戸惑いだらけのメインパート13
緊張のあまり張られた糸が今にも切れそうな部屋で俺は内心、頭を抱えていた。
何故、こうなってしまったのだろう。
昼下がりの怠い空気の中、苺さんを連れて帰った俺を司はリビングにあるソファから立ち上がって笑顔で向かい入れてくれた。
「ああ、司。悪いな、苺さんにちょっと説明をしていたんだ。」
俺はそう答えた。
その言葉に司の笑顔が深くなる。
昨日、夜も更けてから連絡の取れなかった苺さんに会いに行った。泣いていたらしい苺さんは俺が来た事に驚いていたが嬉しそうにしていて、来て間違えていなかった、と思ってはいたのだが。……何時もと違う苺さんを可愛いなんて思いながら話していたのだが。いつの間にか苺さんは冷気を振り撒いていて俺を逃がさないように掴まえながら
「私も連れていきなさい。」
そんな事を言い出していた。この時の俺の頭の中は苺さんとの幸せな生活が浮かんでいただけに急な展開についていけず、その言葉は“何故、今、ここで?”と俺を混乱させた。だから出た言葉は
「はあ?」
一言だけだった。ただ、一言だけだったが俺はいろんな気持ちを含めた言葉のつもりではあった。
「はあってなによ。」
残念ながら苺さんには俺の気持ちは伝わらなかったらしく気の無い返事に聞こえたようで、イラッとした低い声を出して睨んできた。俺としては、そんなつもりで出た言葉じゃなかっただけに苺さんに睨まれても対応に困る。
―苺さんを選んで良かった。一緒に暮らしたいって思ったのは苺さんだけだ。
司の件をより先に言った方が良かったであろうその言葉は声に出すのが恥ずかしくて飲み込んでしまった。そんな本心を隠して代わりに出た言葉が「旅に行く」。
しばらくしてから気づいたのだが苺さんから見た俺の言葉は“見つかる前も見つかった後も司の事が優先”とも聞こえる。俺は苺さんを優先したいからこそ今は司の事を優先しているのだが。苺さんは俺の言葉を“悪い方へ”解釈した。だから「連れていけ」という言葉が出てきたのだろう。
俺は言う順番を間違えた。先に司の話しをしてしまったから苺さんがこうなってしまった、それぐらいは分かる。そして今更、言ってもそれこそ“今更”だ。俺の気持ちが素直に苺さんに伝わるとは思えない。
「……もう、いいわ。直樹の知っている、あの子の話しを全部しなさい。」
俺が黙ってしまったのを苺さんはどうとらえたのか。苺さんは俺の正面に座りなおし目を伏せながら強い口調で言う。
もう、先程までの甘い雰囲気は欠片もなく、ただ痛いくらいトゲトゲした雰囲気が存在しているだけになってしまった。
トゲに刺されないように身をただし苺さんには珍しい命令口調に驚いた俺に司との思い出をねだった。俺は苺さんの命令口調にも驚いたが司の話しをさせようとしている事にも驚き、チラリ、と時計を見る。とっくに日付は変わっている時間、これから司の話しをするのは徹夜しても足りない。
「じゃ、長くなるから今度時間を見つけて話すよ。今日は夜も遅いから。」
「だめよ。今して。……直樹、お願いよ。私、あの子に負けたくないの。」
苺さんは司と何を勝負しているのか……そして苺さんの勢いに負けた俺は徹夜で司との思い出を語り……まあ、一晩というか数時間ではダイジェストとしても物足りない程度だが一応、苺さんは頷いた。
「正直、司ちゃんが元男の子というのも本来はまだ中学生位っていうのもゲームの世界を救ったというのも……女神とか魔王とか貴族とか領地とか…………全然理解できないし頭の中はぐちゃぐちゃよ! けど、直樹が嘘をついているようには見えなかった。」
苺さんはこめかみに指を当てて考える。
「直樹がおかしくなった、ようにも幸い見えない。」
……ヲイ。俺が“おかしくなった”ってなんだ。
疑われてたのかよ!
幸いってなんだよ。
泣くぞ! いいのか? 泣き出したらうっとうしいぞ?
「……司ちゃんと直樹の関係もよく分かったわ。もっと早く聞いておくべきだったって後悔している。直樹は本当に司ちゃんを“弟”だと思っているのね?」
当たり前だ。
俺は男より女の方が好きだ。苺さんは“彼女”なんだから分かっているだろうに。まして、相手が“あの司”はありえない。
「もちろんだ。」
だから、俺はそう答えた。それなのに苺さんは眉を寄せたしかめっ面で俺を見て信じていないと分かる声で
「……直樹を信じるわ。」
探るような苺さんの目。
信じてもらえなかった俺は固まり。
嫌な物がわきあがりそうになって苺さんから目を逸らした。“胸騒ぎがする”とでも言うのだろうか、悪い事が起きそうな予感がする。なにか、非常に厄介な事態になりそうな気が。
「直樹、ごめん。」
唐突に苺さんが謝ってきた。
「私、厭な女だよね。」
ぽろぽろ、と涙を流し、まるで迷子のように泣き出した苺さんに俺は。
なにも言ってやる事が出来なかった。
ただ黙って抱き締めてやる事しか出来なかった。
「ごめん……ごめんね……。」
何時もは、お姉さんぶる事の多い苺さんが嗚咽混じりに言っている。だが、その声が音にしか聞こえなくて愕然としてしまった。
その時、俺は司と苺さんを比べていたから。そして司ならこんな態度は取らないだろうな、とそんな事をボウッと考えてしまって、そしてその瞬間に苺さんの声が“音”に聞こえてしまった。
「大丈夫だから。……大丈夫……。」
なにか、非常に悪い事がおこった気がして。
自分でも信じきれていない言葉を言いながら。
不安が沸き立つ胸の中に抱き締めながら。
頭では信じてくれる子の事を考えながら。
苺さんに口づけをした。
苺さんと仮眠を取った後の昼下がり。
やけに気合いの入った苺さんは服装も化粧も決めて俺の家に、というか司に会いに来た。苺さん曰く「直樹の為に勝つわ。」との事だったのだが。
今、俺は、猛烈に、後悔している……。
何故、こうなってしまったのだろう。
何故、止めなかったのだろう。
昼下がりの怠い空気の中、苺さんを連れて帰った俺をリビングで待っていた司は笑顔だった。蒼井さんが離れた場所で俺の親と話していてリビングに一人だけ司がいたのは少し気になったが司が挨拶して普通だったから気にしなくてもいいか、なんて考えていた。
「おかえり、お兄ちゃん。待っていたよ。」
ん? 今、なにか……副声音が聞こえたような?
「ああ、司。悪いな、苺さんにちょっと説明をしていたんだ。」
「……ふうん、きのう、あの時間から。そっか、苺さん。……お兄ちゃんの彼女さんだよね?」
司は“あの時の笑顔”で俺を見て表情を消した。そしてスッと視線をずらして俺の隣に立つ苺さんを見る。
「初めまして。いつも、お兄ちゃんがお世話になっています。」
―何故、そんなに上から目線。
ぺこり、と苺さんに頭を下げた司にツッコミを入れようとしてリビングの向こう側に親と蒼井さんが集まって首を横に振っているのが見えた。
―よ、け、い、な、こ、と、い、う、な?
三人共、口だけを動かして俺に伝えてくる。
―つ、か、さ、ま、じ、ぎ、れ? な、ん、と、か、し、ろ?
何を言っているんだ。
目の前で笑って苺さんに挨拶をしている司を見て首をひねった。
向こうでため息が3つ重なった。
「会うのは2回目だけど話すのは初めてね。改めて、はじめまして、司ちゃん。私は三郷野苺です。司ちゃんの事は直樹から聞いているわ。無事に帰って来てくれて良かったって。」
「……ありがとうございます。三郷野さんって言いづらいからお兄ちゃんと同じで苺さんって呼んでいいですよね?」
「……悪いけど私、自分の名前が嫌いなの。三郷野で呼んでくれない?」
「えー? みさとのさんって言いづらいですよー。じゃあ、みさとの、から二文字取ってみささんって呼びますね? 今、僕短くするのが好きなんですよー。」
「あら、なんか仲良しな感じでいいわね?」
「そうですねー。アハハハハハ。」
「ウフフフフフ。」
二人は機嫌良さそうに笑いながら会話を楽しんでいる。
だが。
リビングには冷たい空気が坐り司と苺さんの間に火花が散っている幻覚が見えてきていた。事此処に至り漸く俺にも蒼井さん達が離れていた理由に気づく。
―二人共、相性が悪すぎ。
緊迫したリビングには俺と司と苺さんが正三角形の形に立ち。そんな俺達はキッチン側から冷たい目で見て。俺はイヤな汗を流しながら。
―何故、こうなってしまったのだろう。
俺は頭を抱えた。
打開策が浮かばないまま仲良く言い合いをしている二人に挟まれていた。や、何回も「落ち着こう」とか「ちょっと休もう」とか言ったんですよ? 二人はそんな俺に
「お兄ちゃんは黙ってて。」
「直樹は静かにしていなさい。」
一言で返して
「お兄ちゃんが言えない事、代わりに言ってあげる。」
「直樹が我慢していた事、代わりに言うわね?」
そして更に激しく言い合う。
台所からの視線は更に冷たくなっていく。
俺の汗は上着を濡らし尽くしズボンまで染みていく。
せめて司と苺さんの間から逃げようとすると、それに合わせて二人も動いて逃げることが出来なかった。
―助けてくれっもう無理!
向こう側に目で助けを求めたが母さんの冷たい目。
父さんの呆れた目。
蒼井さんの怒った目。
三人共、拒絶して返してきた。
そんな中、七歌が高校から帰って来てリビングの様子に気づく。まあ、玄関から入ったらすぐ気づくだろうけど。
リビングに入ってきた七歌は俺、司、苺さんのトライアングルを見て驚いた顔をしたがすぐに台所の三人に合流。茶菓子を食わえて愉しそうに聞いている。
「ね、今、どの辺?」
「む。……始まって一時間ちょっとという所か。まだ、入口ぐらいだな。」
―父さん。あなたまでそう言うとは思いませんでした。
「……情けないわねぇ、おたおたしちゃって。男がしっかりしないからこうなるのよ。ね、祐介さん。」
「……む。」
「あら、お二人にもなにか、あったのですね?」
「あら~、恥ずかしいわ。」
母さんが蒼井さんのツッコミに照れて父さんの背中を叩き出した。
「へぇ~? そうなんだぁ。聞きたい、聞きたい!」
「いやよ、恥ずかしい。」
「あら、馴れ初めをお話しになってもいいじゃありませんか。お二人共素敵なご夫婦ですもの、素晴らしい出逢いだったのでしょ? 私も聞かせていただきたいです。」
七歌が興味津々といった顔で騒いでいる。蒼井さんがそんな七歌を援護しつつ視線をチラリとむけた。
―早く何とかしろ?
蒼井さんの目は俺が二人を止めれない事を詰っていた。その上でサッサとしろと顔を背ける。
俺だってこういう事は早く何とかしたい。けど二人共、俺の言う事を聞かないんだ、どうしろと!
「……直樹はあなたと話しをした後で私に会いにマンションまで来たのよ。」
「ーーー。」
などと思っていたらどや顔の苺さんが司を煽るように言い放った。そして司は口だけを二、三回動かして言い返そうとしたが叶わず情けなさそうな顔で俺を睨んだ。
「おにぃちゃ~ん……。」
「司……す、すまん? グハッ。」
恨みがましい司の声につい謝ったが、すぐに苺さんのひじ打ちが俺を襲い悲鳴をあげてふらついた。苺さんはその俺の横に立ち支えながら司に微笑んでいる。司が「暴力女」とか騒いだが苺さんは流して俺をソファに座らすと隣に座った。悔しげな司は二人掛けのソファに無理に座ろうとしたが諦めて少し離れた場所に膨れた顔で胡座をかいて座る。
「……“勝負あった”みたい。」
「ふむ。……司くんは直近3年ほど直樹に会えなかった事が響いたようだね。最初のリビングの“笑顔でお迎え”は良かったが、その後は三郷野さんに詰められてしまった。最後の“自分と合った後で三郷野さんに会いに行く”直樹の話しは司くんにしてみたら“裏切り者”と言いたかったのではないだろうか。三郷野さんは終始、落ち着いて冷静に返す事が出来たのが勝因と言えるだろう。止めとして“会いに来た事”を言ったのは流石に今、付き合いをしているだけあって堂々としていた。一方で二人に挟まれ最後まで自分を魅せる事の出来なかった直樹はちと情けない。このままお付き合いを続けて行くのは不安が残るな。本当に直樹でいいのか、お二人には今一度、考えて欲しいものだ。」
「……なんか父さん、解説者みたいよね?」
七歌と父さんが言い合っている中、蒼井さんが司に近づいて頭をペシッと叩いた。
「司くん、スカートはいているのにあぐらかいたらみえるでしょ。」
……うん、見えてた。あわてて視線をずらしたが今日のふわふわ膝上スカートの中身ピンク色の布ははっきり見えて目に焼き付いてしまっている。隣に座った苺さんから針のような視線が向けられた。
「見るのお兄ちゃんだけだし僕は平気だよ。」
司の話しにもう一度司を叩いた蒼井さんは無理矢理胡座をかいた司の足を下ろさせて疲れた顔を俺にむけてきた。これで安心して司を見ることが出来る。隣の苺さんから「ムッツリ」って聞こえてきたが気のせいだよね。
「直樹君。私、早く帰りたいのよ? 赤谷君が待っているのよ。……お願いだから、これ以上の面倒事はやめてね。」
蒼井さんの目は俺と苺さんを睨んでいた。




