悪夢の終わりと破滅の始まり15
今日は、いい天気だった。
空から零れ落ちてくる日射しは強くて、肌が焼けていくのを感じてしまうくらいだ。ただ、それほど暑く感じないのは柔らかな風が熱を持っていってくれるからだろう。
司は神殿で用事があると言って残ったので、今ここにいるのは俺の他には苺さんと案内役の蒼井さんだけだ。
辺りはさまざまな露店があり、俺が思っていたより賑やかで、呼び込みの声を聞いているだけでも楽しい。何となく浮わついた気持ちになった所を蒼井さんが嗜めてくるけど、分かっていても、これは仕方がない。
ファンタジーな世界の市場だからな。
見たことの有る物が有れば無いものも有る。紫色の野菜や蛍光色の発光した果物、赤白ピンクのけっこう大きい茸や刺さったら抜けなそうな鈎の付いた何か。露店で売っているから害の無いものなんだろうが人形になっているから気味が悪い。気味が悪いが興味をそそる。興味をそそるが触りたくない。
「それはマンドラゴラっていう野草を水に浮かべて栽培した物よ。水に浮かべる事で本来はないヒゲが生えるの。そのヒゲの部分を、切って煮込んで使うわ。煮込むとヒゲが柔らかくなって薬味になるの。ヒゲには約束を守らせる薬効があるとされているわね。」
見ていると蒼井さんが解説してくれた。
マンドラゴラっていうと、よく何とかの薬を作るのに必要な薬草として出てくるアレだろうか。自立して走って逃げたり知性を持って魔法を使ってくる大根みたいな魔物。
「ヒゲに、そんな薬効があるんですか?」
苺さんが毛むくじゃらな大根モドキを見ながら蒼井さんに訊いていた。苺さんの専任は野菜の改良だからかな、かなり興味があるようだ。
「無いわね。ただの験担ぎよ。」
そう答えた蒼井さんは軽く肩をすくめ
「例えば此処に新婚の夫婦がいるとするわね? 可愛い奥さまがヒゲを使って煮込み料理を朝に作ったら、何故か旦那さまが早く仕事から帰って来て、夕飯はマンドラゴラの本体を使った料理がならぶわね。翌朝は少し疲れているけどスッキリした顔の旦那さまが仕事に行って幸せそうな奥さまがウキウキして家事に励むわ。」
ちょうど、俺達の目の前で恥ずかしながら件の物を買った女性がいた。そのタイミングの良さにクスリッと微笑んだ蒼井さんは
「その程度の薬効よ? 約束を守らせるっていう訳じゃないけどね。そもそも、マンドラゴラが滋養強壮の霊薬になるしね。」
「あ~……。」
蒼井さんの言葉に俺と苺さんは思わず同じ声を出した。
「マンドラゴラは土で育つ野草だから水栽培だと薬効が落ちるんだけど、まあ、そんな事なのよ。」
意気揚々と去っていく女性を何とはなしに見ていたら苺さんから肘鉄が飛んできた。
「直樹。変な目をしない。イヤらしいんだから。」
「そうね。鼻の下が伸びきっていますことですわよ?」
苺さんが言う変な目って何だろう。蒼井さんは珍しくからかうような口調だし。
俺はうらやましいなって思っていただけなんだけど……。
苺さんも蒼井さんもジトッとした目をしている。俺の経験上、こんな時は何を言っても信じてはもらえない。
「じゃあ、市場調査を始めようか?」
別に話を逸らそうとした事じゃないが、二人とも
「あっ、話そらした。」
異口同音に言った。どうしても俺がエロい目をして見ていた事にしたいらしい。ため息をついた俺は
「うらやましいって思っただけだよ。」
今までの経験上、隠すとろくな事にならないから素直に答えると一拍置いて二人とも、俺がした以上の深いため息を返してきて、
「直樹(君)。それが変な目って言うのよ。」
また、同時に言う。
俺、二本柳直樹。だぁいさん。成人式を済ませたけど、未だに常識を弁えて無いみたいです。
「聖女様はお綺麗な方。」
「私達を見守ってくださる。」
「聖女様の説法はわかりやすい。」
「神殿長や大神官は威張ってばかりだが聖女様は下々の私達の言葉を聞いてくれる。」
「聖女様が俺の嫁になれば……うひひひ。」
「聖女様がご領主なら良かったのに。」
「聖女様に救われたこの命、聖女様に捧げたい。」
「聖女様のお仲間がご領主になった土地があるらしい。行ってみたいものだ。」
「聖女様と一緒ならどんな苦難でも耐えられる。」
市場で変わった物を売っている露店を冷やかしながら“聖女”司の評判を聞いてみたが、知らないと答える人はいなかった。しかも、否定的な言葉は皆無で、司の頑張りが感じられる。
「結局。神殿が嫌だ、貴族が嫌だって言いながら逃げたり隠れたりしないのは司の良いところなんだろうな。」
無理矢理、押し付けられた仕事でもいい方向に持って行くようにしていた司の苦労を思いながら、策が上手くいきそうな手応えに笑みが漏れた。
司を“聖女”を開放したいのは同じ。力を借りる事になったがこれなら……。
「直樹ったらスケベ笑い。恥ずかしい。」
「上手くいきそうでうれしいのでしょうけど、こんな時こそ締まった顔をしてほしいわね。」
「直樹はクレバーでクールなつもりなんです、蒼井さん。」
「あんなに気持ち悪い笑顔なのに? ……あら、ごめんなさい三郷野さん。」
「いいえぇ~。正直、あの顔は私でもきっついですから。」
「あら、あら。直樹君ったらカワイソウネ。」
苺さんと蒼井さんの爆弾発言に泣きそうになる俺だった。
「ま、冗談はともかく。これで計画の第一段階はクリアーね。」
良かった。冗談だったみたいだ。
「直樹。いつまでもヘラヘラしてないで。ほら、行くわよ。」
グイッと引かれる腕。
「後は向こうに丁度いい場所が有れば。冗談みたいな直樹君の考えが司君を救うのね。」
冗談は“直樹”にかかるんですか“考え”にかかるんですか?
「直樹! いい加減にしなさい。ほら、歩いてっ。」
……さっきまで仲の良かった二人がいきなり違う事をし始めたと思ったけど、蒼井さんが言う。俺は言い返そうとする。苺さんが止めて。蒼井さんが更に言う。俺が言い返そうとすると苺さんが止めにはいる。この二人、いぢり方を変えやがった。
直樹には言いたい事が山のようにあるのよ?
直樹君には司君を虐めた責任を取ってもらわないと。
二人を睨むと視線が言い返してきた。無言で睨合う俺達は他人からは違うように見えていたらしい。
「両手に華ぶら下げて道のど真ん中で見つめあうんじゃねえ。」
舌打ちして去っていく鎧姿のたぶん男。顔まで覆うタイプの甲をつけていたからはっきりしないが。
「直樹。鎧! 鎧歩いてる。」
苺さんが興奮して言ってきた。もちろん、俺も大興奮している。
この世界は一般人みたいな町人や村人が着ている服が俺達の世界とたいして変わらない素材で出来ている。人の顔立ちは違うから現代日本ではないのは分かっていても異世界にいる感じがしなかったのだ。言ってしまえば“良くできたコスプレ会場”。それは今すれ違った鎧姿も同じだったが、生活感があると言うか着古した感があると言えばいいのか。傷だらけの金属製の鎧が目の前を通って行くのは、ここが異世界だと突きつけているようで。改めて周りを窺うと金属製の鎧だけじゃなくて何かの革製とか武闘家風の袖無しで長い垂れヒレがある服? を着ている銀髪の女の子とか、普通に道を歩き店やで買い物をしている。
市場調査をしていた時は司の評判やどんな植物があるのか、と気にしてなかったが、そこにあると気づいてしまうと。
「直樹、異世界だわ。」
「ああ、異世界だ。」
苺さんと頷き合いハイタッチ。そのまま、地団駄を踏むように足を踏み鳴らし
「ヘイッ!」
と掛け声をあげてまた、ハイタッチ。
「……三郷野さん……。あなた、やっぱりそっちの人なのね……。」
蒼井さんが離れた所から小声で言った。
その言葉に俺達は我に返る。
往来の真ん中で喜びのあまり踊りだした異国の男女。
怪しいだろう。不思議だろう。信じられるか? まだクルクル回りださないだけマシなんだぜ。
そう言えば蒼井さんの友達には良く叱られていたっけ。
「あんた達っ! いい加減、その癖直しなさい。」
大学の構内で意図せず会えた時に踊りあっていたら、いつの間にか習慣になっていた“嬉しいから踊るよダンス”。付き合い初めの癖が、今頃になって出るなんて。
赤い顔をした苺さんが蒼井さんに走って行く。たぶん、俺も同じ顔だろう。顔が火照って熱い。
蒼井さんは、こっち来んなって顔をしていたが俺達が近づくのを待っててくれた。
「……これが日本の大学生、か。……そう……これが……。」
待っててくれた訳じゃないようで、蒼井さんは俺達を見ながら自分に言い聞かすように呟いていた。
いや、俺達を見て日本の大学生を語るのはやめてください。
俺と苺さんは蒼井さんの独り言に身を小さくするしかなかった。




