戸惑いと裏切りと24
突然だった。
今まで、僕を飾ってくれてた林檎さんは暗くて底冷えする目を向けている。
思わず飛び退こうとした僕は、絡めとるような動きをした林檎さんに押し倒された。
「次はアイラインを描こうかなぁ?」
だから動いちゃダメだよぉ?
クスクス笑う林檎さんは、僕の上に寝そべって目の辺りに串みたいなのを持ってくると、わざとらしく串を向けてくる。
「ほらぁ、目を瞑らないとぉ?」
刺すみたいな動きをさせながら、蠱惑的に笑う林檎さんに恐怖を感じた僕は黙って目をギュッと閉じた。
「あんまり力を入れると上手く描けないんだよぅ?」
ほぉら、リラックス、リラックス。
そう言っているけど、僕の脳裏にはさっきの瞳孔の開いた瞳で見てきた林檎さんがちらついてリラックスなんか出来ない。
「あなたが来てから2人ともギクシャクして見てられなかったのよぉ。で、いっちゃんは寂しがり屋だからぁ、私が泊まりにきたりもしたんだよぉ。」
意味判るかなぁ?
僕の上で愉しげにしている林檎さんは、僕に話しかけているのか違うのか、ハッキリしない態度を取りながら
「私、高校からのツレなんだけどね? いっちゃんって男運が悪くて、ろくでもない男しか来なかったんだ。……だから、さ。いっちゃんが“好きな男が出来た”て言った時はビックリだったんだよ?」
柔らかくて細い物が目元を擦る。
「会ってみたら! いっちゃんに相応しいとか思えないような子でね? 私、絶対に認めないって言ってたんだけど、やっぱりいっちゃんが“好き”って言うなら。そう思える様になってきたのに。」
「……僕は……。」
僕は、何を言おうとしたのか。けど、自分でも何をどうしたいのか分からなくなって言葉に出来なかった僕の両頬を強く押さえた林檎さんは、
「ちょっとチーク入れてみよ?」
と耳の下て言うか、頬との境い目をスポンジみたいなので触わってきたからビクッてした。
だって。無いとは思っていたけど、もう少し下には身体を維持するための大事な血管が……。
「最後はリップだよ? ほら、ン~ってして? ……誰かとキスするみたいに。」
林檎さんは、やけに艶っぽい声で僕がしたことの無い行為を、求めてくる。
僕がキスしそうになったのは、ずっと前にお兄ちゃんとハンバーグ屋さんに行った時の未遂事件しかない。あの時はまだ男の子だったけど期待したし一生の思い出ってドキドキしてたのに、いきなり頭突きされて
「ナンデ? ドウシテ? バカなの?」
ってやたらキレた気がする。残念な事に、これが“キス”に関しての最高で最大の思い出だ。
……こんな思い出が最高なんて、なんか泣きたくなってきた……。
「んん? キスしたこと無いの? それじゃ唇出しすぎたよ?」
クスクス笑って林檎さんは、僕の上から下りて僕を起き上がらせてくれる。
「ちょっとだけ口を開いてねぇ、唇は尖らせないでぇ、もっと自然にするんだよぉ?」
言われても、どうしたら“自然”なのか判らないから困ってたら
「ン~慣れれば自然に出来るんだけどねぇ。ちょっと難しかったかなぁ?」
こうするんだよぉ?
って林檎さんは僕の額にキスをした。その感触にビックリして閉じていた目を開けると、瞳孔の開いた怖い林檎さんは、ニコニコ可愛く笑う林檎さんに変わっていて
「ほらぁ、これでオッケー。見てみてぇ?」
僕を鏡に向かい合わせる。そこには僕じゃない僕が驚いた顔をして映っていた。
「顔つきが派手じゃないからぁ、少し濃い色を使って立体感を出してみたよぉ。それとぉ、目元のラインで猫目をイメージしたんだぁ。けどぉ、あなたはどっちかで言えば“イヌ”なんだけどねぇ。そこは失敗したかなぁ?」
よくこんな時に言う言葉があるよね。まさか僕が言うとは思わなかったけど。
「これが。……ボク……。」
今まで化粧ってなんでするのか判らなかったから、蒼井さんたちに言われてもする気になれなかった。だってボクは……。
「気に入ってくれたぁ?」
林檎さんがボクに訊いてきたけど、ボクは言葉が出ないまま、鏡と向かい合って……鏡の向こうのボクを見ていた。
そう言えば、最後に鏡見たの何時だっけ?
朝、バシャバシャって水掛けてタオルで拭くくらいしかしてなかったボクは、普段は意識して見ない様にしている。それは“魔王討伐”の旅をしていた頃の、すさんだ自分の顔を見たくなくて、なんとなくしてきた事なんだけど、
「ボク……ボクじゃない、みたい……。」
ポロリ、言葉が出てしまった。そしてその事に驚いて。それから恐くなる。
だって、鏡に映るボクは、ボクが見ても可愛くて綺麗な“女の子”だったから。確かにボクは、胸が膨らんでいて、けど大事なトコには付いてない。毎月の憂鬱な時間も何年か体験していているから、自分でも今さらなんだけど、鏡を見たボクは自分が“女の子”なのを自覚した。それくらい化粧をしたボクは、ボクに見えなかったんだ。
「お化粧ってねぇ、落ち着いた顔つきしてる方が“映える”んだよぉ。どぉかなぁ、別人みたいでしょぉ? これが“お化粧した女性”だよぉ?」
鏡越しにボクを見ながら、林檎さんは言う。
「お化粧するとぉ、気持ちが変わるでしょ? そして自分に“素直”になれるんだよぉ。」
林檎さんはボクの髪を整えながら囁やいてくる。
「ねぇ、なんで今さら“大事なはずのオニイチャン”をいっちゃんに押し付けようとしてるのかなぁ? ちょっと林檎さんに言ってみる気にならない?」
ボクは言葉を無くした。だって言えるわけ無いよ……ボクが脅迫されて好きでもない人とケッコンするなんて。言ったら苺さんに絶対、伝わるよね? そして苺さんからお兄ちゃんに伝わって、お兄ちゃんはボクの為に無茶をするかもしれない。けど、そのせいでお兄ちゃんの家族に危険が忍び寄ってくるんだ。
ボクが住んでいた神殿に残してしまった、こっちとあっちをつなぐ“神器の鏡”を使って出入りしているらしい、この小国の貴族の一人は“ボクのお兄ちゃん”の家族を何時でも害せるってボクに言っている。だからボクは、お兄ちゃんが“幸せ”になるために、お兄ちゃんの家族を守るって決めたんだ。
……言えるわけ無いじゃないか。そんな事。
「ここに来る時も言ったけどぉ。私ってぇ、部外者だからぁ。だからこそのアドバイスは出来るって思うんだぁ。ね、そんな顔で鏡の自分を見なきゃならない気持ち、林檎さんにも教えて?」




