戸惑いだらけのメインパート12
司に|盛大なため息をつかれた《呆れられた》俺だが勢いは止まらず前のめりになって蒼井さんの両手を握っていた。一言で言えば“楽しみ”になっていたのだ。
かつて、画面越しにしか見ることが出来なかった風景を司と旅しながら見る事が“楽しみ”でたった今、蒼井さんが言っていた“司を取り巻く状況”は聞かなかった事にしていた。いや、頭の片隅には引っ掛かっていたから考え無いようにしていた、と言うべきか。
蒼井さんはそんな俺を鋭く睨んだが
「……最悪、此方に司くんだけでも戻せばいいわね……。戸籍の問題があるけど。」
小さく呟やいてため息、よりは話した事を後悔しているような深い息を吐いた。
もう一度、蒼井さんは俺を睨む。俺はやや引きながら蒼井さんが何故そんな目で見ているのか分からずに黙っていた。
再び蒼井さんが深くため息をつく。
「司くんの話しなら、もう少し頼りがいのある人に思えたのに……期待外れね……。」
小さい声で独り言のように言った蒼井さんは俺には聞かせるつもりはなかったらしい。最初に会った頃のような明るい顔ではなく暗い冷たい顔に作り笑いを張り付け
「直樹君。そろそろ離してくれないかしら?」
俺は勢いで蒼井さんの両手を自分の手で握りしめたまま固まっていた。
先程まで、俺を勧誘していた優しい笑顔の蒼井さんと今、凍える笑みを浮かべている蒼井さんが上手く結びつかなかくて戸惑っていたのもあるし、その蒼井さんのおそらくは“怒り”が俺に向けられている事に戸惑っていたのもある。ただ、俺のした何かが蒼井さんにとって赦せない事だったのは分かった。
だが俺は握った蒼井さんの手が妹の七歌や苺さんの護身術を嗜むやや筋肉質な固い手と違い手触りがあまりにも良すぎて離せないでいた。
「……お兄ちゃん?」
呼ばれて顔を向けると司が不機嫌に俺を睨んでいた。司はベシッと蒼井さんの両手を握った俺の手を叩くと
「いつまで握ってんだよ。」
低い声で唸って言う。蒼井さんはそんな司をからかうように「あらあら。」なんてオバさんっぽく笑って見ていた。
「……と、とにかく。」
仕切り直そうとして上擦った声を咳で誤魔化した司は立ち上がり様、蒼井さんの腕をとって鏡へ引っ張った。
「……領地までは馬に乗って片道4日ぐらいかかるって。お兄ちゃんもそのつもりでよろしく。じゃ、今日は帰るね? 細かい話しは明日、またしようね。おやすみ。」
やや早口に言った司は逃げるようにというか向こう側に逃げていった。からかわられると弱い司の逃げップリに妙にホッコリした俺はふ、と気づいて苺さんと連絡をとろう、と思い立った。司がまだ見つかっていなかった頃、近所のみならず可能性があれば、人里離れた山の奥や廃村を見にかなり遠方まで探して歩いていた俺はよく音信不通状態になっていた。そんな俺を苺さんは“いつかはいなくなる”かもしれない、とずっと不安だったらしい。そして、ある日ついに爆発。そんな素振りを微塵も感じていなかった俺は笑顔でで怒る苺さんに頭を下げ続けやっと赦して貰えた時には基本、めんどくさがりな俺が“一日一回”は連絡を取り合うように“洗脳”されていた。
今となっては苺さんと話しをしない日は何故か落ち着かない位になったが司にだってこんなに話しをしようと思った事は無かった。
スマホの時計表示を見ると、いつも連絡を取り合う時間をかなり過ぎていた。慌ててアプリを起動したが受け取る気配が無い。時間はあと少しで日付が変わる。
―こんな時間じゃもう寝ているだろうな。
そうは思ったが胸騒ぎがした。苺さんはワンルームマンションに独り暮らし。何か起こってからでは遅い……。
スマホを鳴らしてもインターホンを鳴らしても反応が無い苺さんに、気が急いた俺は苺さんから貰った合鍵を何度も挿し直して漸く扉を開けた。
開けると苺さんが驚いた顔で立っていて
「急にガチャガチャして入って来ないから何かと思ったわ。」
言いながら俺に抱きついてきた。
「来てくれて、ありがとう。……おかえり直樹。」
苺さんは顔を俺の胸に押しつけたまま、潜った声で言う。しかし、それでは隠しきれない声の震えが。俺はスレンダーな苺さんを抱き締め返し
「苺さん。何かあった?」
わざと耳もとで囁いた。弱点の一つに囁かれた苺さんはくすぐったそうに身動ぎをして俺の胸を両手で押して怒った風に
「もうっ。……なんでもないよ、バカ直樹。」
こちらに向けた顔は少し笑っていて俺はホゥ、と息を吐いて内心を隠して笑う。苺さんの泣き顔はレア過ぎて見るのが嫌だし録な事がない。
「さ、中に入って?」
苺さんが俺を部屋に誘った。自分は飲みものを用意するらしく冷蔵庫を開け閉めしている。頷いて素直に部屋に入って暫く待つと顔を洗った苺さんが緑色の小瓶を何本か持ってきた。小瓶の中身はリンゴ酒で東北の祭が一堂に会したイベントで出会ってから飲むようになった苺さんのお気に入りな酒だ。俺には甘過ぎな味だが飲みやすくていい酒だと思う。苺さんはワイングラスを取り出すと小瓶から金色の液体をあけ変えた。
「……こんな遅くに、どうしたの?」
苺さんからグラスを受け取り口に含むと甘酸っぱい薫りが広がる。しかし、しつこく無いので濃い味の食べ物の口直しに合いそうだ。リンゴと肉料理は意外に合うし。
とりあえず今は苺さんの問いかけに答えよう。
「鳴らしても送っても返ってこないから何かあったのかと。」
いつも心配して不安になるのは苺さんの方だった。俺がこういった形で苺さんの部屋に来たのは初めてかもしれない。
俺の言葉に意外そうにした苺さんは嬉し気に笑ってからかってくる。
「心配したんだ?」
上機嫌に言って向かい側に座っていた苺さんが俺の隣に座りなおした。
「ふうん。直樹が私を、ね。……ありがと。」
もう酔ったという訳じゃないだろうけど撓垂れかかってきた苺さんに言い様の無い幸福感に包まれる。
―ああ、苺さんを選んだ俺に間違いはなかった。
力強いガッツポーズをとる俺自身が脳裏に浮かぶ。
「……それで苺さん。俺また暫く旅に行くから。」
正直このまま一緒に住みたい気持ちがあったのだが司の件を終わらせてからじゃないと落ち着かない。
―早く司を泣かせる奴を排除して司を困らせる奴をブッ飛ばしてそうしたら俺、苺さんと同じ家で暮らすんだ。子供は二人ぐらいは欲しいな。女の子と男の子の二人だ。住む家は小さいても白い一軒家を建ててペットに日本猫を三匹飼って狭いながらも立派な庭には苺さんが居てくれてリビングで寛いでいる俺に笑いかけてくれるんだ……。
この瞬間、俺は自分を包む幸福感に酔っていた。
「旅? 司ちゃんが見つかったのに何処に行くの?」
「司くんな? 司が向こう側で領地を貰ったんだけどいろいろ問題があるらしいから大学でうけた農学を試しに行ってくる。」
「リョウチ? ああ、領地ね……司ちゃんも一緒に行くのよね?」
「司くんな、く、ん。ま、一緒じゃないのかな。自分の領地だし。」
やけに苺さんは司を“ちゃん”つけしてくる。俺は何を気にしているのか分からなかったが苺さんが撓垂れてきてから感じていた幸福が固い物に変わってきたのは分かった。
「……そう。」
ついには冷気まで感じてきた。俺は苺さんから遠ざかろうとしたが離れてはくれなかった。しがみついて俺の顔に自分を近づけた。
「……直樹があの子をどう見ているのか分かったわ。けど確認したい事があるの。私も連れていきなさい。」




