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第40話:夜

「さすがはシェリー様。お見通しというわけですか」


 ドアの向こうから現れたのは、昼間に謁見したジルドだった。

 ジルドは作業着を着た状態で、下種な笑顔を浮かべながら部屋へと入ってくる。

 ヴェリーミアはクローゼットの中で息を殺し、二人の様子を見守っていた。


「城への不法侵入。これはもはや看過できない重罪です。よって、あなたを処刑します」


 シェリーは落ち着いた様子で杖を構え、その先端に魔力を灯そうと意識を集中する。

 しかし普段なら簡単に集まってくるはずの魔力が、今日は全く感じられなかった。


「なっ!? そんな。魔力が精製できない……!?」


 シェリーは動揺する心を押さえつけてその精神を集中させるが、いくら粘っても魔力を作ることができない。

 そしてそれは、魔術士としての力を全て封じられたということ。つまり今のシェリーの戦闘力はゼロに等しいということである。

 そんなシェリーを見たジルドは、下種な笑いを浮かべながら腰に手を当てて言葉を発した。


「ククク、わかりませんかシェリー様。俺は別に、毎日ただサボってたわけじゃないんですよ」

「っ! まさかあなた、この城に結界を!?」


 シェリーはジルドの言葉を受けるとすぐに状況を理解し、顔を青くしながら言葉を返す。

 そんなシェリーの言葉を受けたジルドは、両手を左右に広げながら大きな笑い声を響かせた。


「ははははっ! 気付くのが遅いんだよバァーカ! 俺ぁずっとあんたの持ってる杖を狙ってた。でもあんた強力な魔術士だ、簡単には近づけない。だったらどうする?」


 ジルドは少しだけ首を傾げ、狂ったような笑顔を浮かべながら質問する。

 その言葉を受けたシェリーは、悔しさに顔を歪めながら返事を返した。


「魔術が怖いなら、魔術の元である魔力を絶ってしまえばいい……というわけですか。私としたことが、油断しました」


 もっと早くにこの男の行為に疑問を持ち、城から追い出すべきだった。

 シェリーは悔しそうに奥歯を噛み締め、ジルドを睨みつける。

 そんなシェリーの表情を見たジルドは、再び下種な笑いを浮かべた。


「おお、こわいこわい。でもあんたみたいな美人に睨まれるのも、案外悪くないなぁ」

「っ!?」


 ジルドはゆっくりとした歩調で、シェリーに向かって近付いていく。

 そんなジルドの様子に本能的な危機を感じたシェリーは後ずさるが、すぐに壁へと追い込まれてしまった。


「俺ぁ無理矢理も含めると随分女を抱いてきたが……王様ってのは、一体どんな具合なんだろうなぁ!?」

「っ!?」


 ジルドは素早く懐からナイフを取り出すと、シェリーのドレスを切り裂く。

 そしてそのまま、シェリーを地面に押し倒した。


「あ……あ……」


 クローゼットの隙間からヴェリーミアの幼い瞳に映る、単調な前後運動。

 切り裂かれたドレス、聞いたことのない母の悲鳴、舌なめずりをするジルドの表情。

 その行為の意味はわからない。ただ、母が嫌がっているのだけは理解できる。

 母を、助けなければ。でも、足が震えて動かない。

 ヴェリーミアは今まで感じたことのない感情……圧倒的な恐怖に、全身を支配されていた。

 そうして行為を終えたジルドは、その身体に馬乗りになってシェリーを見下す。

 そんなジルドを、シェリーは真っ直ぐに睨みつけた。


「わたしを、穢しても、意味は無い。未来はもう、別の場所にあるの、だから」


 息も絶え絶えになりながら、シェリーはジルドを睨みつけて言葉を紡ぐ。

シェリーは行為の最中も悲鳴こそあげていたが、決して涙は見せなかった。

 それは誇り高き王としての、最後の意地だったのかもしれない。


「はっ。何わけわかんねーこと言ってやがる。お前はこれから死ぬんだよ。そして俺に杖を奪われる。それだけだ」


 ジルドはニヤニヤと笑いながら、シェリーを見下してナイフを上段に構える。

 その様子をクローゼットの隙間から見たヴェリーミアは目を見開き、飛び出そうと両足に力を込めた。

 しかし―――


「っ!?」


 シェリーが一瞬、こちらを向いた。

 その表情はとても穏やかで、何かを愛しむ女神のようにも見える。

 今まで見たことのない母の笑顔に、ヴェリーミアは呼吸すら忘れる。

 そしてその瞬間、シェリーは小さく顔を横に振った。


「なっ……」


 飛び出してくるな。来ちゃいけない。シェリーはそう言っている。

 ヴェリーミアには痛いほどその感情が理解でき、小さな両足をその場に留めた。

 そして―――ジルドのナイフが、シェリーの胸に突き立てられる。


「っ!?」


 目を見開いたヴェリーミアの瞳に飛び込んでくる、圧倒的な“赤”。

 ジルドはそのままシェリーの杖を奪い取ると、振り返ることもなく部屋を後にした。


「ひひひっ。これで一生遊んで暮らせるぜぇ!」


 ジルドの狂ったような笑顔から繰り出される、下品なその声。

 その声が遠くにいった頃ヴェリーミアは我に返り、シェリーの元へと駆け寄った。


「お、かあさま……おかあさま!」


 ヴェリーミアは赤いロングマントを引き摺りながらシェリーの元まで近付き、ポロポロと涙を流す。

 そしてそのまま、シェリーの傷口に両手をかざした。


「血が……! とま、れ。とまれ、とまれ、とまれ、とまれ、とまれ……!」


 ヴェリーミアは両手でシェリーの傷口に触れて一生懸命止血を試みるが、溢れてくる鮮血は収まることを知らない。

 次々と溢れてくる圧倒的な赤は、ヴェリーミアの小さな両手をあっという間に真っ赤に染めた。


「まってて、おかあさま。血をとめなきゃ。とまれ、とまれ、とまれぇ……!」


 ヴェリーミアは傷口を押さえながら、ポロポロと涙を流す。

 そしてそんなヴェリーミアの頬に、暖かい感触が届いた。


「っ!?」


 どこか懐かしく、暖かい手のひら。

 シェリーはいつのまにかヴェリーミアの頬に手を当て、穏やかな笑顔を浮かべていた。


「ごめん、ね。ミア。こんなに小さなあなたを、ひとりにしてしまって……」


 シェリーは初めて涙ぐみながら、ヴェリーミアに向かって言葉を紡ぐ。

 そんなシェリーの言葉を受けたヴェリーミアは、目を見開きながら返事を返した。


「そんなこと、そんなこと言わないでおかあさま! わたし、きっと強くなるから! もっともっと強くなるから、だから死なないで!」


 ヴェリーミアは普段から言い聞かされていた“強くなれ、強い人であれ”というシェリーの教えを思い出し、賢明に言葉を紡ぐ。

 しかしシェリーの体力はもう限界に近く、その瞳はゆっくりとその光を失っていった。


「ミ、ア……」

「おかあさま!」


 ヴェリーミアは傷口から手を離さないまま、涙を流して声を荒げる。

 そんなヴェリーミアに、シェリーは穏やかな笑顔で最後の言葉を紡いだ。


「もう、だいじょうぶ。だいじょうぶだから……ね」

「っ!?」


 ヴェリーミアは穏やかなシェリーの笑顔に驚愕し、声を出すこともできない。

 しかしヴェリーミアの頬に添えられた手はゆっくりと力を失い、地面へと落下した。


「お、かあ、さま……?」

「…………」


 シェリーはもう―――話さない。笑わない。怒らない。

 その事実が小さなヴェリーミアの身体に、容赦なく襲い掛かる。

 頭の良いヴェリーミアは皮肉なことに、シェリーの死を誰よりも早く理解した。


「……っぐ。ひっぐ……!」


 ヴェリーミアはポロポロと涙を流し、自身の頭に乗せられていた花冠をシェリーの胸元に置く。

 死んでしまった人がどこにいくのか、わからないから。だからせめて、母にはお花と一緒にいてほしい。

 ヴェリーミアは落ちていたシェリーの冠を拾い上げて自身の頭に乗せると……真剣な表情でシェリーの身体に手を触れた。


「いっしょに、いこう……おかあさま。ずっとずっと一緒だから、ね」


 ヴェリーミアがその言葉を呟いたその刹那、青い稲妻が部屋の中を駆け巡る。

 やがてその稲妻はシェリーの身体に衝突すると、大量の土煙が舞い上がった。

 その土煙の中から歩いてくる、小さな影がひとつ。

 ヴェリーミアは王族のマントを引き摺り、頭の冠を揺らしながら、しかし真っ直ぐに部屋のドアへと歩いていく。

 そしてそんなヴェリーミアを、女性のような型をした稲妻が抱きしめた。

 女性の形をした稲妻は感情の灯っていない瞳で、しかし愛おしそうにヴェリーミアを抱きしめる。

 そんな稲妻の手にそっと触れたヴェリーミアは、涙を流しながらその歩みを進めた。

 ―――その夜。フラワーズ王国では、出国直前の男が変死体で発見される。

 死因は頭部への強打。凶器は、巨大な杖。

 人間にはとても扱えないような杖で殴られたその死体は、ほとんど原型も留めていなかったという。

 その男を殺害した犯人は……今現在も、判明していない。






「―――っ!?」


 ヴェリーミアはいつのまにか眠ってしまっていたことに気付き、その目を大きく見開く。

 そのまま気だるそうにベッドから起き上がると、愛用の杖を持ってドア近くのクローゼットへと歩いていった。


「…………」


 ヴェリーミアは自身の身の丈にぴったりと合った赤いロングマントを纏い、首元の白いファーに顔を埋める。

 そうしてしばらく沈黙した後、何も咲いていない植木鉢に向かって言葉を紡いだ。


「それでは行ってきますわ……お母様」


 ヴェリーミアは真剣な表情で植木鉢を見つめて言葉を落とすと、振り返ることなく部屋を後にする。

 その植木鉢に植えられているのは……シェリーが大好きだった花。

 あの日シェリーが亡くなってから一輪も咲かなくなってしまったその花を、今もヴェリーミアは大切に育てている。

 いつかその種が、花を咲かせると信じて。

 廊下を歩くヴェリーミアは、振り返らない。ただ前だけを向いて歩みを進める。

 その歩みの先にはただ、強くありたいという想いだけが残っていた。

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