エピソード6
日常に“あの子”が帰って来るのは間違いだろうか。
間違えてはいないはず。だけど。
私はそう思っている。けど語尾に“だけど”がついてしまう。親なのに情けないが、あの子がいなくなるまで苦しんでいた事に気がつかなかった。だから、帰って来ることを待ちつつも、それが正しいのか、分からなくなってしまった。
今から3年前、まだ小学生だった、あの子は突然、消えてしまった。
何が原因だったのか……あの子は学校で話しをする相手がいなかった、と聞いた。チームを作ると必ず余る子とも言われた。
それが嫌になったのか。
あの子が、そんな状況だったのに私は何も知らずに学校で何があったのか毎日、聞いていた。
それも嫌になったのか。
あの子は私の姉さんは息子に恋情を持っていた。しかし姉さん家族は勿論、私達も諦めるように諭していた。
それは仕方がない事ではあったけど。
親の私に何も言わずにいなくなった、あの子が戻って来るのではないかと一日に何回か昔、住んでいたマンションまで片道、一時間の道を歩くのが習慣になってしまった。
あの子がいなくなってから仕事も手につかなくなりイベントにも行かなくなった。夫も同じで私達は住んでいたマンションを売らざるを得なくなり今は姉さんに保証人をしてもらい、やっと見つけたアパートに住んでいる。
そのマンションとの往復に寄り道をして大きめの公園を通るのは、あの子が何時もチョッカイをだしては追い払われていた鵞鳥がいるからだ。あの子が帰って来たら必ず鵞鳥にイタズラを仕掛けるだろう。だから毎日、様子を見に来ていた。
鵞鳥の鳴き声がした。
昔、よく聞いていた鳴き声が公園に響く。この鳴き声は司がいた頃、聞いていた声で間違いない。
走って鵞鳥の住み家に近寄ると姉さんの子供達と見慣れない子供が一人。
「司っ!つかさっ!」
私は思わず叫び……その子を見て落胆する。鵞鳥と遊んでいた、その子は夜が近づき暗くなる中でも分かる金髪が特徴的な。
女の子だった。
「司じゃないのね。」
私の子供は正真正銘、日本人、そして目の前にいる可愛い女の子とは全く違う、イタズラ好きの男の子。
鵞鳥が、此ほど騒いでいたのは息子がいた時ぐらいだったから期待してしまったのだけれど……そう、よね。
「……ごめんなさいね。息子と間違えちゃって。こんなに可愛い女の子に失礼よね?」
私は動揺しているのを隠し子供達に笑いかけると家路についた。
もしかしたらなんて、そんな都合の良い話しは無いわよね。司が苦しんでいた事にも気づかなかった、愚かな私に。
夜も更け、夫と静かで質素な夕食を済ませた頃。アパートのドアがノックされた。
コンッコココッコンッ。
……そこに姉さんと姉さんの夫が立っていた。
そして、私達は有り得ないような不思議な話しを二人から聞かされたのだった。
「……姉さん。流石に信じられないわ。」
私達がよくネタにしているライト・ノベルには似たような話しが有るけど……あれはゲームの世界に取り込まれて出てこれなくなる話しだったわね……後はゲームの世界だと思ったら現実の世界で凄すぎるってなる話しもあったわ。これは近いわね。ただ、この話しはログアウトはできたわ。
面白いしネタにもなったけど、ちょっと違う話しよね。隣の夫を見ると隣でも同じ顔で私を見ていた。
困った顔の姉さんはどう言うべきか思案するように頬に手を当て
「……美樹さん。こうしてはどうだろうか?」
祐介さん……姉さんの夫が先に口を開いた。
「信じられないのは仕方がない。時間をかけて彼女を見ていき納得するしかないだろう。だから、まずは彼女を私達、家族が保護する事にする。うちの直樹が彼女を司くんと言っているから、それは問題が無い。貴方方は気持ちを落ち着けてから彼女を見に来るといい。」
普段は、無口な祐介さんの言葉に救われた気がした。信じる、信じない、で言えば信じられない、だ。けど、この話しが本当の話しで本当に司が女の子になったのであれば一度も会わずに偽者扱いをするのは……親として出来ない。
「祐介さん……有り難うございます。その申し出、受けさせてもらいます。」
頭を深々と下げて夫が礼をした。ふと時計を見ると、もう日付も変わり、さほど経たずに日が昇る時間になっていた。
「気にするな。」
軽く手を振って下げた頭を上げさせた祐介さんはニヤッと笑うと夫に
「司くんに会うときは覚悟をしてくる事だ。金髪好きの当麻くん。」
そう言えば私の夫は女の子の絵を描くとき黒髪や茶髪は滅多に描かない。私と会った時も超高校生級のツインテールの金髪の女の子の姿をしている時だった。
えー? 結婚してから十数年、初めて知ったんですけどぉ?
私が夫を見ると夫は私と逆隣を見ていた。
いや、そっちに誰もいないし!
更に睨むように見ていると
「もしかして、祐介さん、怒っています?」
「いや? 別に。」
「……先日のアシは、本当に助かりました。徹夜迄させてしまって。締め切りギリギリだったもので…………。」
「別に。翌日の会議に遅刻して、この年で皆の前で怒鳴られただけだ。問題ない。」
え~? 怒っていますよね?
しかし、昨日までの重い気持ちが何処に行ったのか軽口に笑える位には楽になっていた。祐介さんが狙ってやったのなら、多分、狙っていたのだろうけど。
「ありがとうございます。」
私が頭を下げると隣で夫も改めて下げていた。
アシスタントの事も私達の子供の事もお世話になります。
「……大丈夫だ、問題ない。時間が出来たら何時でも見に来るといい。」
厳つい顔を柔らかく歪ませ彼は笑顔に見えない笑顔で頷いた。しかし、それから一ヶ月以上、会う事が出来なくなり私達、夫婦は焦れた毎日を送る事になる。




