戸惑いと裏切りと6
私が司さんに会って、直樹が私と司さんの関係を悩む様になってからしばらくが経つ。私からしてみたら
「私という彼女がいるのに何悩むの?」
って叫びたいけど、司さんは直樹の幼なじみで辛かった時に直樹を支えていた人と聞いたら文句は口から出せなかった。どっちにしろ、「直樹の彼女は私」って思っていたから司さんを甘く見ていたのはあったかもしれない。司さんが来てから直樹が私を家族に紹介してくれたりしたから少しホッとしたのもあったんだけど。
「その……初めまして……。」
私が部屋でベッドに入ってしばらくたって、たぶん寝入った頃に夢の中でとても綺麗な女の人が、不安げに私に挨拶をしてきた。
「その……いきなりこんな風に出てこられても困るって分かっているんですけど……。」
プルプル震える彼女は私が理想とする大きさの胸を同じように震わせて私より目線ひとつ低い位置から潤ませた瞳で私を見てきている。
「その……私がすべての原因なんです。」
キュッと目をつむり断罪されるべき罪を白状するように言う。
「その……桜沼司くんを女の子にして、貴女と直樹くんとの間を裂くような事をしたのは私なんです!」
言われた瞬間に私が放った平手打ちに女性は吹き飛んだ。
「……今、なんて言った? もう一度、お願い。」
聞こえてた。聞こえてたから叩いたのだから。
理解もした。してしまった。たった一言で理解したくもない事まで理解したけど理解出来なかった。
「私が余計な事をしなければ、貴女は直樹くんと共に暮らすようになり子供を一人授かる幸せな人生を歩むはずでした。」
女性は吹き飛んだ場所で上半身だけ起こして更に言う。
しかしその言葉に私の頭に血が上る。「はずでした」って終わったみたいな言い方が、不思議な空間にいる不思議な女性を憎むべき敵にした。
「ふざけんなっ!」
私は叫びながら一気に近づいて、うずくまっていた女性を蹴飛ばす。吹き飛んでよろめいた彼女を更に蹴飛ばす。
「……大学を卒業してから、直樹くんは就職して、貴女は大学の院生になりました。それから5年過ぎた頃に直樹くんは課長職に昇進して、貴女にプロポーズして貴女はそれを受け入れます。結婚式の後、貴女たちは一軒の小さな可愛い家を買い2年後に子供が産まれます。」
蹴飛ばされながら彼女は続けて、断定された言葉に私は唇を噛みしめ立ちすくんだ。聞いてはいけない彼女の言葉は、親に恵まれずに家庭の暖かさを知らなかった私が直樹を見て思い浮かべていた未来だったから。
聞きたくないのに聞いてしまう辛さ。この女が言うように本来なら鈍感な直樹を、時にケンカしながら時に笑って歩めたに違いない、だけども、たぶん……無くなった私と直樹の未来。そんな直感が、絶望として私に襲いかかる。
「子供は男の子です。男の子はすくすくと成長して、貴女の子供が直樹くんの家族と貴女を結びつけるきっかけにはなります。残念ですが、貴女のご両親は変わらなかったけど、貴女は直樹くんと直樹くんの家族に支えられ子育てに、そして新たな研究を育てて行くことになります。」
この女が放つ言葉は私を抉っていく。
私の両親は、子育てはお金を出せば良いとしか考えられない人種で、誉めてもらった事も叱られた事も無く、記憶にあるのは「ふぅん、こんなもんか」と無関心に言われた、それだけ。その私が直樹の子供を産んで直樹の家族と家族らしい関係になれた、そう女は言っているのだ。
「ふざけんなっ!」
私は叫び、叫びながらうつ向いて。
けれどもう、私は女を蹴るのも出来ないくらい理解してしまっている。女の言うとおりなら“順風満帆”な私の人生。その人生をねじ曲げたのは、目の前にいる“女”で、直樹と直樹の子供を私から取り上げたのも、人智を越えた存在の、この“女”だって。
「……返して。」
つい、哀願染みた言葉が出た。
「返してよ。私の直樹を返して……。」
理解したくない。
けど、理解してしまった。
今、夢の中にいる私に現実を教えに来たんだって。
直樹は私を選ばず司さんを選ぶんだって。
“神様”もそれを願っていて私に諦めるように説得するために来たんだって事が理解、出来てしまう。
「……何でよ……何で私たちなの……。」
脚に力が入らずその場にへたりこんだ。
私が直樹と初めて会ったのは、サークルの新人歓迎会のパーティー会場だった。直樹は私が“司さん”に見えたようでいきなり腕を掴まれ怒鳴られて。後日、勘違いだって頭を下げてくれてお詫びに行った食事が私の好みで行方不明になった司さんを捜しているって聞いて、それから直樹も家族から距離を置いているって聞いてそれじゃ私とおんなじだねって最初嫌な奴だった直樹が急に近づいてきて私小さな家と子供はふたりがいいなって直樹も頑張って働くよって大学を卒業したら司さんを捜すのも諦めて結婚しようって……!
「……ふざ、け……ないで……。」
何で“あんた”が出てくるのよ。私と直樹の関係にあんたは必要無い。あんたみたいな“いるだけで私の望みを消し飛ばす”奴なんて必要無い。
「申し訳ありません。全ては私が軽い気持ちで行った私の世界を救うために他の世界からそれらしい方を連れ出した。それが全ての……過ちなのです。」
過ちって。
なにそれ。
そんな良く分からない言葉で説明したつもり?
「……誰でも良かったのです……たまたま私の目に止まったのが、桜沼司くんで、選ぶ立場に酔っていた私は深く考えもせずに、花の茎を指で摘まんで千切るように、本来いた世界から私の世界に連れてきたのです。いえ、正確には司くんの他6人もの界を跨いで連れてきて、彼らと彼らに関わる全ての運命を変えてしまったのです。」
へたりこんだ私に近づいた“あいつ”は目線を私と同じにしてから
「大きな会社の課長をしていた方は、やがて重役に昇格して世界を相手に戦うファーストレディと呼ばれます。小さな工場で係長をしていた方は、工場を辞めて自分の小さな工場を作り、やがて社長となり地方の名士になりました。大学を卒業して教師となり多くの生徒を育てる方、在宅で起業を起こし年収がトップ100に入るまでになる方もいます。幼なじみのふたりが静かな土地で自然を守って暮らす穏やかな生活も、同性の従兄に操を誓い従兄の残した子を育てる我が使徒も、全て運命を変えてしまいました。」
私の目には悔やんでいるようにしか見えない“あいつ”の顔が歪んで見えていた。
「しかし、私が私の世界に連れてきた事で、彼らの運命は変わってしまいました。重役になる筈の彼女は無断欠勤で解雇され、小さな工場は中核になっていた係長がいなくなり廃業になりました。大学は出席がないため退学になり、在宅での起業も本人がいなければあり得ません。幼なじみのふたりが望んでいた穏やかな生活は、“英雄”になった事で海辺の泡のように消えてしまいました。」
“あいつ”は一気に言った後、少し言い淀み大きめの間を開けて更に語りだす。
「私の使徒にして言葉を託す巫たる桜沼司くんは、本来なら貴女と直樹くんの子をあなた方の代わりに育てる筈でした。」
私が私と直樹の子供を他人に任せる?
ようやく得た家族を他人に?
ありえない。そう思った私に言い辛そうな声で
「……貴女と直樹くんは子供を連れて海外に転居する為に乗り込んだ飛行機が墜落して子供だけを残して逝きます。奇跡的に生きていた、まだ幼い子供を育てたのは、直樹くんの家族と司くんです。子供は成長してテロ活動を無くすための運動をするようになり、やがて日本国籍を捨て国連事務総長にまでなります。」
やはり未来を知っている“あいつ”は見てきたように言って
「本当の親が3才の時にいなくなった子供は、貴女や直樹くんと同じで家族の暖かさを直樹くんの家族や司くんに貰いながら、自らも求めつつ、しかし良い方と巡り会う事無く生涯独り身を貫き40代最後の年にテロ活動により命を落とします。」
私と直樹の子供が無惨にいなくなるって言いきった。
頭に血が上り即座に“あいつ”を殴る。格闘技をダイエットの為に習っている私が、自重無しに力の限り小綺麗な顔のままの“あいつ”を殴ったのだ。それなのに“あいつ”は今までのように吹き飛ぶそぶりもみせず何回も腕を振り上げる私の拳を受け続けた。
やがて、“殴り疲れ”て黙って睨むだけになった私に
「その……過去を変えるのは私では無理でした。ただ、未来を変えるのは簡単です。」
“神様”なのにひきつる顔を無理に笑い顔にした無様な“女”は
「このまま、直樹くんと司くんが一緒になり、子供を授かれば良いのです。貴女と直樹くんの子供は直樹くんと司くんの子供として産まれますが、家族を知らない生き方はしませんし、良い方を得て老後には孫に囲まれて笑って逝ける人生になります。」
泣きそうな顔で残酷な言葉を私に言った。




