4話 イージーライダー
ジアトーから南東方向へ車で三時間。道中魔獣の襲撃などのトラブルに遭うことなく、目的地には無事に辿り着けた。目の前に見える家々の集まりが僕達の初仕事の舞台ニスカリーである。
ジアトーの市街地からも見える標高四三九二mのレニア山。ニスカリーはその麓にある集落で、間近に迫って見える雄大な巨峰と比べるとひどく小さく見える。人口わずかに十数人、主な産業は近くの山林で行われる木材の伐採と酪農業。昔は鉱山での採掘で潤っていたらしいがそこはすでに閉山されている。事前に目を通した資料を読む限りでは典型的な過疎の村そのものだ。
そして集落を間近にして直に見た感想はと言うと、ゴーストタウン一歩手前だ。
『人、いるんスかね? コレ』
『居るから僕達はここに来ている』
後ろにいるマサヨシ君から戸惑ったような念会話が飛んできたので適当に応えたけど、彼の戸惑いは当然と言える位に集落の様子は酷い。
集落の建物自体はアメリカ開拓期風の木造家屋が多く、まさに田舎の家といった外観をしている。問題は壁に大穴が空いている家があったり、窓や扉に土嚢を積み上げている家もあったり、果ては建物自体が潰れてガレキの山になっている家もあり、人気の無さもあって廃村と見間違うほどだ。
いくら過疎が進んでいるといってもここまで酷い有様はそうそうない。まず間違いなく魔獣の襲撃を受けたと思われる。
『ここでじっとしていても仕方ないし、集落に入って雪と合流しよう。向こうだって待っていると思うから』
『分かった、出発する。隊列はこのまま、引き続き僕が先頭になる』
『ん、OK』
水鈴さんから促された僕は、跨っていたバイクのギアを入れて集落へと向けた。僕の後ろには水鈴さんとマサヨシ君が乗っているパオ、レイモンドと壱火が乗っているジープがこれに続いている。ジアトーからここまで、途中休憩を挟みつつこの隊列で走ってきた。
バッグというチート的な収納アイテムのお陰で荷物の制約はなくなったが、僕達が所有している車は二台とも五人全員が乗り込むには手狭だった。特にマサヨシ君とレイモンドは体格が良いのでこれは深刻な問題となる。だからこその分乗であり、僕がバイクに乗ればさらにスペースが空いて快適なドライブが出来るだろう。さらに言えば、僕がバイクに乗ってツーリングする良い機会にもなっていた。
天候は雲が少ない晴天、周囲もレニア山を中心に見渡す限りの絶景の大自然、ツーリングするなら最高の環境だ。仕事で来ているのが悔やまれる。悔やまれるのだけど、やはり初仕事だし相応に頑張っていこうと気分を切り換えた。
バイクのスロットルを回しクラッチを繋ぎ、いざ走り出そうとした瞬間だった。いきなり全身に悪寒が奔った。
「――っ!」
別段体調を崩した覚えはない。この手の仕事は体が資本と知っているので一応体調管理には気を遣っている。
この感覚は覚えがある。十年以上も前の出来事なのに一度覚えると二度と忘れられないこの感じ。この世界来て、この身体になってより鋭敏に感じ取れた。勘だけど、今誰かに銃口を向けられて狙われている……かもしれない。
慌てて周囲を見渡した。だが感触を覚えた時間はほんのわずかな時間で、さらには十年以上のブランクもあって本当に狙われているのか確証さえ掴めなかった。大まかには集落の方向からだと分かるけど、それ以上は無理だ。
集落の人がこちらを警戒して銃を向けてきたのだろうか? いや、そんな漫然としたものは僕だと感じ取れない。では一体誰が?
「ルナ、どうしたの-?」
「……いや、悪いすぐに出発する」
出発せずに挙動不審な行動を始めたからか、水鈴さんが念会話ではなく直接声をかけてきた。狙われたかもしれない事を伝えるべきか一瞬迷ったけど、現段階ではあくまで勘に過ぎず『かもしれない』話だ。これから仕事をする一行に勘だけで無用な混乱は持ち込みたくはない。
五〇〇㏄空冷単気筒エンジンを力強く唸らせて、バイクをニスカリーへ走らせる。さっきまで感動できた周囲の光景が自分の中で急速に色あせていくのが分かる。不安の種を頭の隅に抱えながら初仕事とは、先行きが今から心配になってきた。
幸いにして吐いた溜め息は、バイクのエキゾーストにかき消されて誰にも聞かれなかった。
◆
外から見た集落はかなり荒れていたが、それ以上に住む人の心はもっと荒んでいたようだ。
住人は誰一人として表に姿を現さないけど家の中にいるのは分かった。わずかに開いたドア、窓のカーテンの向こう側、そこから敵意混じりの視線を僕達に浴びせているのもだ。開いた扉の隙間から見える住人の目は、鈍感な人間でも寒気を覚えるほど冷え切っている。
歓迎されていないのはこのムードだけで良く分かった。エンジン音を聞きつけたのか、集落の入り口で出迎えてくれた雪さんの表情も固い。彼女の姿を見て僕達の車列が止まると、手を振りながら近付いて来た。
フェルパー族の雪さんの表情はニコニコとしているけど、その耳と尻尾は力なく垂れている。
「やっほ、久しぶりだねルナ。ジアトーの時以来だから二ヶ月ぐらい? あ、髪伸ばしたんだ。似合っているよ」
「切るタイミングを逃しているだけだよ」
「マサヨシに水鈴も久しぶりー。元気してたようね」
「ええ、雪も元気そうで良かった。都市運営の部門ってキツイって聞くけど大丈夫そうね」
「大丈夫でもないよ、こんな所まで出張る仕事なんだから。ブラック一歩手前?」
固い表情でも無理に明るく振る舞っている雪さん。彼女が明るくすればするほどこの場の空気が沈んでいく。雪さんも大変だけど、僕らも初仕事で厄介な案件を掴んでしまったようだ。
ここで後ろのジープからレイモンドが降りてきた。いつものスーツ姿から戦闘服に着替えており、リザードマンの外見も相まってワイルドさが増している。
「やあ、雪さん。今回はよろしくお願いするよ」
「ええ、一週間ぶりレイさん。車だけど、これから案内するところに停めて」
「分かった。みんな、積もる話はあるだろうけど、まずはお仕事だ」
レイモンドの一声で場の空気が一新される。ここは流石年長者の貫禄だろうか、僕にはまず真似できない。雪さんが水鈴さんが運転するパオに乗り込んで先頭になり、車列が再出発した。
集落の道は未舗装で車一台通るのがやっとの幅だ。車列の速度は当然上がらず、僕達は集落の中をゆっくりと進んでいくしかない。ただ、こうして進んでいくと外観から見た時とは違うものが見えてくる。
ゴーストタウンに見えるのは変わらないけど、人がまだ生活しているとあって完全に廃墟とはなっていない。それがさらに状況を酷く見せている。道に付いている轍からして車は有るはずなのに他所へ避難はしないのだろうか?
周囲を見渡しながらハンドルを握ってしばらく、広くない集落なのですぐに雪さんが案内する建物の前に到着した。集落の奥まった外れ、すぐ傍にレニア山の登山口の案内板が立てられている大きめの家だ。
「元はね、山に入る登山者や狩りに来る人のための宿泊施設だったらしいの。でもジアトーの一件から全く人が来なくなってね。毎年シーズンになるとあそこから観光客やハンターが来るんだって」
「とすると、魔獣の襲撃はここにしてみると弱り目に祟り目ってか」
「そんなところ。それと気をつけて、もう分かっているかもだけど私達転移者は歓迎されていないわ。こんな事態を引き起こした連中って思われている」
「マジかよ、言いがかりじゃねぇか」
「さて、そこのところどうなのかかしら? 私達がこの世界に来た仕組みも分からないし、全くの無関係でもないし。ここの人にしてみるとそれで充分有罪なんじゃない。あ、車はテキトーに停めていいから」
雪さんがマサヨシ君に車から降りながら現状の話をしている。思いのほか深刻になっている集落の現状に彼の顔はあっという間に渋くなった。厳つく線が太い顔つきなので渋顔になると迫力を増す。幼い子供が見たら泣き出すかもしれない。
宿泊施設の前に車両を停めた僕達は建物へ近付く。外見は被害もなく、鄙びた雰囲気の民宿といった風情をしている。壁が厚いのか中の音は聞こえてこないけど、煙突からの煙で人がいると分かった。
案内役らしく雪さんが僕達一行の前に立って扉を開けようとしたら、扉は向こうから独りでに開いた。続いて中から背の低い人影が飛び出して、雪さんの横をすり抜けてマサヨシ君にぶつかる。
「わっぷ!」
「おぉ、だ、大丈夫か?」
「う、うわぁぁ、まじゅぅぅ」
「あ!? 魔獣って、オレが?」
マサヨシ君にぶつかった人影は彼の顔を至近で見るなり悲鳴を上げて泣き出した。人影は年端もいかない幼い少女だ。これはさっき思っていた事が本当になってしまったな。
「マリー! 魔獣ってホント、って雪さんに、ゴリラ?」
「誰がゴリラだ、きっちり人間だ」
少女を追ってか、中からさらに人が現れた。先の少女よりは年上だけどそれでも女性というより少女という言葉が似合う幼い容貌、服装こそ軍隊の野戦服で物々しいが服に着られている様だ。さらに笹穂型の長い耳と幼くても端正な顔立ちからエルフだと分かる。
そして、多くの人と接する内に雰囲気から何となく分かるようになったのだが、おそらく――
「紹介するよ。君達以外にもジアトー都市運営部は今回の件に二人、転移者のハンターを雇い入れているの。二人の内の一人がこの子、ヴェルヘルミナ……で良いのよね?」
「うん、言いにくいようならミナで良いよ。みんなそう呼んでいるから」
案に違わず元ゲームプレイヤー、転移者だ。紹介されたヴェルヘルミナはこちらに向けて可愛らしい笑みを向けて紹介に応える。マサヨシ君はその可愛らしい笑みに戸惑っている様子で、すぐ後ろにいる壱火も同じ。気付いたのは年の功のレイモンドと同性の水鈴さんか。彼女の顔は笑っていても目にあざとさを感じる。見た目通りの年齢ではないな。
その彼女はマサヨシ君にぶつかった少女の手を取って、「慌てるから人にぶつかるの。お姉さんと一緒に行きましょう」とたしなめて、手を繋いで集落へと出て行った。その時にはもう少女の顔は笑顔になっている。子供の喜怒哀楽は激しいものだ。
「彼女には買い出しをお願いしたから、ついでにあの子の面倒を見て一緒にお出かけなのかしら」
「あの子?」
「マリーっていうのだけど、先日の魔獣の襲撃で両親を亡くしたのよ。ジアトーに親戚がいるのだけど、この一件が収束するまではここで預かっているの」
「それは、気の毒な話だな」
「そうね。さ、これ以上立ち話もなんだから中に入って。コーヒーぐらいは淹れてあげる」
重くなりかけた場の空気を強引に切り換えようとして、雪さんは僕達を中へ招き入れてくれた。
建物の中は猟師や登山家の宿泊所らしく余計な飾り気など一切無く、置かれている家具も総じて大きく頑丈な物が多い。体格の良い人間が使う事を想定されているみたいだ。さらに余計な装飾は無いが、狩猟の成果なのか壁には鹿の首の剥製、床にはカーペット代わりに熊らしき毛皮が敷かれている。
嗅覚で感じるのも古い血の匂い、獣臭、人の汗といった物だ。学校の運動部の部室の臭いを幾分かマイルドにしたらこの空気になるではないだろうか。僕は平気だが、苦手な人は駄目だろうな。
案内されて室内を進む最中、耳に動物の鋭い鳴き声が聞こえてきて、直後に何かを叩き付ける音、さらに真新しい血の匂いがしてきた。
僕以外の他の面子は「何事!?」と驚いて居る様子だ。例外はおおよそ見当がついている僕だけらしい。案内をしていた雪さんもいきなり聞こえた音に驚いて出所に向っていった。それを僕達も追う。
音源の場所は厨房、僕の見当が当たった。
「何やっているんですか?」
「見て分からないか、獲ってきた獲物をしめている。ところでそいつらは?」
「依頼した魔獣狩りの人員です。皆さん、こちらの人がもう一方のハンターで、オータムさん」
厨房で紹介された人物は、手に持った大型のハンティングナイフで獲物である鳥の頭を切り落としていた最中だった。出てきた大量の血はシンクを真っ赤に染めて、むしられた羽は隣に山を作っていた。すでに二羽ほど鳥から肉に変わっていて、それを見るにかなり良い解体の腕をもっていると分かった。
男性のエルフで、外見は二〇代半ば、カーゴパンツにシャツといった実用本位な格好はヴェルヘルミナと大差ないけど、こちらは着こなしている。鋭い目付きは猛禽類を思わせ、立ち居振る舞いに無駄がなく隙もない。
さらに少し目を転じれば、男の手が届くテーブルの上に一挺の拳銃が置いてある。『コルト・タイプ1911A1』、通称ガバメントと呼ばれる自動拳銃。地球では.45口径拳銃の傑作、こちらでも優秀で手堅い一挺になる。
銃を見るに手入れが行き届いており、同じ銃でも何時か見た路上強盗の物とは大違いだ。常に手元に武器を置いておくのがこの人物の習性らしい。
ほぼ間違いない。この人は元の世界で暴力の世界に属している、あるいは属した経験がある。
この世界に来た転移者達はこの数ヶ月間暴力の世界に曝されているが、習慣レベルになるほどではない。この時期でこれほどになるのは元からそういった経験がある人だけだ。このオータムという人物しかり、僕しかりだ。
「…………まあ、よろしくな。今日のメシはこの鳥だ」
時刻は昼下がり、場所は廃村一歩手前の集落、一緒に組む相手は一癖ありそうな人物とくる。この世界で始めた仕事は第一歩目から厄介な空気に包まれていた。
脇の下にハリー・キャラハンの代名詞的拳銃を下げていたせいなのだろうか、口をついて小さく「Marvelous……」と皮肉が出ていた。




