8話 From Shadows
山間部の日没は平野部よりも早い。日光を山に遮られて実際の日没時間よりも早くに夜がやってくる。特に尾根に挟まれた渓谷ではそれが顕著で、ヴィルヘルミナがいる谷底ではわずかな残照だけを残し日の光が失せて、周囲の空気は夜のものになっていた。
周囲にヴィルヘルミナ以外の人はいない。この渓谷はニスカリーの集落から離れた人気のない場所にあり、彼女は人目を避けるためにこんな場所に来ていた。
彼女が人目を避ける理由はすぐにやって来る。遠くから聞こえてくる排気音、渓谷に生える木々の影からヘッドライトの光線がヴィルヘルミナを指向した。
「よおっ、ミナ! 直接顔を合せるのは一週間ぶりだな」
「……出来たら一生見たくないわ」
渓谷にやって来たのは一台のバイクで、未舗装路も走れるようストロークの長いサスペンションと凸凹の大きなタイヤを装備したオフロード車だ。
乗っているの年若い男性で、体全体から粗野な空気を発している。生やしているアゴ髭や伸ばしている長髪、着ている薄汚れたデニムの上下もその空気を助長していた。この男にとってはワイルドさを出すスタイルだと思っているのだろうが、ヴィルヘルミナにしてみると不潔な印象しかない。
今も馴れ馴れしく声をかけているが、不快感しかなく彼女の表情は男が現れる前よりも硬い。言葉通りに一生顔を見たくない人間だからだ。
「おいおいおい、そんな事言える立場だと思ってるのかよ。お前の帰りを待っている可愛い妹がどうなってもいいのか?」
「ちょっと! ヒバリに手は出さない約束じゃない」
「ああ、知っている。でもあんまり反抗的だと気が変わるもんだ。特にウチの連中って、ジアトーの戦いからこっち干され気味だからな。女にも飢えてるし、ロリ好きって奴もいるからヒバリちゃんに手を出すかもな。オレが口利いているから無事なんだぜぇ、感謝しろよ」
顔も見たくない相手と顔を合せないと駄目な理由はこれだ。ヴィルヘルミナには一緒にこの世界に転移してきた実の妹がいる。その妹がこの男の所属している集団に人質にとられているからだった。
この男が所属する集団は一言で言い表せる。すなわち盗賊団だ。
転移直後から力に酔って暴れだした暴徒達が徒党を組んで略奪、暴行、殺人行為を繰り広げている。特にチーム『S・A・S』は数多くの暴徒集団を吸収して無法者集団の代表格にまでなったが、先のジアトーの戦いで壊滅してしまった。
さらに独立したジアトーの新しい代表ライアは、ジアトー周辺の治安回復のため積極的に暴徒達を狩る政治方針を打ち出している。新しく発足した治安組織による取り締まり、重大な犯罪を犯した暴徒には賞金もかけられ、暴徒達は急速に居場所を失っていた。
ジアトーの戦いとその後の取り締まり強化。そのような経緯で幾つもの暴徒集団が壊滅したが、その中の生き残りが寄せ集まって新しく集団を結成するケースが見られる。
暴徒から足を洗うことなく、かといって独りでは無法者としてやっていけない中途半端な人種が同類を探して集まり、再度徒党を組んだのが今の彼らだ。元から寄せ集め集団だったためか、壊れるのは早いが集まるのも早いのだ。壊滅した暴走チームや無法者パーティの生き残りが集まって出来た集団で、チーム名などは存在しない。暫定的に盗賊団と自称している程度の集団だった。
「それで、あの村にいるプレイヤーの人数は魔獣を駆除しに来た奴が六人、その仕事を監督する奴が一人の七人か。戦闘スタイルはどうなんだ?」
「魔法メインの人が一人、前に出るタイプが三人、後ろからが二人、監督役の人は魔法も剣もいけるらしい。誰が何なのかは、相手の装備で分かるよね」
「まあな。そんで、クマをおびき寄せて仕留めるそうだが、上手くいきそうか?」
「さあ、一応自信はあるっぽい人がいるから上手くいくんじゃないかしら。上手くいかなくても別の手でいくみたいだし。ねえ、この程度の報告なら念会話で済ませられなかったの? 途中で抜け出してきたから怪しまれるじゃない」
「確かに念会話で済む話だけどな、怪しまれるのを承知でお前が裏切らねえか確かめるのも重要な事でよ。こうして近くでツラを見るのもオレの大切なお仕事さ」
男はバイクに跨ったままヴィルヘルミナに手を伸ばし、アゴ下を掴むと強引に彼女の唇を奪った。愛情が欠片もない自己満足の乱暴な口付けだ。無理矢理な口付けをされた彼女は男をバイクごと突き飛ばしたい衝動に駆られるがそれも一瞬だけ、妹の存在を思い浮かべて拳を握りしめて耐えた。
こうやってヴィルヘルミナが耐えるのはこれが初めてではない。盗賊団に襲われ、命を取られない代わりに彼らの慰み者になり、妹を人質にされてスパイの真似事までやらされている。ここまで何度拳を握りしめて耐えたか彼女は数えていない。数える気にならないくらい多いからだ。
「へへっ、最初と比べて随分とキスが上手くなったじゃねえか。オレ達がお前の上に乗るだけでギャーギャー喚いた頃とは大違いだな」
唇が離れるなり男は、格好と同じくワイルドさと下品さをはき違えたことを言って笑う。ヴィルヘルミナとしては、妹の存在がなければ握りしめた拳をその顔に叩き込むところだ。
キスをしてある程度満足したのか、男はバイクのギアを入れて発進準備に入った。
「じゃあ、打ち合わせ通りに連中がクマ公をぶっ殺したら合図をとばしな。ああ、それと……」
ここまで言って男はバイクのスロットルから手を放し、背中に背負った自身の得物を軽く叩いてアピールした。
それは木製のストックを持つオーソドックスなボルトアクションライフルで、レシーバー部には大型のスコープが取り付けられており、遠距離の目標を狙い撃てるようになっているのは銃に素人のヴィルヘルミナでも分かる。
「遠くからならこいつで何時でもお前を見ているからな。妙な真似をすれば、お前だけじゃなくて周りにも迷惑がかかるぜ」
状況次第では無差別に周囲の人間を狙撃することを仄めかした男は、下品な笑いを残して走り去っていった。
以前彼女が聞いた時よりも排気音が小さいのは、やはり集落の人間や転移者達に聞かれたくないからだと思われる。隠れ潜むぐらいの知恵は一応彼らにもあるらしい。
その遠ざかっていくバイクの排気音がヴィルヘルミナには酷く恨めしく聞こえた。追い詰められている、そう自覚させられるからだ。
「ヒバリ……」
妹の名前を口にしたヴィルヘルミナは、抱きしめるようにして自身の体に腕を回した。そうしなければ自身の体が壊れてしまそうな気がした。
バイクの排気音が耳から消えた頃には空から残照も消えて、星空の見える夜空になっていた。夏なのに彼女の目には星の光がとても寒々しく見えていた。
◆
「うしっ! やるか」
用意した全身甲冑を前にオレは腹から声を出して気合いを入れた。甲冑に手を伸ばして着用を念じれば、鎧は生き物のように口を開いてオレの体を捕らえる。ほとんど一瞬でオレの体は装甲されて、もうお馴染みになった着用感が体を包んだ。
デフォルトだと下がっている兜の面体を上げて視野を大きく取ると、視界の隅にこの場を離れていくトラックの後ろ姿が見えた。乗っているのは集落の人達数人で、さっきまで『葬儀』に参加していた人達だ。
なんでもニスカリーの集落では二台しかないトラックのうち一台だそうで、年季が入りまくったボロいトラックのテールランプが暗闇の向こうに消えていく。それを見て夜が本格的に来ていると今更ながら思い知った。
夏だけど夜の空気は冷えていて、日本のような熱帯夜とは無縁らしい。山から吹いてきた風に肌寒さを感じてしまう。ちょっと薄着だったみたいだ。
「へっぷしっ」
「マサヨシ、こっち来て暖まったら? 夏でも山の夜は冷えるし」
「ん、おう」
肌寒さに出たくしゃみを聞いて心配してくれたのか、水鈴が火の近くにオレを誘ってくれた。
空のドラム缶を豪快に丸々一個使った物をカマドにしていて、薪を詰め込んだドラム缶から盛大に火を吹いている。横を見ればレイモンドのおっさんが焚き火の番をしていて、薪を足したり薪を動かしたりしていた。さらにその横では壱火が串に刺したマシュマロを火で炙って食べてやがる。急に決まった今回の作戦のせいで夕食が貧相だったのは分かるが、今のタイミングで食うか普通。
「……食うか?」
「貰う」
「ん」
こっちの視線に気付いた壱火がマシュマロを串に刺したまま差し出して来たので、そのままかぶりついた。香ばしく焼けたマシュマロの強い甘味が口全体に広がって良い感じに美味い。マシュマロはそのままでしか食べた事がないので、焼くとこうも味が変わるのは初めて知った。
「もう一個いっとく?」
「ああ、美味いなコレ……って、違う。お前、準備とかいいのかよ。それにクマ誘き出すのに火とか焚いてて大丈夫か? 獣って火あると寄って来ないんじゃ――」
「それは問題ないそうだ。クマは火があってもやって来る。獲物を奪われたとなると尚更にな。レッドハインドベアも普通のクマと同じ習性なら火を焚こうが焚くまいがやって来るんじゃないか? ルナの嬢ちゃんの受け売りだがな」
「はあ、そうなんすか。普通に怖いっすね、それ」
レイモンドのおっさんが燃えている薪を素手で動かしながらクマのことを横から解説してくれた。リザードマンのおっさんは、体の表面が頑丈なウロコに覆われているお陰でこの程度の熱なら全く平気なんだとか。
それに準備の方も壱火もおっさんもすでに終わっているそうで、気合いを入れるのに変に時間をかけたオレが一番最後みたいだ。
「どんだけ気合い入れるのに時間かけているんだか」
「仕方ないだろ、ここ……墓場だし、何か寒気がするのも冷えているだけじゃない気もするし」
「何、マサヨシってオバケとか信じているクチ?」
「ゲーム時代にだってアンデットがいたじゃないか、この世界にだっていたっておかしくない」
ここは集落から山の方向に数㎞離れた場所にある集落の人間を埋葬する墓地だ。ここがレッドハインドベアを迎え撃つ決戦場になる。なるんだけど、オレはここがどうも苦手だ。壱火が呆れているけどホラー系はお呼びじゃない。ただでさえモンスターパニックものなのにお腹一杯だ。
もう一度周りを見渡せば、夜の空気が甲冑を通り抜けて体を撫でていく。周辺に電灯とかはないし、ジアトーまで大きな町はない。だから夜がとても深く、星空を見上げているとのしかかってくるみたいだ。
でもって、ドラム缶の中から噴き上げる炎が墓標に濃い影を作っているせいでホラー感がバリバリ感じられる。夜空が綺麗な事よりも、墓場の不気味さの方が強くなって、無意識のうちに肩をすぼめていた。
武器の手入れをして気を紛らわせるか。手近に雑嚢型のバックを引き寄せて中から今回使う武器を引っ張り出す。オレが大型の魔獣を相手にする時に使う長柄の得物だ。ゲーム時代では『シルバ』と銘が付いていた武器で、形状は地球でいうバルディッシュ、斧の刃と槍の柄を持つ斧槍だ。
定期的に手入れはしているし、暇なときに何度か素振りはしているものの実戦で使うのは久々だ。柄を両手で持ち、ギュッ、ギュッと握りを確かめた。良し、良い感じだ。
一緒に取り出した棒状のシャープナーで刃先をこする。ゲーム時代にはなかった手入れ道具だけに使い方に戸惑ったけど、ルナさんからある程度使い方を教われたのは運が良かった。シャープナーでリズムをつけてこすると楽器みたく澄んだ音が鳴る。
ルナさんから聞いた話だと、こういうシャープナーは刃先を荒らして刃の食い付きを良くすることで斬れ味を良くするものだとかで、刃先を削る砥石とは違うらしい。研ぎは専門家のクララに任せるとして、戦いの前にオレが出来る手入れはこの位だ。
金属の擦れる澄んだ音を耳にしながら、なんとなくここに集まった人達の様子を窺った。
レイモンドのおっさんはさっきと変わらず焚き火の番をしていて、冷える山の夜に炎の暖かさはありがたい。焚き火をしようと提案したのも彼だった。何時も着ているスーツ姿から戦闘用の闘士姿になっていて準備は万全だ。武器は己の拳というスタイルは、こういうとき便利だと思う。
その隣では壱火がまた串にマシュマロを刺して火で炙りだした。焼きマシュマロが食べたいというより、マシュマロを焼くのが楽しいといった様子だ。その証拠にさっきからフサフサの尻尾が左右に揺れている。その傍らにはブレード付の大型銃器、ゲーム時代ではバイアネットと呼ばれた長物が置かれていた。さっきは気付けなかったけど、こいつも準備は出来ているようだ。
水鈴は少し離れたところにいて、この仕事の監督役の雪と何事か話し合っている。戦闘服の道師風の服装に肩には長い杖を立て掛けている出で立ちだ。狐耳の水鈴と犬耳の雪が向かい合っている様子は、炎の灯に照らされているのもあって少し現実感が薄くなる。
さらに水鈴、雪二人の後ろ、焚き火を中心に自然と出来た人の輪の端に初対面の人がいた。
ここの集落の人で現地の人、ガッチリした体型の男性で顔は深いシワが刻まれている。歳が三十代と聞いたけど、一回りは老けて見える。名前は確かブラントンだったはず。集落で羊飼いと猟師をしていて、今回の作戦の協力者だ。
彼のすぐ横に置かれたフタの開いた棺桶にはこの作戦のカギ、彼の奥さんの遺体が入っている。ここまでトラックで輸送してきて、その場で簡単に葬儀を済ませたあと、彼を残して現地の人は避難している。なぜ残ったかはシンプルだ。転移者だけに妻の遺体を任せておけない、要は信用されてないのだ。
ブラントンの手には猟に使っていると思われる年季の入ったライフルが握られている。オレ達があの棺桶を守れなかった場合、きっと銃口はこっちに向けられるんだろうな。目を閉じて不機嫌そうに黙っている協力者を見ていると、そんな悪い予感を覚えた。
そしてこのブラントンのさらに後ろ、オレ達から離れた墓場の端に小柄な人影が地面に座っているのが見える。ルナさんだ。すぐ脇に巨大な銃を置いて手元で何か作業をしているようだ。良く見ると弁当箱みたく大きな箱形のマガジンに大きな弾を込めている。クララのところで試射していた時から見かけたけていたけど、あれはほとんど大砲だ。
金属製の弾薬箱から弾を取ってマガジンに込める。込め終わったら脇に置いて次の空マガジンを手に取って弾を込める。社会見学で見た工場のロボットアームみたいに正確で早い弾込め、それを五回繰り返して地面に五個の装填済みマガジンが出来たところで彼女の手が止まった。
ルナさんの目はオレも先程視線を投げた相手、ブランドンに向っている。彼女の金色の目は口数の少ないルナさんが一番意思を表明しているところだとオレは思っている。オレが窺えるのは友好的には見えず、かといって敵対もせず警戒している対象って感じだ。
「――で、何を熱烈に視線を送っているの?」
「うおっ! 脅かすなよ。マシュマロはもういいのか?」
「焼きすぎて焦げた」
壱火がすぐ横から声をかけてきたので驚いた。いつの間にか隣に立っていた彼女は、真っ黒に焦げたマシュマロの串を差し出してくる。いや、いらないよ。
驚いて取り落としたシャープナーをバッグにしまいながら気持ちの態勢を取り直す、のだが下から見上げてくる壱火の視線を前にすると落ち着かない。この上目遣いはワザとか。
「さっきからルナを見ているけど、気になるの?」
「え、いや……何となく目が行っただけだ」
「ふーん。あんな様子を見てもそのセリフ言える?」
「うん? ――あ」
マシュマロが刺さったままの串がルナさんの方向を指し、それに釣られてオレの目も再度その方向へ向いた。壱火と話していたわずかな時間で人影が一つ増えている。
何時の間にかルナさんの近くに細身のエルフが出現していた。今回の仕事で一緒している同業者、オータムだ。地球で兵隊が着ているような地味な服装をしている男で、ルナさん並にサバイバルや銃器に詳しい人物だ。
彼はさっきまで赤熊の予想される進路に罠をしかけていたはず。こうして戻って来たってことはそれが終わったのだろう。断片的に聞こえるルナさんとの会話でもどこにどれほどの罠を仕掛けたかの内容が漏れ聞こえてくる。
話を聞いているルナさんも真剣な表情で聞き、時折何か質問をしてからしきりに頷いている。表情の変化こそ少ないけどルナさんは感情を態度で表す。ここから窺えるのはオータムの話に感心しているってことだ。少なくともマイナスの感情は持っていない。
こうして話をしているルナさんとオータムは良く似た雰囲気を持っていて、何か近寄りがたく、それでいて羨ましいと思う。。
「ほうほう、やっぱりルナが気になるのか」
「あ、いや、んな訳……」
「ボク相手に否定しても意味ないじゃん。ほれほれ、ゲロっちまいな。ルナが気になるんでしょ」
「く、そうだよ。悪いか」
確かにからかってくる壱火を相手に否定しても意味はなかった。気になるっていうなら、ルナさんはかなり最初の頃から気になっていた人だ。
普段の落ち着いた態度を見れば確実に年上だ。なのにところどころ子供っぽいしだらしない面があったり、そうかと思えば冷徹な部分もあるオレの語彙では言い表せない人だ。気が付けば彼女の背中を目で追っている自身に気が付いた。
これを普通は恋とか言うのだろうけど、オレには全くピンとこない。ただ、ルナさんの姿を目が追っている自覚はあるし、ああして見た目の良い男が彼女の近くにいると面白くないと思う感情はあった。
「悪くないよー、他の面々にはバレバレだったし」
「え、マジ?」
思わず壱火から視線を外して近くにいたおっさんに目をやると、話を聞いていたのか肩をすくめるジェスチャーをしてみせた。欧米人みたいに長身でガッシリしているため、この手のポーズがよく似合う。
水鈴に目をやると、離れていたお陰で聞こえなかったらしく、こっちの視線に気付いても不思議そうな顔をしていた。よし、あそこまでは声が届いていなかったみたいだ。おっさんは口が堅そうだし大丈夫だろう。
「当のルナはマサヨシから想われているって気付いていないようだけど。鈍感系ヒロインってリアルだと初めて見た」
「そうか、気付かれていないのか」
それはホッとしたような、残念なような複雑な気分だ。こっちのそんな気持ちを察したのか、ここで壱火はさらに踏み込んできた。精神的にも物理的にも。
「で、マサヨシは何かアプローチしたの? 告白とか」
「こくは、くか」
詰め寄ってきた壱火を手で押えながら、オレがルナさんに対してやったアプローチを思い返してみた。
うーん……あ、ルナさんが一時期オレ達と別れるときに告白したぞ。だけどあれは聞こえていなかったようだし、不発ノーカンだよな。それ以外だと……なんてこった、アプローチ全然していないじゃないか、オレ。
あまりの結果にオレは思わずその場で頭を抱えてしまった。全く何もやってないじゃないか、今まで何をやっていたんだ、ああ、生きるのに必死だったんだ。戦闘したり、サバイバルしたり、戦闘したりでここまで来たんだった。
我ながらこれはヒドイ。
「あー、うん。言わなくても分かった。マシュマロ食べる?」
「んな黒コゲマシュマロいるか。ああ、オレって奴は……」
「おお、悩み深き若人よ、青春の悩み大いに結構、なんちゃって」
本当にコイツはオレをからかって楽しみたいだけのようだ。睨みつけてやってもどこ吹く風、頭を抱えたことでちょうど良い高さに下りてきたオレの肩に手を置いて顔を近付けてきた。
「だったらこれからアプローチすれば良いじゃんか。季節はちょうど夏、海にでも誘ったら面白いと思うよ」
「海か」
「海だよー。照りつける太陽、潮の香り、全身で感じるサマービーチ。単純にボクが海に行きたいだけなんだけどね」
「おい」
「まあまあ、水着姿のルナとか想像してみなさい、それだけでも滾るって気がしない?」
「……」
「この仕事が終わって、収入が入ったら海に行ってみようよ、良い気分転換になるよきっと」
「そう、だな。うん、行きたいな」
「よっしゃ、決まり。父さん、海行きメンバー一名確保」
「そうか。お前こっちに来てから凄く積極的になったな、親としては嬉しいが、同時に心配だ」
「心配って、何がさ?」
「だってお前――」
上手く壱火に丸め込まれたオレだが気にならない。海か、いいなそれは。おっさんと壱火が親子漫才を始めたが気にならない。話は充分に聞かせてもらった。
滾る気がしないか、だと? 滾るに決まっているじゃないか。夏は海派山派とあるけど、オレは断然海派だ。広い海を眺めるだけでもテンションが上がる。さらに可愛い女の子と一緒に行ければ言う事なしだ。まあ、そんな機会なんて今までの人生で一回もなかったけどな。
軽くウチの女性陣を見てみる。壱火に水鈴にルナさんか。海、きっと楽しいだろうな。よし、やる気が出て来たぞ。
「よっしゃ、クマだろうが何だろうが畳んでやる。どっからでもかかって来い!」
さっきよりも気合いを込めた声を上げてオレ自身を奮い立たせた。動機が不純? やる気が出ればなんだって良いじゃないか。クマとか魔獣とかパパッて片付けてやる。
こんな欲望満載の声を出した直後だ。森から地面を振るわせる爆音と一緒に土煙が、暗闇の中でもハッキリ分かるほど大量に立ち昇った。
「来たぞ、赤熊だ!」
オータムの声がしてから、ここにいた全員が一斉にオレを見た。
「……オレのせい?」
そんなハズはないのだけど、タイミングだけは余りにも良すぎた。
地面を揺らす振動がまたも起こり、セットで巻き上がる土煙が最初よりも近くで上がった。墓場の外れ、森の端から暗闇よりも黒い影が差す。のっそりと影が起き上がり、夜空に高く立ち上がった。でかい、森の樹と同じ位の高さまで影が伸びた。
吠える声は無い。野生の獣は滅多に吠えることはないと聞くし、襲いかかる相手に吠えて存在をバラす馬鹿はしない。それだけに土煙と一緒に森からゆっくりと現れる巨影は幽霊のようだ。
影を睨み、シルバの柄を握りしめる。気合いは充分、他のメンツの様子も大丈夫、ゲストのブラントン氏も怯んでいるようだけど混乱する様子は無い、戦いへのコンディションはオールグリーンだ。
吠える声は無い。だったらオレが吠えてやる。
「征くぞ、オラっ!」




