戸惑いと裏切りと13
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
僕は自分の神殿の自分の部屋まで帰って来て枕に顔を埋めて思いっきりベッドを殴る。
何回も何回も繰り返し殴ると丈夫に作ったはずの木のベッドもフレームがへし折れてマットレスが斜めにずれた。
ぼふっ!
それでも我慢出来ないままマットレスを殴るけど、情けない音を立てて裂けただけでちっとも気が晴れない。だいたい頭が下になって血が上るだけで気持ち悪くなるし。
「アレクさんの言葉は嬉しいですが……俺には国の政治とかは分かりません。」
僕の予想通りに、お兄ちゃんはアレクサンドの勧誘を断ったんだけど
「まあ……ただ、俺は“聖女”様を手助けする為にここにいますから、アレクさんと“聖女”様が一緒に王都に行くなら支援するつもりはあります。」
えっ?
そう、思った。声に出ないのが不思議なくらいびっくり。さっきの“女神”が仕掛けた“鏡”のびっくりより、びっくりした。
「ほう。“聖女”様の支援ですか。」
「ええ、“聖女”様は俺に付き合って苦労させましたから。この先は、ちゃんと幸せになって欲しいんです。」
僕の視界の隅で、メイド姿の橘さんが空を仰いで額に手をやっているのが見えて、頭の中ではお兄ちゃんの言葉が何回もループする。
「アレクさんと“聖女”様が一緒に王都」
僕が! ここに来るまで名前しか知らなかったアレクサンドと! なんで王都なんかに一緒に行かなきゃならないの?
あまり言葉がループするからだんだん気持ち悪くなってきた。
「それは素晴らしい心構えだと思いますが、支援とはどのようにするつもりですか?」
「この男爵領での結果次第ですが、農作物の指導ですかね?」
「そうですか。私はこの領の街並みも気に入っています。王都では下町は臭くて汚いのが当たり前でしたが、この領では実に綺麗で清潔だ。この方法は教えては貰えないのですか?」
「それは難しいかもしれないですね。まずは清潔にするという習慣が……。」
なんか、お兄ちゃんとアレクサンドが話してるけど、ぜんぜん耳に入らない。
え、なに? お兄ちゃんは僕がアレクサンドと王都に行くって思っているってこと? それともアレクサンドと行けって言いたいの? 近くにいるなって意味? アレクサンドと一緒に王都行って、お兄ちゃんがいないのに“幸せに”なれるとか思っているの?
グルグル目まで回ってきた。頭は熱くなってきてるのに背筋は寒くて胸が痛くてお腹はムカムカする。
僕はお兄ちゃんを知ってる。
お兄ちゃんは僕が赤ちゃんの頃から僕の傍にいてくれたから。僕が苛められている時に助けに来るのはお兄ちゃんだった。分からない勉強を教えるのも、縦割り教育とかいうので僕の“お兄さん”をするのも、お兄ちゃん。
いつだってお兄ちゃんがいたから、お兄ちゃんをよく知ってる。そう、思っていたのに。
ワケわかんないよ!
僕にとって意外で衝撃的なお兄ちゃんの言葉は、お兄ちゃんにとってたいして意味がなかったのかもしれない。アレクサンドとごく普通に会話が続いていた。それも和やかにお茶を飲みながら言葉を交わしていて凄く仲良さそう。
……すっごく仲良さそう!
見ていたら、イライラしてムカムカしてなんかがっかりしたっていうのか、僕ってやっぱり、お兄ちゃんから見たら“いとこ”でしかないのかもって思ってしまう。そんな事を考えてフッて過ったのが、ナナカねーちゃんと、アレクサンドからも言われた「邪魔者」。
僕はお兄ちゃんにとって「邪魔者」だったんだ。
今まで気にしないように考えないようにしていた言葉を自覚してしまった、その事にイライラもムカムカも吹き飛んで、ただ胸が痛くて苦しくて泣きたくなる。
「僭越ながらルソラ様がお疲れのようです。」
橘さんが、短く二人に告げてお兄ちゃんとアレクサンドは頷いた。これ以上、我慢できなかった僕はお茶会の解散を確認する前に席を立ち、挨拶もそこそこに神殿にある自分の部屋まで戻って来た。
そして僕は、今さらお兄ちゃんに腹が立ってしょうがない。
三郷野さんとの間に入り込んだのは僕だけど、お兄ちゃんが何を言っても諦めなかったのも僕だけど、勝手にいなくなって勝手に戻ってきたのも僕だけど!
僕はお兄ちゃんと一緒に居たかったから女性になったのに!
お兄ちゃんが選んでくれなきゃ僕は僕である必要が無い。
必要、無い……。
お兄ちゃんに苛立っていた僕は急に頭が冷えていくのを休み感じて、ベッドに八つ当たりをしていた僕は転がった枕を力いっぱい抱き締め顔を当てた。
お兄ちゃんの部屋から持ってきた、お兄ちゃんが使っている枕は、お兄ちゃんの良い匂いがして、何時もならお兄ちゃん抱き締められているような安心感を与えてくれるのに、今は何故かお兄ちゃんの匂いが素っ気なく感じて、お兄ちゃんに拒否されたみたいで堪えきれない涙がポロポロ出てきた。
「……お兄ちゃん……。」
思わず呟いた言葉は、僕が思うよりか細い音で、海辺に騒ぐ波のように部屋に溶けていく。
○○○
俺が精神的な疲れからフラフラと大学から帰ってくると、俺の部屋に折り紙で作られた人形が、風船のみたいにフワフワと浮かんでいた。
白い紙で折られた人形は「橘」とペンで書かれていて至急と小さく横に記入がある。そんな人形はA3位の大きめなサイズで部屋に入った俺がポカンと見ている隙に一気に近づき
「つかちゃん大変! 至急来られたし!」
大音量でしゃべった。口も無いのに。
のみならず、俺の後ろに周り込むと背中めがけ体当たりして“鏡”に押し込もうとしてくる。
「待てって! 司が大変ってどういう意味だ?」
「つかちゃん大変! 至急来られたし!」
思わず紙人形に問いかけたが、さすがに“紙”。問いかけには答えず体当たりを繰り返しながら同じ事を繰り返すのみだった。
「橘」の名前が書かれていたから向こうでメイドをしている橘さんが何かの方法で動かしているのは分かるが、俺が引きこもっていた時にやっていたゲームの世界で、こんな怪しげな方法を見た記憶がない。一時的に混乱した俺だが、すぐにそんな場合じゃないと“鏡”に飛び込んだ。つまり、橘さんが今日は大学に出ていた俺を呼び戻す程の緊急事態だとようやく気づいたのだ。
紙人形は“鏡”から赤谷の領館? て言えばいいのか居城に入ると俺を先導して前をフワフワフラフラしながらかなりのスピードで飛んでいく。
「この方向は中庭か?」
そこは妹の七歌が設計した“成金が金にあかして和洋中の区別なく見た目重視で作った”ような落ち着かない小さな庭だった。そこで、ひきつる笑顔の司が、親しげに蒼井さんが捜してきた婚約者候補の貴族と話し合っていた。アレクサンドとか言う金髪碧眼の彼は男から見てもイケている男で、その彼が同じく金髪碧眼の司と話しをしている光景は花壇に咲き誇る花をバックに一枚の風景画のように違和感がなく、俺はしばらく二人を見ていた。
お似合いに見える二人に、思わず足が止まっていた俺が動けるようになったのは、司の表情が暗くなり、うつ向いてしまったから。
わざとらしく声をあげながら中庭に入ると、ホッとした司と苦い顔を一瞬だけした貴族のアレクサンド。すぐに彼は立ち直り、まるで俺を歓迎するような笑顔をしたが
「胡散臭い。」
小言で呟やいてしまう程度には裏のある笑顔だった。
アレクサンドは俺を「国の重鎮」として迎いいれたいと勧誘してきたが俺には興味が無い。それよりは“司の幸せ”を考えたいと気持ちを伝えたがアレクサンドは明るい笑顔のまま会話を続けてきた。そんな当たり障りの無い会話を元気が無い司の様子が気になりながら続けていたが、俺が司に話しかけようとするとアレクサンドが邪魔をする。そんな苛つく会話を続けていると、ついに橘さんからストップがかかった。
何かから逃げるように消えていく司を見送ると、笑顔の質を変えたアレクサンドが
「君には悪いが、“聖女”は私がもらい受ける。」
勝つ戦いしかしないような男が、勝つ事を確信した顔をして俺に告げる。
「選ぶのは俺じゃない。アレクでもない。」
俺も即座に返す。
司が俺を選ぶと言っているのではなく、司が誰を選ぶかは司しか知らない、と言ったつもりだった。
「言った通り、俺は“幸せ”になってくれれば誰を選んでいてもアイツを支える。それだけだ。」
俺の言葉にアレクサンドはニヤリ、と顔を歪ませる。
「では、ナオキ。私が勝ったら君は“聖女”と共にある私を支えるというのだな?」
「重ねて言うが、俺はアイツが“幸せになる”のであれば誰と共にあろうが支える。それはこの世界の神に誓ってもいい。」
俺が言い切ると、アレクサンドはしばらく黙して目を見張っていたが、やがて含み笑いをした。
「その言葉、主神たる女神に届くだろう。」
ククク……。
笑い声が漏れ、俺の肩に軽く手を乗せたアレクサンドは
「君は“聖女”の為に、私が“聖女”と共にある“私の国”を繁栄させるのだ。」
性格の悪さが顔に出る冷笑を浮かべ、高らかに笑い声をあげて去っていく。
「……だから、俺は司が誰を選んでいても支えるって言ってんだろ。」
それは俺の本心だったのだが、その言葉は成金染みた中庭の中、不思議と空しい響きを含んで消えた。




