戸惑いと裏切りと15
フッと気づいたら僕が寝ていたベッドは真ん中から折れて壊れていた。ちょっと八つ当たり気味に叩いていたんだけど、耐えきれなかったみたい。安い品物じゃないのに、僕が叩いた程度で壊れるなんて脆すぎじゃないかな?
窓の外から薄いカーテン越しに陽射しが差し込んだ部屋はベッドの破片が広がりベッド横に置いてあったサイドチェストまで砕けている。それを見ながら完徹して寝不足なままボウッとしていると部屋の外から人が行き交う音がし始めた。その頃になって、ようやく僕は酷い格好になっていた僕自身に気づいて、血まみれになった自分の手を癒し汚れた服を着替えた。
部屋に置いてある姿見に映る僕は、肩まで伸びた金髪に碧眼の可愛い女性だ。僕とお兄ちゃんがオンラインゲームを楽しんでいた頃に、お兄ちゃんがデザインしたアバターの姿、それが僕の今の姿で、この姿なら僕はお兄ちゃんと一緒でもおかしくはないって思っている。
10歳違いで男の子だった僕は、この姿になってからは、お義父さんやナナカねーちゃんには高校生位に見えているらしい。なら、今大学生のお兄ちゃんとは年齢が釣り合うんじゃないかな?
だから、他の人とは違って僕は本気で女神を嫌ってはいない。だって今の僕は、お兄ちゃんが好きだった昔のアニメに出てくるキャラクターとそっくりだったから、もしかしたらだけど、お兄ちゃんの奥さんになれるかもって、男だった時には絶対無理だった結婚して一緒に暮らせるかもって思えたからなんだ。
けど、そんな僕の願いは裏切られて、やっと戻ってこれた時には、お兄ちゃんには好きな人がいた。それも、鈍感で無頓着なお兄ちゃんを呆れながらも大切にしている人で……もし僕が男のまま大人になったらこんな感じになるんじゃないかなって言うくらい男の僕にそっくりな人がお兄ちゃんの恋人だった。
それまで、お兄ちゃんの理想は今の僕だと思っていたし、初めて今の姿で会っても僕だと信じてくれていたから、フワフワした気持ちでその先の展開に期待していた所に凄い絶望を感じたのを覚えている。
「貴女はこの世界では唯一無二の存在で、その貴女を手に入れようとする存在は数限りなくいます。貴女の“おにいさん”では貴女を守りきれないし、貴女も“おにいさん”を守りきれないでしょう。」
昨日の別れ際に僕と同じ金色の髪をした男は、いかにも苦渋の思いを告げるといった表情を浮かべ
「貴女も“おにいさん”も別の世界から来たのは知っています。貴女方の世界は、私のいる世界より進んだ文明を持つ世界である事も。ですから私は思うのです。」
毒を盛るように言葉を重ねて
「この世界に居場所のある貴女が、こちらではない世界に住む“おにいさん”を縛りつけても良いのかと。」
僕はお兄ちゃんが好きだ。
お兄ちゃんと仲良くする女の人がいるって聞いただけで邪魔をした事もあるし、僕だけを見てくれなければ向いてくれるように仕向けた事だってあった。
「“おにいさん”が住む世界は、この世界より住みやすいのでしょう。しかし、こちらの世界は何事においても身分があります。ルソラ様は英雄の一人に数えられる至高のお方。ですが“おにいさん”は違います。ルソラ様から親愛の情を向けられた彼は大陸中から羨望と嫉妬を一身に受ける存在となり、やがて疲弊していくでしょう。」
やり過ぎた僕のせいで、お兄ちゃんは疲れきって学校に通う事も出来なくなり、部屋に閉じ籠って僕や家族とも会わない日が続いて。ようやく部屋に入れた時には、痩せ細った身体と誰も見ていない暗い目をしたお兄ちゃんは今にも消えそうだったんだ。
いくら、いけない誘惑から守る為であっても、あんなお兄ちゃんは見たくない。もう二度とするもんかって誓ったんだ。だって僕はお兄ちゃんと一緒なら幸せだけど、お兄ちゃんも幸せじゃなきゃ僕に意味はないから。
「別にもう会うな……そんな話をしているのではないのです。ただ“おにいさん”には不自由の無い世界で暮らしていただき時折、相談を聞いて貰えれば良いのです。」
その男は、そんな僕がお兄ちゃんの傍にいることすら危険と言ってくる。お兄ちゃんに会う為に何でもしてきた僕に、世界を救った英雄とか、女神の御子とか、聖女とか、迷惑で勝手な肩書きを付けた人達が自分達の理屈で会うなって言っていた。
別に僕は、この世界に思い入れはない。だから、いっそのことニ逃げてしまおうか……そんな事を考えたけど、僕以外のみんなは元の世界に居場所がなくて戻ってきている。僕が居なくなってとばっちりを受けて、この世界でも居場所がなくなる様な事になれば。
「我がクリストル家は、小さいながらも公爵家。私ならば御守りする事も出来るのです。」
誰を、とは言っていない。ただ、英雄としての僕をわざわざ守る必要はないし、そもそもこの男は英雄の僕や蒼井さん達が必要だから余計な手出しはしない。なら、貴族という特権地位にいる男がわざわざ守る必要があるのはお兄ちゃんしかいないじゃないか。
「私は、世界の安寧と自国の平和を願っています。しかし、この世界は広大です……いくら天より授かった才能が高かろうと一人の能力では到底たどり着ける事ではないでしょう。ですが、ルソラ様の言葉添えがあれば話は違います。ルソラ様は、七英雄の一人にして彼らの中心に位置するお方、その言葉は信者のみならず彼ら英雄をも動かす事でしょう。そして私はルソラ様と共に生きる者として、お守りする事を約束しましょう。」
お兄ちゃんや僕、蒼井さん達が違う世界から来た事を知りながら守る事を強調する男の言葉に何も言えなくなる。ただのハッタリならいいけど、違う世界に住むお兄ちゃんを“守る事”が出来るのは、お兄ちゃんがいる世界に行けなくてはならないから。
“守る為”に行くことが出来るという事は“害する為”にも行ける事を意味している。だから、わざわざ強調してイヤな嗤い顔をした男に、僕は何も言えなくなった。
「ルソラ。私の求婚は受けてくれますね。」
問いかけというより確認。断られるなんて事は考えていない断言する男は、立ちすくむ僕の手を引き腰と肩に腕を回すと。
○○○
鏡に映る自分を見ながら、昨夜の出来事を思い出さしていた僕は、この洞窟の中に創られた神殿で信者を取りまとめていた3人の高司祭の一人が部屋に入ってきた事で我に返る。
彼女達は、僕が軟禁されていた前の神殿で、僕の世話をしていた侍祭達だ。僕が前の神殿を抜け出る手助けをした後、連れ戻そうとする勢力に嘘の情報を渡して混乱させた。そして、貴族の家を捨てて僕の元に来てくれた人達で、自分の名前すら捨てて支えてくれている人。
その人は、鏡の前に立った僕に困った顔を向けていた。
「え~? 寝てないんですかぁ? 目の下にクマできてますぅ。」
元、伯爵令嬢とは思えない言葉使いだけど、ポートプルー伯爵の又従姉妹の娘だったクラリスは、僕が付けたクリスの名前で呼ぶ様に言ってくる。お兄ちゃんに紹介するときにA、B、C順で付けた適当な名前だから、僕を助けてくれる人だと分かった今は、きちんと呼びたいんだけどな。
クリスは僕と同じ金髪碧眼をした美人さんで、少し甘えたような言い方をしている。実際、貴族の地位を棄てるまで回りに甘えてきていたから、神殿に来て僕の従者みたいな事をし始めた頃は着替えすら一人で出来ずによく泣いていた。
「酷い顔になっていますよぉ。今日は神殿に出ないで休んでいてくださいねぇ?」
そんなクリスも、いつの間にか身に付けていた年上らしい落ち着いた物腰で、破散したベッドや血に汚れた僕の服をササッとまとめると、
「後で掃除しますから、このままでいいですよぉ。汚れを流して少しゆっくりしてくださいねぇ。」
笑って言う。
何があったか聞かないけど、なにかを察した様子のクリスは、今日の予定をキャンセルして休暇をくれた。もしかしたら僕は休みにしなきゃならないくらい酷い顔をしているのかな?
僕はお兄ちゃんの為に居るんだから、お兄ちゃんの為にならなんだってする。そうやって今までしてきたし、これからだってしていく。
それが一晩中考えた僕の結論だった。あの男は僕が忘れていたそれを思い出させてくれたのだから感謝した方がいいのかな。
お兄ちゃんが大学生になって農産物の研究をしているのは、世界のどこでも美味しいごはんが食べたいって言った僕の一言がきっかけだけど、世界が違っても美味しいお米が出来るのかって、お兄ちゃんは楽しそうに研究している。そんな研究が出来るのは僕がお兄ちゃんを呼んだからなんだけど、その僕がお兄ちゃんの楽しみを奪う様な事をする訳にはいかない。
僕を抱きしめた男が耳元で囁いたのは
「私は世界を行き来する術を持っている。」
そう言った男は、なにも言えなくて黙って立つ僕の口に気持ち悪い顔を近づけ。
初めてはお兄ちゃんと……と漠然と思っていた僕は信じられずにボウッとしながら涙が出てきた。そんな僕を見た男は小さく嗤い去っていく。
気持ち悪くて悔しくて吐きそうだった。
けど。
僕が我慢すれば、お兄ちゃんは楽しく研究が出来て安全な所に居れるんだ。だから、僕が出した答えは。
「ねぇ、僕が結婚したら、どうする?」
唐突な僕の言葉にクリスはびっくりしたように見返して、少し間があってから微笑んだ。
「驚きましたぁ……ナオキ様とですねぇ? 私は賛成ですよぉ。」
驚いたって言う割には何時も通りの声で、お兄ちゃんとの仲を祝福してくれる。けどね、残念……僕の相手は
「ううん、アレクと。」
う“ぇえ“え“、と貴族の嗜みを守るクリスに淑女の出す声じゃない声をあげさせた事で、なんとなく気が晴れた僕は「ま、待ってください!」って声を荒げたクリスを部屋に置いて外に出る。
こうなったら、お兄ちゃんには絶対に幸せになってもらわなきゃ、なんだし。
○○○
お兄ちゃんは、男爵領の領館で領地改造の指揮を執っている事が多いんだけど、今日は執務室にも会議室にも居なかった。何時もなら侍女長の橘さんがどことともなく現れて、お兄ちゃんの居場所を教えてくれるんだけど、今は公爵家の嫡男やそのお付きの世話で忙しい様で、あちこち探し回った僕が数少ない侍女さんを見つけて、お兄ちゃんの居場所を聞いた時には結構、時間が経っていた。そして聞かされるお兄ちゃんが休みを取っているって話。覚悟を決めてきただけに脱力感に襲われたけど、休みを取ったお兄ちゃんがどこに行って誰と会っているか想像して嫌な笑い方をしてしまう。
なんか、僕が何もしなくても上手くいってるじゃん?
自分で自分がバカみたいだって泣きたくなったけど、領館の中に作られたお兄ちゃんの執務室から鏡を潜って、お兄ちゃんが居る世界に来た。
こちらの世界では、今、僕が着ているフワフワヒラヒラしている服は目立つ。どのくらい目立つかと言うと!祭りも無いのに浴衣で歩くくらい目立つから、ナナカねーちゃんに服を借りて着替えなきゃならない。
最初は、お兄ちゃんの子供の頃の服を借りていたんだけど、お兄ちゃんは男だから……。ちょっと身体の一部が合わなくて伸びちゃったり、締められて苦しくなったりで、今はナナカねーちゃんに服を借りている。まあ、ナナカねーちゃんのもキツいんだけど。
ナナカねーちゃんには、勝手に服を借りても良いって了承をもらっている。しかも昼前のこの時間なら、まだ高校生のナナカねーちゃんなら学校だろうってノックもしないで部屋に入った僕は、ベッドに仰向けになって半裸でスマホをにぎる女子高生を見る事になった。
僕より小さいけど、蒼井さんよりは大きな胸をピンクのブラで隠して、下は白に赤いリボンが付いた下着を履いている。いくら真夏の暑さとはいえ、少しだらしがないって思った僕は
「上と下は合わせた方がいいと思うよ?」
いきなり入って来られて固まっている、少し子供っぽい下着姿のナナカねーちゃんに心の底から忠告したのだけど、
「うっさいっ! 死ね!」
ナナカねーちゃんは、僕に枕を投げつけると、ブランケットで身体を隠して怒りだしたのだった。




