第18話:ラスニアへの旅路にて
ラスカトニア近くの草原には、今日も爽やかな風が吹く。
シリルは草原を吹き抜ける風を感じながら、隣に立つレウスとリセに声をかけた。
「レウス君、リセさん、とりあえず旅の準備をしましょう。ここから半日ほど歩いた先に、“ラスニア”という村がありますから、夕方には到着できるはずです」
「そこで旅の準備ってわけだな!? よーし、張り切って準備しようぜ!!」
「張り切るのは……たび。準備に張り切っても、しかたない。……バカ?」
「あにおー!? リセてめー、いちいちうっさいんだよ!!」
「ま、まあまあお二人とも、落ち着いてください。喧嘩はよくないですよ」
レウスとリセはお互いに睨み合うが、女性は二人の間に入ってその肩に手を置いてその動きを制止した。
レウスはそんな女性の手を見ると、不思議そうに顔を上げる。
「なあ、シリルねーちゃん。ねーちゃんって目ぇ見えないんだよな? なのにどうして迷わず俺達に触れるわけ?」
レウスは頭の上に疑問符を浮かべ、シリルへと質問する。
シリルは顎の下に伸ばした人差し指を当て、思考を回転させて言葉を紡いだ。
「そうですね……ちょっと長いお話になりますから、歩きながらお話しましょうか」
「えぇー? 長いのかよ。じゃあ俺いいやへぶぅ!?」
「お姉さんの話、聞きたい……殴るよ?」
「もう殴ってんじゃねーか! あーいてて……」
リセに殴られた自身の頬を摩りながら、不満そうに言葉を落とすレウス。
そんなレウスの様子を察したシリルは、慌てた様子で言葉を続けた。
「えっと、じゃあかいつまんでお話しますね」
ぽんっと両手を合わせ、急いで頭の中で話を整理するシリル。
少し強い風が彼らの間を通り過ぎた頃。シリルは少しずつ語り始めた。
「元々私はある事故で、視力を完全に失いました。いえ……正確には、瞳そのものを失ったと言った方がいいでしょう」
「…………」
「…………」
シリルの第一声を聞いたレウスとリセは、無言のままその続きを待つ。
その様子に安心したシリルは、さらに言葉を続けた。
「昔から本が大好きだった私は、おっきな図書館に住んでいました。でも目は見えず、当然本は読めない。だから私いつも本を開いては、暗闇をぼーっと見つめていたんです。目が見えないのに“見つめていた”なんて、ちょっぴり変な表現ですけどね」
小さく微笑んだシリル。しかし子ども達は真剣で淀みない眼差しで、そんなシリルを見つめる。
シリルは小さく息を落とし、言葉を続けた。
「ですが、そんなある日……暗闇しかなかった私に光り輝く“文字”が見えたんです。それが手に持った本に書かれている文章だと気付くのに、時間はかかりませんでした」
「文字……? 光る文字が、見えたのか?」
「ええ、そうです。最初はただ、文字が見えるだけだったんですが……次第にその本の内容を“理解”できるようになっていきました」
「!? もしかして、おねえさんの魔術は……」
「ふふ、リセさんは頭がいいですね。はい、その通りです。私のいた図書館には、魔術書が沢山……本当に沢山、蔵書されていたから。私はその魔術書に載った魔術を全て“理解”し、“習得”しました」
「っぜんぶ!? すご、い……」
さらりと言ってのけた驚愕の事実に、両目を開いて驚くリセ。
リセ自身魔術のことは少ししか理解していないが、魔術士が生涯で習得できる魔術はせいぜい両手で数えるほどと言われている。
しかし、シリル=リーディングは違う。この様子では恐らく、三桁を越える魔術を習得しているだろう。だからこその驚きだった。
「あ、いえ、凄くはないんです。凄いのは、魔術を作った先人の皆さんですから。私はその力を少しだけ分けてもらったと、そう解釈しています」
少し恥かしそうに頬を染め、言葉を返すシリル。
リセはその様子に頬を緩め、見えることのない彼女の瞳を見つめた。
「でさー、結局目は見えてんの? 見えてねえの?」
レウスは耳の穴を小指でほじりながら、興味がなさそうに言葉を紡ぐ。
しかしリセが握りこぶしを作った瞬間その指を抜き、表情を強張らせた。
「あ、ごめんなさい。前置きが長かったですね。魔術を習得していた頃……私の瞳には本の文字以外にも、人の輪郭がぼーっと見えるようになったんです」
「ひとの、輪郭……シルエットって、こと?」
「ええ、そうですね。ですから私には、お二人のいる場所はなんとなくわかりますが、そのお顔までは見えていないんです。とっても残念なのですが」
シリルは眉を顰め、少しだけ俯く。
しかしそれが贅沢な悩みだと気付くと、再び顔を上げた。
「へー、じゃあさじゃあさ、建物とかはなんでわかるわけ? ねーちゃん、普通に街歩いてたじゃん」
「あ、それは魔術の力です。今可視化しますね」
「かしか??? おうわ!? なんじゃこりゃ!?」
「っ!?」
歩いていた2人の足元を、いや、世界全体を赤い線のような光が走る。
シリルの足元から一定感覚で発せられるその赤い光は地を走り、一定の距離に到達するとその光を消失する。しかし光が走ったその場所の輪郭はしっかりと映し出していた。
「これは元々旅人が道に迷わないよう、目的地と自分の間を結ぶ光を発する魔術でした。それを応用して、自分を中心とした全方向に光が走るようにしたんです」
「なるほ、ど……これなら、建物とかの輪郭が、わかる……」
「うえぇぇ。なんでもいいけど、早く消してくれよねーちゃん。地面が真っ赤でなんか気持ち悪い」
「あ、ご、ごめんなさい。今不可視にしますね」
シリルが左手を軽く横に振ると、赤くなっていた地面が元の色を取り戻す。
レウスは小さく息を落とすと、シリルへと顔を向けた。
「とにかく、“人は輪郭が見える”“建物とかも真っ赤だけど、輪郭だけはわかる”ってことだろ?」
「あ、ええ、そうです。レウス君はまとめが上手ですね」
「へっ、まーな。ていうかねーちゃん、話なげーよ! 今言ったことだけ教えてくれりゃいーのにさー」
「ご、ごめんなさい。確かに話が長いのは、私の悪癖ですね」
丁寧に説明しようとする姿勢は間違っていないが、それは相手を選ぶ必要がある。
少なくとも目の前の少年に説明するのなら、二行で収まるくらいの量にすべきだったのかもしれない。
「でも……うれしい。おねーさんのこと、もっと知れたから」
リセは頬をピンク色に染め、ほんの少しだけ微笑みながらシリルの服の裾を掴む。
シリルはそんなリセの頭を撫でると、自身も微笑んだ。




