれ以上の実力を持っているだろう。そのノイズが今、自分の大切なものを壊すためこの街にやってくるかもしれない。
自身が傷つくことに、恐怖はない。だが、何も守れずに終わってしまうのが怖かった。
震えが止まらないシリルの手。そんなシリルの手を、ざらりとした舌がそっと舐めた。
「シロ、さん?」
「にぁー……」
シロは相変わらず不愛想な表情をしながらも、ぺろぺろとシリルの手の甲を舐める。
そんなシロの気持ちが伝わったのか、シリルは小さく笑いながら言葉を紡いだ。
「ふふっ、くすぐったいですよ」
「にぁ」
シロは真っ直ぐにシリルの顔を見上げながら、小さな鳴き声を返す。
そんなシロに言葉を続けようとするシリルの気配を察したのか、シロは咄嗟にシリルの膝の上に乗った。
「ふぇっ!?」
今まで近寄ってくることすら少なかったシロの突然の動きに驚き、思わず声を上げるシリル。
シロはそんなシリルをジト目で見上げて不満そうにしながらも、黙って横になった。
「はじめて、ですね。シロさんが乗ってくれたの」
「…………」
シリルはゆっくりとシロに手を伸ばすと、その背中を優しく撫でる。
暖かくなめらかな感触がシリルの手に届き、高い体温は恐怖に震えたシリルの心を支えてくれているように感じた。
「―――ありがとう、シロさん」
「にぁ」
シリルは嬉しそうに笑いながら、シロの体を優しく撫で続ける。
シロは相変わらず不愛想な表情をしながらも、その尻尾を左右にゆっくりと揺らし続けていた。




