悪夢の終わりと破滅の始まり7
司の保護者みたいな事をしていた蒼井さんが、いろいろと我慢の限界に達していたのは気づいていた。
……。
つもりだった。
本当の所は、気づいていなかった、だろう。まだ、猶予がある、なんて都合よく考えて心機一転これから変わるぞ、って考えていたし。
蒼井さんは二階にある俺の部屋に入るなり
「もう、いい加減にしてくれないかしら。」
俺に向き直って怒りに満ちた声で言う。
「直樹君は気づいて無いでしょうね。司君は、ずっと辛かったのよ?」
気づいていた。
言い返すよりも早く
「直樹君には、司君が笑っているように見えるかしら?」
俺の口から言葉は出ていかなかった。
ぐっと詰まる俺を見て
「少しは自覚したのね? だけど、それを教えてくれたのは誰かしら。親御さんかしら? それとも妹さん? まさか彼女さんじゃ無いでしょうね?」
軽く息継ぎ。
「どちらにせよ、いい加減にしなさい。半端に希望がありそうな振る舞いをして、また司君を泣かせて。」
えっ? と疑問符が声とともに出た。俺は“苺さんが彼女”とハッキリと言ったんだが。
「えっ? って何よ? ……ああ、直樹君の事だから“三郷野さんが彼女“宣言すれば司君が諦める、なんて思っていたのね?」
その通りだ。
司には悪いが司がいない間、司の代わりに俺を支えてくれた苺さんを裏切る事は出来ない。だから……。
「それで諦めるほど浅い想いではないわ。」
しかし、蒼井さんはバッサリ切り捨てる。
「仮に直樹君だったら諦めるのかしら? 知らない世界に飛ばされて何故か女の子にさせられた上に何年も会えなくて、ようやく会えたら彼女がいて。あっさり諦められるのかしら。」
諦めきれないだろう。
せめてバッサリ振ってくれるか、どうしようも出来ない事……例えば結婚とか迄行っていれば諦める、というか我慢する……か?
「司君を諦めさせるには、直接的に“別れる言葉”を必用とするの。ぼかした“別れる言葉”では駄目なのよ。」
蒼井さんは怒りの余りか表情を消して仮面のように固まった顔で
「それに、こちらの世界で戸籍を持てるわけの無い司君はあちらの世界で生きるしかないわ。けど、あちらの世界では司君は主神の女神サマから直接、神託を受ける“聖女”なの。そして“聖女”は人の世界と神の世界を結ぶ絆となる宝人として信仰を一身に受ける公人。」
俺の司は、いつのまにかよく解らない“エライヒト”になっていたようです。蒼井さんの言葉は、更に続く。
「そんな“聖女”である司君に求められているのは女神サマの代理人としての権力の線引き。箔付け。子供を残す事。」
蒼井さんは俺が思いもしなかった“司の使い方”を説明していく。
「魔王を討伐した今、奴らあいつら彼らの考える事は司君を、どう使えば子々孫々までの繁栄を確立できるか、それだけなのよ。」
ここまで言われて、ようやく司の立ち位置が分かってくる。もしかしたら妹の七歌は気づいていたかも知れない。俺が司を邪険にするたび非難するような目を向けてきていたから。普段から察しのいい七歌は司の事になると子供な探偵より勘が効く。
「司君は下らない権力者に振り回され騙され苦しんでいるわ。だから直樹君に期待していたのよ。あなたなら支えになってくれる……そう思っていた訳ね。」
感情のこもっていない声が、蒼井さんの怒りの深さを語っている。その言葉にになっていないのが恐い。しかしそれ以上に司が辛い時になにもしなかった俺自身に失望した。
「司君の言葉を鵜呑みにした事が間違いだったわ。」
俺がしたのは。
「司君を支えて欲しかった直樹君は、あまりに“子供”で。」
蒼井さんの言葉が俺をえぐる。
「苦しんでいる司君が直樹君を支えなくてはいけなくて。」
俺は誓ったのに。
次は俺が助ける番だと。
「……もう、良いわよね? あなたがした余計な事で司君が辛い思いをどれだけしていると思っているのかしら? 司君は向こうの世界に帰します。あなたはあなたの世界で司君と関わらずに生きていきなさい。」
まだ、猶予がある、となんで思えたのか。
「私があなたに望むのは荒れた領地を豊かにする方法を考える事、それだけだわ。……もう、これ以上、司君に付きまとわないで。」
そして、蒼井さんは最後の言葉を。
「司君を泣かせるあなたはいらないの。」
その言葉で俺の中に有った“なにか”が砕け崩れていく。立つのも辛くなって顔が下がり変哲のない畳だけしか見えなくなり。
もう、座ってしまおうかと思った矢先。
「蒼井さん。それは司さんに決めてもらいましょう? 司さんに黙って決めていい事では無いですよ?」
不意に俺の後ろから横を通り抜け前に庇うように立った人影が、今までの流れをひっくり返す。
「三郷野さんが、そう言うとは思わなかったわ。」
「私は……私は直樹の味方ですから。」
少し間をおき蒼井さんはため息混じりに言い苺さんは間髪入れずに言い返した。
ー守られいる。
聞いただけで分かるぐらい守られて庇われて、しかも理由が司の事。
ー情けない。
ー最低だな、俺は。
ー拗れたのは俺のせいなのに言い返すのすら他人任せなのか。
ー変わろうって思ったのに何も変わっていない。
俺は下を向いていた顔を上げて苺さんと蒼井さんと静かに睨み合っているのを見た。俺のせいで睨み合う二人。……違うだろ? 苺さんにこんな事で頼るな。蒼井さんからこんな事で逃げんな。俺がやるべきなのは。
「ありがとう。……けど、これは俺が言わなくちゃならない事だから。」
苺さんを後ろに下げて蒼井さんの前に立つ。
俺は自分の事を“大人”だと思っていた。本当は痛い勘違い野郎で成長をしていない“子ども”だった。その俺をバカにもしないで呆れもしないで“好き”と言って隣にいてくれている二人の女の子がいる。
「俺、本当に子どもなんだなあ。成人式過ぎたってのに、苺さんに庇われて、年下の司は泣かせて、蒼井さんを怒らせたのに反省もしていなかった。父さんが言っていた事はこんな所だったんだな……。」
大人ってのは、年を重ねれば勝手になれる訳じゃ無い、そんな事を今さら知った俺。見掛けは“大人”だから周りは“大人”として扱う訳で。けど俺を“知っている”二人は“子ども”なのを知っているから庇ってくれるし、危ない事から遠ざけてくれていた。つまりは甘やかされていた訳で。
「蒼井さん。今さらですけど、もう一度だけやり直すチャンスをください。これが最後です。俺は司を泣かせて終わりにしたくないんです。我が儘を言っているのは分かります。けど、司をこのまま放ったらかしに出来ないんです。」
蒼井さんだって最初からこんな感じではなかった。「最初は期待していた」と言っていたし、俺とも普通に接していた。こんな感じにさせたのは“俺”。放ったらかしにしてやり過ごそうとしていた俺が原因だ。
俺は膝を折り蒼井さんに向かって土下座をした。
土下座をしてから土下座を出来る事に気づく。
「お願いします。司を助ける手伝いをさせてください。」
“土下座”はかっこが悪くて自分に非がある事を認める“やらなくていい事”だと思っていた。だから謝る時は頭を下げるだけだった。それで充分だと思っていたし、今までそれで通してきたから、それ以上は必用無いなんて思っていた。
必死になった今、それ以上必用無いとは考えられない。本当に許して欲しいと思った俺は自然と蒼井さんに土下座していたのだ。
「直樹……。」
苺さんのかすれた声が聞こえた。
蒼井さんからギリッと歯ぎしりが聞こえる。
「……今さらっ。」
蒼井さんが呟く。
いや、本当に“今さら”だよな。なんでもっと早く出来なかったんだろうな。
俺は土下座をしたまま「お願いします。」と何度も言い、蒼井さんは歯が砕けるんじゃないかと思えるほど歯ぎしりを繰り返した。
どれぐらいそうしていたのか、やがて蒼井さんは吐き捨てるように
「……勝手にしなさい。ただし、これが最後よ。」
舌打ちをして深い、深い、ため息をついた。
「直樹、良かったね。」
俺が蒼井さんに許してもらう、きっかけを作った苺さんが目を潤ませて俺に言ってくれる。少し離れた場所で笑顔になった苺さんは
「これでようやく、スタートラインにつけたっていう事よね?」
そうだった。司は神殿で軟禁されていていて、助け出す為には神殿に対抗出来る貴族になるしかなく、司の仲間の“勇者”赤谷が貴族になるも王公貴族の難癖に耐えなくては貴族に弱い神殿であっても“聖女”である司を離すわけもなく。
難癖のひとつが領民のいない廃墟の復興を、あと半年ちょっとでしなくてはならなくて、その復興の要になりそうなのが食糧関係で塩を撒かれた土地を甦らせる為には俺が大学で学んだ理論が必要になりそうで。
まずは土地の状態を確認しなくてはならないから向こうの世界に行く必要があったけど俺が司を大事にしていない事に蒼井さんがキレて。やっと蒼井さんに許してもらった、というか保留みたいな状況になった。
……本当だ。
やっとスタート位置についた……だと……。
ここまで来るのが長すぎる。
いや、俺が悪いんだけどな。
まだまだ先が見えないままやるべき事が増えていく。




