エピソード1~司。そして鵞鳥~
俺達のいる、この中央東公園は広い敷地に海岸や海水浴場と運動場そして小さな動物舎が付属している変わった公園だ。無料の動物舎には鳥が数種と猿と栗鼠等の小動物が飼われている。この数種の鳥の中に鵞鳥がいる。白い羽と橙色の脚が特徴的な鵞鳥は可愛らしい姿が人気なのだが司にとっては“仇敵”だった。勿論、理由があっての事だ。あれは、司が幼稚園に通う前の頃。俺達は、この公園に遊びに来ていた。父さんや叔父さん達も一緒だったからピクニックにでも来ていたのかもしれない。司は白い服を着ていてよちよち、ふらふら、と歩いていて俺達は少し離れた場所で見ていた。そして俺が動物舎の小動物を見に行こうとした時、司の悲鳴が聞こえた。
「やあぁぁぁー。」
慌てて司を探すと…司は泣きながら走っていた。ただ、走る事に慣れていないせいか歩くのと変わらない早さだったが。司の後には白い羽の鵞鳥、更に後に茶色と黄色の塊、子鵞鳥が数匹ついてきていて親鵞鳥は意外に鋭い声で「ガー」、「グワッ」と鳴き逃げる司を追いかける、「くわっ。くわっ。」と子鵞鳥は親鵞鳥を追いかける。
黙って叔父さんはビデオカメラをかまえ撮影し始め叔母さんはツボったらしく、足をバタバタさせて喜んでいた。この逃走劇は1分程で司が力尽き、親鵞鳥に襲われそうになった所で俺が助けたのだが司にとっては鵞鳥が夢に出てくるぐらいに怖かったそうだ。
小学生になった時この映像を見た司は
「なんで僕が逃げてるのに、みんな、ほっこりしてるの。」
映像の中で俺達は追いかけ回されている司をニコニコしながら見ていた。なんで?と言われても理由はないが…司、親鵞鳥、子鵞鳥のおいかけっこが楽しそうに見えたからじゃないだろうか。そう言ったら司はむくれて1週間、口をきかなくなったが。それ以来、司は年に何回か、鵞鳥に会いに来てはちょっかいを出して撃退される事を繰り返していた。成長して高校生ぐらいの体の大きさをもつ今なら勝てるっと思ったようだ。
「今こそ復讐の時。」
そう、いきりたつ司を抑える事が出来なかった。司の目にはまだ涙の痕が残っていたし、俺も七歌も空元気で悪い顔をする司にかける言葉が無かった、という事もあった。
日が落ちかけ夕闇が近づく頃、司は鵞鳥が集まっている場所に来ていた。小学生の頃の司は鵞鳥にとってウザイ奴であったらしく、近づかなくても見るだけで警戒されていたが、今の女の子の司は初めて見た為か、そこまで警戒されていない。
イケる。
司が笑顔になった。背中に回した手を握り締め。
あー。俺と七歌は声にならない声を出した。
司は油断している鵞鳥に手を伸ばし。
知らない風を装いながら羽を逆立て警戒していた鵞鳥は伸ばされた司の右手を左翼で払う。すぐさま伸ばされた左手は右翼で打たれ反らされた。両手を大きく拡げたような姿の司に鵞鳥は飛びかかる。鵞鳥は嘴では高さが足りないと思ったらしく、両翼を天に掲げると大きく跳ね、スクリュー気味の両足蹴りを司の顔に叩き込んだ。一瞬、首が後に折れた司だったが体制を立て直すと不敵な笑みを浮かべた。それを見てとるが早く。
「グワッガー、グワッグワッグワッガー。」
鵞鳥は高らかに鳴いた。敷地内にいた全ての鵞鳥が集まってくる。その数、20匹ぐらいか。
「…あぇ?……え?…え?…えぇ?……ま、まっいたっ!ま、まっ、ちょっ!いたっ!いたたっ!ま、まっ…ちょっと、まって!……いたいっいたたた、いたたたたたっ……ちょっまって!お願い、ちょっと…いたっ!…ご、ごめん……ごめんって。いたっ!いたいっって…やっ!ちょっ…ごめん、ごめんなさいすみませんもうしませんたすけてゆるして!…あー~…いだいっ!いだいよぉ…もう、やー!たすけてぇーおにいぃちゃぁん。」
鵞鳥の声と司の声が公園に響いた。
「あらあら、久しぶりね。」
「ああ、すっかり大きくなって。」
散歩していた老夫婦が鵞鳥に埋もれている司を見て嬉しげに話しあっていた。
「相変わらずトム君は強いな。」
「あらあら、トム君なんて。女の子なんですよ。トムちゃん、て呼んであげてくださいな。」
にこやかな会話に俺はいたたまれず俯いてしまった。顔が恥ずかしさのあまり赤くなっているのが自分でも分かる。見ると七歌はやや離れた所にいた。
「お~い、七歌!おじいちゃん達だぞ。昔、良く話していたろ?」
七歌は何してくれてんのよ、と睨んできたが視線を反らしてかわす。
七歌だけ他人にさせないぜ。兄妹だろ?
「どうも、お久しぶりです。」なんて挨拶を始めた七歌に背を向け白い絨毯を見る。司は鵞鳥の下に敷かれて身動きしない。鵞鳥達はまだ、足踏みしていた。
さて、どうやって助け出そうか。
俺が助け出した頃には司は泥の怪物のようになっていた。“ふしぎなおどり”を踊りそうな司は汚れた顔をあげて
「……う、う…ひどいよ。お兄ちゃん……。」
涙目で責めてきた。救援要請に即座に答えなかったのが不満らしい。しかし怒りの気配に満ちた鵞鳥達を宥めた俺の苦労も察して欲しい。
向こうでは老夫婦と七歌がお別れの挨拶をしている。老夫婦は司にも「残念だったね。」、「次が有るさ。」と声をかけて去っていった。俺としては、もう、勘弁してくれって気持ちだったのだが。
昔は平気だったんだけどな。これが“大人になる”って事なんだ…。
司の後に見える暗い水面を何となく見てると七歌も似たような顔で海を見ていた。
「司っ!つかさっ!」
突然、女の人の声が響き司が震えた。
俺達も驚き振り返る。
痩せ細って落ち窪んだ目元の女の人。
俺の母さんの妹であり司の母親。
美樹叔母さんが驚愕の顔で立っていた。




