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第11話:再会

「はぁっはぁっ。変だな。人っこひとり、いねぇ」

「…………」


 レウスは乱れた呼吸を繰り返しながら、手放しそうになる意識を賢明に繋ぎとめながら言葉を紡ぐ。

 そんなレウスの言葉を受けたリセは足が痛むのか、返事を返せないでいた。


「リセ……痛いのか?」


 レウスは背中に乗ったリセの様子を気にかけ、言葉を続ける。


「……だいじょぶ。レウスに心配されたく、ない」


 リセは明らかに痛そうな様子だが、あえていつもと同じ憎まれ口を叩く。

 息を切らせながらもかろうじて言葉を返すリセの姿にレウスは静かに奥歯を噛み締めるが、やがて大きく笑って見せた。


「ははっ、その様子なら大丈夫そうだな。この街には魔術協会本部があるはずなんだ。とにかくそいつを探してみようぜ!」

「……ん」


 いつもなら『声が無駄にでかい』と毒の一つも吐くが、今のリセにそんな余力はない。

 こうしてレウスは街に立てられた看板を参考に魔術協会へと歩みを進める。

 しかし二人の目の前に現れたのは、無人の魔術協会だった。


「だれも、いない? そんな馬鹿な……」


 まるで最後の希望が絶たれたように、その瞳から光を失っていくレウス。

 同じようにリセも絶望しかけるが、そんな二人の耳に大きな歓声が響いてきた。


「!? 今の。ひとの、こえ……?」

「おう! ちっと、静かにしてな!」


 二人の耳に微かに届いた、人の声。

 レウスは声を荒げてリセを制するとその目を閉じて、微かに聞こえたその声に集中する。

 そして声のするその方角を必死に探った。


「ん、こっちだ! 行くぞ、リセ!」

「ん……」


 レウスは一度リセを抱えなおすと走り出し、その声の方角へと進んでいく。

 彼等が噴水広場に到着し、膨大な人の波に遭遇するまでそれほど時間はかからなかった。


「うっわ!? なんだこりゃ! すげー人だ!」

「…………」


 レウスは目の前に高くそびえ立つ人の波に驚愕し、大口を開けてそれを見上げる。

 リセは透明度の高い瞳でそれを見上げ、押し黙った。


『な……ぜろ! ナンバー、ゼロ!』

「!?」

「い、今、“なんばーぜろ”って、そう聞こえたよな! あれって確か、シリル姉ちゃんのことだったよな!?」

「っ!」


 レウスは興奮した様子で、背中にいるリセへと声を荒げる。

 リセは両目を見開き、勢いよく首を縦に振った。

 二人の中にシリルの温もりと声が、笑顔が蘇る。

 それは満身創痍になっている二人にとって、ひとつの大きな希望だった。

 そしてレウスは再び人垣へと視線を戻し、その小さな口を目一杯開けて言葉を発した。


「おおーい! ねえちゃん! シリルねえちゃーん!」

「おねえ、さん……」


 レウスは一際大きな声を出すが、人々の声に掻き消されてその声がシリルに届くことはない。

 その様子を感じ取ったレウスは、悔しそうに言葉を続けた。


「くっそ、ダメなのか!? おおーい! ねーちゃん! シリルねえちゃーん!」

「おねえ、さん……!」


 リセは震える小さな手を握って精一杯の声を搾り出すが、その声は喧騒の中に吸い込まれて消えていく。

 そんな状況を感じ取ったリセは一つの妙案を思いつき、レウスへと言葉を発した。


「レウス。私が飛ぶから、レウスは叫んで」

「へっ!? でもお前―――おわぁっ!?」


 リセはレウスの服を掴み、ぱたぱたと賢明に背中の羽を動かす。

 二人の身体が次第に浮き上がってきた頃……シリルには、何か不思議な感覚が突き刺さっていた。


『!? 今、何か―――』


 厳かに歩いているその雰囲気を崩さぬまま、感覚だけを周囲に配る。

 自分を呼ぶ、何か。確かに何千という魔術師から意識をぶつけられているが、それとはまた……違う。

 消え入りそうに小さな、その感覚。

 しかしシリルにはその感覚が何よりも愛おしく、守るべきもののように思えた。


「あの。今何か、聞こえませんでしたか?」


 シリルは真剣な表情で歩む足は止めないまま、秘書風の女性へと声をかける。

 秘書風の女性はざわめく魔術士たちを満足そうに見渡しながら言葉を返した。


「ん? もちろん、聞こえてますよぉ。魔術師たちのざわめきがね!」

「あ、はい。それはそうなんですが……」


 どうにも、腑に落ちない。

 シリルは出来るだけ感覚を研ぎ澄ませるが、やはりはっきりとは聞こえない。先程響いていた感覚も、今ではもう感じられなくなっていた。


「やっぱり、気のせい? でも……」


 シリルは迷いながらも、研ぎ澄ませていた感覚を収束させていく。

 この後は魔術演習もあるし、今は式典の真っ最中だ。あまり集中を乱すわけにもいかない。少し気を緩めてコケたりすれば、何もかもが台なしだ。


『どうしても、気になる。でも今は、目の前のことに―――集中しなければ』


 シリルがそう心に決めた、その刹那。

 この物語はついに、トップスピードで動き出す。


「ねーちゃん……シリル、ねえちゃああああああああん!」

「!?」


 広場の空に響いた、高く強い声。

 シリルはその方向へ迷いなく顔を向け、驚きに口を開く。

 もう式典も何もない。シリルはすぐにその名を呼んだ。


「れ、レウスくん!? それに、リセさん!?」


 リセはレウスの服を小さなその手で掴み、背中の白い羽をぱたぱたと動かして空中へ浮かび上がる。

 集まった民衆より遥か高くまで浮き上がったレウスは今度こそ、シリルへと声を届けた。

 しかしリセは長旅と怪我による疲労が蓄積している。しかも元々、腕力が強い方ではない。


「んっ……お、も。バランス、が……!」


 リセはほっぺを目一杯膨らませて真っ赤な顔をしながらぱたぱたと空に浮かぶが、それも限界に近い。

 シリルを呼ぶことに必死だったせいか、それとも疲労のせいかわからないが、普段は冷静なリセの初歩的なミス。

 地面に降り立つまでの余力を、欠片も残せていなかった。

 つまり―――


「も、だ、め……!」

「ねえちゃっ、お、わぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 リセはついに力尽き、その羽の運動を停止する。

 結果として待っていたのは、二人の落下だった。

 広場の周囲にあった建物の10階部分が見えていたレウスの視界はガクンと落ち、一瞬の内臓が浮くような感覚の後グングン地面が近づいてくる光景が見える。

 両耳には風が通る音だけが響き、それ以外の音は全て失われた。

 それはリセも例外ではなく、レウスのほぼ隣で同じ運命を辿っていた。


「!? ムーヴィング・エア!」


 シリルは一瞬も迷うことなく足元に逆巻く風を生み出し、帽子を脱ぎ捨てるとその体を宙に浮かせる。

 落下する二人へ向って一直線に空中を進み、その動きに迷いは無い。

 広場には強風が吹き荒れ、人々は一瞬視界を奪われた。


「あっぶ、んんーっ!」


 シリルは奥歯を強く噛み閉め、ほっぺを赤くして力を込めると落下する二人の体をかろうじてキャッチする。

 その腕の下からは小さな風が吹き、二人を抱きかかえるシリルをサポートしていた。


「しんじゃう、かと、おもった……」


 リセは普段半分しか開かない目を思いきり見開き、シリルの腕をしっかりと掴む。

 その両目には涙が浮かび、小さな手はカタカタと震えていた。


「わはははは! こえー! 内臓一瞬浮いたぜ!? もう一回やろうねーちゃん!」


 レウスはぺしぺしとシリルを叩き、大口を開けて笑う。

 シリルは大粒の汗を額に浮かべ、弾かれたように言葉を返した。


「やりません! それよりお二人とも、一体どうしてこんなところに!?」


 シリルは抱きかかえた二人に当然とも思える疑問をぶつけ、広場の空中に浮かび続ける。

 レウスは柔らかな感触の腕に抱かれながら、事態の深刻さを感じさせない悪戯な笑みを浮かべた。


「おーっ、そうそう。大変なことになっちゃってさぁ。俺らの親が―――」

『なんばーぜろー! どーしたんですかぁー!? 演習にはまだ早いですよぉー!』

「あっ!?」


 レウスの言葉を途中で遮り、足元から聞こえてきた秘書風の女性の声に驚くシリル。

 すっかり忘れていたが、今は大切な式典の最中だったのだ。


「う、浮いて、浮いて、る……」

「マジかよ、すっげぇ! ムーヴィング・エアって、せいぜい紙を浮かせるくらいしかできないだろ!? なんだよあの人!」

「あ、あわば、あばばばばばばばばば……」


 広場からシリルを見上げていた黒髪、金髪、眼鏡の三人を含め、全ての人々はシリルに向かって視線を集中させる。

 シリルはそんな人々の動揺を聞き取ると、途端に焦り始めた。


「い、いけない。つい魔術を……いや、まあ演習する予定だったし、大丈夫、だよね……」


 シリルは二回、三回と深呼吸を繰り返し、なんとか平静を取り戻す。

 元々上がり症だったため、緊張したり動揺したときの対処法は事前に練習しておいたのだ。


『ナンバーゼロォォォォ! 早く降りて下さい! 協会の手本となる魔術士が、なんと破廉恥な!』

「ひうっ!? ごめんなさいガルドレッドさん! でも、あの、はれんちって……?」


 シリルは下から響いてきたガルドレッドの大声に驚き、反射的に謝罪を返す。

 しかしその言葉の意味はわからず、首を傾げながら空中に浮かび続けた。

 レウスはそんなガルドレッドの言葉を聞くと、頭に電球を光らせて言葉を紡ぐ。


「あ、そーか! ねーちゃん、ぱんつ! ぱんつ見えてんじゃね!?」

「えっ? ―――っ!?」


 そういえば宙に浮かんでから、妙に足元が涼しかった。

 着ていた黒のドレスは見た目こそ重そうに見えるが、そこは所詮ドレス。足元はどうしたって心もとない防御力だ。

 空中に浮かんだシリルのスカートの中は衆目に晒され、人々(男達)は逆光に耐えながら目を細めると、ドレスの中で輝く白い脚部を凝視する。

 中には黒く半透明なレンズのはめられた眼鏡をかけ、覗き込んでいる男までいた。


「ひやぁぁぁあああああ!?」


 いやぁ+ひゃあぁが交じり合った独特の叫び声が広場の空に大きく響く。

 動揺したシリルは完全にバランスを崩し、どうにか減速しながら地面へと落ちていく。

 その様子を見たガルドレッドは頭を抱え、バーバリアン特有の唸り声を弱弱しく響かせた。


「おいおいおいおいおい、あれ、落ちてくんじゃねーか!?」


 ふらふらとするシリルの様子を見た金髪は、動揺した様子で左右の友人を見る。

 眼鏡は相変わらず眼鏡を楽器にしながら、言葉を返した。


「ば、ばばばば馬鹿な、あの魔術で空を飛ぶなんて、あ、ああ、ありえない!」

「いや、おせーよ! 今そんなこと言ってる場合じゃなくね!?」


 的外れなことを言っている眼鏡にツッコミを入れた金髪は、眼鏡の肩をガクガクと揺さぶる。

 黒髪はシリルの様子を見ると、眉間に皴を寄せて奥歯を噛み締めて声を張り上げた。


「とりあえずその馬鹿連れて逃げろ! ほらそこ、人が少ないから!」


 黒髪は金髪の肩を掴むと、比較的人の少ない場所を指差す。

 あの様子ではいつ落ちてくるかわからない。減速しながら落ちているようだから、死ぬことはないにせよ怪我は免れないだろう。


「お、おう、わかった! ほら、あばあば言ってんじゃねーって!」

「あ、あわば、あばばばばば……」


 金髪と眼鏡は人ごみを掻き分け、どうにかその場から退避する。残された黒髪は再び状況を判断しようと上を見上げた。


「あの、ナンバーゼロ! 大丈―――」


 しかし黒髪が上を見上げた、その刹那。眉をハの字にしたシリルの泣きそうな顔と、黒いスカートがスローモーションで瞳に映る。

 その後ゆっくりとした速度で落下してきたシリルのスカートが、すっぽりと黒髪の頭を包んだ。


「ひやぁああああああああああああ!?」

「むっぐぅ!?」


 見上げたばかりの黒髪の視界に、一瞬アップで映し出された白く三角の形をした布。

 何か滑らかな素材に顔を撫でられたかと思えば、柔らかく暖かな感触が左右から自分の頭を挟み、前方からの圧力によって後ろへと倒されていく。

 しかし地面に後頭部が激突するかというその刹那、謎の風が黒髪の体を少し押し返して衝撃を緩和する。

 自分の顔いっぱいに当てられた白い布と、その奥にある柔らかい何か。

 黒髪はわけがわからないながら、その感触はしっかりと感じていた。


「あっ!? た、大変! 大丈夫ですか!?」


 黒髪の上に落ちてしまったシリルは反射的に衝撃を緩和したが、倒してしまった事には違いない。

 実際はかなり恥かしい状態で落ちてしまったのだが、目の前で鼻血を吹いて倒れている男を見たら、そんな羞恥心はどこかに吹き飛んだ。

 シリルは倒れてしまった黒髪の頭部に回復の術を施し、ぺこぺこと頭を下げる。

 吹き出していた鼻血を白いハンカチで優しく拭うと、なおも頭を下げ続けた。


「ごめんなさい、ごめんなさい! あの、あなたの上に落ちてしまって……大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、いや、はい……」


 黒髪は石畳の上で横になりながらポカンと口を開け、ぼうっと空中を見つめる。

 頭部は強打していないはずだが、何故か現実として鼻血は流れている。

 シリルはその原因が思い当たらず狼狽するが、やがて子ども特有の高い声がシリルの意識を取り戻した。


「ねーちゃん! ここ騒がしいから、とにかくいこーぜ!」

「ん、そのほうが、いい……」

「ええっ!? お、お二人とも、ちょっと待……ああっ!?」


 いつまにか地面へ着地していたレウスはリセをおんぶした状態で強引にシリルの手を引き、人ごみを掻き分けて走っていく。

 シリルは訳もわからないまま、ラスカトニアへの街中へと引っ張られていった。


「お、おおーい、大丈夫か? 生きてっかー?」

「だ、だだだ、大丈夫? ま、まったく、一体なんだったんだ? 彼女は」


 逃げていた金髪と眼鏡は再び広場へと戻り、何故か石畳に横たわっている黒髪へと声をかける。

 シリルに倒された黒髪は残された白いハンカチを握り締め、言葉を紡いだ。


「花の、香り。なんか、甘い、香りがしたんだ……」

「はぁ?」

「???」


 中空を見つめながら、ぼうっと言葉を紡ぐ黒髪。

 金髪と眼鏡は互いの顔を見合わせ、どうやら打ち所が悪かったかと同情の視線を黒髪へ向けた。


「あ……あり? ガルドレッドさーん! ナンバーゼロ、行っちゃいましたよぉー!?」


 秘書風の女性の高い声がガルドレッドに、そして広場で静かになってしまった人々の耳に届く。

 広場の喧騒は一層高まり、収集がつかなくなっていた。


「な、ナンバー、ゼロ……」


 ガルドレッドは俯き、現状を頭の中で整理する。

 何ヶ月も前からリハーサルを重ね、会場の設営と関係各所への連絡を、怠らずやってきた。

 そして、その結果が……


「ガルドレッド氏! あれはどういうことですか!? 風術士の女性がナンバーゼロなのですか!?」

「答えてください、ガルドレッド氏!」

「ガルドレッド氏!」

「ガルちゃん!」

「うおおあああ! ナンバー! ゼロ! 戻ってこおおおおおおい!」

 広場の空に、ガルドレッドの悲痛な叫びが響く。

 史上初の快挙とされた、ナンバーゼロのお披露目会。

 ナンバー持ち魔術士のお披露目が失敗したというのもまた、史上初の大不祥事だった。


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