長めのプロローグ12
「お兄ちゃん、ナナカねーちゃん。これから、セツメーっすけど、とりあえず最後まで聞いてな。」
相変わらず綺麗と言うか可愛いと言えば良いのか、そんな見掛けに合わない言葉使いをする女の子は、さっきまでの少しふざけた顔から引き締まった顔に変わった。
「信じられないって思うけど、あのゲームを立ち上げたのが始まりだったんだ。」
妹の七歌に椅子を勧め俺には机を指した女の子は窓際に寄りかかり、ゆっくり話だした。
「あの日、お兄ちゃんと英雄時間でパーティー戦をする約束だったよね。」
パーティー戦とは、数人から十数人が集まり共同体を組んで標的を倒す戦闘方法で、あのゲームでも使わなければ倒せない敵がいる程、重要な戦い方である。今ではレイド戦と言って6人ぐらいを1パーティーとして、数パーティーが同盟し標的に当たるが、英雄時間が流行っていた当時は画期的な戦い方だった。英雄時間では敵キャラと合わせて十人前後にしないとゲームがスムーズに動かなくなり最悪は固まったまま動かなくなるか落ちて自キャラが消えて使えなくなる、という恐ろしい罠があった。俺も、この罠にかかり高レベルキャラが消えた。作成キャラリストには名前があるのだが選択してもエラーがでてログイン出来ないのだ。だから俺は、それが嫌でアイツと二人だけでゲームの攻略をしていた。
「ゲーム機の電源を入れてすぐに、画面に。」
女の子がようやく本題に入りかけた所でノックの音と男の声がドア越しに届いた。
「聖女様。神官長様が、お呼びです。」
その言葉に、ふぅ~。と女の子がため息をつく。そのまま座りこんでしまいそうな態勢になったが、持ち直し立ち上がった。
「聖女様。いらっしゃいませんか。」
ノックの音は執拗に続き女の子は小声で呟いた。
「僕は”聖女“て名前じゃない。司って名前だよ。」
女の子は、いきなり俺と七歌の腕を取ると鏡に向かって歩きだす。俺達は女の子に半ば引きずられ
「ちょ、ちょっと。誰か来てるんじゃないの?」
七歌が女の子に言った。俺も頷く。だが、女の子は俺達を引きずって止まらない。
「気にしなくていい。」
女の子は冷たく言うと、ノックの音が聞こえないかのようにドアから離れ鏡に向かう。ドアの向こうでは「聖女様。聖女様。」と声がして、ノックが止まらない。
「聖女様。」コンコンコン。
「聖女様。」コンコンコン。
「聖女様。」コンコンコン。
一定の間隔で響く声と音。
「下らない話に決まっているんだから。」
「聖女様。」コンコンコン。
「聖女様。」コンコンコン。
「聖女様。」コンコンコン。
苛立つ事も無く諦める事も無く淡々と続く声と音。
「……いいの?…あれ。」
流石に七歌も気味の悪さを感じたらしく嫌そうにドアの方を見た。
「聖女様。」コンコンコン。
「聖女様。」コンコンコン。
「聖女様。」コンコンコン。
「飽きたら止めるから大丈夫。話の続きは、お兄ちゃんの部屋でしよう。」
女の子は軽く答えると「早く、早く。」と俺達を鏡に押し込んだ。
「聖女様。」コンコンコン………。
俺達は鏡に押し込まれ元の世界に戻ってきた。むにゅっ、とした何とも言えない感触が体を包み解放される。部屋には瞬きもしないで俺達を凝視している母さんがいた。口を大きく開けたまま動かずにいる。まるで恐怖体験でもしたかのように。
考えてみれば、向こうに行く時、七歌は悲鳴をあげていた。
女の子が部屋に来た時は俺も叫んでいた。
初夏にしては暑かったから窓も開けていた。
俺と七歌の声は何処まで届いていたのだろう。少なくとも居間にいた母さんには届いていたみたいだが。
そして、部屋に来たら鏡から何かが出てくる。
母さん、ごめん。驚かすつもりは無かったんだよ。
階段を駆け上がる足音が聞こえる。
短い廊下を蹴壊す勢いで走ってくる。
「母さん、どうした。大丈夫か!」
珍しい父さんの叫び声。
強面の御兄さん方も避けて歩く細くつり上がった小さい目と独特の鷲鼻。薄い唇が囲む口には牙と見紛う白い歯が。
凶悪的な特徴を持ちながら何故か全体的には美男子に仕上がっている父さんは慌てた様子で駆け上がってきて部屋で固まっている俺達を険しい顔で見た後、女の子を見て眉をひそめた。
「直樹。説明しなさい。」
いや、俺がしてほしい。
やや、経って俺達は居間に場所を移し女の子の説明を聞いていた。女の子は改めて最初からの出来事を話したが、俺達ですら信じれない現実味の無いそれに父さんは、深い、深いため息をついた。しかし、そこで話を終わらせる事は無く自分のこめかみを揉みながら女の子に問いかけた。
「私には、理解しづらい事なんだが、”向こうの世界“と”こちらの世界“は、そんなに簡単に行き来出来るものなのかい?何となくだが、もっと複雑で難しいものだと思っていたのだけれど。」
「…う~ん、そこは女神様の力としか。お兄ちゃんの部屋にある鏡が出入口になっているのも女神様から貰った”神器“のおかげだし、詳しいセツメーって出来ないんだよね。第一、僕が向こうに連れて行かれたのもゲームをしよう、て電源、入れた時にニュってテレビから手が出てきて頭を掴まれてズボってテレビに引っ張られたからだし。女神様だから、なんでもあり、なのかなって。」
女の子の答えに俺も色々、痛くなってきて、こめかみを揉む。母さんと七歌は梅干しでも食べた様な顔で女の子を見ている。
それからも女の子は説明してくれたのだが…。「信じれないだろうけど。」から始まりテレビ画面に引きずり込まれ、そこで女神様に世界を救う様に”お願い“され、同時に引きずり込まれた他の仲間と”向こうの世界“で5年間、戦い続けて”魔王“を倒した…そんな話、確かに信じれない。
だが俺達に混乱を、母さんに恐怖を与えた鏡を使った移動方法。
俺と七歌が見た”向こう側“。
女の子が自分の手を犠牲にして使って見せた”呪文“と”魔法“。
見ても信じきれないが、とても幻覚や手品には見えなかった。女の子は“魔法”の説明をする為に腰のベルトに差してあったナイフを「見てて。」と言いながら自分の手のひらに刺したのだ。甲側まで届く深い怪我に瞬間、居間の時間が止まった様に静かに、次いで怒気みたいなものが居間に満ちた。
誰が説明する為に自分を傷つけると思うのか。そのまま女の子は“魔法”を使って傷と飛び散った血を消すと説明の続きをしようとして雰囲気の悪さに「えっ?なに?」とでも言いたそうな顔になった。
俺は、呆れた顔を返した。女の子は訝しげな顔つきになって「ん?」と首を傾げる。
あの顔つきは自分が原因と気がづいていない顔つきだ。
性別は違うが見覚えのある顔つきに司の姿が重なった。
さすがに自称”司“なだけあって空気の読め無さが、そっくりだ。
俺が呆れている間に母さんは戸惑う女の子の手を取り子細に調べ女の子は”魔法“の効果を自慢し始めた。七歌も女の子に近づいて傷の無い手を見ている。だが七歌は両手を握り締めている。
俺は椅子から立ち上がると父さんの横に移動し
「…始まったな。」
七歌は自慢気な女の子の頭に拳骨を右手で1回、更に左手で1回、叩く…いや、あの勢いは殴る。七歌は案外、力ずくな怒り方をしないのだが、よっぽど腹がたったらしい。俺が知る限りだが、複数回、七歌の拳骨をもらった奴は司ぐらいしかいない。
ま、今のは、俺もイラっとしたが。七歌には、もう1発ぐらい、いって欲しいものである。
父さんは片膝の上に肘をおき、下顎を撫でながら苦い顔で答えた。
「…ああ。」
七歌は拳骨を落として気がすんだ様だが、母さんはこれから始まりだ、という顔で女の子の手を握ったまま話だしていた。そう、母さんの説教は長い。真綿で首を絞める様にじわり、じわり、と攻めてくる。ましてや、叱られている本人にその自覚が無いとあれば尚の事、分かるまで続ける。
「間違いない。説教だ。」
続く父さんの言葉に驚く俺を凄みのある目付きで見た後
「…しかも、長い。」
重々しい声で言った。
あの、お父さま。普段からテレビばかり見るな、と怒鳴る貴方が、この元の話、知ってる訳ありませんよね。知らないですよね。流れでそんな感じになっただけですよね?
俺の無言の問いかけに父さんは無言で返してきたのだった。
母さんによる長説教は30分に及んだが最後には、ただ謝るのではなく、これから自分を犠牲にしないで口頭で説明する事を約束して、というのか、させて、ようやく終わった。
ようやく本題の再開である。
「…で、だ。……私はよく分からないのだが…こんな事は、よく有る事なのか。…ゲームの世界に行ったり…………ゲームのキャラクターになったり……………性別が変わったり、とか。」
父さんが問いかけ辛そうに言った。
頭に出来た、2つのたんこぶを撫でている女の子に言いづらいのは分かる。だが、その質問はおかしいぜ。父さんよ。何を聞いているんだ。よく有る訳、無いだろう?よく有ったらゲームしている暇、無いわ。ていうかゲームする度に性別も入れ替わるのかよ。
父さんは自分でも、質問のおかしさに気づいたらしく、女の子が苦笑しながら何かを言うのを止めた。
「いや、違うな。私が知りたいのは君が本当に司くんなのか、なのだよ。まず、君も言っているように司くんは男の子だったし、いなくなった時は小学5年生で、あれから3年が経つから今は中学2年生になるはずだ。…君は女の子で、言い方は悪いかも知れないが、あまり中学生には見えない。寧ろ、高校生ぐらいに見える。これでは信じろ、と言う方が無理があると思わないか?」
頑固な職人気質すら感じさせる雰囲気をもつが以外と柔軟な考え方をする父さんは「有り得ない話」を完全否定せずに受け止めたうえで一番、肝心な事を問いかけた。
うん、確かに気にしているのはこの自称”司“な女の子が本物なのかだ。そこが解決すれば9割がた話は終る。
「…。僕の時間は5年だったんだけど、こっちでは3年しかたってないんだ。そうなんだ。」
だが、女の子は茫然自失で呟やき、あはは~と乾いた笑い声をあげた。その声はまるで法螺貝の様に低く轟いた。
「女神だからって何してもいいなんて思うなよぉっ!」
色々、溜まっていたらしい。そんな言葉と共に出てくる爆発した不満の塊を聞きながら、この女の子は本当に司かもしれないな、と思った。司も我慢を限界まで溜め込み、なんかの切っ掛けで爆発するタイプだったし爆発の仕方がそっくりなのだ。いくらなんでも、ここまで似せられないだろう、と思うぐらいに。
「ねぇ、もう、そろそろ、いいよね。」
七歌が声をかけたのは、10分たってからだった。七歌の声に女の子の開ききった瞳孔が閉じ目に光りが戻ってくる。
「…………あっ。ごめんなさい。僕、自分の世界に入ってた。」
昔のバソコンみたいな長めの硬直時間の後、女の子は突如、復帰した。こんな所も、だ。俺には女の子に司が重なって見え始めていた。
「えっ、と。…僕が女の子になった話だったよね。」
少しずれていたが許容範囲だ。
「言った通り、この姿はゲームで作ったキャラだよ。僕のキャラデザインはお兄ちゃんがしててね。僕が男で前衛…剣を持って戦うキャラをやろうとしたら、お兄ちゃんが無理矢理あの時よく読んでいた本の登場人物が好みだから、女の修道士にしろって、そのまま登録したんだよ。そう言えば名前もパクってつけてたよね。」
女の子は俺に向き直り、ニヤリと笑う。
不味い。司がこんな笑い方をするのは俺を追い詰める気が有るときだ。
「お兄ちゃんは覚えているよね。僕にルソラって名前つけて。けど、身長は高くない方がいいって低めにして。ほら、あの本、なんて言ったっけ。最弱の右手を持つ男の子が主人公が出てくる本。あれの登場人物の、あの修道士が、お兄ちゃんの好みなんだよね。あの!金髪ショートで!胸のおっきい!女の修道士が!」
声をだんだん大きくし女の子は、はっきりした発音で言葉を強調し、やりきった、清々しい笑顔で言いきった。
不味い、と思った俺が止める間もなく。
攻撃は最大の防御なり。
そんな格言が頭をよぎった。
オマエ、サッキ、オンナノコニナレテ、ヨカッタッテ、イワナカッタカ。
信じかけていた俺は、あまりの手のひら返しに目線がキツくなる。
それは、それ。これは、これ。…あと、さっき助けてくれなかったから。
女の子は同じように目線で返してくる。その間に家族の視線が女の子に集中してから俺に集まってきた。俺も改めて女の子が着ているワンピース風の服が胸の部分が大きく膨らんでいる事や、その割に低い身長を確認する。その姿は今、女の子が言った通り金髪でショートヘア。やや、低め背丈と柔らかそうな胸をもつ。間違い無く俺が好みと言った、あの本にでてくる癒し系おっとりマイペースシスター様のちょっと年少姿に見える。
「…ヘェ…あんたって……フゥン、そうなんだ。」
そう言った七歌の胸は然程、大きくなかった。。残念と言われないぐらいか。恐らく遺伝によるもので…。
あんた、覚えてなさいよ。
私に何か不満でもあるのかしら?
七歌と母さんの目付きが痛かった。と言うか怖かった。
父さんは少し困った様だったが
「…で、直樹。どうなんだ。」
ここで、まさかの問いかけが。
聞くなよ。頼むから、聞いてくるなよ。こんな事、確認すんなよ。
なんで、家族の前で自分の性癖を発表しなきゃならない?小学生の発表会じゃないんだぞ。
おれは、ショートで、きんぱつの、ろりきょにゅうが、このみです。
勘弁してくれ。本当に好みだから余計に赦してくれ。
慌てて否定しようとしたが、父さんは俺の性癖を聞いてるのでは無い事に気がついた。今、聞いているのは作成時にそんな話をしたのか?という問いかけだ。
そうだ。ここで否定すれば女の子の創作話に出来る。この不味い話は否定して”無い事“にしておけばいい。だが、否定しようとして、考えてしまった。あのやり取りは俺と司だけしかいない司の部屋での話だった。つまり、俺と司だけしか分からない筈で。それを知ってるっていうこの子は…もしかして本当に司なんだろうか?
俺は女の子の今までの行動を思いだし…頭を抱えた。
どっから見ても司じゃねーか。
なら不味い。俺とアイツは男同士としての秘密を共有していた。その秘密の中には家族にばれたら、この家から逃げ出したくなる秘密もある。
背筋に嫌な汗が流れた。
肯定はしたくない。しかし否定すると更に不味い事になりそうな気がする。
否定したい。だが、あの秘密がばれるより、まだ良いのか?
ちらり、と、あの子を見ると輝く笑顔が俺を見ている。
慈悲の塊の様な笑顔で退路は絶ったと伝えてくる。
あぁ、あの笑顔はもっと不味い秘密をばらすぞ、と言っている。顔は笑っても目はそうじゃない。その目が俺に語っている。
これが僕の仕返しだよ。ふふ、お兄ちゃん、もう、素直になりなさい。
女の子の言葉にしない勧告に俺は肩を落とした。そして。
俺は蚊の鳴くような声で答えたのだった。
「間違いありません。」
七歌も母さんもゴキを見る目で俺を見ている。
父さんも憐れみの目付きで俺を見ている。
あの子は変わらず笑顔で俺を見ている。
--我が復讐、成れり。
すっごい、いい笑顔だった。その笑顔を見ながら俺は床に崩れ落ちた。




