6話 Cavatina
唐突だが、『森のクマさん』という歌を知っているだろうか? 有名すぎる童謡だから知らない人はまずいないだろうけど、元はアメリカのボーイスカウトやガールスカウトで歌われるスカウトソングで、その原詞を訳すと日本バージョンとはかなり違うという事を知っている人は少数派だと思う。
例えば、森でクマと出くわした主人公――日本だとお嬢さんだけど、アメリカだと男性らしい――にクマが「君さあ、銃を持ってないみたいだけど、僕これから君を襲うから早く逃げた方がいいよ」などと言うジョーク的なユーモアがある辺りいかにもアメリカっぽい歌詞だったりする。
他にも、日本バージョンのように貝殻のイヤリングや熊とダンスなんて平和な場面は無く、原詞だと主人公はクマからひたすら逃げる内容だ。
え、何でいきなりこんな話をしているのかって? 今のボクもひたすら逃げているからさ。相手はクマじゃなくてオオカミだけどな!
「来てる来てる来てるーーっ!」
「どの位来ている!?」
「分かんないよっ、森ん中で正確に数なんか数えられない! 十とか二十ぐらい」
「いや、もっといるぞ! こっちも数えて百から先数えてないが」
「じゃあその位っ」
「アバウト過ぎるっ」
「父さんもね!」
隣を走る親父相手にギャーギャーやかましく言い合いながら走っているのが今のボクの状態だ。『壱火』の身体は肺活量もかなりあるから喋りながらの駆けっこもお手の物だ。
ちらっと後ろを見ると来るわ来るわ軍隊狼≪ソルジャーウルフ≫の群れ。数は……十の、二十の……やっぱ数えるのやめた! 下草とか木とかが邪魔で全体が見通せないぞコレ。
視界の中をグングン流れる森は緑豊か、息を吸い込めば爽やかさ全開の空気。そして沢山の軍隊狼と追いかけっこ。あははっ、変だなシュール過ぎて可笑しくなってきたぞコレ。
森のクマさんは丁寧に逃げろと言ってくれたけど、こっちの魔獣にそんな親切を期待してはダメって訳ですね、分かります。居もしないエア友達にトリビア披露するくらいテンパっているぞコレ!
ただ森のクマさんと違う部分は、歌の主人公と違ってボクは銃を持っているって点だ。両の太ももにあるホルスターからハードボーラ―を引っこ抜く。素早くハンマーを起こし、体を一瞬だけターン、真後ろまで迫ってきたオオカミ目がけてぶっ放した。
「――ッ!」
銃声と一緒にオオカミが短い悲鳴を上げて、つんのめる様に地面にダイブする。ロクに狙いをつけなかったけど当たるものだ。その様子だけを確認すると身を翻す。ここまで体感で二秒くらい。倒せたか分からないけど、最悪足止め出来たのだから上等だ。
仲間がやられたのに軍隊狼に怯む様子は見られない。野生の動物って積極的に人を襲うことは滅多に無いとネットで見た覚えがある。なのにコイツらときたらボクらが群れに近付いただけで襲ってきて、その上増援を呼んだのか追っ手の数が増えていた。
いや、トレイン出来ているのは予定通りではあるんだけど、この数はちょっと予想外です。
『二人とも、聞こえる? そっちの姿を確認したわ。そのままもう300mほど走って。森の外までそいつらを釣り上げて欲しいと二人からのオーダーよ』
頭の中に響く水鈴の念会話。頭の中に直接聞こえるせいなのか、耳で聞いた時よりも変なエフェクトがかかっている。
追いかけられて、リアルに切羽詰まっているからオツムが上手く回らない。思考があっちこっちに飛んでしまう。えっと、要するにこのまま森を出るまで走れば良いんだな? オーケー。
隣を走る親父の長いコンパスに合わせて走っているけどスタミナの余力はある。対して親父の顔色は少し良くない。息こそ切れていないけどバテているように見える。ここまでずっと全力疾走したのだ、いくら身体能力が凄くてもスタミナは限界かな。こうなると先に親父を行かせて、ボクが後ろを守るポジでいこう。
どうにかオツムを回してざっくりと考えをまとめた。もう一度後ろを振り返って、近くまで来ている軍隊狼に向けて牽制で二、三発撃ってから親父の後ろに着く。
「父さん、さっきの念会話聞こえたろ? 先に行って、後ろは任された」
「お、おい、待て」
「議論禁止、悠長に話をしている場合?」
こんな台詞をこんな場面で言うのはなんか屈辱。「ここは俺に任せて先に行け」って奴です。見事に死亡フラグです、本当にありがとうございました。
でもスタミナに余裕があるのはボクだし、身軽なのもボクだ。親父は普段のスーツ姿から身軽な戦闘服に着替えているけど、余計な筋肉が重りになっているっぽい。なにせ昔の現役時代よりもマッチョだ。実はトレインするのに向いてない?
この先で網を張っている水鈴やミナの二人をマサヨシが護衛しているけど、今考えるとポジション交代した方が良かったのでは? ああ、駄目だなアイツはもっと向いていない。マサヨシはどう見てもタンク役で、機動力勝負だと話にならない。
横道に逸れる思考。だから後ろにいたはずの深緑色の長身が前に移動して来ても数秒間気付けなかった。
「……え? 何してんの?」
「後ろのガードは俺がやる。守りは俺の方が硬い、任せろ」
「任せろって、今は逃げるのが優先だから。ボクよりスタミナ切れているから先に行けって言ったのに、それじゃ意味ないよ」
「意味って、あのな、親が子供を守るのは当然だろ? それにスタミナ切れててもコイツらを引き連れてポイントまでは行ける。後300だろ、軽い軽い」
「親子関係をこんな時に持ってこないで。軍隊狼に数集られたら父さんでも死ぬぞ。守るよりも逃げるのが優先!」
「いや、しかし!」
「だーっ! 議論している余地ねーよ、敵来たし」
親父とワイワイやっていたのが悪かった。元々そんなに距離が開いていなかったので、オオカミの群れとの距離があっという間に縮んでしまった。
犬と違ってオオカミは必要な時以外全然吠えない。今も滑らかな動きでボク達を囲もうとしているのに吠える声一つ上げないのは結構不気味だ。怖いとも言い換えられる。ゲームでも軍隊狼がここまで集まったのは見たことが無い。ピンチかな?
両手に持った二挺のハードボーラー、腰のホルスターにはCz57が二挺。ジアトーの戦いで十挺あった拳銃は四挺に減ってしまった。先日新しく買った『バイアネット』は長物だから森の中で振り回すには不利と思ってバッグの中。この四挺でここを切り抜けないといけない。
いや、他にも取れる手段はある。修得している魔法で使えるものは……身体強化する奴と、目を眩ませるのと……ボクの攻撃呪紋はしょぼいので却下、他は?
ちょっと考えるだけで取れる手はすぐに出てくる。身軽さと引き出しの多さがボクの強みだ。器用貧乏とも言えるけど、手札は多い方が良い。
両手に持ったハードボーラーの存在を確かめるように一度軽く握り直す。右に四発、左に五発、すぐに使えるハードボーラー用の弾倉は四つ。Czは各八発、弾倉は同じく四つ。ルナの教育のお陰で、持っている武器の弾数はいつも把握できるようになっている。この数なら切り抜けるには充分だ。
ボクが前に出て並ぶ形になった親父は、いつもの様に両の拳を構えてファイティングポーズ。手には武具扱いのグローブをはめていた。あれで繰り出す拳は下手な武器よりずっと強力なのを知っている。こういう時、弾数を気にしなくても良い武器はちょっと羨ましい。
オオカミとボクらの距離はもう五mとない。軍隊狼ならひとっとび、ボクなら必中距離だ。オオカミが跳ぶのが早いか、ボクが銃を撃つのが速いか、競争に――
『二人とも伏せろ、爆風がいく。出来れば耳を塞ぎ口を開けてくれ』
――競争にはならなかった。その前に勝負を横から持っていかれた。念会話で聞こえてきた落ちつきのある女子の声、ルナの声だと認識して、内容を理解して、すぐに行動した。ここまで約一秒。色々とセメントな彼女は警告後の間をそれほど置いてくれないから、すぐに行動しないと間に合わない。
身を投げ出すように地面に伏せて、頭の上にある獣耳を手で押え、口を開けた。鼻に森の草の臭いと湿った土の臭いが入ってきた。直後に頭上で爆音が響く。身体に吹き付ける風圧は爆轟、押えた耳にもオオカミ達の悲鳴とか断末魔が聞こえる。頭に降りかかってきたのは飛ばされた土か木の破片だろうか。
顔だけ上げて様子を窺ってみれば軍隊狼の何匹かが倒れ、爆発で草もなぎ倒されているのが見えた。思わずルナがいるだろう方向に目をこらしたけど、距離があるのと木が邪魔なせいで彼女の姿は見えない。過激なやり方だけどオオカミの群れはこの爆発で動きを止めている。チャンス到来だ。
地面を両手で叩いて反動ですぐさま立ち上がり、銃をホルスターに戻して逃げる体勢になる。隣にいた親父を見やると伏せた姿勢のまま、まだ起き上がっていない。
「父さん、すぐに立って。今のうちに逃げるよ」
「ま、待ってくれ。爆発で頭の中が揺れて、起きる、起きるから」
どうも爆発で軽く頭を揺すられたらしく、すぐに起き上がるのは難しいみたいだ。
伏せるのはすぐに出来たみたいだけど、立ち上がる様子はふらついていてトロくさい。こうしている間にも爆発のショックから立ち直った軍隊狼が襲いかかってくるかもしれないのに。
せっかくルナから貰ったチャンスを無駄にしたくない。なので親父には今回格好悪い役になってもらおう。
思い至ったボクはすぐに行動する。まだ起き上がるのにもたついている親父の襟首を掴み上げ、強引に引っ張り、彼の体を引きずりながら走り出した。
「ぐおっ! 何するんだ!」
「いいから! モタモタしている父さんが悪い。このまま森を抜ける」
「なに!? や、やめてくれ……痛っ、今ケツに尖った石が」
「ウロコがあるから大丈夫じゃない」
「衝撃は来るんだっ」
騒ぐ親父をテキトーに受け流しつつ、彼を引きずって森を出るまでの数百mを駆ける。後ろから体勢を立て直したオオカミ達が追いかけてくる気配して、親父も「オオカミ来てるぞ」と騒いでいる。でも大丈夫、もう森を抜けるところだ。
樹に遮られていた視界が急に開けて、広い草原に出た。集落では家畜を放す牧草地って聞いたけど、詳しくは聞き流して分からない。緑の絨毯が広がる真ん中に三つの人影を見つけた。あそこがこの追いかけっこのゴール地点だ。
水鈴がこっちを見て手を振っている。マサヨシが急げと叫んでいる。ミナも早くと呼んでいる。後ろからは草を踏む無数の足音が聞こえて、オオカミ達がまんまと森から釣り出されたのが後ろを見なくても分かった。
良し、ちょっとトラブルはあったけどここまでは打ち合わせ通りだ。三人の脇を走り抜ける形でゴール。すぐに荷物の親父を手放して、マサヨシの近くに向う。隊列的にはマサヨシが前、ボクが中衛、水鈴とミナが後衛だ。
「父さん、ほら早く」
「急に手を放す奴があるか。ああ、今日は引きずられたり、放り出されたり散々だ」
「ふらついているところを運搬したんだから仕方ないと思って。それより前衛が前にいないと」
「まあ、そう急がなくてもルナの嬢ちゃんならもう始めているさ」
親父が指差す先に居る一匹の軍隊狼。群れの中で一番先頭を走るそいつは、こっちに向って走って来る途中でいきなり頭から血を噴き出して地面へダイブした。同時に間延びした銃声が耳に入る。
こっちに来るオオカミが数匹まとめて体から血を噴いて倒れる。そして聞こえる銃声。最初の銃声とは少し違う気がするから多分別の銃だ。さらに放たれた銃弾でオオカミが複数まとめて撃ち倒される。また数匹。どうやら仕留め役の二人が交互に撃っているみたいだ。
ルナとオータム二人の狙撃。飛んでくる銃弾は一発の無駄も無くオオカミに当たって、次から次へと仕留めていき軍隊狼の群れを削っていく。
「凄いわね。二人とも一発も外していない。あそこの岩場からでしょ、何mあるの?」
「オータムから聞いた話だと、ルナさんのところまでは100m、オータムのところまでは150mって聞いている」
「それにしても、ああやって離れて狙撃する必要あったの? ここに来て攻撃すれば良い気もするけど」
「これもオータムから聞いたものだけど、俯瞰する位置から群れの全体を捉えて、さらに周辺の状況の変化を掴むにはああいうスタイルが良いんだって。こっちの周辺の偵察もやってくれているから何かあったら念会話で知らせてくれる手筈になっているよ」
ミナがオータムから聞いたという形でこっちの疑問に答えてくれた。ボクらが来る以前から一緒に行動しているからか、色々と細かい話を交わす位に二人の仲は良いみたいだ。
お陰でルナが何で狙撃スタイルをしているのか分かった。なるほどねー、格好つけって訳じゃなくてキチンと意味があるのか。突撃して撃ちまくるしか能がないボクとは違って彼女は色々出来ることが多いみたいだ。
こうして次々と仕留められる軍隊狼だけど、数が多くて彼ら二人では全滅にはもっていけない。やはりボクらも動かないといけないな。
さっきは取り出す暇がなかったけど、余裕がある今は別だ。腰に巻いたウエストポーチ型のバッグからオニューの得物を引っ張り出す。長尺のボルトアクションショットガンに、肉厚で幅広のブレード。バッグから取り出した途端に感じる重量感が何とも頼もしい。ブレード保護のカバーを手早く外して、ボルトを操作、初弾を薬室に叩き込むと体勢は整った。
他のみんなもそれぞれ戦闘態勢になって、準備万端って雰囲気が伝わってくる。打ち合わせ通りなら、ここで親父と水鈴が相手の群れを回り込む予定だ。
親父は早くもスタミナ切れから回復したらしく、水鈴もモフモフした杖を手に何時でも走れる体勢になっている。この二人が狙撃の邪魔にならないよう群れを大きく回り込んでオオカミ達の後ろにつく段取りになっているのだ。
そして残るボク、マサヨシ、ミナの三人がこの場所で群れをガッチリ足止めしておく係だ。すでにマサヨシは長柄の得物を持って前に出ようとしているし、ミナも杖っぽい長物を構えている。彼女は水鈴と同じで魔法主体の戦いをするとは聞いているから、ポジションはボクとマサヨシより後ろだ。
群れから突出してきた一匹がボクに飛びかかって来た。グングン迫るオオカミの大きく開いた口。ヨダレを垂らしているのも見えて汚いな、と思う余裕もある。
遠慮無くバイアネットのブレードをその大きく開いた口に突き刺してやった。肉とか骨とか突き破る感触が手に伝わって、オオカミの後頭部からブレードの切っ先が出てきて血が飛び散るのが目に映る。
さらに止めとばかりに引き金を引いて散弾をブッパ、相手の頭を吹き飛ばした。爆ぜ散る血と肉が草地を真っ赤にして、濃い血臭が鼻をつく。
素早くボルトを回し、引き、戻す。赤いプラ製の空薬莢が地面に転がる。視線は前に、次の敵を捉える。
「さあ、やるぜ!」
湧き上がってきた戦意をそのままにボクは吠えた。
◆
レティクルに捉えた軍隊狼、走っている状態、風は向い風の微風、それらを踏まえて照準を補正して引き金を絞る。
撃発。スコープに映る光景が銃を撃った反動でブレるが、体で反動の大部分を押さえ込んでいるので着弾を見失う程ではない。命中。弾丸は軍隊狼の心臓を撃ち抜いた。感じた手応えは確かで、スコープの向こう側には狙い通り心臓を撃ち抜かれて無力化している標的の姿がある。次。
レイモンドと壱火の活躍によって開けた場所に誘い出された軍隊狼の群れ。その中から狙い撃つのに適した目標を選定して素早くスコープに収めて銃撃。すぐに次の目標、さらに次、と狙い撃っていく。
昔から言われているワンショットワンキルを基本にして、軍隊狼の数を削る。当然ながら近くにいる仲間に弾が当たらないよう射線に気をつけた上でだ。
次々と目標を仕留めていく。残弾は後、三、二、一、ゼロ。
『レッド。交代を』
『グリーン、分かった』
弾切れになったタイミングで念会話を飛ばす。すぐに念会話で返答があって、僕がいる位置からやや離れた岩場から銃声が鳴った。
この仕事に入る際にオータムと打ち合わせをして、この様に弾切れのタイミングで交代しつつ軍隊狼を絶えず狙い撃っていく作戦をとった。『レッド』で弾切れを知らせ、『グリーン』で射撃可能と知らせるのも打ち合わせ通り、今のところ問題無くスイッチが出来ている。
伏せた姿勢のまま二脚を立てたAR-10から空の弾倉を引き抜いて、すぐ傍に置いていた弾倉と交換する。ここまで二十発を消費、残る即応弾倉の数は四つ、四十発がすぐに使える数だ。これを使い切るまでに決着を着ける。
オータムがまだ射撃しており、こちらの出番はまだだ。少しだけ出来た時間を使って周囲の様子を改めて確認する。
軍隊狼の数は見える限りでは百を切った。オータムと僕とで三十余り、向こうで壱火やマサヨシらが十匹程仕留めている。この規模の群れを掃討すればニスカリー周辺の小型魔獣の数は相当数減らせるだろう。ここは頑張りどころだ。
視線を下にいる仲間達に向ける。彼らも事前の打ち合わせ通りの動きをして軍隊狼の群れを挟み打ちにしようとしていた。レイモンドと水鈴さんが走り出して、残った壱火、マサヨシ君、ヴィルヘルミナの三人が正面から迎え撃つ態勢だ。
先程は釣り出し役が森の中で群れに追いつかれそうになったトラブルがあったけれど、すでに何事もなく作戦は進行している様子に内心安堵している。
作戦を行っている周辺も見える限りは脅威となる魔獣などの影は無い。後は数十m離れた場所で射撃しているオータムの様子にも異常は無く、作戦は順調に進んでいるようだ。
僕とオータムが陣取っているのはこの辺り周辺を見渡せる丘の斜面、岩場となっている場所だ。僕達はそれぞれ狙撃に適したところを選び、お互い射界を補えるようにした。オータムがこの場所を選び、狙撃に移る段取りもスムーズで手慣れているのが窺える。地球にいた時から暴力の世界の住人なのは確定だけど、本当に何者なのだろうか?
聞こえる銃声に金属音が混じっている。こんな特徴的な銃声を鳴らす銃は僕は一種類しか知らない。『SVD』旧ソ連が開発した狙撃銃ドラグノフがモデル元になった銃で、それが彼の武器であった。
旧共産圏らしく余計な装飾を取り払った無骨なシルエットのライフルを構え、早いサイクルで射撃を行うオータムの姿は銃と同じ印象を受ける。射撃は的確かつ正確で、元々精度の高くないSVDを使っているにも関わらず、走っている軍隊狼の頭を的確に狙い撃っている辺り凄まじい。
釣り出し役の二人を助けた爆撃も彼の手によるものだ。SVDの銃口にライフルグレネードを取り付けて撃った結果であって、僕は警告を飛ばしただけだ。この爆撃もまた正確で、仮に壱火が棒立ちだったとしても命に別状はなかったかもしれない。加えて森の木々を縫ってグレネード弾を届かせる技量も凄いの一言しかない。
高い射撃能力に地理把握能力、見せられる高いスペックに僕は警戒心と同時に、少しばかり子供じみた対抗心が湧いていた。
『レッド、交代だ』
『グリーン、了解』
オータムから交代の念会話が飛んできて、僕が応えて射撃を再開する。撃つ時は余計な考えは全く浮かばない。敵と判断した相手をいかに速やかに無力化するかに集中する。
仲間達の死角にいる目標を三つ確認。そちらに銃口を向け、排除。排莢口から空薬莢が三つ吐き出された時点で目標は沈黙、生きていたとしてもこの戦いの最中は動けないはずだ。
スコープを覗く右目は目標を捉え、裸眼の左目はその周囲を広く俯瞰する。回り込んだ水鈴さんが魔法攻撃を始めて、彼女が呼んだ旋風が軍隊狼を数十匹まとめて空に打ち上げて地面に叩き落とす様子が見えた。ヴェルヘルミナも魔法で攻撃を開始して、地面より突き出た岩の柱が叩き落とされた軍隊狼に止めを刺している。前と後ろから開始された面制圧に群れの数は一気に減っていくのが確認できた。この調子ならすぐに終わりそうだ。
魔法での面制圧が始まったところで狙いを変える。群れから外れて個々に逃げ出す軍隊狼を一匹ずつ仕留めていき逃げ場を塞ぐ。この辺りで弾が切れた。
『レッド、交代を』
『ああ、グリーン。最後だ、もう一発花火を撃つ』
応えたオータムが花火などと言い出したので彼の居る方向を見やると、SVDの銃口に細長いシルエットのロケットが取り付けられているのが見えた。ライフルグレネードの二発目だ。彼ほどの腕前の人間相手に失礼だろうが、合同での狩り初日にグレネード二発とはコストとして大丈夫だろうか?
などとこちらの余計な心配を他所にくぐもった銃声が鳴ってグレネードが発射された。相変わらず狙いは正確、逃げようとしていた軍隊狼を数匹まとめて爆発で吹き飛ばした。
オータムが言った通り、この花火がちょうど狩り終了の合図となった。
『ルナの嬢ちゃん、こっちから見えるオオカミどもの姿はもう無いが、終わりかい?』
『そうですね……ええ、全滅しています。終わりのようです』
レイモンドから飛んできた念会話に応えてもう一度周囲を見渡す。草地に釣り出された軍隊狼の群れは全滅、動く気配は無い。
まだランドラプターが残っているので断言はしないけど、これだけの数を狩れれば集落周辺の小型魔獣の被害は大分減らせたと思う。初日でこれほどの猟果が出せたのは望外の展開だ。
魔法の砲台役が二人居るのも運が良い。狙いは正確でも点で攻撃するしかないこちらとは違って、彼女ら二人の魔法による面制圧は機関銃の掃射よりも効果的に群れを駆逐できた。接近されると弱いのが魔法使いの定番だけど、そこは護衛役がカバーしている。
各々が役割を務め、上手く噛み合った結果だ。初日からとは驚きだけど、運が良かったのだろう。
『いや、待った。大物が出てきた。森の方向距離300、こっちに向ってくる』
同じく周辺を走査していたオータムから飛んできた念会話に、僕はすぐライフルを言われた方向へ向けた。
森の木々があってもその姿は充分に捉えられる。余りにも巨体だからだ。森に溶け込むような暗いアースカラーの毛皮に覆われた身体。四肢は巨体の割に細く、速く走れるのが見た目でも分かる。一番の特徴は頭部、ヘラ状の巨大な角が左右に翼を広げるようにして生えている。
その巨体と角だと森の中では不利なはずなのに、全く気にせず悠々と闊歩している。邪魔な枝はへし折り、細い木程度は障害にならず倒される。通った跡には獣道というには広すぎる道が出来ている。
ラージエルク。名前の指す通り、巨大なヘラジカの魔獣だ。地球のヘラジカは体長3m程でシカの仲間では最大の種と言われている。対してあの魔獣は体長およそ6m、体高は3m弱はあり、地球のゾウほどの大きさを誇っている。
スコープの向こうに捉えたその巨体、オータムに言われるまで気付けなかったのが信じられない。動く度に枝や木を折って派手に音を立てているのだ。普通はもっと離れていても接近が分かるはずなのに。
『どうもこちらがオオカミ狩りを始める前から森に潜んでいたらしいな。目的はオオカミの死骸か?』
『ん? ラージエルクの食性は草食ではない?』
『ああ、下見をしていた時にも動物の死骸を食べていた。他にも木の実や葉を食べていたからイノシシみたいな雑食だろう』
タイミング良くオータムがこの事態を説明してくれた。少し考えてみると自然界でも良くある獲物の横取りだ。
僕達が派手に軍隊狼を狩っているのを察知して、横から奪うタイミングを窺うべく息を潜めていた。そして狩りが終わって気が抜けただろう瞬間に横取りしていく。大きな体に似合わず狡猾な真似をする。
だけどそうなると、狩った獲物の近くにいるマサヨシ君達が危険だ。すぐに警告しなければ。先ずは森の近くにいるレイモンドからだ。
『警告。森から大型魔獣ラージエルクが接近している。態勢が整わない内は危険だ。退避してくれ』
『分かった、どうりでさっきから不穏な音が聞こえるかと思えば……どこまで逃げれば良い?』
『こちらで対処してみる。駄目だったらこちらも逃げる。最悪は麓まで』
『了解した。最悪じゃない事を祈ろう。他のみんなには俺から伝えておく、だから対処は任せた』
『ありがとう』
僕の突然の警告にもレイモンドはすぐに応じてくれた。ここからでもレイモンドが牧草地にいたみんなに身振りを交えて退避を大声で叫んでいる。みんなもすぐに状況を察して麓の方へと退避しだした。ここまで戦い慣れしているお陰か、行動はとても迅速だ。
今日の僕達は小型魔獣を中心にした狩りに来ていて、準備もそれ相応だ。一応は大型魔獣と遭遇した場合も想定しているが、討伐は視野に入れていない。さらにラージエルクは大型の中でも大人しいとゲーム設定ではあっても、あくまでもゲームでの設定で参考程度と思っている。この二つを考えて僕はレイモンドに退避を勧めた。
けれど、それとは別に仕留められる機会があるなら仕留めておきたい。だから対処を引き受けた。
『あのシカ、こちらに気付いた様子は無い。狙いはあくまで獲物の横取りのようだ。仕掛けるのか?』
『そのつもり。そちらは?』
『すまないが、グレネードはさっきの二発で使い切った。残りは車に置いてきた』
『分かった。僕が何とかする』
ラージエルクは真っ直ぐに軍隊狼の死骸の方向へ向っている。その耳目の動きはこちらの存在を警戒する風ではない。水鈴やヴェルヘルミナの魔法が派手だったせいか、こちらは察知されなかったようだ。仕掛けるなら今しかない。
ただし、あの巨体と魔獣の生命力を考えるとAR-10カスタムの7.62㎜弾を数発撃ち込んでも倒せない。オータムのSVDも同様、グレネードの事を真っ先に言ってきたのはそれが分かっているからだ。この口径の弾薬で倒すなら機関銃のように火力で押す必要がある。少ない弾数で狙い撃つハンターや狙撃兵にそれは求められない。
目標の逆襲も考えられる。銃弾を撃ちこちらの位置がバレたら、あの巨体でこの岩場目がけて突進して来るだろう。ラージエルクは大型魔獣の中では比較的温厚な性格の設定だったが、攻撃を受けたら逃げるより反撃に出るくらい攻撃性はあった記憶がある。やはりあくまでも参考程度だけど、危険性は高い。
仕留めるなら数発、理想を言えば一発で殺しきりたい。それを可能にする手段を僕はすぐ傍に置いていた。
AR-10から体を離すと、すぐ後ろに置いていた長大な武器に手を伸ばした。約17㎏の重さも僕にとっては気にならない。片手で掴み上げて、二脚を展開させAR-10のすぐ隣に据え置いた。
ボーイズ対戦車ライフル。ゲアゴジャで戦ったスタン・カイルの愛銃をクララさんに依頼して修復、改修を加えた一挺だ。大型魔獣を狩猟するために用意したが、初日から出動することになるとは。
「使わせてもらうよ、涼介君」
自分だけに聞こえる声で一言今は亡き友人に断って、据え置いたボーイズを構えて伏せ撃ちの姿勢になった。
ボルトを操作して初弾を装填する。使用弾薬はスタンオリジナルのカスタムカートリッジから一般的な対物ライフルに使われている12.7㎜×99に変更されている。この方が弾薬の調達が簡単だからだ。その分射程が落ちたとクララさんから聞かされたが、魔獣との対決には必要充分だ。
銃本体に横付けされたスコープを覗く。1㎞近く先の目標を狙い撃つ狙撃銃に改造されているため、倍率の高いスコープに映るラージエルクの姿は近過ぎて狙いにくい。アイアンサイトはスコープを付ける時に邪魔になるので外している。これでやるしかない。
ラージエルクの狩猟はそのサイズを考えなければシカを相手にしているのと変わらない。狙い撃つ理想的な部位は心臓、背骨、首のいずれか。心臓は前脚の骨に阻まれるので届かせるのは難しい。背骨は、この位置では少し狙いにくい。なら、首だ。
照準をラージエルクの首へと合わせ、距離、風等によるズレを素早く補正する。呼吸はこの合間に整えた。後はそっと絞るようにして引き金を引く。
衝撃。意識が一瞬漂白され、激震が体を突き抜けた。AR-10とは比べものにならない.50口径の大きな銃声と反動が体を蹴っ飛ばす。元の世界の肉体だったら相当堪えるはずの反動も、『ルナ』の肉体スペックなら地球で撃っていた.30口径のライフルレベルまで軽くなる。
スコープに映る光景は反動でブレて、一瞬標的を見失った。けど手応えはあり、標的を見失う直前に飛び散る血も見えた。間違いなく仕留めた。
すぐに標的の姿を捉える。着弾は狙い通りに首。発射された約50グラムの弾丸は頸椎を砕き、周囲の筋肉や血管、神経も引き千切った。いくら非常識な生態をしている魔獣であっても生命である以上、急所をここまで破壊されれば生きてはいない。
首から血を吹き出しながらラージエルクがその場に崩れ落ちる。ほぼ即死だ。
『仕留めた――今度こそ、終わりだ』
レイモンドとオータムに念会話で報告を済ませると大きく息を吐いた。吸い込む空気には硝煙の臭いが濃く薫る。周囲の地面には空薬莢が散らばって、結構な弾数を撃ったものだと改めて認識させられる。
不意に強い日の光を感じてみればそれは西日で、太陽は傾きだしていた。この後の獲物の処理に移動も考えると今日の狩りはここまでだ。
『こっちでも確認した。お疲れさん』
オータムから返ってきた念会話に軽く手を振って見せ、もう一度息を深呼吸をしてみた。硝煙と血と森の匂い。普通なら剣呑な香りのはずなのに、不思議と心は落ち着いていた。
こんなに凪いだ気持ちなら明日もまた狩りへと出られるだろう。手にしたボーイズを軽く撫で、僕は狩りの余韻に浸っていた。




