戸惑いだらけのメインパート3
私を案内してきた女神官はノックも声かけも無しに部屋の扉を開けた。私が何かを言う隙もない。そして、中を見て小さい悲鳴をあげて固まったように動かなくなった。
当たり前だろう。
扉越しにすら感じられた凍えるような低温の雰囲気を見向きもしないでまともに受けたのだから。
私はそれを知っている。
笑顔なのに無表情。
優しい声なのに平坦。
ゆったりとした動きなのに今にも喰われそうな仕草。
捕食系が目の前にいるような緊張感と不安感、そしてどうあがいても逃げれないという絶望感が強い恐怖として襲ってくるのだから自分で戦う処か武器を持つことも無さそうな貴族上がりの神官では耐えきれないだろう。事実、彼女は目を見開いたまま気絶したように動かない。
私は……私達はそれを知っている。
私達が女神に言われて魔王討伐の旅をしていた時、赤谷君は“聖女推し”だった。当時は司くんはまだ、小学生。赤谷君は高校に入ったばかりの頃。同じくらいの歳の子を「オバサン」呼ばわりしていた赤谷君は“聖女”で“金髪碧眼”の“子供”を物にしようと、あの手この手で迫っていた。その執拗さに怒った司くんは今と同じ雰囲気だった。あの時は赤谷君が土下座をして漸く落ち着いたが、それまでに複数骨折、複雑骨折、罅割れ、単純骨折だけど骨が皮を破り出てきている、骨折の見本市のような姿になっていた。
今、司くんはゆっくりした足運びで恐怖に震えるだけの女神官をつまらなそうに見て、手に持っている戦棍を振りかぶっている。このまま見ていれば“汚い花”が咲いてしまうのだろう。それはちょっと見たくない。私は仕方なく神官を後ろに庇うと軽く司くんの頭を叩き正気を取り戻させる事にした。
……恐いから一応、“保護”と“盾”をかけてから。
「向こう側に行く。」
何よりも僕の頭を冷したのは、蒼井さんのその言葉だった。“向こう側に行く”という事は“お兄ちゃんに会う”事。僕はあの日からお兄ちゃんに会っていない。嫉妬にかられ泣いて告白、振られて泣いて逃走。恥ずかしがるのはおかしいのかもしれないが、まだ記憶が新しすぎて。
‐無理ムリむり! まだダンゼン絶対むーりー。
僕は首をブンブン横に振って「イヤ」な気持ちを態度で示す。
「あのね? 司くん。私は早く帰りたいの。」
蒼井さんは冷たい顔で言った。
蒼井さんの目が僕を見つめて。
蒼井さんが繰り返した。
「司くん? 私は早く帰らなくてはならないのよ。」
静かに言う蒼井さんは凄い目力で僕を脅している。僕に拒否権は無さそうな……。
純情乙女一途で健気な蒼井さんはバカタニと付き合うようになってから少し変わったと思う。バカタニは恋愛気質と言うか頼られると抱え込むと言うか頼りがいの有りすぎる所を魅せすぎると言うか。バカタニなのに奴に惚れて付いて回る女は何人かいて、そいつらはバカタニのいない所で蒼井さんと争っている。……蒼井さんが変わった訳だ。
そんな事をぼやっとした頭で考えていた僕を蒼井さんは近づいて睨むように見ていた。その迫力に思わず後退りして。けど、行きたく無いから首を横に振る。
「司くん?」
蒼井さんが低い声で問いかけてきた。
ゆっくり近づいてくる蒼井さんから少しでも逃げたくて後ろに下がり。
「私は、ね?」
睨むように……違う。睨んでない憎しみが籠っているような鈍く光る目が僕を見つめて。
「早く帰りたいの。」
また、一歩。蒼井さんが近づいてくる。
僕は弾かれたように離れて。
「あの横恋慕どもに。」
また、一歩、また、一歩。蒼井さんはゆらり、ゆらりと近づいてきた。僕はその度に後ろに下がり壁に背中が当たる。
蒼井さんは両手を僕の顔の両脇に置き動きを封じると長い髪の間から目だけを覗かせて。
「何かされる前に帰るの。」
イヤ。もう、赦してください。蒼井さんがなんか逝っちゃってます。
そこで蒼井さんは何かに気づいたように目を見開いた。その目はやや血走っていて左右で色の違う瞳が僕を刺して。
「あら、これって壁ドンよね?」
……チガァウゥ! だ、ん、じ、て、違うぅ~。生涯初めての壁ドンがこんななんて認めないぃ!
鏡から出てきて苦笑いしながら向こう側の出来事を俺に教えてくれた女性は、
「泣きながら違う! 違う! と司くんが騒いでいるから先に来ちゃった。」
舌を少し口の端から出して明るく言った。
「冗談のつもりだったのよ? まさか司くんがあそこまでなるなんて……ぷふっ。」
…………この人は司に何か含む事が有るのだろうか?
最初の頃に感じた印象と違いすぎるのだが。
「それで司は何時になったら来るの? まさか、まだ来ないつもり?」
妹の七歌が呆れとため息を混ぜて問いかけた。
「多分、司くんは、そのつもりでしょうね。……嫌われたわね?」
蒼井さんは七歌の問に答えながら俺にも笑いかけてきた。言葉はキツいが。
「……え? ま、まって? 直樹、この人……知り合い、なの……?」
苺さんがヒクツク声を出して蒼井さんを指差しながら言う。掠れた声は今の苺さんの気持ちを表しているようで、俺は気持ちは分かると頷いた。
「この人は蒼井さん……前に言った、俺が捜していた司と…………司の、仲間? 保護者? えーと……そんな感じの人だ。」
「そんな感じってどんな感じよ? って今、この人、鏡から出てきたよね? なに? なんなの? どうゆうこと? 直樹、説明して!」
「……あー、うん。苺さん、落ち着こうか。」
「落ち着いてるわよ! なんで直樹の部屋に女の人が出入りしてるの? 保護者ってどういう意味? 司くんって小学生の頃、いなくなったって言ってた男の子よね? 見つかったの? なんで保護者? が鏡から出てくるの? 直樹の鏡って自由に出入りできるの? 青い猫型ロボットなの? 竹で作られた飛行装置で空を飛べるの? 机の引き出しに時間移動する装置が有るの? 食べればどんな言葉でも理解出来るこんにゃくが有るの? 私、ドイツ語赤点すれすれだから有れば私も欲しいな。」
「苺さん、落ち着いて。……ドウ、ドウ。」
「落ち着いてるって言ってるでしょ! って私は馬じゃなーい!」
苺さんはかなり興奮していた。
無理も無い。
鏡から人が出てくる、手品のようなしかし種も仕掛けも無い現実を見てしまえば俺だって混乱して同じようになる自信がある。俺は落ち着かせようと両手を上げて苺さんの顔の両脇をつまみ上げてみた。
「……あんた、火に油注ぐような事してどうするのよ。」
「直樹くん、女の子はもっと優しくするものよ?」
俺と苺さんを見ていた二人が冷静な声で言う。七歌はこれ以上、怒らすな。という態度で俺を叱ってきたが俺の何が怒らせたのか分からなくて戸惑ってしまった。しかし苺さんは二人が言っていた通り顔を真っ赤に染めて怒りだす。
「直樹! それは私が太っているって言いたいのっ!」
違う。違うんだ。痛みがあれば頭も冷えて落ち着くかな? って思っただけなんだ。
「……こぉの、馬鹿直樹ィ~っ!」
苺さんが拳を振りかぶった。
俺は殴られる事を予想して顔をガードする。衝撃に備えて両脇を腕で固め体を縮めた。
古代ローマより続く亀のガード。いや、本当か知らないけど。
上半身の守りを固めた俺に。
腹から肉が削ぎ落とされるような痛みが。
忘れてた。苺さんの得意の一撃は。
斜め下から打ち上げる肝臓打ち。
数秒は耐えていた俺の足も力尽き。
床に顔から墜ちていく。
自分の吐瀉物に顔を突っ込みながら。
試合終了のゴングが鳴っている。
もう駄目。




