2話 Morning Dew
コーヒーミルのハンドルに手をかけてぐるぐると回す。そのたびに中のコーヒー豆が砕けて、芳醇な香りが撒き散らされ鼻腔をくすぐった。
床下の貯蔵庫にあった豆を使っているのだが、長期間放置していた割にかなり風味が残っている。豆を入れていた容器が良かったからか、嬉しいことに数ヶ月経った今でも飲める状態だ。
挽いた豆をドリッパーに投下。白いフィルターに濃いブラウンの色が映える。そこへあらかじめ湧かしたお湯を注入、フィルターにかからないように注意しつつブラウンの中心へ糸を垂らすように注ぐ。
湯気と一緒にぱっと香りが昇り立つ。これが僕の一番好きな瞬間だ。
この身体の鋭敏な嗅覚はコーヒーの繊細な香りを楽しむには都合が良い。『ルナ・ルクス』の身体になって良かったと思える出来事の一つがこれだろう。難点は何杯もコーヒーが飲めないところだが、そこは一杯辺りの質を高めれば満足度の点で問題ないはずだ。だからコーヒーを淹れる時は一切手を抜かないと決めた。一つ手を抜けば十は質が落ちると思っている。好きなことには妥協したくない。
三十秒の蒸らしを挟んでドリッパーに注湯していく。下にセットしたサーバーに溜まっていく黒く香り高い液体が非常に魅惑的だ。
充分な量を抽出し終えたところでドリッパーを外して、サーバーから用意した各々のカップへと注げば完成。すぐにトレイに載せて皆のところへ持っていく。
「コーヒー、持って来た」
「あ。ありがとう、さっき見たけど本格的にやっていたね。大変だったでしょ?」
「そうでもない。半分以上は趣味」
「それでも労力は変わらないって。ほら私が持ってあげる。みんな、ルナがコーヒー淹れてくれたからありがたく飲むように」
持っていった先で水鈴さんが真っ先に駆け寄ってきて、半ば奪い取るようにトレイを持っていくと僕の代わりに配膳しだした。
レイモンドが礼を言って丁寧にカップを受け取ると、壱火は「コーヒーかぁ」と渋い顔で受け取る。彼女はコーヒーが苦手なのかもしれない。そして最後のマサヨシ君は何やら嬉しそうに受け取った。受け取ってすぐにカップに口をつけて「あちちっ」などお約束な真似をしている。
全員にカップが行き渡ったところを見計らって、まず最初にレイモンドが口を開いた。
「じゃあ、みんなの今後について話をするとしようか。ところでルナ、俺が仕切ってしまう形だがいいのか? ここはお前の住まいだろ」
「構わない。リーダーシップなんて性に合わないから」
「そうか、分かった。まずは、みんなの現状とこれからどうするつもりか言っていこう。まずは――」
戦いの傷がその日の内に癒えてしまい、さっさと退院させられた翌日のこの日、僕達五人は拠点だった廃工場に集まって今後を話し合うために顔を合せた。
振り返ってみるとこの日、この時から僕達のこの世界での『日常』がようやく始まったのだ。
◆
――そうして、脳内に浮かんだ過去のビジョンは消え去って、肉体の感覚が現実のものと再接続されていく。目に映るのは金属の梁が剥きだしの天井、肌に感じるのはベッド代わりのソファと毛布。二秒ほど経ってから寝ていたのだと理解した。
手近にあった目覚まし時計が指す時刻は四時半。日が長い時期なのでこの時刻にはもう東の空が明るくなっている。普通の人間には薄暗く感じるだろう部屋の中でもこの目はハッキリと物が見えており、寝床から出た僕は明かりを点ける必要もなく着替えを済ませた。
寝間着代わりの定番になったスウェットから最近になって買ったばかりのジャージパンツにパーカーへ、とにかく運動するのに不自由のない服装を身に纏って姿見で外見をチェックする。
以前はさして外見に気を遣う方ではなかったが、今は住まいを同じくしている同居人が四人もいるのでだらしない格好はできない。億劫ではあっても見苦しくない程度に外見を整える必要があった。
黒髪に縁取られた白面が印象に残る幼い顔立ち。鋭い目つきの中心にある瞳の色は人の常識から外れた金色。小柄な少女に見える肉体にも常識外れのタフネスさ。もうすっかり馴染むようになった『ルナ』が鏡に映っていた。
寝起きのせいか目つきの悪さは二割増、愛想の無さは五割増、男性視点で見て間違いなく美少女な姿だが中身が己だと何とも思わないものだ。ましてや僕はリアルに情欲が湧かない性質だ。部屋を出ても大丈夫な姿だと確認するだけで、後は何事もなく外へと向かった。
扉を開けると風圧で髪が煽られる。以前よりも髪のボリュームが増したような気がして何となく指で髪を弄って気が付いた。
「ああ……髪が伸びたのか」
何のことは無い。始まりの日からすでに数ヶ月、ある程度髪が伸びる程度に時間が経っていた訳だ。
荒事の多い仕事のため長い髪は支障が出る。折を見て適当な長さに切っておこうか、あるいはヘアバンドで纏めておくか。つらつらと考え事をしながら屋外の風に当たる。もうすっかり季節は夏、というより乾季。吹く風に水気は失せて乾いた土の臭いが濃い。
太陽がまだ出ていないせいか気温は低く、今の服装でちょうど良いぐらい。日本と違って湿気が少ないのがありがたく快適な環境だ。トレーニングをするには中々良い時間帯で、今後もこの時間帯を目安に起床しようと心に決めた。
冷えて乾いた空気を肺に入れて、体を柔軟でほぐしつつ肉体に火を入れる。まずは指、手、足と末端から徐々に体幹部分を動かしていく。軽い運動から負荷をかけて本格的な体操へと移行していく。
最終的には自衛隊体操まで持って行き、終わる頃には軽く汗ばむ位でアップが終了する。ここからトレーニングの本番だ。
前世界の人間を遥かに超える身体能力を持っているこの身体だが、動かさないと鈍るのは共通していると考える。そのためトレーニングは身体のスペックを維持し、その日一日の体調を推し量る上でも欠かせないと思っている。可能な限り習慣化しておきたい。
まずは定番のランニングを二〇kmぐらいやってみることにした。脳裏にジアトー周辺の地図を思い浮かべ、ようとして止めた。今のジアトーは日々変化し続けていて、極端な話だが昨日の地図が今日は役立たずなんてこともあるほどだ。よって先週覚えた脳内地図など役にたたない。
とりあえず変化の少ない街外周の幹線道路を走れば二〇kmぐらいは稼げると考えてコースを決めた。運動用に履いたシューズで固い地面を踏みしめ感触を掴んでからスタート、一瞬で全身に強い風を感じた。
足がリズムをとって地面を蹴りつける。その度に体が勢い良く前へと弾き出された。風景が流れる速度は急流の川のように速く、風を切る感触が肌に心地良い。
程良く暖まっている身体は快調に動き、街外周の幹線道路を駆けていく。朝の早い時間だけに車も人も通っている数はまばらでランニングの邪魔になるようなものは見あたらず、またこちらが誰かの邪魔になることもない。とても快適なランニング環境だ。
時折ダッシュを交えて走る。兵隊の基本は走ることと聞いた記憶が頭に浮かぶ。誰が言っていたのかもう思い出せないが、確かにこれまでの職歴では良く走っていた。
不意に思い立ち、運動着と一緒に腰に着けたバッグから中身をひとつ取り出す。アルミ合金混じりのフレーム、どこか未来的な外観のそれは地球におけるアメリカ軍が制式採用している小銃に酷似している。
『アーマーライト・AR-10』。米軍制式採用小銃M16の元祖となるライフルで、これが喪失してしまったM14に代わる僕の新しい相棒である。
クララさんの手により遠距離狙撃戦に重点を置かれた改造が施されており、銃に詳しい人間なら『ナイツ・SR-25』というセミオートスナイパーライフルと見間違うだろう。実際にクララさんはAR-10をベースに徹底的に手を入れてSR-25風に改造したと言っていたのを覚えている。
この世界にSR-25は存在しないがAR-10はある。後はやる気と根気と資金があればこの改造は誰にでも出来る、とこれもクララさんの弁だったがここまで出来が良い物は彼女にしか出来ない仕事だ。
このAR-10カスタム、これを手に持って抱えた。弾倉は着けていないし、薬室にも弾が入っていないのを確認している。それでも手に返る重さはそこそこあって良い負荷になる。そして銃を抱えたままランニングを再開した。
そう、ハイポート走。銃を重しにして走り、時に持った銃を前に出したり上に上げたり、全力ダッシュも絡めたり、と大抵の国の軍隊で行われていて大抵の国の兵士から嫌われている訓練だ。
だけど嫌われているということはその分負荷がかかることを意味しており、今の僕の身体にとっては適度なウェイトになるだろう。
腕にかかる負荷に満足を感じつつ走る。時折銃を持ったまま腕を上に前にと突き出すとハードさが増す。このAR-10はカスタムしたせいでオリジナルよりも重量が増えている。重しと考えても好都合だ。
身体能力が上がっているのなら、それに合わせて負荷を上げていけば良い。そう思い立っての行動な訳だが、唐突な思いつきの割に悪くない手応えを感じて充実した気分を味わった。
たまにすれ違う人が何事か、といった目で見てきても無視する。こういうのは堂々とやった者が勝ちで、やましいところが無いならどんな目で見られても構わない。
走って、走って、全力疾走して、銃を上げ下げ、また走る。日の出前だった太陽が東の空から完全に顔を出してきた辺りで住まいに戻ってこられた。汗ばむ程度だった身体は発汗量を増大させて、パーカーがしっとりと湿るぐらいになっている。
それでも息は上がり切っておらず余裕が残っている。以前の僕だったら完走は出来るだろうが、地面に大の字になる運動レベルだったはずなのに。
改めて『ルナ・ルクス』の身体スペックの高さを思い知った。同時にこの肉体とはどれどの付き合いになっていくのだろうかと思いをはせた。願わくば一日でも長く健やかに生きていたいものだ。
「おう、嬢ちゃんおはよう。お互い朝が早いな」
「――おはよう。そちらもトレーニング?」
「まあな。折角キレの良い身体なんだから、鈍らせるのはもったいない。肩こりも腰痛も無い肉体は最高だぞ」
「なるほど」
声をかけてきたのはリザードマンのレイモンド。彼は僕と同じ考えだったらしく、トレーニングのために外に出ていた。
建物の外壁に姿見をかけてその前でボクシングの構えをとっている。シャドーという奴だろう。元プロボクサーだけに素人がやるなんちゃってシャドーとは訳が違い、かいた汗で暗緑色のウロコが光っている。それだけ本格的に取り組んでいたのだ。
それとレイモンドの言葉には共感できるところがあって、この時僕は思わず二、三回頷いている。以前の自身の肉体も年齢相応に疲れやコリがあったのを思い出したのだ。
考えてみるとこの拠点に暮らすことになったメンバーの中で年齢的に一番近しい相手はレイモンドぐらいだ。他の三人は一回りは年下で、話にはついて行けるがノリが合わない部分はあった。
先日はマサヨシ君が上げた声に興が乗ってしまい、この拠点を五人のシェアハウスにしてしまった。話が行き詰まっていたせいで目新しい話に飛びついてしまった形だが、こうして冷静になってみると早まってしまったかもしれない。
共同生活の経験ならば昔はかなり濃い経験をしていた。その時は仕事と割り切ってビジネスライクな対人関係に終始していた。けど今度のこれはプライベートな場面さえも共同だ。さらにその昔の時代からも十年以上のブランクもある。不安要素が積み重なっていく。
僕達は数日寝食を一つ屋根の下で共にした事はあった。けれどこれから数ヶ月、数年、もしかすると十年以上は一緒と考えるとどうだろう? 人付き合いが苦手な僕にそれが耐えられるのやらだ。
この先の未来に少し不安を覚えながらAR-10をしまい、次のトレーニングを思案する。銃を新調したのだから早く手に馴染ませておきたい。
だから次はS&W M629をセットで購入した革のショルダーホルスターと一緒に取り出して肩から吊した。この上からジャケットを羽織ればそれなりに秘匿性が望めるし、フロントブレイクタイプのホルスターなので抜き撃ちもそこそこ速い。前のモーゼル拳銃を吊した時より腰回りが軽くなったのが良い点だろうか。
手早くM629を手に取ってシリンダーを振り出す。中が空なのを確認してバッグからダミーの弾薬を取り出して一発一発込める。シリンダーを丁寧に戻してホルスターに入れる。
ランニングで上がった息を整えながら射撃体勢をとる。視線を感じたのでそちらを見ると、レイモンドが興味深そうな顔をしている。僕と目が合うと気にするなと言うかのように手を振っている。なので気にせず体を無人の荒野に向けて最終確認。ダミー弾薬を使うとはいえ、銃口を人のいる方向に向けないよう注意する。
自然体の状態から素早く滑らかに射撃姿勢へ。ホルスターから銃を抜くのと姿勢を取るのは同時に行う。銃口を目標に向けた時には撃鉄が上がって、両手は銃を保持している。トリガーを引き、撃鉄がダミー弾薬を叩くところまでやってからホルスターに銃を戻した。
やはりまだ慣れていないのか、動きのところどころがぎこちない。前のモーゼル拳銃と比べて全長はそれほど変わらないから、腰から抜くのと脇の下から抜くのとの違いが出ているのだろう。詰まるところ要訓練だ。
再び銃を抜いて空撃ち、戻す。これをワンセットにして時々動きを確認しながら繰り返し体に覚え込ませていく。
西部劇に出てくるクイックドロウの真似事みたいだろうが、拳銃を使う距離を考えると素早い抜き撃ちが出来た方が良いに決まっている。少なくとも無駄にはならないトレーニングだ。
上手く射撃することだけを考えて繰り返し銃の抜き撃ちを続ける。抜き、撃ち、戻す。抜き、撃ち、戻す。時折射撃姿勢を立ち撃ちから膝撃ちに変えたりしつつ延々と続ける。近くにいるレイモンドがトレーニングを再開したのか、拳が空を切る音が聞こえてくるけど気にすることなく続けた。
昇った太陽が高度を増していき、辺りが明るくなっていくのを感じ、心なしか身体から若干の力が抜けていくのを覚える頃に新たに別の声がかかった。
「二人ともおはよう。朝ごはん出来ていよ」
「おう、おはよう。そっか、さっきから中で良い匂いしているかと思えばそれか。ルナの嬢ちゃん、その辺で切り上げたらどうだ」
「分かった。それとおはよう水鈴さん」
「うんっ。浴室にタオル用意しているからシャワー浴びてきてね」
元気に現れた水鈴さんが僕達に声をかけると、朝食とシャワーの用意が出来たことを告げて元気に中へと戻っていった。形から入るタイプなのか普段着にしているデニムのスカートとブラウスの上に青いエプロンをかけている。
集中していて気付かなかったが、何時の間にか拠点の中から暖かい食べ物ならではの匂いが流れてきている。住まいをシェアする上で食事は出来る人が持ち回りで作る決まりになっていたけど、この数日水鈴さんが作る時が多かった気がする。
機会を見て僕も食事係をするべきだろうか。水鈴さんの消えた出入り口を見ながらそんなことを思うと同時に、これが他人と密接に暮らすということかと思いもした。
「よし、嬢ちゃんは先にシャワー浴びてくれ。俺は後にする」
「ありがとう。中に入ろう」
レイモンドの声に頷いて、手に持った銃をホルスターに戻す。今日のトレーニングはここまでのようだ。
冷えていた早朝の空気は陽の光で熱を帯び始め、朝となったジアトーの街は今日一日の活動を始めようと目覚めの時間を迎えていた。
◆◆
「ふぁぁぁ……はよ~」
「おはよ。お前が一番最後だぞ、席に着け」
ベッドから抜け出て、そこそこの身支度を整えてから食堂兼任の居間に入ると、リザードマンになった親父に今日の第一声を貰った。もう全員居間のテーブルに着いていて朝食を食べている。
決まった時間に起きないといけないというルールはないはずだけど寝坊した気分で少し気まずくなる。「はよ~」などと言って場を和ませつつ空いた席に座った。
返ってくる反応は、マサヨシが真っ当に「おう、おはようさん」、水鈴が「ほら早く食べちゃって、冷めるわよ」とオカン風、ルナは「ああ」と頷くだけと三者三様。うん、とりあえず歓迎されていないってことは無いので良しとしよう。
シリアルにカリカリに焼いたベーコンを添えた目玉焼き、ソテーにしたトマトとマッシュルーム、ロールパンと見事に洋食スタイル。朝メシというよりブレイクファストって言葉が似合う感じのラインナップだ。
ここ数日は水鈴が食事を作ってくれていることが多くて、料理が出来ない身としては頭が上がらない。これは早く料理を覚えろって言われているんでしょうかね。心の中で水鈴に感謝感謝と合掌してから食事に手を伸ばした。
「では、寝坊助の息子、もとい娘が来たので昨日舞い込んできた初仕事の話をしよう。水鈴の嬢ちゃんがこの話を持って来たんだよな」
「ええ。もう先方とは細かい部分についても話を詰めているから、ここでみんなが賛成すれば後は書類にして正式な依頼の形にするだけよ」
右手にフォークを持ってベーコンを刺して左手でロールパンを掴んでかぶりついたところで親父が話を切り出してきた。水鈴も学校で配るプリントよろしくみんなに紙を配る。
書かれている内容はボク達五人のところにやってきた初仕事の詳細だ。初仕事かぁ、今までアルバイトぐらいしかやった事がないから何となく緊張してくる。どんな仕事なのかな?
ふんふん、依頼人はジアトー市庁舎の雪さんという人から。ボクは会ったことがないけど、水鈴とルナ、ついでにマサヨシは面識がある人らしい。
肝心の依頼内容は『魔獣駆除』。ここがやる仕事内容はいわゆる何でも屋とか便利屋みたいな方針だけど、魔獣の駆除が優先されるような話は聞いている。つまり初仕事から本業ってわけか。
報酬が……わぁ、五桁ある。これってジアトーの都市予算から出るのかな? 日本円とのレートを換算すると普通のサラリーマンの年収ぐらいはあるよ。これが一回の仕事でポンと出るのか。でもでもよく考えるとその分キツかったり危険ってことだよね?
もっくもっくとロールパンを咀嚼しながら横を窺うと、ルナはいつも通りの平素な顔をしてプリントを見ている。水鈴やマサヨシは緊張しているっぽいし、親父は完全に仕事って顔をしている。ボクは外から見たらどんな顔をしているんだろうか?
それで仕事する場所は――
「ニスカリー……って何処?」
「レニア山の麓にある町。このジアトーの領土内ってことになっているから、首長国じゃなくてこちらに話が回ってきたの」
「後で地図を見て確認しような。それにしても報酬が結構な額になっているが、大丈夫なのか?」
「その大丈夫が信用できるのかなら相手は役所みたいなものだし問題はないし、支払い能力という言うならもう予算が組まれている話は聞いているから問題ないはずよ」
ニスカリーっていうゲームのときでも聞いた事がなかった町。そこが依頼されている土地になるらしい。レニア山はここからでも見える高い山で、周辺一帯の土地で象徴的な扱いをされている。日本で言うところの富士山みたいなもののようだ。
地図はまだ見ていないから何とも言えないけどここからあの山の麓って考えるとそれなりに遠出になるっぽい。ゲーム時代で狩り場へ行くようなものとは訳が違うのだろうな、きっと。
フォークに刺したベーコンを口にしてカリカリの感触を楽しみながらそんな事を思う。うん、水鈴って料理上手いんだな。良い感じに焼けている。
「駆除の予定は三日後からになっている。もう依頼人代表の雪さんは現地にいるから、この仕事を受けるなら役所に行って窓口で受理の申請をすればいい手筈になっている」
「でだ、みんなこの仕事を受けるのに賛成か? 俺達は仕事仲間だし、こうして同じテーブルを囲む仲間でもある。遠慮は無しでいこう」
水鈴が仕事の予定日を言い終えた後、場を仕切っている親父がみんなを見回してこの仕事を受けるかどうか聞いてきた。そう言えばまだ正式に受けていないんだったけか。
「私は賛成ね。貯蓄に余裕はありますけど、収入源をそろそろ確保しておきたいですし。欲を言えば安定的な収入も」
間を置かず口を開いたのは水鈴だった。ここの収入を気にして仕事を受けたいという言葉は社会人になってないボクからしても世知辛く聞こえる。バイトしかしたことがないけど、お金は大事だよねぇ。
「オレも賛成。そろそろ体を動かさないと鈍ってしまうしな」
脳筋発言ありがとうマサヨシ。君はここの清涼剤だよ。だけど確かにボクも体を動かさないと鈍りそうな気がしている。これは良い機会かな。
「私も賛成する。特に言うべき事は無い」
ずっと無言でプリントを見ながら朝食を食べていたルナも賛成の言葉を出した。最近分かったけど、彼女は少しでも改まった場だと自分のことを『私』と言うようだ。凄まじく分かりにくいけど緊張している?
おっと、ボクの番か。んー、反対する理由は特に無いし賛成だね。危険とか何とか言うならそんなのとっくだし今更だ。これからもこの世界で生きていくならたくましくありたいな。
「という訳で賛成。異議なーし」
「どんな訳だ? まあいいさ、俺も賛成で全会一致でこの仕事は受けると決まった。となれば、今日一日は出発の準備に使って、明日出発して移動に使って、明後日は現地で休息と雪さんとの打ち合わせを挟み、それから仕事って日程かな?」
「そうですね。現地までは車で三時間ぐらいだそうですけど、移動中に魔獣とエンカウントする可能性を考えると余裕は持っておきたいです。そうなるとスケジュールはそんな感じでしょうか」
「じゃあ、役所への正式な受理の届け出は俺がやっておこう。みんなは出発の準備をしておいてくれ」
「お願いしますね。……じゃ、朝食冷めないうちに片付けちゃいましょっか」
親父と水鈴の会話でとんとん拍子に話が進む。水鈴は打ち合わせが終わると口調が軽くなって食事に手を着け始め、親父は最初から一定のペースで食事しながら会話に加わっていた。
出発の準備か……着替えとか身の回りの物は当然として、魔獣を倒すのに武器と弾の準備も必要だよな。食料とかも必要だし、他にもあれやこれやと必要になる物が出てきそうだ。
何か遠足の準備をするみたいで気分が昂ぶってくる。こっちに来た時は遠足どころかガチでサバイバルしていたのに。でも悪い気分じゃないのは確かだし、どうせなら楽しくやりたいものだ。
ウキウキしてくる気分のままフォークを目玉焼きに突き刺してかぶりつく。これも最近分かったことだけど、どうもボクは楽天家のようだ。他のみんなよりも悲壮感がないと思うし、危険を前にしても何とかなるさという思いが強い。今度の事も心配事よりもイベントを前にしての楽しみの方がボクの中では強いのだ。
あの日、マサヨシがここで言い出した話は、こうしてシェアハウスだか寮みたいな形で実現している。家主のルナには迷惑だったみたいだけど、根無し草のボクと親父にはありがたい話だったし、実際楽しく暮らせている。この生活を続けていくために協力は惜しまないつもりだ。
今日はどんな面白いことがあるだろうか? そう思いをはせたボクは、目玉焼きから垂れた黄身が手を汚すまで上の空だった。




