戸惑いだらけのメインパート6
お兄ちゃんを背中から抱きしめるように支えた僕は、身を捩ってこちらを見ようとしているのを全身で押さえた。お兄ちゃんを見るのも、見られるのも、恥ずかしいからだったけどお兄ちゃんは困った風に
「司?」
なんて言ってきて。
その声を聞いた僕は……ニヤけてしまうのを止められなかった。そんなニヤけた顔を見られたくなくてお兄ちゃんの背中にくっつけて、お兄ちゃんの細い癖に堅く引き締まった体を薄い服越しに味わう。
―お兄ちゃん……美味しいです。
少し汗ばんだお兄ちゃんの体臭が僕の中に吸い込まれていく。僕の中にお兄ちゃんが混ざっていく。
ふわわわわ~これが桃源郷。
僕はお兄ちゃんに顔を見せないようにしながら胸を押し付けてみた。ビクリ、とお兄ちゃんが反応して少し焦った声で
「お、おい?」
なんて言ってきて僕はお兄ちゃんが反応してくれた事が嬉しくてちょっと笑ってしまった。
僕の体はアバターであり本当の体ではない。僕の本当の体は消えて無くなってしまった。正確には“女神サマ”が優しく元の体に戻しますね? とか言っていたが僕が拒否したのだ。だって僕の体はお兄ちゃんが創った理想の彼女だったと思っていたから。それなのにお兄ちゃんの“彼女さん”が男の時の僕にそっくりだったのは……僕を否定された気がして信じられなかった。
けど、お兄ちゃんは僕に反応してくれた。お兄ちゃんの特殊な好みは変わっていなかった。やっぱり、この躰がお兄ちゃんの好みなんだ。
…………変態じゃん。
「司、その……そんなに強く抱きしめられると、叩かれた所が痛いんだが。」
「痛い」という言葉に僕の中でスィッチが切り替わった。抱きついたまま“聖女”の称号による高度な治療をかけた。痛み止め、回復、治療の複合回復魔法は“聖女”独特の魔法だ。だけど、お兄ちゃんは最初は気持ち良さそうに受けていたけど急に上半身を前に倒して苦しそうな声を出した。
「つ、司……。ま、待て。」
あれ? この魔法で癒しきんないなんて?
僕は躰を更にくっつけた。癒しは相手に触れていなければかからない。そして密着していればいるほど強く癒しがかかる。お兄ちゃんのお腹に回した腕に力を込めて強く抱きしめて二回目のハイ・ヒールをかけた。少し胸が潰れて苦しくなったけど躰全体をくっつけた僕はその抱き心地に翔んでしまいそうになりながら顔を更に押し付けた。
「司! ヤバいっ! 頼む!」
お兄ちゃんは立つ事もできないぐらい辛いようで前屈みに倒れこもうとしている。僕はギュッとお兄ちゃんを抱きしめて更に強く癒しをかけて。お兄ちゃんは慌てたような声をあげてうつ伏せに倒れた。
「つ、つ、司! それはヤバ! ヤバいいー!」
お兄ちゃんの珍しくあげた悲鳴を聞いてまだ治らない怪我が有るのか? とお兄ちゃんの身体をまさぐった。
―いくらなんでも、これで治らないはずは無いんだけど。
お兄ちゃんはまだ|悲鳴をあげている《待てー、待て! そこはヤバいっ!》。おかしいな? って思いながらまさぐっていた手に何か硬いものが当たった。
今、お兄ちゃんは気楽な部屋着を着ている。つまり固いベルトやパンツは履いていない。なのに手に当たったこれは…………。僕は漸くお兄ちゃんの状況が分かった。そして、今、思わず握ってしまったこれがなんなのか、にも思い至る。
「……ギャニャ~!」
意味も色気も無い叫びをあげてお兄ちゃんから飛んで逃げた。言い争いをしていた三人が驚いてこちらを見ているけど僕はそれどころじゃない。ギュッてした手をどうしよっかと悩んでからお兄ちゃんを見た。
お兄ちゃんはビーチフラッグの選手の様にうつ伏せになったまま、顔をこちらに向けている。僕はギュッした手を差し出して
「おにぃちゃ~ん。」
僕も男だったから分かるけど何も考えないでこれをギュッした僕の気持ちも分かって欲しい。お兄ちゃんはものすごい情けない顔で謝ってくれてたけど。
「司。すまん。…………グフゥ!」
言葉の途中で肺の中の空気を全て吐き出すような声と共に平坦な女の人の声がした。
「直樹、何をしているの?」
声は平坦だけど引くぐらい冷たい暗い感情の籠った一言だった。そして同じように冷たく暗い目で自分が踏んだ男を見ている。
「いや、苺さん。これは……違うんだ。」
「なにが?」
「つ、司は……男なんだよ!」
「…………はぁ? ……ど、こ、が、男なのよ!」
踏みつけている足に力を込めたらしく、お兄ちゃんが「ぐえぇぇ」って悲鳴? をあげた。
「あの胸を見て男って言えるのはアンタだけよ!」
「いや、苺さん、これには実に長い話が。」
「言ってみなさい。聞くだけは聞いてあげるわ。……馬鹿直樹。」
「違うんだ。聞いてくれっ!」
「だから、話してみなさいって言っているわ。聞いてあげる。早く話しなさいよ?」
僕とお兄ちゃんの間に割り込んできた彼女さんはお兄ちゃんの背中を踏みつけながら尋問じみた事を始めて、ちょっと呆気に取られた僕は、それを見て段々、怒りがわいてくるのを感じていた。
―お兄ちゃんを殴った上に踏みつけるの?
―許せないよね?
―許す必要、無いよね?
―僕のお兄ちゃんをイジメるあの人なんていなくていいよね?
「司くん! ダメよ! 落ち着きなさい!」
蒼井さんの叫びが聞こえて、その必死な声で我に返った僕は大きく息を吐き冷静を繕うと、蒼井さんの大声があったのにもかかわらずお兄ちゃんを踏みっぱなしな多分彼女さんに話しかけた。
「…………いい加減、お兄ちゃんから離れてくれないかな?」
冷静に。冷静に。大丈夫、僕は冷静。
「黙っててくれない? 私は直樹と話してるのよ。」
「踏みつけるのをやめろって言っているんだよ?」
「直樹は喜んでいるわ。」
そんな訳無いじゃないか。そう思って僕はお兄ちゃんを見た。当然お兄ちゃんは踏まれながらも首を横に振っている。
うん、僕は分かっていた。お兄ちゃんはそっちの変態じゃない事ぐらい。
「バカじゃん? お兄ちゃんが喜んでいるなんて大きな勘違い。本気で言っているなら頭の中身を疑うレベル。大丈夫? ちゃんと入っている? 僕、調べてあげてもいいよ?」
僕は笑顔を見せて馬鹿な変態に話して、ビキリと音がして彼女さんの顔が崩れた。お兄ちゃんを踏みっぱなしな足を動かして僕を正面から睨み付けてくる。
大丈夫、僕、まだ冷静ダヨ?
けど。いい加減、お兄ちゃんから降りなさい!
「……お子様にはわからないかもね? ま、いいわ。私は直樹と話しをしているの。お子様は少し黙っていてね?」
今度は僕の笑顔が引きつった。
「はぁ? 僕がお子様って? ハハ?」
背が低い事を突っつかれた僕は普段、気にしていただけに頭を殴られた気持ちになった。
“冷静に”? ナニソレ。
僕は彼女さんの上半身、特に胸を睨んで鼻で嗤うように
「…………僕がお子様?」
彼女さんは自分の胸に手を当ててちらり、と僕の胸を見て……目許をピクつかせて僕の頭を撫でてくる。
勝った。
「…………可愛いわよ? ヨシヨシ。」
わざわざ、擬音を使ってからかうようにしてはきているけど。
「…………えへへ……嬉しいよ?」
「…………うふふ……どういたしまして?」
交わされる視線は強く鋭く相手を貫く。
なのに顔は優雅に品位を保った笑顔で。
「あら、司ちゃん。帰ってきたのね。いらっしゃい。」
そんな緊迫したお兄ちゃんの部屋にのんびりとした声が流れた。振り向くと叔母さんが笑って立っている。
「直樹。司ちゃんが来たら報せなさいって言ったでしょ? 皆さんもこんな狭い所にいないでリビングへどうぞ? 美味しいお菓子があるのよ。」
叔母さんはこんな状況でも崩れずに“自分”を貫いた。
貫く“自分”を持っている、そんな叔母さんに“しびれる、あこがれるぅ”。
見ると彼女さんは顔を赤らめて決まり悪げに足をずらしていた。踏みつけから解放されたお兄ちゃんはやれやれ、といった様子で立ちあがり……固いのは収まったらしく前屈みになることなく立っていた。
「ひどい目にあったよ、苺さん……。」
「当たり前よ!」
あんな目にあいながら普通に話しをしている、お兄ちゃんと彼女さんに胸の内がモヤモヤとした。
―なんか、僕。……バカみたい。
二人を視界にいれたくなくて顔を背けると
「今さら馬鹿兄貴とあん人が何してても気にする必要ないでしょ? バカね?」
「そうね。司くんは…………本当に“今さら”、ね。」
ナナカねーちゃんと蒼井さんが同情するような呆れたような態度で近寄ってきた。
「いい? 司。あの時も言ったけど“諦めるか、諦めないか”なのよ。まさか、今頃になって“後悔しています”なんて言うつもり?」
ナナカねーちゃんの言葉に、そんな訳無い! って心の中で叫んだ。“諦めなくてはならない人生”から“諦めなくてもいいかもしれない人生”に変わったからには“諦めて後悔する”人生にするつもりは無い。
「まあ…………妹としては、かつての弟分が兄貴の“彼女”は……かなり思うところあるけど。…………司だから手伝ってもいいかな、とは思っているわ。」
ナナカねーちゃんは複雑な顔をして僕を見ていた。
―そっか。ナナカねーちゃんからは僕とお兄ちゃんってそんな顔をさせちゃうんだ……。
なんとも言い辛そうなナナカねーちゃんに、けど。
「ナナカねーちゃん。ごめん。……だけど、僕、諦めない。」
お兄ちゃんと一緒になれるなら。
負けない。
「…………はあ…………うん、司ならそう言うと思っていた。……ええ、昔からだもの。見掛けが女の子してるから昔よりはいいよね……。」
あーあ~。憮然として頷いたナナカねーちゃんはそれでも
「ま、司の為だもの。」
明るく笑った。




