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第22話:強襲! レッドマン

 宿屋は木造二階建てで、お世辞にも大きいとは言えない。しかし内装は木目調のものをうまく使い、全体として温かな雰囲気がある。

 すっかり日の落ちてしまった廊下にはオレンジ色の光が満ちて、歩く4人の姿を淡く照らし出す。

 少しだけ軋む年代ものの階段を上がると、1階と同じような廊下の先に同じく木製のドアがある。

 少女はそのドアの前で立ち止まって振り返ると、にっこり微笑んだ。


「こちらが、お客様のお部屋です。お風呂とお夕飯、どちらを先になさいますか?」

「あ、そうですね。えっと―――」

「メシメシ! 俺腹減っちゃったよ!」


 少女へ返答しようとするシリルの言葉を遮り、食事を提案するレウス。

 そんなレウスの言葉を受けたシリルは、微笑みながらリセへと質問した。


「ふふっ、そうですね。リセさんもお食事が先でいいですか?」

「ん。まかせる」

「かしこまりました! では、腕によりをかけてご用意しますね!」


 少女は服の袖をまくるとガッツポーズを見せ、勝気な笑顔に八重歯が覗く。

 シリルはそんな少女の元気な声に微笑むと、ゆっくり頭を下げた。


「はいっ。よろしくお願いします」

「うまい料理たのむぜ! ねーちゃん!」

「はいっ! 久しぶりのお客様ですから、張り切っちゃいますよ!」


 少女はぴこぴこと尻尾を跳ねさせ、悪戯な笑顔を見せる。

 そのまま立ち去ろうとするが、やがて何かを思い出したようにネコ耳をぴこぴこと動かして言葉を続けた。


「あっ! ごめんなさい、自己紹介が遅れました。私“フラングル=ショート”と申します」


 フラングルと名乗った少女は両手を身体の前に置き、丁寧に頭を下げる。

 そんなフラングルの様子を察したシリルは、自身も慌てて頭を下げた。


「あっ、ご、ご丁寧にどうも。私は“シリル=リーディング”で、この2人は―――」

「おっすフラン! 俺、レウス! よろしくな!」

「リセ……」

「シリル様、レウス様、リセ様ですね。ばっちり覚えました!」


 フランは両手をぐっと握り、やる気満々といった表情で頷く。

 しかしあまりにもフランクなレウスの自己紹介に、シリルは額に大粒の汗を流した。


「れ、レウス君! 初対面の方を突然呼び捨ては失礼ですよ!」

「えー? めんどくせほぶ!?」

「おねえさんを、こまらせちゃ、だめ」


 リセは反論しようとしたレウスの口を拳という名の武力で封じ、その拳を頬にめり込ませる。

 そんなリセの一撃を察したシリルは、額に大粒の汗を流しながら言葉を紡いだ。


「あのぅ。リセさんも、暴力はだめですよ?」

「なんてこと……やってしまった」


 リセの中にはガーンという効果音が鳴り響き、この世の終わりのような表情でがっくりと肩を落とすリセ。

 そんなリセの様子を見たレウスは、不満そうに言葉を紡いだ。


「いやいや、ガッカリする前に謝れよリセ」

「???」

「“何言ってんだかわかりません”みたいな顔すんな! お前俺を何だと思ってんの!?」

「サンドバッグ」

「まさかの無機物!?」


 あんまりな言い方をするリセに対し、強くツッコミを入れるレウス。

 そんな二人の様子を見たフランは、楽しそうに笑った。


「あははっ、なんだか楽しいですね! 私は呼び捨てでも大丈夫ですよ!」

「うう。なんかすみません」


 シリルは何故だか謝りたくなり、深々と頭を下げる。

 そんなシリルの姿を見たフランはぴこっと尻尾を立ててぶんぶんと手を横に振ると“いえいえ! 楽しいですよ!”と言葉を返した。


「えっと、それでは私は早速お料理の準備をしちゃいますね! お料理が出来たらお呼びしますので、どうぞごゆっくり!」

「ありがとうございます。期待していますね」


 シリル達3人は部屋の中に入り、廊下の奥に帰っていくフランを見送る。

 やがてシリルの手によって閉められるドアと、離れていく足音。

 シリルは静寂が部屋の中に落ちたことにほっと一息つくと、改めて部屋を見渡した。

 木目調の内装に、並べられた3つのベッド。シーツはきっちりと伸ばされ、埃もほとんど落ちていない。

 フランが部屋を整備しているのかは不明だが、少なくとも日々手入れを欠かしていないことがよくわかる。

 これは、良い宿だ。まだ部屋を見ただけだが、シリルはそう確信していた。


「おっ、なんだこれ、服だ! 服が置いてある!」

「館内着みたいですね。この宿屋さんの中なら、その服で出歩いて大丈夫ですよ」


 レウスは探検の要領でごそごそとタンスの中をまさぐると、3着の館内着らしき洋服を見つける。

 きちんと青とピンクで色分けされ、男性用と女性用に分けられていた。


「へー! じゃあさっそく着ようぜ! ……あれ?」

「??? どうしました? レウスくん」

「ねーちゃんこれ、でっかいぜ? 大人用だ」

「ほん、と。でっかい……」

「ありゃ……袖が余ってしまってますね。ちょっと待っててください」


 シリルはレウスの袖をまくり、なんとか長さを合わせる。

 しかしそれでも、ぶかぶか感はいなめない。もっとも館内で戦闘があるわけでもなし、ちょっとくらい動きづらくても問題はないだろう。


「おねー、さん。わたし、も……」

「あ、はいっ。ちょっと待っててくださいね。リセさんは羽がありますから、下だけ履きましょうか」


 シリルはリセに館内着のズボンを履かせると、その裾を器用にまくってサイズを合わせる。

 館内着はその布こそ高級品ではないが、こまめに洗濯をしているおかげか非常に清潔感がある。

 一息ついたら自分も着替えてみようと、シリルは密かに心躍らせた。


「あー! 腹減ったー! メシまだかなー!!」


 レウスは館内着のままベッドに突撃し、ばいんと跳ねながら食事を渇望する。

 リセはすたすたと部屋の中を歩くと、ベッドの枕元に置いてある本を物色し始めた。


「わぁ……! 眠れない人のためでしょうか。本が多めに置いてありますね」


 シリルは嬉しそうにリセの後ろを追いかけると、膝を折ってこじんまりとした本棚を覗き込む。

 リセはその中の一冊を手に取ると、シリルへと尋ねた。


「おねえ、さん。これ、おもしろい……?」

「“宇宙の真ん中で愛を叫ぶ”ですか。うーん、リセさんには少し早いかもしれないですね」

「そう……」

「あ、えっと、“ドラゴンズヒル”はいかがですか? 綺麗な銀のドラゴンが出てきて、楽しいと思いますよ」

「ん……じゃあ、それにする」


 リセはシリルから本を受け取ると、ベッドへと腰掛けてぺらぺらとページをめくりはじめる。

 その姿を見たシリルはゆっくりと立ち上がると、魔術協会本部の光景を思い出していた。


『そういえば、協会本部にも小さな女の子がいましたね。あの子、元気でしょうか……』


 協会本部に行く度にシリルへ駆け寄ってくると、本を読んで欲しいと可愛らしい笑顔で言ってきていた彼女。

 何故協会本部にあんな小さな女の子がいたのかはわからないが、まあ職員の子どもか何かなのだろう。

 それにしても―――


『リセさん、あの歳でもう立派に文字を読むなんて……ご両親の教育がきちんとされていたのかな』


 子ども向けの童話でわかりやすい単語が使われているものの、リセの歳で苦もなく字を読めるというのは珍しい。

 教育機関の充実した国の首都ならいざ知らず、辺境の村に生まれた子どもであれだけ字が読めるということは両親に学があり、かつ教育熱心であったことの表れだろう。


『やっぱりリセさんの両親がリセさんを簡単に捨てるなんて、考えにくい。では、一体なぜ―――?』

「せああああああああああああ! レッド、きいいいいいっく!」

「いひゃぁ!?」


 レウスは立っていたシリルの膝裏に軽いキックを当て、膝カックンの要領でシリルに尻餅をつかせる。

 リセは本に集中しているせいか、欠片も反応せずに次のページをめくった。


「れ、レウスくん、突然何を!?」

「だって暇なんだもんよー! あそぼーぜ、ねーちゃん!」


 レウスは頭の後ろで手を組むと、悪戯な笑顔を見せる。

 シリルは立ち上がると、そんなレウスを見下ろした。


「遊び……ですか。それは良いのですが、さっきの、えっと、“レッドキック”というのは?」

「ええー!? ねーちゃん知らねーのかよ! “スーパーヒーローレッドマン”のひっさつわざじゃん!」

「レッドマン……? あ、ああ、そういえば、図書館の児童書コーナーにあったような……」


 シリル=リーディングは読書が趣味である。そのジャンルは広範囲に渡り、ラスカトニア中の本を読みつくしてしまったある日、児童書を読んでいた時期があった。

 先ほどリセに紹介した“ドラゴンズヒル”も、そんな折に出会った一冊である。

 文字数の少ない児童書は読み応えという意味では物足りなさもあったが、物語のわかりやすさ、そして何より筆者の暖かな心が伝わってくるようなその雰囲気がシリルは好きだった。

 “スーパーヒーローレッドマン”はゴリゴリの男児向け絵本であり、エルガンティア中で人気のある大ヒット作である。

 当然シリルも読んだことはあるのだが、必殺技名は正直言って興味がなかったのであまりきちんと覚えていなかった。


「なんだよ、結局読んだことあんのか?」

「ええ、大丈夫です。内容も思い出しました」


 確か人々を困らせるモンスターが街中で暴れて、その度にレッドマンがモンスターを倒すという至極単純なストーリーだった。

 しかし物語の後半では、実はレッドマン自身がモンスターであることが判明したり、人を襲っていたモンスターが実は心の闇に蝕まれた人間であったことが分かったりと、なかなかドラマチックな展開だったと記憶している。


「よーし! じゃあさ、“レッドマンごっこ”やろーぜ!」


 レウスはベッドの上へ乗ると、スプリングを利用して高くジャンプしながらシリルへと提案する。

 シリルはそんなレウスの言葉を受けると、頭に疑問符を浮かべて首を傾げた。


「??? レッドマンごっこ……ですか。えっと……」


 どうにも、聞き覚えのない単語だ。

 思えばこれまで、子どもと遊んだことなど多くはない。まして男の子と2人で遊ぶことなど皆無だったと言って良いだろう。

 もちろん幼い頃、男の子と遊んだことはあったが……彼は非常に読書好きで、一般的な男の子とは違っていたのかもしれない。


『リースくん……元気にしているかな。今頃、どこで何をしてるんだろう』


 シリルはふと幼い頃の記憶を思い返し、あの少年の明るい声を思い出す。

 隣に座って一緒に本を読んだ思い出は、シリルにとって大切な記憶の一部だ。


「なんだよねーちゃん、レッドマンごっこしたことねえの!? しょーがねーなぁ。俺がおしえてやるよ!!」

「え、あ、はいっ。よろしくおねがいします」


 がっかりしながらも、どこか嬉しそうなレウスの声。その声に反応したシリルは、深々と頭を下げる。

 世界図書館の本を読み尽くし多くの知識を得た自分でも“レッドマンごっこ”は知らなかった。

 無知は恥ではない。だが、教えを乞えない事はこの上ない恥だ。

 ここはきっちりレウス先生に教わるべきだろうと、シリルは本気で考えていた。


「よーし、レッドマンごっこってのはな、よーするに、レッドマンの真似すんだよ! でもレッドマンは俺だから、ねーちゃんはモンスター役な!」

「な、なるほど。物語を演じて楽しむ遊戯なんですね……勉強になります」


 シリルはこくこくと頷き、レウスの話を真剣に聞く。

 久しく眠っていたシリルの探究心が、間違った方向に目覚めた瞬間だった。


「よーし、じゃあ本番だ! スーパーヒーローレッドマン第5話“疾風! シルフィード”をやろうぜ! ねーちゃんシルフィード役な!」

「ひぁ!? はい!」


 まさかのぶっつけ本番に、素っ頓狂な返事を返すシリル。

 ちなみにシルフィードとは風を操るモンスターで、その姿はかなり人間に近い。

 もしかしたらレウスなりの気遣いで、人型のモンスターを選んでくれたのかもしれない。


「じゃ、いくぞ! “とぉぉう! シルフィード! それ以上人々を苛めるのはやめるんだ!”」


 レウスはベッドの上で一度跳ねて着地すると、右手を前方に突き出して声を張り上げる。

 シリルは記憶の糸を辿ってシルフィードの台詞を思い出すと、直立不動のまま言葉を発した。


「ほ、“ほーっほっほ! 現れたわね、レッドマン! 今日があなたの命日よ!”」

「ちょ、ねーちゃん! 駄目駄目、ポーズもちゃんとやってくれよ!」

「ええっ!? ぽ、ポーズもですか!?」


 ただ台詞を読んだだけのシリルへ、鋭いダメ出しをするレウス。

 しかしそこでシリルに、1つの葛藤が生まれた。


『ぽ、ポーズって、あの挑発的なポーズ、ですよね。あれを、やるの……?』


 シリルは本に書かれていた内容を思い出し、大粒の汗を流す。

 しかしレウスの「はやくー!」という言葉を受けたシリルは、やがてゆっくりとシルフィードのポーズをとった。

 右手を顎の下に当ててステレオタイプな女王様ポーズをとると、何故かスカートから足を見せて挑発的に言葉を返す。

 漆黒のローブを身にまとったシリルは同じポーズをしても足が見えることはないが、ぶっちゃけこのポーズはかなりきつい。主に羞恥心的な意味で。


「あ、あの、レウスくん。このポーズ、かなり恥ずかしいです……」

「“何を言うかシルフィード! 今日こそは倒してやるからかくごしろ!”」

「うう……聞いてない」


 満面の笑みでレッドマンを続けるレウスに、がっくりと肩を落とすシリル。

 どうやら思った以上に、レッドマンごっこはハードな遊戯のようだ。羞恥心的な意味で。


「“私からいくぞぉ! ひっさつ、レッドパァァァンチ!”」

「ひゃう!?」


 レウスはベッドから飛び降りると、シリルへと寸止めでパンチを繰り出す。

 シリルは突然の事態に反応できず、またも素っ頓狂な声を上げた。


『ねーちゃん! ここは羽ばたいて逃げるとこ! 早く避けろよ!』

「あ、あう、でも……」


 拳を止めてくれたのは良いが、シルフィードは空を飛ぶ時両手を広げた状態で頭の上に上げ、まるで鳥の翼のようにして宙に浮く。しかも、片足は何故か上がっている。

 端的に言えば、そのポーズを取るのもかなり恥ずかしかった。


『はやく! いつまでも止まってたら変じゃんか! はやくよけろよねーちゃん!』

「う、うう、うううううう……」


 確かに、レウスの言うことは正論だ。いつまでも敵相手にパンチを寸止めするヒーローなど聞いたこともない。

 しかも自分はレッドマンごっこをやると了承し、あまつさえ教えを乞いている立場だ。この劇を止める資格など、あるはずもない。


「わ、わかり、ました……やります!」


 シリルはこほんと堰をして呼吸を整えると、ゆっくりとその両手を頭の上に上げ、さらに片足も上げる。

 上げられた片足によってローブがめくれあがっているものの、その中を見ようとする者などこの部屋には皆無。

 シリルは安心して、思い切りシルフィードになりきった。


「“ほーほっほ! 甘いわ、レッドマン! あなたのパンチなんか当たらないんだから―――”」

「ごめんなさい、お客様! お子様用の館内着を置き忘れてしまっ……て……」

「…………」

「…………」


 突然開かれたドアと、2着の館内着を持ったフラン。

 シリルはそんなフランのいる方角へ、真っ赤になった顔を向けた。


「え、えっと、お楽しみ中のところ、失礼しました! あの、えと、館内着、ここに置いておきますね!」

「あ……あ……」


 シリルはぱくぱくと口を動かすが、突然の事態に何も言葉が出てこない。

 やがて勢い良くドアは閉められ、ぱたぱたと走り去る足音だけが部屋に響いた。


「“死にたい……消えてなくなりたい”」

「ちょ、ねーちゃん!? そんな台詞ねえよ!?」


 シリルはふらふらとベッドに突っ伏すると、シルフィードの声色で言葉を紡ぐ。

 ベッドに埋められたシリルの顔付近のシーツは、何故か少し濡れていた。


「ふぅ。おねーさん。この本おもしろかっ……なにごと!?」


 本を読み終えたリセの目に飛び込んできたのは、ベッドに突っ伏して泣くシリルと、そのシリルの服を引っ張るレウス。

 一目では何がおきたのかさっぱりわからなかった。


「えっと、レウス。なに、これ?」

「俺もわかんねーよー! ねーちゃん、つづきやろーぜー!」

「“レッドマン、今日が私の命日よ……”」

「え、なに。なに、これ?」


 突っ伏したまま動かないシリルと、その服を引っ張るレウス。おろおろしたままのリセ。

 やがてフランが食事の準備が出来たことを伝えに来るまで、このカオスな状況が打開されることはなかった。

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