悪夢の終わりと破滅の始まり25
ハーレムという言葉がある。
後宮という意味だったのだが、日本では一人の男性に複数の女性が取り巻く状態を指している。そして俺の前は恐らく大部分の男が夢見る、それがあった。
それが、あったのだが。
「金髪の女の子がキャロラインさん。本当はもっと長い名前らしいんだけど、今は名乗れないって言ってた。元貴族で今は没落しているんだ。年老いた母親と病弱な弟がいて、御家再興の為に”勇者“の赤谷と……って言うか僕達と”魔王“討伐の旅をしているうちに赤谷を好きになったって。」
気の強そうな印象は間違えていなかったようだ。金髪のキャロラインさんは蒼井さんに早口で文句をつけているようだ。蒼井さんも”売られた喧嘩は高く買います“みたいなスタイルで返していて、隣にいる赤谷は、おろおろと止めたいが止めれない様子で大変そうだった。
「黒髪のあの子はノーラ。家名は無くて親もいない孤児だったって言ってた。ノーラは旅の途中で邪魔してきた貴族が雇った暗殺者だったんだけど、三回命を狙われて三回ともかわした赤谷に惚れて、雇った貴族がいなくなっても赤谷にくっついて”魔王“討伐にまでくっついてきたんだよ。」
うろうろしている赤谷を抱き締めるように止めた赤谷の半分くらいの背のノーラさんは顔を埋めるようにしている。猫っぽい子だからマーキングしているだけかも知れないが。
「銀髪のあの女の人はマリーさん。旅の途中に寄った村の村長の娘さんだったんだけど、不作で人買いに売られたんだ。けど、たまたま赤谷が掏られた財布を探して人身売買の現場を見ちゃって。しかも、その人買いが赤谷の財布を持っていたもんだから”悪即斬“とかやっちゃたんだ。それで”恩返し“するって名目で”魔王“討伐に付き合った……怒ると怖い人、だよ。」
包容力に溢れたマリーさんは”魔王“討伐隊の財布を握っていた内助の人だったらしい。今はキツネみたいに目を細めて蒼井さんとキャロラインさんのやり取りを見てクスクス笑っていた。
「お兄ちゃんは見かけに騙されちゃダメ。」
司が小さな声で、しかしハッキリと聞こえるように言う。淑やかな花には毒があるってヤツらしい。そして、”は“って言うからには赤谷は騙されているんだろう。
「あー、悪いが赤谷、さん?」
このまま見ていても、面白くないし何より怖い事になりそうで勇を決して話しかける。勿論、虎の尾を踏みたく無いので、オロオロしている赤谷に、だが。
「赤谷君!」
「勇者様?」
だが、それが新たな火種になるとは。
俺の言葉に、グワッと目を剥いた赤谷は”話しかけんな“って雰囲気を醸したが、もう遅い。黒髪に金銀斑の蒼井さんは目を吊り上げ牙を見せつけるかのような怒り顔で。対する金髪の女の子は新人アイドルがドラマに出たかのようなぎこちない動きで「私、信じてます」と、俺にも分かる作り顔で赤谷を見ている。ただ、手に隠し持つ小さな水筒がチラリ見えているのはダメだろう。それでいて、仲が悪そうな蒼井さんと女の子は、赤谷の胸に顔を埋め恍惚の喉鳴らしをしている黒髪の女の子を、無言の連携で引っ張り剥がした。暗殺者をしていた筈の、人間より肉体的に優れた獣人族の女の子は毛を逆立てシャーーッと怒りの威嚇を二人に向ける。
「あらあら……うふふふ……。」
そんな一触即発な状況でも、三人で一番年上のおっとりした村長の娘さんはクスクスして眺めていて、司が言った「怖い人」とはこの事かと納得した。
蒼井さんとキャロラインさんとノーラさん? の争いは、オロオロフラフラしている赤谷がハッキリとしない態度だからエスカレートしていく。
この争い。
結局は赤谷の優柔不断な態度が原因なのだ。蒼井さんが赤谷と共に戻って来た時、二人は並んで歩いていた。その後に三人の女の子が着いてきていたのだが、その内の一人、キャロラインさんが赤谷の隣を歩く蒼井さんに言った。
「……!」
なんと言ったのかは聞こえなかった。確かに、金髪のキャロラインさんは優美な眉の間にシワを寄せたしかめっ面で蒼井さんを睨みながら着いてきていたが、そんな変な事を言うようには見えなかったのに。
真冬のスキー場にタンクトップと短パンでいるかのような凍えとナイターが終わって電灯の消えたゲレンデに一人でいる恐れが俺を襲い、その悪気を一人で受けとめている七歌と同じくらいの年に見えるキャロラインさんは、、殺気すら生ぬるく感じる威圧を受けているはずなのに平然と
「勇者様に相応しいのは私だけですわ。」
言い切り蒼井さんを睨み返す。
さしずめ女鬼と女桃太郎といった構図が繰り広げられる、そこから
「危ないニャー。」
とオロオロしていた赤谷を獣人娘……ノーラさん? ちゃん? 小学校高学年から中学生くらいかな……が漁夫之利とばかりに捕まえ甘えて始め、蒼井さんより明らかに年下でキャロラインさんよりは少し年上だと思うマリーさんが大人のように成熟した目つきで騒がしい仲間を見て微笑んでいる。
「あらあら。仕方ないわね?」
のみならず、片頬を抑え軽く傾げて、のんびりと言った。この人の周りだけ流れる時間も空気も違う……。
「ねえ、アニキ。どうするのよ、これ。」
あまりの惨状に開いた口が閉まらない俺の服がグイッと背中方向に引っ張られて衿口に喉を絞められた。そして聞こえてくるのは七歌の声。ちぎれんばかりにつねられていた脇腹の司と苺さんの手を払って驚く二人を放置して”なんとかしなさいよ“と俺をジロリ。妙に素直に見える七歌に助けられた俺は小さく安堵の息を吐いてガチガチになった背中の筋肉を弛めた。
正直、マリーさんを肩から上しか見ないで話すのが辛くなってきていたから助かったとは思いつつ、意識して視線を赤谷に向ける。
「淳君。……淳君が決めて。淳君の隣に立つのは誰がいいの?」
「私ですよね。勇者様!」
「あたいなら隣で守ってあげれるニャー。」
「淳君はあなたに守られる程、弱くないわ!」
「そうです! 負け猫は黙ってなさい。」
「まっ! まっ! 負け猫ぉっ! あたいのどこが負け猫なんや!」
「あ~ら。あんなに負けておいて負けてないって言いますのぉ? 命を狙う度に投げ飛ばされて泣いて悔しがっていたのは誰でしたかしら?」
「うっ。そ、それは……。」
「地面に仰向けになって手と足をバタバタさせて”なんで勝てないんやー“でしたわね? まだ覚えていますわ。クスクス。」
「こ、この性悪っ!」
「だいたい、暗殺者を気取っている癖に正面から正々堂々、今から行きますって体躯に合わない大剣を振り回すのは、どうかと思いますわ~。」
「ロ、ロマンを解さない女やねっ!」
「その、よくわからないロマンとやらを大事にしなさいな? プークスクス。」
「ぶっ! ぶっ殺!」
「ねー? 物騒よね? 淳君の隣は私で決まりでしょう?」
「待つニャー!」
「貴女だけには言われたくない言葉ですわね!」
「……チッ。」
もう一度、言おう。
俺の前には、男が夢見るハーレムがある。男一人に複数の女性が言い寄る、男にとって選り取り見取の素晴らしい環境だ。しかし、そんな中、”王様“の筈の赤谷は。
空気、だった。
先程から「君たちの間に優劣をつけるなんて」とか「こんな時間かぁ! 続きは後で」とか「そろそろ家に入ろう」とか「危ないから帰ろう」とか言っているが誰も聞いちゃいない。いや、目はピクッと動いてお互いを牽制しあっているから聞こえていた。
ただ、ただ、なんだろう。”王様“より大事なのは序列って事なのか?
これがハーレムだ。これがハーレムなら俺はハーレムなんかいらない。
「お兄ちゃん……。」
「直樹……。」
俺が、そう思っていたら両脇からため息混じりの声。
「アニキ。アニキが考えている事当ててあげようか?」
背中側に服が引かれて呆れたような七歌の声。
三人をぐるっと見ると三人共、残念なモノを見る目をしていた。
何故だ。
「うふふ……どうして殿方は鈍感なんでしょう。」
クスクス笑っていたマリーさんは何時の間にか俺達を見て微笑んでいた。ふっくらした頬が柔らかそうに盛り上がり、突っついてみたくなるが司もいるこの場では諦めた方が良さそうだ……。
「アンタねぇ? 鼻の下延ばすのもいい加減にしなさいよっ。」
剣呑な声になって七歌が本気で締め上げてきて、
「ギブッ! ギブゥッ!」
慌てて腕をタップ。
「ホンット。しっかりしてよね。」
フンッ。鼻を鳴らして力を緩めた七歌は暗くなってきた空を見て
「あ~あ~っ。アニキのせいだよ、これ。」
えっ? 俺なのか? どちらかと言えば俺も被害者側じゃないのか……?




