悪夢の終わりと破滅の始まり39
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
目の前にある黒いモヤ。その、そこだけが夜のままみたいな暗くて深い黒いモヤから、途切れなく聞こえる女の子の声。何故、謝るのか、何を謝っているのか、言ってくれない、小さな子供が泣いている悲痛な声は土が腐り爛れる広場の中で響いていた。
昔から“見えていた”苺さんは
「人が迷うのは心残りがあるから。」
そう言ってゲームをしていた時のような“呪文で一撃”ではなく、心残りを癒す事で天へ還して欲しいと俺と司に頭を下げていた。
ホラー系のあれこれが俺の影響で全く受け付けない司も苺さんの下げた頭に反抗する事が出来ず、今は俺の腕にしがみついて雨に濡れたチワワみたいに震えている。
「おにぃちゃ~ん……。」
潤んだ目は、「もう帰りたい」と伝えてはくるが、この場所にこようとしたのは司だ。自覚しているから言葉にしないのだろうが。
俺は、そんな司を横抱きにすると情け容赦無く進み出した。よっぽど怖いのか、腕の中で「うひゃ~」とか奇声をあげる司を無視して、某ゲームで“毒の沼”と表示されそうな、ぬめる沼は一歩進む事にダメージがくる気がして、長めのサマーカーディアンとショートパンツという司を歩かせる気にはなれない。
第一汚れるし。
俺はアキレス腱までくる泥沼の中をゆっくりだが、危なげなくモヤに近づいていく。
この、歩きにくい泥沼を歩くには普通に歩くように足を上から下ろしてはならない。スライドさせるようにと言えばいいのか、斜めに足先を入れて斜めに踵を抜く独特の歩法を使わなくてはならない。普通に歩くようにすると足と泥が絡み抜けなくなるからだ。
司は俯きかげんに、俺の胸に顔を押し当て両手を首にまわして体を固定している。俺の両手は司の背中と膝裏辺りにあるのだが、小学生の頃の司より軽い感じるし、あの頃よりヤワヤワな司の体は抱き上げていると……。
いやいや!
俺は慎重にモヤに近づいていく。
苺さんの考えでは、このモヤにいるのは全部の責任は自分にあると思い込んでいる存在、らしい。正直、苺さんが”見える人“とは聞いていても、漫画の”霊能者“みたいに原因の特定まで、できるなんて思っていなかったから驚きしかなかったのだけど。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
途切れない声は苺さんの言葉を肯定している。ここまで近づけば、謝罪の声に怯えや懺悔の念が混じっているのも感じてしまう。
「三郷野さんの言った通り……かな?」
「ああ、そうだな。」
モヤを目の前にして司が震えを抑えながら呟いて、俺はそれに答える。一抱え程のモヤの中なのに、ずいぶん深くて暗い場所で女の子がうずくまっているのが見えていた。
「お兄ちゃん。」
「ん。」
俺にしがみついていた司が降りたい、と言うので軽く頷き、泥沼に降ろした。ヌメッとした感触に「うわっ」とイヤな顔をした司だが、すぐに呪文というか神職者が使うから聖句というべきか、よく聞き取れないが韻を踏んだ明るいお経みたいな言葉が流れて黒いモヤは一瞬にして消えた。
「もう、大丈夫だよ?」
うずくまっている女の子だけが残り、司は一息ついて覚悟を決めると話かける。しかし、女の子は司の言葉が聞こえないのか、ごめんなさい、と言い続けるだけで反応はない。その様子に、司は早くも「タスケテ」と俺を見てきた。
まあ、こういう事が嫌いな司が、精一杯の勇気を振り絞り話かけて反応がなかったんだ。現実で会うことの無い幽霊を見て、若干テンションが上がった俺がおかしいよな。
黒いモヤから解放された女の子は、半透明で向こう側が透けて見えているのだが、うっすらとした存在感はあった。
「あー。……多分、君の家族だと思うんだけど……。」
とりあえず、会話を試みる俺。しかし、
あああアアァァァああっ!
悲鳴みたいな泣き声が遮った。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
微かにしか聞こえていなかった言葉がはっきり聞こえだし、うずくまっていた女の子は怯えだす。
ごめんなさいあたしがわるいのあたしがおかあさんのいうとおりにしなかったからおとうさんのいうとおりにしなかったからおねえちゃんのいうとおりにしなかったからこわいひとたちがきていたくされたのだからおねえちゃんがこわいひとたちにいじめられたのあたしがいうとおりにしなかったからみんなみんないなくなっちゃったのごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
怯えた女の子は物凄く大事な事を言った気がしたが、一気に言われた上に途切れなかった為、理解する前に声は消えてしまった。
「……お兄ちゃん?」
しかも、司は俺を睨んで、人差し指をピンッと立てると
「お兄ちゃんに大事なお話があります。大事な、だ、い、じ、な、お話しです。」
こんな時にも関わらず怒り出していた。多分、女の子を怯えさせたのが原因だとは思うんだが、今じゃなくてもいいだろ? とは流石に思う。
「お兄ちゃん?」
司の人差し指が下を指す。正座ですね? 分かります。けど今は勘弁してもらえないでしょうか。
「お兄ちゃん?」
いや、下は泥沼だし、女の子は泣いてるし、女の子をどうにかしてからでも良いのではないでしょうか。
「お兄ちゃん!」
3回目だよ? お兄ちゃん。
そんな目で司が俺を呼ぶ。それでも今はダメだと思うんだ。先に女の子を天に還してやってからでもっ!
「……お兄ちゃんは僕の言葉が聞こえないんですね?」
妙に静かな司の声と言葉に、背筋が凍る思いで耐えていたが
「お兄ちゃん? これが最後だよ?」
笑顔で明るく言った司の前で正座をしたのだった。




