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第7話:凍結された時間の中で

「ふっ……くくっ、満足かよ、お前ぇ」

「…………」


 スナッチは焼けただれてしまった自らの右手を抑え、ふらつきながらも立ち上がる。

 俯いた顔から、その表情を窺い知ることは出来ない。


「正義面して、子ども助けてよぉ、さすがナンバーゼロ様は違うってか? あぁ?」

「…………」


 スナッチはゆっくりと両手を左右に広げ、顔を上げる。

 その瞳からは光が消え、薄い笑顔だけが浮かんでいた。


「でもよぉ。ああなっちまったら、おめえでもどうしようもねえよなぁ!?」

「っ!?」


 背後に感じた気配に気づき、女性は振り返る。

 そこでは手下の男に捕まったリセが、不安そうに女性を見つめていた。


「……っ」

「リセ、さん……!」


 手下の男は下品な笑いを浮かべながらリセを抱きかかえ、その手にはナイフが握られている。

 リセとの距離は、約数十メートル。

 いくら風を操ったとしても、即座に届くような距離ではない。それにあれだけ密着されていては、遠距離から狙い撃つことも不可能に近い。


「さぁて。んじゃあ、やることはわかってるよなぁ? ナンバーゼロの魔術師さんよぉ? あひゃひゃひゃひゃ!」

「…………」


 勝機が見えたことを確信し、スナッチは嬉しそうに笑い続ける。

 女性は無言のまま俯き、その場を動かない。

 工場の中には逆巻く風の音だけが響き、工場の地面に落ちた砂をらせん状に動かしていた。


「??? おいおい、てめぇ、話聞いてんのかぁ?」

「…………」


 女性は俯いたまま、ゆっくりとした動作で自らの目隠しへと手を伸ばす。

 そのままゆっくりと目隠しを外すと、両目を閉じたまま目隠しを首元へと落とす。

 整った顔立ちが露わになるが、両目を閉じたままでは状態として何も変わってはいなかった。


「はぁ? てめえ、何妙なことやってんだぁ?」

「…………」


 女性は両目を閉じたまま、沈黙を守り続ける。

 いい加減しびれを切らしたスナッチは、ついに声を荒げた。


「おい、てめえ状況わかってんのか? さっさと土下座でもストリップでも、なんでもしろってんだよ!」


 スナッチの声を聴いた女性はようやく、閉じていた両目のうち右側の目だけをゆっくりと開く。

 その瞳の中には神秘的な魔方陣が浮かび上がり、言いようのない“恐怖”がスナッチの中に生まれた。


「!? へ、な、なんだよ、それ。ただの義眼じゃねーか」


 開かれた右目に浮かぶ魔方陣は微かに輝くのみで、特に何をするわけでもない。

 女性はようやく、その口を開いた。


「誰かを傷付けるための力なんていらない。ただ私は、目の前の大切な誰かを、守れるだけの力が欲しかった」

「あん? てめえ、いきなり何言ってんだ?」


 突然話出した女性に苛立ちを覚えながら、スナッチは乱暴に言葉を返す。

 しかし女性は、スナッチの言葉に反応することなく、言葉を続けた。


「戦うのは、怖い。誰かを傷付けてしまうのは、もっと怖い。でもだからこそ、失われたこの目に宿らせた力で、目の前の誰かを守ってみせる! もう、誰かに守られているだけの私じゃない!」


 女性の脳裏に、ずっと追いかけてきたあの人の姿が思い浮かぶ。

 既に光を失ってしまっていた自分には、その人の姿など見たことは無い。でも、わかる。

 声から、匂いから、雰囲気から、あの人がどんな人だったか、自分にはよくわかっていた。

 車椅子に座り、ただ誰かに守られていた。

 そんな現実が辛くて、目を閉じていた私を、あの人は包み込んで、助けてくれた。

 だから―――


「今度は私が、あの子たちを守る!」


 女性は軽く開いた状態の右手を胸の前に掲げると、精神を集中させる。

 やがて右目の中の魔方陣は高い音を響かせ、高速で回転し始めた。


「!? 野郎、抵抗する気か!?」


 スナッチは両腕を前に突き出し、両腕の間に強力な電撃を生成する。

 さらに上着の内側に装着した小瓶から全ての魔力を開放し、その両腕に集めていく。

 各属性の力を全て集約したその両腕の間には、虹色に輝く強力なエネルギー体が生成されていた。


「くくっ。やらせるかよ、馬鹿がぁ。何するつもりかしらねーが、その前にてめえと後ろのガキは、死ぬんだからなぁぁぁぁ!」


 スナッチは手下の男に目配せし、手下の男は狂ったような笑みを浮かべる。

 やがて右手のナイフを握り直すと、そのまま男はリセに向かってナイフを振り下ろした。


「これで終わりだ、クソ女! エレメンツ・ブラスタァァァァァア!」


 スナッチの両腕から強力なエネルギーの塊が放たれ、真っ直ぐに女性へと突き進んでいく。

 高速で移動するそのエネルギー体は高速で、しかし確実に女性に向かって放たれた。

 手下の男が振り下ろしたナイフは、真っ直ぐに女性を見つめたままのリセの瞳に勢いよく振り下ろされ―――


「私に、力を。誰かを守れるだけの力を! 悠久の彼方より流れ出ずる、この世のすべての時よ。この瞬間、我は命ずる!」


 女性の目の前に、2本の針を携えた魔方陣が生成される。

 女性は自らの身体を回転させながら胸の前に掲げていた右手を、その魔方陣へ思い切り振り抜く。

 女性の手に打ち砕かれた魔方陣は、まるでガラスが割れるような音を響かせ、その体を四散させる。

 そして女性は―――高らかに、叫んだ。

「創世せよ、凍結の領域! “エンペラー”!」





 女性に対して突き進んでいた、エネルギー体も。

 リセに向かって振り下ろされた、銀のナイフも。

 工場内に流れていた風ですら今はその全ての運動を停止し、世界は完全な静寂に包まれる。

 凍結された時の中でただ一つ、運動する物体。

 女性は目の前に迫る虹色のエネルギー体、エレメンツブラスターの推進力を魔力で変換し、そのままスナッチのいる方角へと反転させる。

 ナイフを持っていた男の手に、炎の槍を噴射。男の手から数ミリのところで炎の槍は静止し、静かにその時を待つ。

 男の腕に抱えられていたリセを、風の力で遠くへと運ぶ。

 やがて女性の右目の魔方陣はゆるやかにその回転を収め、目の前には再び2つの針を携えた魔方陣が生成される。

 女性はその魔方陣が完全に形を成したその瞬間、小さな声で呟いた。

「流れは再び、正常なるままに―――」






「っ! は!? あ!?」


 両腕を突き出していたスナッチの元に、見慣れた虹色のエネルギー体が真っ直ぐに向かってくる。

 それが目の錯覚ではないと悟ったその瞬間スナッチは体の前で両腕をクロスさせ、ありったけの防御障壁を展開した。


「あがあああああああ!? そん、な、そんな馬鹿なぁあああああああああああ!?」


 あっさりと防御障壁を破られたスナッチは全身を焼かれ、裂かれ、錐揉み回転しながら上空へと吹き飛ばされる。

 リセを捕まえていた手下の男の手には灼熱で燃え盛る炎の槍が、深々と突き刺さっていた。


「あ、あが、兄貴ぃ!? いてえよおおおおおおおお!」


 男は痛みにのたうちまわり、何が起きたのか、理解できない。

 助け出されたリセはただ一点を見つめ、静かな声で言葉を紡いだ。


「おねえさんが……たすけて、くれた」


 小さく落とされるリセの言葉。

 しかしスナッチは、そんな少女の呟きを聞けるような状態ではない。

 空中に打ち上げられていたスナッチは意識が朦朧とした状態で、地上に向かって落下していく。

 女性はそんなスナッチの姿を横目で確認すると、軽く右手を振って風を呼び起こした。


「あ、あ……」


 地面に激突しようというその刹那、スナッチの体は風に包まれ、ゆっくりと地面へ着地する。

 白目をむき、体中に傷を負ったものの、スナッチにはまだ息があるようだった。


「あぅっ」


 女性は右目を抑え、足元に巻き起こっていた風を消失すると地面へと倒れ込む。

 震える手で目隠しを元の位置に戻すと、やがて女性は意識を手放した。


「!? おねえ、さん……!」


 リセは倒れてしまった女性の姿を見ると、背中の羽を動かして女性の元へと近づいていく。

 そんなリセの背後には、駆けつけた騎士団が集まっていた。

 こうして、忘れ去られた廃工場で行われた、高度な魔術合戦。

 この戦いを知る者は少なく、記録も残されていない。

 全てを見守っていた太陽の光はやがて落ち、静寂なる夜が世界を包む。

 動揺する騎士団を尻目に、満足げに微笑み眠った女性の横顔。

 今はその顔こそが、この世界を明るく照らしているように思えた。

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