戸惑いだらけのメインパート9
ブックマークが100件になりました。
本当にありがとうございます。
目標はブックマーク100件だったので本当に、本当に、嬉しいです。
絶対に完結まで頑張りますので何卒最後までお付き合いください。宜しくお願い申し上げます!
空が色づく夕方。
学校帰りのカップルがイチャつきながら歩く道を一人で歩く俺。
一泊したうえに大学の講義もサボり、更に朝帰りどころか夕帰り。
真面目な苺さんが初めて我が儘を言ったから俺も応えた。その事に後悔はしていないが身体中に染み込んだ“女の匂い”は普段体臭は気にしていない俺であっても気になる程、濃い匂いがした。
―やっぱりシャワーは浴びたかったな。
そんな事を考えながら俺は人通りの少ない道を選んで歩きながら様子のおかしかった苺さんを思い出していた。
「直樹、ごめん。シャワー調子悪いみたい。」
何時ものように先に浴びた苺さんがバスルームから出てくるなり手をあわせて謝ってきた。
「いや、いいよ。」
「本当にごめんね。」
俺は軽く返したが苺さんは更に頭を深く下げて謝ってきた。カラッとサラッとが信条の苺さんの珍しい態度に内心、首を傾げはしたが気にする事でもないかと家路についてはいたのだが。初夏の夕暮れはまだ暑く汗だくになれば体に染みついた匂いが濃くなっていくのは当たり前の事。俺は家に着いたが玄関口でドアを開ける事に躊躇い考えた。
―今は夕方。今日は母さんはパートに行っているはず。父さんはこの時間帯は散歩のはず。いるとすれば七歌だけのはず。なら、さっさとシャワーを浴びてしまえば終り、のはずなのに。
なんだろう? 昨日も感じた“重大なテストの回答に間違えた”感がする。
立ち竦む俺の背すじを冷たい汗が流れ落ちていく。何か、見落としている…………何か……! 司と蒼井さんか。だが、一日経ってまだこちらにいるはずは無いだろう。前に司が来ていた時も夕方には向こう側に戻っていたし向こう側に“仕事”があるみたいだし、な。まさか、まだいないだろう……いないはず……いないさ! 司も蒼井さんも忙しいだろう? 何時帰ってくるかも分からない俺を待ってやしないだろう。
そう思って、そう考えて、しかしそれでも家に入る事ができなかった。薄いドア一枚が厚く高い壁のように威圧してくる。
―取り敢えず今日は友達の所に泊めさせてもらおうか。
クルリ背を向けようとした時。
それを見計らったとしか思えないタイミングでドアが開く音がした。
ガチャ。
ギギィィィィィ。
同時に冷たいモノが背中に吹き付けた。
………………背中から背骨が抜かれたかと思うほど痛い冷たさが俺を襲い。
「ふぅん。……お兄ちゃん、おかえりなさい。」
そこにドアを開けて俺を見る司がいた。
そして俺は。
初めてだった。
初めて司の顔を見るのが恐怖く感じた。
「あ、ああ。た、ただいま。」
自分でもおかしいぐらいギクシャクした動きで家に入ろうとすると司はそれを阻止するように立ち、背けようとする俺の顔を両手で正面に固定。俺は恐怖を感じている司の顔を見せつけられた。
司は怒ってはいなかった。
司は泣いてもいなかった。
ただ笑顔で俺を見ていた。
「…………。」
何も言わないで笑っている、それなのに吐き気すらもよおす圧迫感が。
頭から脂汗。
背中は冷や汗。
全身汗でビシャビシャに。
暫くして司は両手を放すと
「お兄ちゃん、僕向こう側に一度帰るね。晩御飯食べ終わった辺りにまた蒼井さんとこっちに来るよ。」
そう言って笑ったまま俺の部屋に登って行った。俺の部屋にある鏡を使うつもりだと気づいた時、俺は情けなくも玄関にあった腰掛けに座り込んでしまった。
「あんたねぇ。一度やらかしたんだから懲りなさいよ。」
一部始終見ていたらしい七歌がリビングから顔を出して言う。
―うん、全くだ。
頭を抱えてぐったりと沈む俺に七歌の言葉は突き刺さった。
「じゃあ、……直樹さんと呼ばせてもらうわね? また後程。」
蒼井さんが司を追いかけ俺に言葉だけかけて2階へ。俺は見送ってため息をつく。すると俺のため息に重なって重いため息の音がした。
振り返ると散歩中の父さんとパートに出ている母さんがリビングから顔を出していた。二人とも、今日は外に出なかったようで部屋着のままだった。そして、ため息は二人が俺を見て同時についていたらしい。
「直樹……。」
父さんは何かを言いかけ黙った。
「…………直樹、ご飯が出来てるわ。」
母さんは無かった事にしたようだ。
七歌はヤレヤレとばかりに両手をあげ首を振っていた。
そんな夕食は。
前菜はシャキシャキのレタスサラダに四切りのトマトを乗せて。
メインが白いご飯にかけられたゴロゴロ野菜と鶏肉が薫り高く辛いソースで煮られているつまりは鳥カレー。家では辛いカレーの付け合わせは甘く漬けたらっきょうに決められている。
飲み物は辛いカレーに合わせて冷たい牛乳。
いつもなら辛いのが苦手な七歌が騒いで食べているこのメニューでこんな静かな食卓は初めてだった。
「父さん、大学でさ。」
「そうか。」
それで終りですか? ま、父さんはあまり話しをしない人だしな。
「か、母さん、今度なんだけど。」
「そうね。」
またもや瞬殺。話し好きな母さんが話しを切り捨てる真似を?
「……な。……ななか?」
「うっさい。黙って食えば。」
うん、普段から仲が悪い妹には何も期待してないさ……。
身体中を針で刺されるような張りつめた空気の中、味の分からない食事をする。何の拷問だ……。
喉を通らない食事を牛乳で無理矢理流し食卓を離れようとした俺に低く響く父さんの声が届いた。
「直樹、風呂が沸いているぞ。入れ。」
ジロリと睨む。だが父さんはこれが普通だったりする。
「あなた?」
母さんが驚いて父さんを見ていた。父さんより20歳近く年下の母さんは学生の頃、父さんに惚れて押し掛け女房した当時のままに“全ての行動は父さんの為に”と言っている。
風呂は父さんから。
牛豚馬羊鳥と肉があれば鳥一択。
カレーなら子供が食えなくても辛いカレー。
らっきょうの甘漬けは普段使い。
牛乳は3食飲むからリッター買い。
そんな母さんだから父さんの言葉に驚いたろう。俺だって驚いた。
「母さん、たまにはいいだろう。直樹、早く入って来なさい。」
「あ、ああ。じゃあ、入らせてもらうわ。」
俺は父さんにそう応えたが。
ひいぃっ! 母さんの目が切り裂いて焼き捨てる目になっている。あんたの為に風呂を沸かした訳じゃない、と俺を見ている。その目は子供に向ける目じゃない。俺は慌てて風呂に逃げるのだった。
湯船に入って体を温めていると父さんが入ってきた。
「直樹、背中を流してくれ。」
引き締まった筋肉質な父さんの体は定年のオヤジには見えない。そのまま俺の答えを待たずに座った。
「お、おう。」
有無を言わせない態度に俺は湯船から出て垢擦りを持つ。
「直樹、三郷野さんとはどうなんだ。」
垢擦りで擦り始めた頃、父さんが聞いてきた。俺は力を込めて擦りながら。
「ああ。順調だよ。」
「三郷野さんはどうなんだ?」
「どうなんだって?」
「お前と一緒になるつもりがありそうなのか?」
「俺はそのつもりだよ。大学を卒業して収入が安定したら、だけど。」
「お前がそのつもりでも相手は知っているのか? その話しをしているのか? 結婚というのはお前一人でするような事じゃないんだぞ。」
俺はぐっと詰まる。
父さんは止まった俺に「もう、いい。」とだけ告げ自分で体を洗いながら
「いいか、直樹。相手が何を望んでいるのか分からないまま付き合うのはとても辛いんだ。家族なら言わなくても分かる事も相手には伝わらないと思っておけ。」
俺としてはサプライズなプロポーズを狙っていたのだが。ちょっと不安だったけどプロポーズして安心、みたいな。
体の泡を落とした父さんは頭も洗い
「直樹が何をしたいのか、父さんも分かるがな? ま、なんだ。男のサプライズは女にとってはウザイらしいぞ?」
苦笑いで俺の肩を叩いてきた。
「まず、どうするのかハッキリとさせてからプロポーズが順番だとよ? 逆だと嬉しさも半減、ヘタすりゃ怒りたくなるそうだ。」
あー……父さんもやったんですね? ワカリマス。
自分を洗い終わった父さんは俺の背中を垢擦りをしてくれていた。
「それで。……司くん、いや今は司さんか。…………どうするつもりなんだ。」
おそらくずっと言いたかったのでは無いだろうか。父さんはボソリと問いかけてきた。
俺は遂に核心にきた。そう思い唾を飲み込んだ。
だが俺の気持ちはすでに決まっている。そのせいで司を泣かせたのだから。
「従弟だよ。」
あの世界で司の告白を断った事は話しをしていないしするつもりも無いから確認の意味で父さんは聞いてきたのだと分かっている。
「そうか。」
「そうさ。」
父さんは暫く黙っていたが咳払いをすると
「直樹がそう言うのなら父さんも分かった。」
父さんは俺の背中を流して
「なら忠告するが司くんに望みを持たせるな。」
そんな事を言ってきた。
―望みを持たせるなって、俺は司を振っているんだが。
どう伝えたものかと悩んだ俺は名状しがたい、という顔をしている父さんに気づいた。
「分かっていないみたいだな。父さんは今日のお前と司くんのやりとりを見て言っているんだ。」
やりとりって……俺が司に恐怖したあの事なのか?
「……まあ、ゆっくり暖まってこい。」
俺の頭をペシリと叩き父さんは出て行った。
考える? 今日の俺と司はあの時しか会っていないのに父さんは何を言いたいんだ?
俺は父さんが言っている意味が分からず首を捻った。




