第67話:暗闇からの再会
レウスがリリィとの再会に涙したその夜、リリィの家の前では腕を組んだリリィが街の様子に目を光らせている。
昼間の襲撃は間違いなく、裏魔術協会の人間だろう。となれば夜とはいえ、油断することはできない。
まして今自分の家には、大切な人が三人も眠っている。それを守らずにはいられなかった。
そしてそんなリリィに後ろから近付いたシリルは、にっこりと微笑みながら声をかけた。
「レウスくん、よく寝ていますよ」
「……ありがとう。息子が世話になったな」
リリィはシリルに向かって体を向けると、深々と頭を下げる。
そんなリリィの様子を見たシリルは、ぶんぶんと両手を横に振った。
「いえ、そんな。お二人が私のところまで来てくれたのですから」
ラスカトニアでレウスたちに再会したあの日を思い出しながら、シリルは言葉を紡ぐ。
リリィは顔を上げると、眉を顰めながら言葉を続けた。
「それでもお礼を言わせてくれ。しかし結局人に息子を守らせてしまうとは、私は母親失格だな……」
リリィは落ち込んだ様子で目を伏せ、小さな声で言葉を落とす。
そんなリリィの言葉を聞いたシリルは、ぶんぶんと頭を横に振って返事を返した。
「そんな! リリィさんがレウスくんにどれだけ愛情を注いできたか、レウスくんを見ればよくわかります! それに、ご自分の住んでいる村と大切な子どもを守るのは、親として当然だと思います!」
シリルは強い語気で言葉を発し、リリィをフォローする。
優しい言葉を受けたリリィは、小さく微笑みながら返事を返した。
「ありがとう。そう言ってもらえると少し救われるよ」
「……落ち込んで、いるんですか?」
声のトーンが落ちているところからリリィの心情を察したシリルは、心配そうに問いかける。
その問いに答えるべく、リリィは星空を見上げながら言葉を紡いだ。
「村を出て裏魔術協会と戦うという当時の判断が、間違っていたとは思わない。しかし辺境にあるわが村からラスカトニアに到着するまで、あの二人がどれだけの苦労をしたか想像に難くない。それを思うとどうしても……な」
リリィは悲しそうな目で満点の星空を見上げ、小さく息を落とす。
信頼できる友人にあの二人を託して、自分は村を出た。しかしそれでも、子どもと離れていた事実は変わらない。
まして村からラスカトニアまで、馬車を使っても相当の時間がかかる距離だ。それを子どもの足で歩いたと言われれば、複雑な想いが降りてくるのも無理はないだろう。
「そうですね。確かにラスカトニアに着いたときは、お二人とも疲れ切っていました。でも……リリィさん達に対して怒るとか、そういう感情はなかったように思えます」
「…………」
一つ一つ確かめるようにゆっくりと紡がれるシリルの言葉に、黙って耳を傾けるリリィ。
その様子を感じたシリルは、にっこりと微笑みながら言葉を続けた。
「あの二人は本当に、頭の良い子たちです。リリィさんのお話を聞いて、きちんと納得して……いろんな想いを、消化できたんだと思います」
「そう、だな……そうであったなら、私も嬉しい」
星空を見上げていた視線を横に流し、リリィは二人の眠っている部屋の窓を見つめる。
するとその瞬間、シリルの高い声が路地に響いた。
「あっ!?」
「どうした。大きな声を出して」
「ご、ごめんなさい! その。私まだ、リリィさんに名乗っていませんでした!」
シリルは深々と頭を下げ、リリィに向かって言葉を発する。
そんなシリルの言葉を受けたリリィはしばらくキョトンと目を見開くと、やがて穏やかに微笑んだ。
「ふふっ、そうか。そうだったな。私もあの二人に会って、随分動揺していたようだ」
自己紹介すら忘れていたことに気付き、苦笑いを浮かべるリリィ。
そんなリリィに向かって、シリルは慌てた様子で口を開いた。
「あ、あのっ。私―――んっ」
「言う必要はない。私はもう、君を知っている」
しかし自己紹介しようとしたシリルの口元に優しく指を当て、言葉を紡ぐリリィ。
そんなリリィの言葉に驚いたシリルは、小さく息を飲んだ。
そしてシリルの顔を見つめながらリリィは穏やかに笑い、そして言葉を落とした。
「本当に大きく、立派になったな。……凄いぞ、シリル」
「―――っ!」
シリルの胸の中に、懐かしい感覚が降りてくる。
暗闇の中で泣いてばかりだった。頼りない小さな体を自ら抱きしめることしかできなかった。でもそんなある日聞こえてきた、優しい声。
その声の主は自分の心を救ってくれた。大丈夫だと声をかけてくれた。あの頃のことを、シリルは一日も忘れたことはない。
そしてそれは、リリィも同じだった。
「あの時泣いていた少女が、こんなに立派になって……きっと沢山のことを乗り越えて、ここまで来たんだな」
リリィはいつのまにかガントレットを外した手で優しくシリルの頭を撫で、あの頃と同じ穏やかな声で言葉を紡ぐ。
昔と変わらないリリィの手の感触。幼い頃希望をもらったその声に包まれて、気づけばシリルは涙を流していた。
「……っ。りりぃ、さん。わたし……! りりぃさんにずっと会いたくて、それで……!」
「本当にありがとう、シリル。私もずっと、会いたかったぞ」
リリィはそっとシリルを抱き寄せ、優しく抱きしめる。
シリルは小さく震えながら、リリィの腕の中に収まっていた。
「……。っぐ、ひっぐ……!」
「…………」
すすり泣く声だけが響く静かな夜の街道。
満点の星空を見上げるリリィの瞳には、あの日見た小さな少女の笑顔が焼き付いていた。
「それにしても、よく驚かなかったな。レウスの母親が私だとは知らなかったのだろう?」
落ち着いた様子のシリルと花壇の淵に腰かけながら、リリィは不思議そうに問いかける。
そんなリリィの質問を受けたシリルは、小さく笑いながら返事を返した。
「驚いていますよ? ただ竜族は非常に希少な種族ですから。もしかしたらそうかな~って想いがあったんです」
思えばレウスと初めて会った時から、既視感のようなものは微かに感じていた。
それがリリィと会っていた結果だとシリルは当時気づかなかったが、すべてが判明した今となっては全てが納得できる。
そんなシリルの言葉を受けたリリィは自身の種族を失念していたことを思い出し、苦笑いを浮かべながら返事を返した。
「そうか。ふふっ、確かにそうだな」
昔はあれほど固執していた種族というものに、これほどまで無頓着になるものなのか。
リリィは自身の変化に驚きながらもなんだかおかしくて、笑い声を響かせた。
「それにしてもこれから……どうすればいいんでしょうか」
シリルは不安そうに眉を顰め、リリィに向かって質問する。
裏魔術協会の力は現時点の情報を見るだけでも驚異的だ。何らかの対策をこうじなければ、その力は増大するばかりだろう。
そしてその力の増大は、今現在の世界の崩壊を意味している。
「私はこれまで各地を回って情報を集め、ブレイドアーツでの裏魔術協会の規模も把握することができた。なのでまずはラスカトニアに赴き、集めた情報を魔術協会に報告すべきだろうな」
「なるほど……リセさんのご両親も、リリィさんと同じく情報収集をされているんでしょうか?」
シリルは真剣な表情で、続けて質問をぶつける。
リリィは腕を組んで静かな夜の街を見つめ、言葉を返した。
「ああ、その通りだ。そういう意味では、ラスカトニアで彼女と鉢合わせする可能性はあるだろうな」
「では……私たちも一緒に、ラスカトニアに戻ります。もちろんお二人に了承頂ければ、ですが」
シリルは真剣な表情で思考を巡らせ、リセの母親に出会える可能性が一番高い道を選択する。
そんなシリルの迷いのない表情を見たリリィは、何かを納得した様子で返事を返した。
「了承ということなら、問題ないだろう。あの二人はシリルを良く信頼しているよ」
これまでシリルの傍から離れようとしないリセの姿とレウスの様子を見ていれば、あの二人がどれだけシリルを信頼しているか伝わってくる。
率直なリリィの言葉を受けたシリルは、少し恥ずかしそうに頬を染めながら返事を返した。
「そう言って頂けると、ありがたいです。私もあのお二人のように、強くありたいと思うのですが」
現実はなかなか、そうもいきません。そう言葉を紡ぎながら、街道の石畳へ顔を向けるシリル。
そんなシリルの言葉を受けたリリィは、小さく笑いながら言葉を紡いだ。
「ふふっ、シリルは十分強いさ。何せ今は魔術協会のナンバーゼロ、だろう?」
「っ!? ご存じだったのですか!?」
「ここブレイドアーツに集まるのはほとんどが武芸者だが、各地を渡り歩いている商人も多く訪れてくる。盲目の女魔術師がいるという噂は聞いていたが……まさかそれがシリルだったとはな」
リリィはシリルの全身から放たれるただならぬ魔力量から、おおよそその正体を看破していた。
そんなリリィの勘の良さを改めて認識したシリルは最初驚いていたが、やがてその姿に当時憧れたリリィの声を思い出し、言葉を続けた。
「……私、強くなりたかったんです。リリィさんと同じように強く、正しく、生きていたいと思ったから」
「ならば、心配することはないさ。自分の弱さを知らぬ者に強さは決して宿らない」
リリィはいつのまにかシリルの頭に優しく手を置いて、にっこりと笑いながら言葉を紡ぐ。
昔と変わらないその優しい手と声に触れたシリルは、顔を真っ赤に染めながら返事を返した。
「ありがとう、ございます。これからは、一緒の旅路ですね」
「ああ。よろしく頼む」
リリィとシリルは穏やかに笑いながら、互いの声と言葉を交換する。
星空はそんな二人を見つめながら、さらにその輝きを強く濃くしていった。




