悪夢の終わりと破滅の始まり12
「司君、見ているわよ。」
笑顔で睨み合う二人を冷静にしたのは蒼井さんの一言だった。その言葉に司は苺さんと睨み合っていたのが幻かと思う速さで雰囲気を変えた。
慈愛の笑みを湛えた鉄仮面のような顔、鉱石を思い浮かべる硬質な態度。澄んだ青い瞳が好奇心いっぱいに悪戯っぽく動く司の目がくすみ瞳が開いて声まで変わる。
「失礼しました。」
スピーカー越しに聞こえる機械みたいに感情がこもらない音。司が生まれてからいままで聞いたこともない見たこともない初めて見る司だった。
「お客様に、紹介しますね。彼女達は、この宮を仕切る助祭達です。」
その司は、スッと3人の女の子を指し示すと
「アン」
「エレナ ポートプルです。」
「ベッツィ」
「オルフィーナ ストーグレです!」
「クリス」
「クラリス コーポレットですぅ。一文字足りないのですぅ。」
司が3人を適当な名前で紹介してきた。だから俺は司の冗談なのだと思ってしまう。
「僕を騙して神殿に連れてきたのは大神官だけど、神殿から出ることが出来なくなったのはポートプル伯爵のせいなんだ。3人はポートプル伯爵の娘とポートプル伯爵と仲が良い男爵の娘達なんだよ。」
しかし、そんな事はなかった。司は俺に対しては何時もの司に戻って、そして3人の女の子には冷たい氷像のような顔を向ける。
「分かりやすく言えば“敵”だよ。僕を監視する為にポートプル伯爵が送り込んだんだ。」
女の子達は司の紹介の後は俯くように頭を下げている。だから顔は見えないのだが、傷ついて泣いているように見えるのは何故だろう?
「こちらの方々に部屋を用意してください。私の仲間を助けるために来てくださった方々です。不作法の無いようにしてください。」
これが司の“聖女モード”だと、ようやく気づいた。しかし、そこに遊び心は無い。あるのは警戒心を越えた敵愾心。かつて、司は俺を追い詰めたクラスの連中に本気で怒っていたが“敵”だと言った事は無い。クラスで孤立したのは、今、思えば俺が悪かったからだと分かるし、司もそれを承知で「やりすぎだ」と怒っていた訳だが、あの時ですら怒り顔を見せて終わっていた。
司が自分の事で敵認定する相手がいるなんて。
聖女モードの司は美術館にある石像より人間味が薄い。司が神殿に入ってから1年もたっていない事を考えると、どれほど酷い事をしたのか……。
これは司か蒼井さんに聞いておくべきだな。
何となく聞いておかないと後悔しそうな気がする。けど、聞いたからといって素直に答えてくれるか、なんだよな。司の想いも蒼井さんの期待も裏切り続けた俺に。
「司君。直樹君と三郷野さんが落ち着いたら、二人を領地に連れていくわ。司君は、どうしたいのかしら。」
考えにふけっていたら蒼井さんが司に、これからの予定を確認した。
「……。……僕は、神殿でやることがあるから……。」
司には珍しく口ごもりあらぬ方を見かけて……ハッと気づいて蒼井さんを真っ直ぐに見直す。しかし、司の目は泳いでいるなんてものじゃない。完全に溺れているレベル。司の、こんなあらかさまな嘘は初めて見た。
「そう、分かったわ。」
司の言葉に無表情に返した蒼井さんは話は終わったとばかりに部屋から出ていく。司は蒼井さんを見送ると俺に向かって
「お兄ちゃん。その人たちの前で変な事、言わないでね。ここにいる限りは、その人たちも変な事はしてこないけど、何か言ったらポートプル伯爵に筒抜けになるから。」
司は笑顔を俺に向けてはいたが“その人たち”がいる前で厳しい事を言った。
「その人たちを駆除しても次のがいるんだよ? 黒いアイツみたいに。」
これも初めてだ。司が怖いと感じるなんて。目の前にいる女の子達を虫に例えて笑う司に怖気が走る。
「その方々を害するのは七英雄の一人である私が許しません。心してお仕えしなさい。」
しとしきり笑った司は急に“聖女モード”になり冷たい声で命令をくだした。
「じゃ、お兄ちゃん。僕、日課の礼拝があるから。ちょっと行ってくるね。」
かと思えば俺には何時もの司に戻る。その変わり身の早さに、その落差に顔がひきつった。
「……。」
無言になった俺を不思議そうに見た司は
「行ってきます。」
と軽く言って部屋から出ていく。それには辛うじて
「おぅ、行ってらっしゃい。」
と返せたのだが。司がいなくなってから苺さんが大きく息を吐いて、寄りかかってきた。
「司さんが怖かったわ……。」
「……俺もだ。あんな司は初めて見た。」
二人で、もう一度、大きく息を吐いて気持ちを入れかえる。俺達の前には、まだ頭を下げたままの三人がいた。
蒼井さんが何を言いかけたのかも気になるし司が“敵認定”している三人も気になる。ポートプル伯爵とやらのせいで神殿から出れないとか言っていたし本来の目的である“領地”の様子だって急いで対処しなければいけない。
「司の事を蒼井さんに訊かなきゃな。」
俺の元に戻って来ている時の司とこの世界にいる司は違いすぎる。訊いて答えてくれるとは思えないが土下座してでも訊いとかなくては。俺がそんな決意をしている隣で
「……そうね。」
苺さんが頷いてくれた。
俺はこの時、スルーしてしまったのだが、応えた苺さんの声は寂しげな哀しく響く声だった。
「なんで司君の事を司君がいない時に直樹君に言わなきゃならないの?」
蒼井さんは、やはり何も教えてはくれなかった。しかし
「神殿にいる司君の事が知りたいなら、私よりも知っている子達がいるわよね?」
と、司が信用も信頼もしていない三人に訊けと勧めてくれる。その勧めに従い、俺達が泊まる部屋を案内してくれた女の子のエレナさん? ちゃん? を部屋に引きずり込んだ。勿論、部屋には苺さんもいて、初めて見る俺と二人っきりにならないようにしている。
部屋に引きずり込んだエレナという子はウェーブのかかった茶色と金色の間のような色の髪を短く刈った女の子で背は苺さんより少し低い位でやや高め。顔立ちが綺麗な美人な子だった。しかし、部屋に苺さんがいることに気づいていないのか、引きずり込んだ時の姿勢のまま固まっていたかと思うと震えだし嗚咽をあげて泣き出した。
「バカ直樹! なにしてんのよ!」
いきなり泣き出した女の子に驚いた俺に苺さんの容赦ない一撃が入る。苺さんがダイエットの為に始めたはずのボクササイズは今や本職のボクサーが顔色を変える程に昇華されていて、避ける事も出来ないまま、ドスッと重い音が脇腹に突き刺さった。
「直樹? 何も言わないで女の子を部屋に連れ込むなんて……ちょっとアレじゃない?」
返して反対側も、ドスッ。斜め下から上に体に穴が開いたんじゃないかと思うぐらい重くて鋭いボディブローに崩れ落ち……
「直樹はね? 直樹はっ。いい加減っ。女の子のっ。扱い方をっ。学びなさいっ!。」
……れなかった。左右からボディ、ボディ、レバー、鳩尾と流れるような動きで打たれ思わず腹を庇い前のめりになった時。地面を這う低い体勢から天に伸ばされた一撃が俺の顎を打ち上げ、仰向けに打っ倒された。
お兄ちゃんは乙女心が分からな過ぎ。
息が詰まって呼吸の出来ない苦痛の中、かつて司が言った言葉が思い出される。あの時は司が小学生で俺は高校生になったばかりだった。あれから数年。俺はまだ成長してないらしい。
謝るなら土下座。
誠心誠意を伝えるならこれが一番分かりやすい。
額を地面に着ける勢いでペコペコする俺をエレナさんはオロオロしながら止めようとしては苺さんに止められている。
いや、違うんです。部屋に入れたのは司が帰ってきたら不味いかな? って思ったからなんです。声をかけなかったのは誰かに気づかれたら不味いかな? って思ったからなんです。部屋には苺さんもいたから変な事はしないって分かるだろうって思ったんです。睨んだんじゃあなくて言うことを整理して考えていただけなんです。反省してます。もうしません。信じてください。お願いします。
ペコペコしてから10分以上。怒り心頭な苺さんがようやく冷静になりエレナさんとやっと話を始めたのだが。今度はエレナさんがペコペコし始めた。そして言い難そうに顔を歪め、ポロリと涙をこぼす。
「私は……私たち三人は“聖女様”に酷い仕打ちをしてしまったのです。」




