戸惑いだらけのメインパート25
父さんが青筋をたてどやして聞かせた司と苺さんと蒼井さんの会話は聞いておかなければ俺はずっと気づかないままだったろう。
苺さんは俺の“彼女”だ。その“彼女”が真夏日の今日に秋冬物のモデルみたいな姿でやって来たのなら“何かを聴く”よな? 顔を隠して部屋に直行しようとしたら、まして俺と距離を置くようにしたら“何だろう”くらい思ってもおかしくないよな? 仮にこれが司だったら取っ捕まえて“何している”か聞き出していたろう。
俺、苺さんがそんな姿で来ているのにスルーしてた。どうせ後で理由を教えてくれるだろうって流してた。
ドア越しの不明瞭な会話を聞いていた俺は蒼井さんの言葉に何も返せなかった。“そんなつもりじゃない。後でちゃんと聞くつもりだった。言ってくれればいいのに。”なんて虚しい言葉だろう。顔を隠したくなる位、腫らした苺さんに“何を”言えと。俺のせいで泣いて顔が腫れた、そう言わせてどうするつもりだ?
「馬鹿が。」
吐き捨てるように言ったのは自分に対して。司には苺さんが“彼女”と言って振っておきながら苺さんが心配しているのを司の事だけ考えて無視していた。司が「諦めない」宣言したのを笑って受け止め苺さんを放置。
今日だって分かるだろう? 時間に厳しい苺さんが約束の時間をいきなり変えるのはなんでだ? 考えろよ、俺っ!
ずっと不安だった苺さんに俺は何もしていなかった。そして苺さんは溜め込んだそれを堪えきれずに溢してしまった。自分の事しか考えていなかった俺のせいで。
蒼井さんが怒るのも当たり前。
「苺さんに謝らないと。」
謝って赦してもらえるのか? そう思った時、「だからどうしたの」と苺さんは言った。その言葉の強さに、ドア越しにすら感じられる強さに俺は
「理屈じゃないんです。私にとって好きは好き。……司さんが直樹を想っているのと同じように。」
「僕はお兄ちゃんが好き。……たぶん、苺さんがお兄ちゃんを好きって想っているのと同じくらい。」
苺さんと司が確認しあうように言い合っている様子に俺は不覚にも涙が出てきた。この数日でどれだけ自分が“子供”だったのかようやく知った俺に優し過ぎる司と苺さんの言葉。これ以上聞いていると嗚咽で気づかれるかも知れない。俺は静かに階段を降りて涙が止まるのを待った。
幸いなのか涙はすぐ止まり司達が来る前にリビングに戻ると父さんと母さんがお茶を飲みながら俺を見ていた。もしかしたら俺が泣いていたのも見ていたのかもしれない。リビングの父さん達がいるところからは直接、階段は見えないはずだが湯飲みをあおって目線を変えている二人を見ると、見ていたんだろうな。
「聞いたか。」
お茶を飲みきって湯飲みを置いた父さんは短く訊いてきた。
「……ああ。……。」
俺は頷き何かを言おうとしたが言えなくて口を閉じる。俺は今、何を言いたかったのだろう。司の諦めてない宣言か苺さんのそれでも好き宣言か蒼井さんの心底怒っている宣言か。
「……俺、別れた方がいいのかな……? 司も苺さんも、その方がいいやつに出会うかも。蒼井さんもそう言っていたし。」
どうすればいいのか考えがまとまらないまま、母さんが淹れてくれたお茶を見ながらポツリと呟いた。俺の呟きは小さなものだったが父さんには聞こえたようで大きく息を吐く音がした。
「……こんのぉ、大馬鹿者がっ!」
父さんの言葉と共に頭を殴られた。大学に入り成人してからは軽く注意をされる位だったのに。驚きと痛みで顔を上げた俺を見て父さんは言った。
「なんでそうなるんだ。そこは“こんな俺に惚れてくれてありがとう”だろうが!」
父さんは二階には聞こえないように器用に小さな声で怒鳴る。
「直樹、いいか。司くんと三郷野さんが誰と付き合うかなんて直樹が決める事じゃないだろ。司くん、三郷野さん、本人が決める事だ。直樹が二人共付き合いたくないというなら分かるが自分よりいいやつがいるなぞと、当たり前の理由で逃げようとするな。」
頭をまた叩かれた気持ちだった。“当たり前”……。確かに俺よりましなヤツはたくさんいるだろうが親としてフォローなしかい。
「まだ分かっとらんみたいだから言うがな? 二人が選んだのは他でもない直樹、お前なんだぞ。お前が言うところの“いいやつ”も選べる二人はお前が“いい”て言っているんだ。」
実際に叩かれるより痛い言葉に息が詰まる。司と苺さんが選んだのは……俺? そうだよな司も苺さんも俺を好きって言ってくれたんだよな。
「惚れてもらっときながら自分以外の男にしておけ、なんて事をよく言えた。この甲斐性無しの唐変木がっ!」
父さんは舌打ちでもするんじゃないかという勢いで言うと最後に俺の胸もとを叩き
「……男だろうがっ。きっちり決めろ。」
俺を真っ直ぐ見て低い声で怒鳴った。いつになく迫力のある父さんに押しやられ声の出せない状態で口だけをパクパクと動かしていた俺に
「まったくよね~。どうせ自分以外の男と付き合っているのを見たら嫉妬する癖にね~。」
なに食わぬ顔でお茶を楽しんでいた母さんが一言。確かに別なヤツと付き合っている姿を見てしまったらそうなるかもしれない。我儘にもよりを戻そうとしそうな気がする。
力無く俯いた俺に慰めるつもりなのか父さんは言った。
「直樹、男は何時までも女を忘れないが女は男を上書きするぞ。精々《せいぜい》、努力するがいい。」
父さんの言葉がとどめになって俺は脱力して頭をテーブルに打ち付ける。
ゴツンッ!
痛いには痛かったが苺さんはもっと痛かったろう。
苺さん、ごめん。




