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第23話:シリルはなにもの?

「なーねーちゃーん、元気だせよー」

「元気、だして……?」

「うう……死にたい」


 ふらつきながらも宿屋の廊下を歩くシリルとレウス達。

 先ほどフランから食事の用意ができたことを聞いた彼らは念願の食事とあって、意気揚々と食堂へ向かっていた。

 ただ一人、がっくりと肩を落としたシリルを除いて。


「まあいいじゃん、元気出せよ姉ちゃん! これから飯だし、ここの飯超うまそうだよな!」

「ごはん……そっか、そうですね。確かに楽しみです」


 部屋は非常に清潔感があり、館内もよく掃除されている。

 一概にそうとは言い切れないが、食事以外のサービスが良い宿は食事も期待できる。逆もまたしかりだ。

 本では得ることができない、まだ見ぬ美味に出会えるかもしれない。

 そう思ったシリルの心は、先程よりも確実に軽くなっていた。


「ごめんなさいレウスくん、リセさん。いつまでも落ち込んでちゃダメですよね」

「おう! そーだぜねーちゃん! 落ち込んでも意味ねえじゃん!」

「バカは黙ってて……おねえさん。ほんとにだいじょうぶ?」

「大丈夫ですよ、リセさん。ありがとうございます」


 心配そうな表情で見上げてくるリセの頭を撫で、微笑むシリル。

 頭を撫でられたリセは頬を赤く染め、はにかんだ笑顔を見せた。


「あ、お話していたら到着しちゃいましたね。ここが食堂みたいです」

「おっやった! ついにメシだな!」

「おなか、すいた……」


 本来であれば食事の一つも準備してあげたいが、共同炊事場のあったクロイシスとは違う。

 自分が食事を準備できないことに歯がゆさを感じていたシリルだったが、フランの接客を見る限り食事にも期待ができるだろうと思考を切り替えた。


「では、さっそく入りましょうか。私も楽しみです」


 シリルはレウスと一緒に飛び跳ねたくなるような衝動に駆られ、緩む口元を抑えて扉を開く。

 いくつ歳を重ねても、美味しい食事と気持ちの良いお風呂には口元が緩む。きっとこれは死ぬまでずっと続いていくのだろう。

 それが続くこと、途切れないことを人は幸せと言うのかもしれない。


「わぁ……! なんだか温かい雰囲気の、良い食堂ですね」


 レンガと木材で作られた食堂はこじんまりとしていたが、それ故に暖かく居心地が良い。

 まるで家のダイニングにいるような気分にさせてくれるような、そんな食堂だった。


「あっ……し、シリル様! 先ほどはお楽しみ中のところ、申し訳ありませんでした!」

「うぐぅ。ふ、フランさん、どうかお気になさらず。大丈夫ですから」


 食堂の中にいたフランはシリルを見かけるなり、大きな動きで頭を下げる。

 獣人族独特の尻尾はしょんぼりと垂れ下がり、頭の耳まで申し訳なさそうにしぼんでいる。

 シリルは先ほどの痴態を思い出して赤面しながらも、ぶんぶんと両手を左右に振った。


「そうそう、気にすんなよねーちゃん! 失敗は誰にでもあるって!」

「レウスが、それを言うの……?」

「あ、あはは……」


 元はと言えばレウスのレッドマンごっこが原因なわけだが、子ども相手にそれを言っても仕方がない。

 ここはお互いに気にしない方向でいくしかないだろう。


「あ、ありがとうございます! 久しぶりのお客様で私、舞い上がっちゃって……ごめんなさい」

「そうなんですか? この宿ならもっと、繁盛しても良いと思うのですが」


 言われてみれば、食堂の中にはシリル達以外の宿泊客が見当たらない。

 今の時間は丁度夕食時だし、もう少しくらい客がいてもよさそうなものだ。


「ありがとうございますっ。でもうちって地味だし街から離れてるから、お客様あんまり来てくれなくて……」


 フランは少しだけ肩を落とし、猫耳もぺたんとしおれている。

 シリルはそんなフランに一歩近づくと、穏やかな声で言葉を紡いだ。


「“宿屋の価値は、働く者の手で決まる”そんな言葉が、宿屋経営者たちの間であるそうです」

「??? 手……ですか」


 フランは唐突なシリルの言葉に呆然としながら、その言葉を頭の中で反芻する。

 シリルはそんなフランに笑顔を見せながら、さらに言葉を続けた。


「宿屋さんのお仕事は、決して楽じゃありません。炊事、洗濯、掃除……一般的な主婦が行っている家事を、お金が取れるレベルで遂行しなければならない。それを真面目に行っていれば当然、その手は荒れていくでしょう」

「あっ……」


 シリルはそっとフランの両手をとり、自身の両手でそれを包み込む。

 フランの両手は酷く荒れていて、日々の業務のし烈さを物語っていた。


「荒れてしまった手とこの宿の清潔さを見れば、フランさんがどれだけ頑張っているか、よくわかります。私はここに宿泊することができて、本当に良かったと思いますよ」

「シリル様……」


 水仕事で少し冷えてしまったフランの手を包む、シリルの両手。

 次の瞬間二人の両手は淡い緑の光に包まれ、フランの両手の傷を一瞬にして癒していた。


「ふえ!? え!? 治った!?」

「あっ!? つ、つい!」


 シリルは思わず魔術を使ってしまったことに驚き、両手で口を塞ぎながらも声を荒げる。

 そんなシリルを、ジト目のレウスが見上げた。


「あーあ、目立たないようにって自分で言ってたのによ」

「おねえ、さん……」

「あぅ。ごめんなさい」


 レウスとリセの二人から言葉を受けたシリルは、がっくりと両肩を落としながら返事を返す。

 しかし最も現状を理解できないフランは、綺麗になった自身の両手を見つめながら言葉を続けた。


「あの。シリル様、これは!?」

「あ、ええと、その……」


 突然荒れていた自分の手が治ってしまったのだから、当然フランは驚いて原因を質問する。

 シリルからは先ほどまでの穏やかな雰囲気が消え、わたわたと両手を動かした。


「あ、そっか! シリル様は旅の治癒能力者だったんですね!? 凄いです!」


 フランはキラキラとした瞳でシリルを見つめ、その猫耳をぴこぴこと動かす。

 その目には明らかに尊敬の念が込められており、シリルは驚きに声を上げた。


「え!? あ、その、えっと……」

「おー! そうそう、そうなんだよ! ねーちゃんはたびのちゆのーりょくしゃなんだ!」

「ええ!?」


 どう切り返そうかと考えていた矢先に、レウスからまさかの肯定の言葉が飛び出す。

 シリルは驚いた表情でレウスの方を向き、リセは呆れた様子でレウスへと言葉を紡いだ。


「レウス……意味、わかってないでしょ」

「うっせーな! わかってるよ! たびのちゆのーりょくしゃ、だろ!?」

「はぁ……」


 明らかに意味のわかっていないレウスの様子に、両手で頭を抱えるリセ。

 とはいえ事態を誤魔化すことは出来たのだから、結果オーライなのかもしれない。


「それにしても凄いです! 私の手ボロボロだったのに、綺麗になっちゃいました!」


 フランは両目を輝かせ、すっかり傷の癒された両手を見つめる。

 しょんぼりしていた両耳は元気を取り戻し、尻尾はぱたぱたと嬉しそうに飛び跳ねた。


「あ、えっと……喜んで頂ければ何よりです」

「はい! 本当にありがとうございます!」


 フランは太陽の笑顔を見せ、シリルを見つめる。

 シリルは嬉しそうなフランの声を聞くと、同じく嬉しそうに微笑んだ。

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