悪夢の終わりと破滅の始まり5
俺の隣にはやけに上機嫌な司がにまにまと気味の悪い笑顔をしながら座っている。時折、真面目な視線を苺さんに送り申し訳なさそうな顔になるものの、自分の胸と俺を見て「ウヘヘヘ……。」と怪しい声をあげてはにまにまに戻っていく。
もう、十数分間これの繰り返しだ。
その苺さんは司の視線が自分を向く度にキツイ一瞥を俺に送ってくる。一瞥の内容は「直樹、覚えてなさいよ。」か「直樹、後で話があるわ。」なのか。苺さんはローテーブルを挟んで俺の真向いに座っているのだが繰り返される司の憐れみに近い目差しに座っているソファのひじ掛けを握り潰すかのように強く握りしめている。気のせいだと思うがメリ、メリと木製のひじ掛け部分が歪み悲鳴をあげているような? しかし顔は軽く笑うかのような菩薩の笑みで固定されている。
ー司、後が怖いから止めて欲しい……。
苺さんの隣で俺を見てはため息、司を見てはため息。それを繰り返しているのは妹の七歌だ。七歌は俺が司と苺さんのやりとりを見て和んでいたのを、司の一部分を見て喜んでいると勘違い。おもっきり声に出して非難して。その後はやらかしたって顔でチラチラ見ている。
ー七歌よぉ。俺は、これ以上、蒼井さんに嫌われたく無いんだよ……。
ただ、少しだけ。ほんっとに、少しだけ、プルプルではなくブルンブルン揺れていた部分に目を奪われていたのは事実だが……ほんの一瞬なんですよ? 七歌は、その一瞬を殊更、大きく言っているダケナンダヨ。だって司は女じゃないし……。
蒼井さんは初めて会った時は優しい人に見えていたが、司を何回か泣かせてからは、ゴミにたかる虫を見る様な目を向けてきている。司の保護者みたいな蒼井さんは司を泣かせて我慢させる俺を気に入らないんだろう。まあ、もしここに叔父さんと叔母さんがいたら蒼井さんと同じようにしただろうけど。
七歌のフォローや父さんの叱りで、ようやく俺が“どっち付かず”な対応をしていたのが分かり。口では苺さんが彼女だと言いながら司を大事にしていたし、家族に蒼井さんを“大事な人”と紹介した事は無かった。七歌が苺さんが泣いていた事を教えてくれなければ俺は今も苺さんを“強い女”と思っていただろう。なんとなくだが蒼井さんは、それも怒っている気がする。
ーだが! だからといって、その威圧は止めて欲しいんだが……。
一人がけソファに座っている蒼井さんは片肘をつきながら無言で見ている。
そう、見ているだけだ。それだけだが、それが怖い。
俺が何かを言おうとすると軽く咳払いで黙らせて薄ら笑いを浮かべ。
しかし……動かない瞳が俺を見ている。
「……なおき?」
何度目かのにまにまを始めた司を見た苺さんがクイッとあごで指した。意味としては「何とかしなさいよ」辺りか?
「司。…………。」
苺さんに言われたからではなく、いい加減話を進めたかったから何だが蒼井さんの圧力は更に高まる。飢えた猛獣がいるような張り詰めた空気に鳥肌が立ち、どもってしまった。
「つ、司さん? そろそろ話し合いを始めないか? ……ましょう……。」
「……? いいけど、なんで“さん”付け?」
それはね、向こうの保護者が怖いからです。
僕はほんの少し混乱していた。
ナナカねーちゃんが言った「胸を見ていた」に落ち着かなくて気持ちが昂っていて、笑えば良いのか、けど三郷野さんに悪い気もするし、だけどお兄ちゃんに意識されているのかもって思ったら顔がフニャして。
僕からしたら、この胸は重いだけでろくな目に合わせない“邪魔なモノ”だった。ただ、お兄ちゃんがこの身体を創ったのだからお兄ちゃんの好みなんだろうとは思っていたし、それなら少しぐらい動きつらくても我慢かなって考えていたのはあった。けど、ご飯を乗せたトレイを何気無く持ち上げた時、胸に引っ掛けてご飯だけじゃなく着ていた服まで台無しにしたのは悲しい思い出だ。いつもは優しい皆も何故かこの時は冷たくて、代わりのご飯もなしに洗濯するはめになった。そうやって我慢していたのに、現実は厳しくてお兄ちゃんの彼女は僕と正反対の背が高くてすっきりしたシルエットの男っぽい三郷野さん。女神に見せられた“男のまま成長した僕”にそっくりな女。
更に。さらに、さらに。
そんな人とお兄ちゃんは“ラブラブ”で。
落ち込むよね。僕はお兄ちゃんの好みの女になったつもりだったのに。落ち込んで泣いて、振り向かせたくて無理してみて自分でも何してるか分からなくなって、もう、どうしたらいいのーって感じで、諦めるしか無いのかな……なんて考えていたら。
なぁんだ。お兄ちゃんってば意識してくれてたんだ。
うれし。はずかし。三郷野さんに罪悪感、だけど優越感。
顔が勝手にフニャして気持ちがフワフワで胸がドキドキしてるんだけど頭の中はピャーで、今までと違う意味で、もう、どうしたらいいのーってなってたら、お兄ちゃんに話し合いしよう、て言われた。……で、我にかえって前を見たら。
おっかない顔がみっつ有りました。
ごめん、お兄ちゃん。僕、浮かれてたかも。
過去。
司は“女神”に連れられゲームの世界へ。ところがゲームの世界と思っていた世界は現実にある世界でゲームが、この世界をコピーしていた。
この世界は“魔王”と配下の“魔王軍”により滅ぼされそうになっていた。ゲームは“魔王”を倒す“勇者”を選ぶ為に“女神”が創った。司や他の“勇者達”が選ばれたのは“女神の勘”らしい。
現在。
あっちの世界で五年間、“魔王軍”と戦い続けた司達は単独行動をした“魔王”を倒す事で“魔王軍”の侵攻を止め内乱状態に落とした。“魔王軍”を殲滅した訳じゃないが“魔王討伐”のご褒美として世界を行き来できる“出入り口”を“女神”から貰い戻って来た。ただ、こちらの世界で司達を受け入れる事が出来たのは俺達位で他の人達は認めてもらえずあっちの世界で生きていく事になった。この時に司は騙されて神殿勢力に囚われている。
司を神殿から救う為、調査した結果。“聖女”になった司を神殿から連れ出すには神殿勢力、権力より強い“力”を持つ貴族になるしかないと結論を出し貴族になったものの。“魔王討伐”という大陸を救った“勇者達”に与えられたのは男爵位。つまり下級貴族としての地位で、しかも貴族になれたのが“勇者”の称号を持った赤谷だけだった。おまけに渡された領地が“魔王軍”に滅ぼされて領民のいない廃墟。
今の状況は、ここだ。
見込みでは最悪でも伯爵位だと思っていた司達には更に見込み違いが出てくる。
未来。
現在の着地点からの延長になるが、この国は大陸の中で一番小さな国だ。だが小国であっても“魔王軍”に対抗し内政も安定していた国だと思っていたのだが。安定していたのは貴族だけだった。王は貴族達と神殿を伺い貴族は王を侮り神殿と利を分け圧政をしき神殿は王と貴族の名を騙り好き放題をしている。この国は、そんな国だった。
その国の王様は貴族達の顔色を見ながら司達、正確には謁見出来た赤谷に
「今は春にならんとする季節、秋には収穫し冬月祭迄に貴族としての責務を果たすがよい。」
そう言ったそうだ。つまり、たった半年で廃墟の土地に領民を集め領地を豊かにしろ、と言ったのだ。
赤谷がキレなかったのは、“勇者達”の中に王女と恋仲の仲間がいたから。それさえなければ城ごと王様を跡形も無く破砕していたかも、だったそうだ。
もう面倒になった赤谷は力づくで司を神殿から連れ出す案を出し、もう少し穏便な蒼井さんは王家の乗っ取りを唱え出した。穏便ってなんだろう。困ったのは原因になってしまった司と王女と恋仲の仲間で、そこでようやく俺の名前が司から出てきた。
「お兄ちゃんなら何とかしてくれるかも知れない。」
司の無茶振りに俺は考えた。俺がすべきなのは半年で塩まで蒔かれた土地から作物を得る事、もしくは、その為のアイデアを出す事。その一点につきる。食べる物がなければ領民は集まらないのだから。尚且つ、それが永続的な物であれば良い訳だ。
司は神殿から出れないから領地の大まかな事は蒼井さんから聞いたのだが状況はなかり悪いとしか言えない。塩まで蒔かれた土地を、たった半年で甦らす事なんてできるわけがない。だが、司があっちでいろんな経験をしたように、こっちでもいろいろあった。それは経験として知識として蓄積されている。
ふ、と見ると苺さんも思い当たったらしく俺を見返してきていた。苺さんが目で伝えてくる。俺も目で応え。
「任せろ。」
宣言する。
司は問題の押し付けをしたとでも思っているのか、硬い笑顔を作っていた。
「司には、こんな事で足りないくらいの事をしてもらっているからな。」
「……お兄ちゃん、ありがと。」
司は何を気にしているのか、顔をうつむかせ言った。
俺は司に言ってやる。
「気にするな。」
司はうつむいたまま頷き、急に立ちあがって蒼井さんの所へ行き……過ぎて台所に行くといきなり顔を洗った。
「あはは。……ごめん、目にゴミが入ったみたい。」
言いながらうつむいて袖口で顔、というより目元を拭っている。これは、さすがに俺でも分かった。
俺、またやらかした。
蒼井さんの顔が般若より怖くなっているのが、その証拠。
僕は顔にいきおいよく水を叩きつけ
あれは反則だよ。
口の中だけで呟く。
僕の目の前でやられた、お兄ちゃんと三郷野さんとの言葉のいらない会話。目と目が合っているだけなのに、二人で分かりあった。ちがう。二人だけで分かりあっていた。
僕だって向こうに行く前は出来てた。
また、口の中でごちる。
行く前は出来てた……行く前は……。
多分、今は出来ない。お兄ちゃんが何を考えているのか、想像できないから。
こんな事で僕の知らないお兄ちゃんの時間を見せられるなんて。
吐き気がする。胃がムカムカして何かがせりあがってくるのを慌てて飲み込んだ。
僕が吐いたりしたら、ギリギリの所で我慢している蒼井さんが爆発するかも。泣いても、危ない。泣き顔も見せられない。うつむいて顔を拭うけど止まらないから顔をあげられなくて。
これじゃばれちゃうよ、落ち着こう、僕。
自分自身に言い聞かせても……ダメで。
落ち着こうとしても……我慢しようとしても……。
「あ……蒼井さん、俺と具体的な話をしませんか? その、領地を実際に見たのは蒼井さんだけなんですよね? 司、顔を洗ってからでかまわないから俺の部屋に来てくれ。……蒼井さん、俺の部屋に資料がいくつかあるんで見てもらっていいですか。苺さんも来てくれないか、苺さんの意見も聞いてみたいんだ。七歌、飲み物、頼んだ。」
お兄ちゃんの声にハッと顔をあげると、お兄ちゃんが蒼井さんの腕を掴んで強引にリビングから出ていくのが見えた。蒼井さんは引っ張られて不快な顔をしていたけど、黙って出ていく。
蒼井さんは思わず顔をあげた僕を見ないようにしていた。
「司さん、落ち着いてからでかまわないから、ね。……ごめんなさい。少し考えが浅かったわ。」
苺さんがなにも悪くないのに謝ってくれた。そして心配そうにしながらお兄ちゃん達の後を追いかけて行く。
「……司、大丈夫? 我慢しないで泣いた方が楽になれるわよ? 今ならあたししかいないし。」
ナナカねーちゃんが僕の頭を抱き締めるようにして胸元に押し付ける。
「ナナカねーちゃん、ホネが刺さる。」
「なにおーっ!」
「ナナカねーちゃん、胸どこ。」
「失礼ね。あたしは標準よっ!」
「ナナカねーちゃん。」
何を言おうとしたのか自分でも分からない。けど、ナナカねーちゃんは服が濡れて搾れるようになっても抱き締めていてくれた。
私の腕を取ってリビングを出た直樹君を少し見直す。
あのままリビングにいたら司君はどうしていたか。もし、司君が今以上に我慢しなくてはならないのなら無理矢理にでも向こうの世界に連れて戻り、もうこちらの世界とは関わらせないつもりだ。だから、私は黙って成り行きを見ていた。
まあ、少しは成長したかしら?
誰かに言われたのかもしれないが、あの場においては私を連れ出すのは良い方法だった。ついでに三郷野さんも連れ出し司君を妹に任せたのも良い。三郷野さんとの思いもよらない仲を見せつけられて尚且つ慰められたのなら……今までの直樹君ならやりそうな事なのだけど、今回はしなかった。
ま、全然足りないけどね。
司君が泣きたくなるような事をしておいてフォローを妹に任せるのは減点。三郷野さんも司君を気にして居心地悪いでしょうに。そして、司君がああなるまで気付きもしないのはやっぱり駄目ね。
司君は今ものすごく追いつめられているわ。それなのに、その事は言わない。
それって、どういう事かしら?
司君が言わないのなら私も言わないわ。早く聞かないと手遅れになるかもしれないわね。司君に必要なのは支えてくれる人で支える人じゃ無いの。
領地の件が無ければ、王女様との縁がなければ、司君が嫌がらなければ、直樹君とはここまでなんだけど、ね。




