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第61話:その強さ

「き、消えた!? いや、いつのまに移動したんだ!?」

「ぜんぜん、見えなかった……」


 レウスとリセはいつのまにか傷面の男の背後に移動していた黒騎士の姿に驚き、目を見開く。

 しかし当の本人である黒騎士はただ静かに男の背後で佇んでいた。


「どーいうことだよ、これ。何が起きてんだ……?」


 レウスは状況を理解することができず、ただ呆然とした状態で黒騎士を見つめる。

 しかし誰よりも状況が理解できないのは、背後に立たれた傷面の男だった。

 自分の強さは比類ない。自分を脅かす者など存在しない。

 ブレイドアーツ武術大会の王者? そんな観衆の視線に守られた舞台の王など、数多の戦場で生き残ってきた自分の敵ではない。

 先ほどまで傷面の男はそう考え、実際武術大会に出場していた強者たちも自分の敵ではなかった。

 しかし、目の前のこの剣士だけは違う。

 全身に纏った巨大な鎧からは殺気はおろか、生気すら感じられない。

 しかしこの剣士の前に一歩踏み出すだけで強烈なプレッシャーが自分の心を押しつぶし、背中を冷たい汗が降りていく。

 だからこそ一気に距離を詰めた。いや、詰めずにはいられなかった。

 恵まれた体躯、絶え間ない努力。今まで死の予感など戦場ですら感じたことはない。

 だが今傷面の男は―――目の前の黒騎士の静かな闘志に、その身を震わせていた。

 しかしだからこそ、進む。


「ウオオオオオオオオオ!」

「っ!? あいつ、今度は横凪ぎをしやがった!」


 大剣の重量を生かした縦切りは確かに強力だが、その実相手にかわされやすいという側面を持つ。

 だからこそ傷面の男は横一閃に大剣を振り、黒騎士を刃の射程内に収めた。

 こうなれば黒騎士は屈んで回避するか、防御するか、跳躍するかのどれかしかない。

 そしてその中のどれを選んだとしても、自分は必ず追撃できる。傷面の男はそう判断するだけの実力と経験を持っていた。

 しかし傷面の男も、会場にいる大勢の観衆達も忘れている。

 黒騎士は先ほどの攻撃を正面で回避したのではなく、完全に男の背面に回ることで避けていたという事を。


「っ!?」

「お、おい。マジかよ……」


 黒騎士は再び男の背後に立ち、その攻撃を完全に回避する。

 いや、それはもはや回避ではない。まるで最初から男の射程内に黒騎士がいなかったような錯覚すら起こさせる。

 しかし事実として、黒騎士は現在傷面の男の後ろで佇んでいる。

 重厚な鎧姿からは想像もできないその超スピードに、観衆はただ呆気にとられるばかりだった。


「ア……ア……アアアアアアアアアアアアア!」


 傷面の男は目の前の事象を脳内で処理できず、半狂乱になって黒騎士に襲い掛かる。

 次々繰り出される大剣の斬撃に空気は震え、遠くから見ている観衆の頬にすら鋭い風が吹き抜けていく。

 しかし、その攻撃は当たらない。

 傷面の男は正確無比に超高速で斬撃を繰り出すが、その斬撃が黒騎士の巨体をとらえることはなかった。


「あ、あいつ。皮一枚のところで攻撃をかわしてやがる」

「しかも、最低限の動きで回避してる。黒騎士は立ってる場所からほとんど動いて……ない」


 リセは黒騎士の無駄のない動きに寒気すら感じ、シロを強く抱きしめる。

 シロは相変わらず退屈そうな表情で、ぐーっと体を伸ばしていた。

 そんなシロと同じように、黒騎士はどこか退屈そうに傷面の男の攻撃を回避し続ける。

 そして疲労によって男の攻撃が散漫になった瞬間、黒騎士は一瞬にして傷面の男と距離を詰めた。


「ふぐっ……!?」


 次の瞬間観客たちの目に飛び込んできたのは、前のめりに倒れている傷面の男の姿。

 早すぎるその攻防に観客の誰もが状況を理解できず、ただぽかんと口を開いていた。

 しかし次の瞬間、シリルの大声が会場内に響く。


「……っ! ムーヴィング・エア!」

「っ!? ちょ、姉ちゃん!」


 シリルは倒れた男を心配し、逆巻く風を足元に生成すると一瞬で男の傍らへと降り立つ。

 そうして男の体に触れたシリルは、男が気絶しているだけであることに気付いた。


「っ!? そんな。これだけの戦士を目立った外傷もなく気絶させるなんて、一体どうやって……?」


 シリルは真剣な表情で立ち上がりながら、黒騎士の立っている場所へと顔を向ける。

 しかし黒騎士は静かな動作でシリルに背を向けると、まるで勝利を宣言するように鎧に包まれた太い右腕を天に掲げた。

 そしてそんな黒騎士の動作に合わせるように、観衆は一気に沸き上がる。


「おおおおお! すげぇぞ黒騎士ぃ!」

「お前ほんと強いけど、早すぎて何してんだかわかんねーよ!」

「でもそこがいいぞぉ!」


 観衆から発せられる言葉に無言のまま腕を上げて答えながら、黒騎士はゆっくりとした動作で決闘場を後にする。

 そしてシリルは、黒騎士の体から発せられる圧倒的なオーラに言葉を失っていた。


「…………」


 シリルは無言のままその場に立ち、黒騎士に声をかけることもできない。

 やがて観客席から飛び降りてきたレウスとリセは、慌てた様子でシリルへと声をかけた。


「何やってんだよねーちゃん! 勝手に入ったらまずいだろ!?」


 レウスは大声で怒鳴り、シリルに向かって言葉をぶつける。

 そんなレウスの言葉を受けたシリルは、困ったように眉を顰めた。


「あっ。ご、ごめんなさい。この方が心配だったので、つい……」

「はぁ。姉ちゃんって意外と無茶するよな」

「それも、お姉さんのいいところ」

「あはは……ごめんなさい」


 シリルはポリポリと頬をかきながら、リセとレウスに向かって言葉を返す。

 そんなシリルの言葉を受けたレウスは、もう遠くにいって小さくなっている黒騎士の背中を見つめた。


「しかし、とんでもねえ化け物だったな黒騎士って。なんか不気味だったしよ」

「……確かに。結局一言も喋らなかった」


 リセは珍しくレウスの言葉に同意し、黒騎士が去っていった場所を共に見つめる。

 そんな二人の言葉を聞いたシリルは、ゆっくりと空に対して顔を向けた。


『確かに、怖い人だった。でも……それだけじゃない』


 シリルは黒騎士の纏っている雰囲気を思い出しながら、小さく息を落とす。

 こうして三人が始めて観戦した武術大会は、ある意味波乱含みの内容でその予選を終えるのだった。


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