悪夢の終わりと破滅の始まり26
日が落ちて涼しい風が海側から流れてきた。
ここから海までは、けっこう距離があるはずなのだが、微かに潮騒がする気がして何となく耳をかたむけてみる。
群青色の空がゆっくり暗い色に変わり代わりに瞬く無数の耀き。夜になりきっていない夜の始まりの時間。遠くから聴こえる繰り返される波の音にはヒーリング効果が有るに違いない。
気が休まる一時。
「淳君? いい加減にしなさい。」
「勇者様? 私を選んでくださいませ。」
「ジュンはアタイのだニャー。」
赤谷を真ん中に三人が三角形を描くように立ち互いに牽制しあって、それでいて真ん中に近づこうと爪立て合う。すでに蒼井さん達は顔も腕も傷だらけで血が滲むどころか滴っていて俺としては見てられないのだが、傍らに立つ聖女の司やマリーさんは慣れているのか平然としていた。
「あっ! 今の一撃は良かったわ!」
「だけど、それをダッキングでかわしたわ! そのまま地をは這うような位置からのボディーアッパー!」
「それをスウェイバック! かわして体勢が崩れた所に打ち下ろしの一撃っ」
「顔をひねる? その体勢で顔をひねってかわすのっ?」
「あいたボディーに狙いすました回し蹴り……ダメッ! 体勢が悪すぎて体重が乗って無い……。」
「いいえっ。それは布石。この空中二段蹴り、そして流れるように踵が襲う!」
「ガードして三歩は下がったわ……チャンスよ!」
「……! ……しまった! もう一人いたわね! 気配を消しての首狩りの蹴りがっ!」
「! ま、まさかっ! この蹴りを読んでいたの? カウンターで蹴り反すなんてっ!」
もはや誰を応援しているのか分からない。技の応酬を興奮して解説しているのは妹の七歌と苺さんである。七歌は足技メインの格闘技を修め”蛸八足“のあだ名がついた格闘マニア、苺さんは護身と美容の為にキックボクシングのジムに通っている。意外な所で共通の話題ができた二人は今までの不仲が嘘のように話し合っている。その事は良いことなんだが……。
出来れば、もっと平和な方法で意気投合して欲しかった。
「あらあら。あんなに血だらけで……。うふふふ。」
三人の血みどろの争いを困ったように頬に手を当てて頭を傾げたマリーさんはやっぱり長閑だった。
赤谷が血の結界に囚われて、どれぐらい時間がたったのか、三人が血まみれなのに、赤谷は血汚れひとつ無いのは流石と言っていいのか。もう赤谷は半泣きな状態で「止めてくれ! 止めるんだ!」と叫んでいるが血と痛みに興奮した三人には届いていないようで相手を食らおうとする顔は変わらなかった。
ここまでくると、司もマリーさんも苦い顔になっている。七歌達も引いていて
「うわあ……。」
とか感想にもならない感想を一声で表していた。
「ちょっとぉ? こんな所で血祭パリピって流石に引くんですけどぉ。」
唐突に声がした。少し掠れた感じのハスキーな声がして
「ショックウェイブッ。」
バンッ!
空気が弾けた。
赤谷を中心にした血祭りの宴が、今、解かれ。それぞれ弾かれた場所で尻餅をついた三人娘はキョトンとした顔から正気が戻るにつれ今更痛みを感じたのか
「イタタタタッ!」
「わ、私の顔に傷がっ!」
「ズキズキするニャー。」
悲鳴をあげる。その声に苦笑いしながら司が近づこうとするのをマリーさんが手を伸ばして止めた。
ビクッとして立ち止まる司。
悲鳴をあげてる三人に近づくマリーさん。
司はススッと俺の隣に逃げてくると
「ヤバッ。本気で怒ってる。」
一言。
俺には「あらあら」言いながら困った風にしていただけに見えたのだが、本当は怒っていたらしい。
「あちゃー。ちょっとヤバくない?」
「うん、ヤバい。」
そんなマリーさんを見て司に話しかける声の主は少し離れた場所で七歌と苺さんを庇うように立っていた。離れた、と言っても2メートルぐらいか? 金髪の長い髪をサイドテールというのか、頭の両脇から垂らしている。ただ、金髪だが、頭に近い部所は黒くなっているのを見ると染めているだけみたいだ。その女の子は怠そうに片手に持つ棒を立ててもたれかかっていた。
まあ、こんな所にいるし、司とも普通に話しているんだから司の仲間ということだろう。
「あなた達。」
マリーさんの静かな声なのに悲鳴をあげて呻いていた三人が三人共、
「ハイッ!」
と返事をしてマリーさんの前に即座に正座をした。驚くのは蒼井さんですらビッと背筋を伸ばして緊張した顔になったのだ。
「分かっているわね?」
「ハイッ!」
マリーさんのキツネ目がうっすら開いたと思ったら三人の顔色が、どんどん青くなっていく。そう、夜になりきっていない夜の色といったところか……。
「ツカサの兄貴に会いに来たら血の宴に巻き込まれたんだぜ……なにを言っているか分からないと思うが俺も分からない……。」
憔悴しきった赤谷がフラフラしながら近づいてきた。
「よく来たな、ツカサ。それに……二本柳さんだったよな? ツカサから話は聞いていたよ。俺は赤谷 淳。元大学生だぁうぁぁぁっ。」
近づきながら自己紹介していた赤谷が真横に吹き飛んだ。見ると司が正拳突きの姿勢になって
「こっ! こっ! このっ! バカ谷っ! よりにもよってお兄ちゃんの前でっ!」
目尻から涙が溢れる程の怒り。司の長いとは言え無い金髪が逆立って怒りのオーラが見えるようだった。しかし、俺には何故、司がそれ程怒ったのか分からない。赤谷はただ、挨拶しながら近づいてきただけだし。
まあ、赤谷が司の名前を口にする度に、モヤッとしていたのが一気に晴れはしたが。
「……!」
だご、俺の態度のどこで気づかれたのか、司は俺を信じらんないって顔で見て
「お兄ちゃんのバカッ!」
見る間に目が潤んで号泣し始めた。その司に駆け寄る七歌と苺さん。俺の視線を遮るような……っていうか。遮って司を慰めている。ただ、二人が一瞬だけ俺に向けたその目には毛を逆立てた親猫のような威嚇が。
……いい加減、そのバカ治しなさい。
声無き声が二人の言葉を届けてきた。
「うっわぁっ。バカ谷よりバカなヤツ初めて見たんですけどぉ? ウッケルゥ。ハハ。」
受けるって言っている割りには平淡な声で言った染めた金髪の女の子は
「アンタ、ウジ虫以下じゃーん? 死ねばぁ?」
俺をまっすぐ睨んで吐き捨てる。
「ツカちゃんが泣くなんて、そうないのにアンタ、泣かしてばっかじゃん? もういーよ? あっち行けばぁ?」
蒼井さんも同じ事を言っていた。
会って即に蒼井さんと同じ事を直接言われ、俺は苦く笑うしかなく……罵られているのに、少しほころんだ顔をしていたらしい。
「なぁに? ちょっとぉ? キモいんですけどぉ?」
おもっきり引いて、それこそウジ虫でも見るかのように俺を見た。
「あ、いや、違うっ!」
慌てて言葉を返し、チラリと司の様子を伺う。司は泣きながら七歌と苺さんに慰められている。そんな心暖まる光景の向こうでは半眼笑顔のマリーさんが静かに何かを言っている。凄いのは、マリーさんが何かを言う度に正座をした三人が声を揃えて「ハイッ」と返事をしている事だ。司の言っていた「怒ると怖い」が蒼井さんにまで影響するなんて、こちらもビックリだ。
「司が大事にされていたのが分かって嬉しかったんだ。」
「はぁ?」
「司は……その……家族みたいな存在だったから。いなくなって。捜して。見つからなくて。もしかして、二度と会えないんじゃないかって思ってたんだ。」
息継ぎに一度止めてから
「司が帰ってきてからも、司が虐められている事に気づくまで時間がかかる俺だから。素直に司の味方をしてくれてる人が司の傍にいてくれてるっていうのが嬉しかったんだ。」
仁王立ちしている女の子は相変わらず冷たい目で俺をジッと見ている。ただ、何となくその目が話しを続けろって言っている気がして、自分の言いたい事をまとめる。
「蒼井さんが司の味方をしないって訳じゃなくて、司と同じ目線で、同じ立場で司の味方になる人がいないんじゃないか。そう思っていたから。」
女の子の冷たい目にほんの少しだけ迷いが見えてきた。
「俺は、もう司を泣かせないって誓ったんだ。や、そうそうに破ったけど。泣かせないって誓いは嘘じゃない。だけど、まだ司がなんで泣いているか分からないんだ。」
目の前にいる女の子は苛立って片手に持つ棒を地面に何回も突き刺す。突き刺す度に首回りが身のよだつ何かに抉られる痛みが走るのだが、もしかしてこれが殺気っていうモノなんだろうか。
「だから……。その……。司が泣いて怒る何をしたのか教えてください。」
「あんたバカァッ?」
俺の言葉に被せ
「あんたバカでしょ? バカよねっ! バカ以外無いわっ! バカそのものよっ! あんた以上のバカ見た事無いわ。ハハ、ウケル。良かったわね、あんた今からバカキングよ。王さまよ。うれしいでしょ。笑えよ喜べよ。あーあっツカちゃんが言うからどんなヤツかと思えばバカ谷よりバカなんてツカちゃんカワイソーッ! ちょっと近づかないで。ツカちゃんにも近づくなよ? バカうつるからあっち行け。」
マシンガントークって言っていいのか。カミソリのように鋭い刃が俺を襲った。その俺の肩に優しく置かれた手がシッシッと犬を払うようにされて、地味にダメージを受けた心を救ってくれる。
誰かと振り向いたら、凄く良い笑顔で脇腹を押さえた赤谷が立っていた。
「俺も黄野ちゃんによく言われてる。」
仲間だよな。
そんな顔がむかつく。
「それにしても。……ツカサ。よく連れて来れたな。」
赤谷が不意に呟く言葉に何故か苛つきを覚えた。赤谷の言葉に司は気安く無い……そんな風に思ってしまい、さっきの騒動で消えた筈のモヤッが再びやってきたのを感じた。
「絶対、来ないって思ってたよ。」
赤谷が何故か確信していたように呟やき、俺のモヤッはモヤモヤッと膨らんでいく。
自分でも制御できない、その気持ちが頭の中に膨らみきった時。
「何時までも何をしているんです! 早く帰って来なさい。」
太い男の声が、そんな時に届いた。




