第13話:ガルドレッド=スライン
あれから、数十分。
レウスは泣き疲れてしまったのか、ただ無言でシリルの胸の中にある。
リセは目の端に光の川を作りながら、眠りへと落ちていた。
「……言う、なよ」
「えっ?」
レウスからの突然の言葉に反応できず、反射的に聞き返すシリル。
その言葉は届いていたので返事を返そうと口を開くが、先にレウスが言葉を紡いだ。
「さ、さっき、俺がその、泣いたこと。誰にも言うなよ!」
レウスは耳まで真っ赤にすると、必死でシリルへと言葉を届ける。
シリルはそんなレウスの言葉を受けると、小さく笑ってその頭を撫でた。
「ええ、もちろんです。命にかけて、誰にも言いません」
「お、おう。それなら、いーけどさ……」
レウスはまだ気恥ずかしいのか、シリルの方を見ることはないまま返事を返す。
シリルはそんなレウスの言葉を受けると、あえて話題を変えようと立ち上がった。
「さて……では、料理を始めましょう。レウス君、とりあえず―――」
「…………」
レウスは全ての気力を使い果たしたのか、座ったままの状態で頭を傾けて寝息を立てる。
シリルは小さく笑うとレウスの体を持ち上げ、ベッドへと寝かせた。
隣り合って眠る、レウスとリセ。その頭を一度だけ撫でて腕まくりをすると、シリルは今度こそキッチンへと向かう。
しかし……
「あ! この格好じゃ料理は無理、ですよね」
自分がまだ式典用のドレスを着ていたことに気付き、苦笑いするシリル。
部屋の隅に置かれていたいつものローブを手に取ると、ベッドの方へ顔を向けた。
レウスの穏やかな寝息を聞いて小さく笑うと、顔を横に振って迷わずにドレスを脱ぐ。
肩にかかる部分を外すと、ワンピース型のドレスはすとんと足元に落ちる。
白い肌と白いショーツが太陽の光に輝き、胸の下に大きな影が生まれた。
シリルは少し肌寒さを感じ、慌ててローブを手に取ると―――
「ナンバーゼロォォォォォ! ここかぁ!」
「えっ?」
突然部屋のドアが開き、まるで獣のような形相をしたガルドレッドが部屋の中に飛び込んでくる。
シリルは突然の事態に反応できず、ぽかんと口を開けてドアの方へと体を向けた。
「っ!? し、ししし、失礼!」
部屋のドアを開けたガルドレッドはシリルの白い肌を見ると、咄嗟に背中を向ける。
関係のない話だが、こういった事件に遭遇する確率がガルドレッドは非常に高かった。
「え……あ、きゃぁ!?」
シリルはかなり反応が遅れ、悲鳴を上げながら咄嗟にローブを手に取って体を隠す。
その後すぐにレウス達の様子を確認するがどうやら相当深く眠っているらしく、寝息は途切れていなかった。
「はぁ。よかった。起きてない」
「良くないでしょうナンバーゼロ! 何故裸なのかね!?」
ガルドレッドは背中を向けたまま頭を抱えて声を荒げる。
ゴツゴツの肌に守られた頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
「あ、す、すみませんガルドレッドさん。今丁度着替え中で……」
「いいから、早く服を着て下さい! これでは話もできませんよ!」
「はっはい!」
シリルはそそくさとローブを身に着け、ローブの中に挟まってしまった長い後ろ髪を持ち上げて流すと小さく息をつく。
スカートがひるがえっていないことを手触りで確認すると、ガルドレッドへと言葉を紡いだ。
「ごめんなさい、ガルドレッドさん。もう大丈夫です」
シリルはゆっくりと歩みを進め、玄関に立っているガルドレッドへと近づく。
ガルドレッドは一度大きくため息を落とすと、気を取り直してシリルへと振り返った。
「ナンバーゼロ。聡明なあなたなら私が言いたいことはもう、わかっていますね?」
「はい……大事な式典を台無しにしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
シリルは両手を下腹の前で揃え、ガルドレッドへ深々と頭を下げる。
ガルドレッドは頭を抱え、言葉を返した。
「何度も言っていますが、あなたは魔術協会の長なのですよ? 謙虚さは尊敬しますが、部下にまで頭を下げるのはお止めなさい」
「あっ、そ、そうでした。ごめんなさ―――あ」
シリルは以前から言われていた注意を思い出し、忘れていたことを謝罪しようともう一度頭を下げる。
最後まで頭を下げきったところで自分の行動が矛盾していることに気が付いたが、時すでに遅し。
「……はぁ。もう、結構です」
ガルドレッドはそんなシリルの頭を見下ろすと、もう一度盛大にため息を落とす。
これはもはや、シリル=リーディングという人間の人柄なのだろう。
いくら言葉で言ったところで、その性分まで変えられるはずはないのだ。
「ごめんなさい。でも、私のような者が皆さんの上司というのは、どうにも腑に落ちなくて……」
シリルは困ったように眉をハの字にすると、両手の指をもじもじと合わせる。
その姿に魔術協会トップとしての威厳は、欠片も感じられない。
ガルドレッドは湧き上がってきた頭痛をかろうじて抑えると、言葉を返した。
「あなたの魔力と魔術は間違いなく、魔術協会トップに相応しいものです。お願いですから、少しは胸を張ってください」
「は、はいっ。えっと……こう、ですか?」
シリルは軽く握った両手を腰の横に置き、おっかなびっくりな様子で胸を張る。
柔らかな弾力と共に跳ねた胸を見ると、ガルドレッドはズレてしまった眼鏡を慌てて押し上げた。
「だ、誰が物理的に胸を張れと言ったんです!? 私はもっと精神的な―――」
「あっ、が、ガルドレッドさん、しーっ! あの子達、起きちゃいます!」
大きな声を出すガルドレッドに対し、人差し指を一本立てて静寂をお願いするシリル。
ガルドレッドは苦虫を噛み潰したような顔で声のボリュームを落とした。
「大体、あの子たちは誰なんですか? まさかあなたの隠し子ということもありますまい」
「うーん、説明するのは難しいのですが……そうですね。大切な、お友達です」
シリルは少し恥かしそうに、しかしそれ以上に嬉しそうに言葉を紡ぐ。
ガルドレッドはそんなシリルの様子に、再びため息を落とした。
「はぁ。性別も年齢も種族も超えた友人、ですか。信じ難いが、あなたならばあるいは信じられる。だからこそ厄介だ」
「???」
ため息を吐きながらズレた眼鏡を直すガルドレッドに、首を傾げて頭に疑問符を浮かべるシリル。
ガルドレッドは己の頭で考えうる中で最悪のケースを想定し、慎重に言葉を紡いだ。
「それで、ナンバーゼロ……今度は一体何日、本部を空けるおつもりですか?」
「うっ。も、もうそこまでお見通し、ですか……」
確かに自分はもう、あの二人のために旅立つつもりでいる。
しかし、これまでの会話など聞いていないはずのガルドレッドがそこまで気付いているとはさすがに思わなかった。
「以前、秘書が飼っていたペットが逃げ出した時……あなた、どうしました?」
ガルドレッドは遠くを見つめ、疲れ切った表情で言葉を紡ぐ。
シリルはその言葉の意図を感じると、眉をハの字に曲げて言葉を返した。
「その時は……隣の国まで、ペットを探しに行きました」
「国王が姫様にプレゼントしたい花が、この辺りに生えていないと知った時は?」
「……隣の隣の国まで、採りに行きました」
シリルはガルドレッドが言葉を発するたびに肩を丸め、背中を丸めて小さくなっていく。
ガルドレッドはそんなシリルの様子を見ると、ため息を落として言葉を続けた。
「まだ他に、例を出しましょうか? あなたが本部を空けていた理由など、星の数ほどありますが」
「いえ、あの……ごめんなさい」
シリルはもうわかりやすく落ち込み、黒いオーラを立ち上らせながらガルドレッドへ頭を下げる。
ガルドレッドはもう降参したかのように天井を仰ぐと、言葉を返した。
「もう、結構です。また厄介事を抱え込んで、旅立とうというのでしょう? それで次は、どの程度の期間になるのですか?」
ガルドレッドは上着のポケットから分厚い手帳を取り出すと、それにサラサラとペンを走らせる。
どうやらシリルの仕事は全て、ガルドレッドが管理しているようだ。
「あ、はい。その……多分ですが、最低でも二年以上はかかる……かも?」
シリルは引き攣った笑みを浮かべながら、出来るだけ明るくその事実を伝える。
ガルドレッドはシリルの言葉をそのまま受け取り、サラサラと手帳に記入した。
「ふむ、二年間の不在……はぁ!? に、にねんん!?」
ガルドレッドは大きな口と鋭い目を目一杯開き、シリルへと言葉をぶつける。
シリルはわたわたと両手を突き出すと、そんなガルドレッドの口を抑えた。
「あ、が、ガルドレッドさん、静かに、静かにお願いします!」
「!? し、失礼。しかしナンバーゼロ。二年とはあまりにも長すぎるでしょう」
シリルの細い手ではガルドレッドの大きな口を抑えられず、ガルドレッドは特になにもない様子で言葉を続ける。
シリルは肩を落としながら身体を退くと、言葉を返した。
「おっしゃる通りです、ガルドレッドさん。しかしあの子たちの両親を探すには、そのくらいの期間が必要な気がするんです」
「ほう。両親とは。穏やかではありませんな。詳しい話を聞かせて頂けますか?」
ガルドレッドは両腕を組み、本格的にシリルの話を聞こうとしている。
シリルも真剣な表情で頷き、ガルドレッドへと事情を説明した―――




