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19話 グノシエンヌ

 間が空きましたがエタりません。繰り返します、エタりません。完結まで走りきって見せます。




 ジアトー郊外の海浜地区に広がる高級リゾート地。その一画を一つのヴィラが占めていた。ヴィラとは上流階級のカントリーハウスを指す言葉で、地球では古代ローマ時代に起源があると記憶している。この世界にもローマみたいな高度な古代文明でもあったのだろうかと思考が脇道に逸れるが、すぐに修正して目の前の建物に目を移した。

 二階建ての横に広い建物が目の前にそびえ立っている。黒を基調として窓枠や柱、梁などは純白のラインを形成し品良くまとまっている。先程ヴィラの起源は古代ローマと言ったが、目の前の建物は地球でいうなら近代以降の様式のヴィラに見えた。

 建物の前に広がる芝生も綺麗に整えられており、植えられている樹木も配置、枝振りが計算されているのが窺える。

 僕はこの手の言葉が豊富な方ではないため端的に言うと、見るからにお高そうな場所だった。地位にしてもお金にしてもだ。地球にいた頃は全く無縁な場所だったが、この世界に来てからは妙に縁が出来ていて、こういうお高そうな場所ならではの独特な空気にも慣れてきた。だから気圧されることなく建物の門前に立っているのだが、僕と違って後ろにいる二人はまだ慣れていないようだった。


「うわぁ、予想はついていたけど、凄いところね。フェーヤの一族ってどれだけお金持ちなのよ」

「マジでここに入るのか? 場所が間違っているというオチはないよな。間違って入って不法侵入でズドンなんてゴメンだぞ」


 水鈴さんは純粋に建物の高級さに呆れるのと感心するのを繰り返していて、マサヨシ君は自分は場違いではないのかと心配している。同じ建物を見てこれほど反応が違うのも興味深いな。しばらく観察してみたいけど、約束の時間が迫っているため早々に門柱に設置されているチャイムのボタンを押した。

 呼び出しのチャイムの音も品良く澄んだ鐘の音で、我らが拠点の無粋なブザー音とは大違いだ。このチャイムは昨今の日本では当たり前になりつつあるカメラ内蔵やインターホン内蔵ではないため、家の人間が玄関先に出向く必要があるタイプだ。程なくヴィラの中で人が動く気配と物音がして、数秒も経たずに玄関の扉が勢い良く開け放たれた。


「いらっしゃーい! 歓迎するよルナ」


 夏の日差しがよく似合う陽気な雰囲気を出すイヴが良い笑顔で出迎えに現れた。その姿は夜の住人の月読人とは思えない程だ。服装も純白のサマードレスで、バカンスにやって来た夏のお嬢さんといった外見をしており、ますます月詠人のイメージから遠ざかっている。

 何よりこうして訪問している時間帯も月詠人に相応しくなく、朝の時間帯を過ぎた日中である。夏のジアトーは晴れる日が多く、今日も空に雲は少なくカンカン照りの太陽が昇っている。昼を前にして空気は熱を帯び、太陽はますます活気づいている。そんな時間帯だ。普通の月詠人だったら外に出るのも嫌がるし、僕も若干身体がだるく感じるくらいだ。イヴは何を思ってこんな時間を指定したのか疑問に思ってしまう。


「そっちは確かマサヨシ君に水鈴ちゃんだっけ? いらっしゃい、貴方達も歓迎するわ。上がって上がって」

「は、はあ」

「お邪魔します、でいいのかしら?」


 満面の笑顔で迎えられた僕達三人は、立派な構えの門を潜って玄関に入りヴィラの中へ。すぐに外見に劣らず立派な屋内の内装が目に飛び込んできた。木目調の内装は素人目でも格調が高そうで、何気なく置かれている花瓶や電話機ひとつ取っても高級感あるアンティークに見える。しかし高級であっても下品なケバケバしさは全く無く、落ち着いた調和のとれた空間が玄関先から演出されていた。

 イヴが「こっちこっち」と先導して、リビングへと案内される。案内されて邸内を歩いている内に僕の中で疑問が湧いてくる。なぜ彼女がこの屋敷で真っ先に現れて案内なんかしているのだろうか、と。

 イヴ・フェーヤという目の前の美女は聞いた限りでは月詠人の要人らしく、一般人がそうそう気軽に会えるような人物ではない。視察やら外遊やらが多いらしいけど、出先の同族が住居や身の回りの物の用意をしているという話も昨日小耳に挟んだ。このヴィラも所有者はクリストフだと聞いている。当然、要人には身の回りを世話をする人間がついていて然るべきだし、この案内だってそんな世話係のメイドなり執事なりがやるのが普通のはずだ。

 だというのにこの美女は自ら動いている。フットワークが軽いとかそういう話で片付けるには少し納得がいかない。それに邸内がやけに静かなのも気にかかる。これは尋ねてみるべきか。


「イヴさん、他の方の姿が見えないのですがどちらに?」

「ん? ああ、他のみんなは私と違って規則正しい生活を心がけているから寝ている最中。だからお静かにね」

「そんな時に呼び出して良いのですか?」

「月詠人としては駄目な時間帯だけど、レッスンするなら都合が良いと思ったのよ」


 何と他の月詠人の面々は就寝中だという。昨日のことを思い出せばクリストフもエカテリーナさんもお疲れなのは分かるし、お付きの人も月詠人だったはずで、この静けさも納得がいく。要人の邸宅がこんなに無防備で大丈夫なのかという疑問が残るけれど客の立場で訊くような話ではない。

 イヴと話をしている内に僕達は客間に通された。夏の別荘地らしく涼やかな色合いを中心にした内装で、籐編みの椅子やソファといった家具がその印象を強めており、館の主人のこだわりが窺える。つまりこれらはクリストフの趣味なのだろう。


「適当に座ってて、お茶淹れてあげるから。アイスティーだけど良いかな?」

「え、ええ……ありがとうございます」

「ルナさん、この人偉い人なんすよね?」

「ああ、そのはず」


 僕らを案内したイヴは客間に入るなり椅子を勧めてきて、テーブルに用意されていたティーセットでお茶を淹れ始めた。要人のはずなのに随分とアクティブに動く人だ。

 僕達は勧められた籐編みの椅子に座って、イヴがアイスティーを淹れてくれるのを待つ。お茶を淹れているイヴの様子はどう見てもはしゃいでいる女の子そのもの。招待客を接待しているホストと言うよりは、初めて友達を家に呼んで浮かれているティーンエイジャーの少女と言った方がしっくりくる位だ。

 間もなく出されたアイスティーに口を付ければ、程良い苦味と甘さ冷たさで冷涼感を与えてくれる。余り自覚はなかったけど、ここに来るまでに外の熱で体が火照っていたようだ。一口のつもりがカップの半分を一息で飲むほどにノドが渇いていた。

 不意に視線を感じて顔を上げれば、イヴがこちらを興味深そうなものを見る顔で見詰めてくる。その表情と雰囲気も変わった。数秒前までは幼い女の子だったはずなのに、今は色香を感じる成熟した女性に見える。姿や顔が変わった訳でもないのに雰囲気一つで様変わりしていた。

 昨日出会った時の事を思いだした僕は、とっさに視線を外した。それを察したのか、視界の外から「ふふふ……必死になって可愛い」などと艶がかったイヴの声が聞こえてきた。どうやら、からかわれたようだ。


「……」

「ふふっ、ごめんなさいね。貴女が色々と初心な反応をするものだから、つい。さ、お茶を飲んで落ち着いたところで今日の本題、レッスンに入りましょう」


 からかわれる経験などほとんど無かったせいか、思わずイヴを睨んでしまった。けど彼女は僕の軽い苛つきなどまるで気にした様子も無く、次の話題へと話を変えてきた。

 向こうにしてみると僕は子供みたいなものなんだろう。そう考えると苛つきも馬鹿らしくなってきた。それよりもイヴのレッスンを受けて自身のスキルアップを図るという当初の方向に考えを回した方がはるかに建設的だ。

 カップに口を付けてアイスティーをもう一口。それで波立った心は収まる。個人的には紅茶もコーヒーもホットの方が香りを楽しめて好みだけど、今日の様に暑い日は冷たいものも良いと思う。思考は横に逸れるけれど、口と体は思った通りに動いてくれた。


「よろしくお願いします」

「ええ、任せて」


 指導をしてくれるイヴに一礼すれば、微笑で返事が返ってきた。少女の外見で成熟した女性の雰囲気、クリストフの時もそうだが月詠人というのは見た目と雰囲気が一致しない事が多い。……ああ、良く考えてみれば僕自身もその範疇に入るのかもしれない。

 自分もそういった人種の一員だったのだと今更ながらに気付いて思わず苦笑してしまう。この数ヶ月間自分が通常の人間とは異なるのだと何度も思い知らされたというのに、まだまだ自覚が薄いものだ。この自覚の薄さを直す事を含めて、今回のイヴのレッスンには期待を寄せいている。

 カップに残ったアイスティーを飲み干して気持ちを切り替えた。これもこの世界で生きていく上で必要なことなら学ばなくては。



 ◆



 ジアトーの街にやって来たジュード・フリントの目的は、端的に言ってしまうと人を殺すためである。もっと言ってしまうと彼は月詠人を殺して回る月詠人専門の連続殺人鬼(シリアルキラー)だ。ある日より彼は彼の都合で月詠人を殺す事を決意し、以来数年間ハイマート大陸で殺人行をしている。

 殺人のきっかけになった出来事、目的はあるもののすでにそれも風化し始めていて、ジュードはただ月詠人を殺すだけの狂人になろうとしていた。そして彼本人もそれを望んでおり、引き返せる地点はとうの昔に通り過ぎていた。


「――そのはずなんだけどな。なんで自分はあの月詠人を殺さなかったんだろうな」


 ジュードの口からポツリと自分自身に対する疑問がこぼれ出た。超スピードで復興と開発が進むジアトーでは、開発の隙間、街の死角と呼べる人目につかない場所が山のようにあって表通りからいくつか奥まった場所にあるこの路地裏もその一つだ。ポツリとこぼれた言葉は誰に聞かれることも無く、薄暗い路地裏に消えていく。

 彼が思い返したのは、この街に入る際に車に同乗させて貰った夜架月と名乗る男のこと。奇矯な言動が多かったが、夜間にヒッチハイクをするジュードを親切にも自分の車に乗せてくれた人の良い人物だった。そしてジュードが今まで数多く殺してきた種族、月詠人でもあった。

 これまで遭遇する月詠人を数多く殺してきたジュード。今更一人の月詠人を殺すのに躊躇う理由なんて無い。だというのにジュードは夜架月を殺害することなく車を降りて、ジアトーへとやって来ている。彼と出会う前に同じくヒッチハイクでトラックに乗せて貰った月詠人は殺したというのにだ。

 自らの行動を振り返り、そこに今更な疑問を持つという事に可笑しさが込み上げてきてジュードは薄く笑う。口からは押し殺した声が漏れて誰にも聞かれる事なく彼自身の耳に返ってきた。


「……まあ、あんな妙な男だと()る気も失せるか。それに、ようやく本来の殺すべき相手を見つけたんだ。構っている暇は無かったと思えば良いか」


 言い訳なのか、一応の答えなのか、自分を納得させるための言葉を吐き出したジュード。言葉を口から漏らしながらジュードは手を動かしている。彼は『こういう事をしている時』だと非常におしゃべりになってしまい、迂闊に人に聞かれたくない事まで口にしてしまう困った癖があった。

 だから事に及んでいる時には独りで、周囲は静かに、可能な限り手を尽くすよう努めていた。だからこの場所には当面人は来ないだろうし、事が発覚するのは翌朝だろうし、その時にはジュードはこの街の別の場所に潜伏しているだろう。月詠人専門のシリアルキラーはそのようにして数年間の月日官憲の手を逃れてきた。


 ジュードは手を動かし、持っているナイフで人体を解体している。彼の手際は良く、手慣れた刃物捌きで人体だったものはすでに幾つかの肉塊になっており、元はどんな人間だったのか全く窺い知れない有様になっていた。場所が路地裏で、血生臭さが無ければ精肉店に並んでいるブロック肉と変わりない位に解体された人だった物は、この後手近にゴミ箱に放り込まれる予定だ。

 非常に雑な証拠隠滅だ。使い終わったティッシュをゴミ箱に投げ入れるのとさして変わりない位に無造作だ。ジュードが今まで捜査機関に捕まらなかったのは、定まった住まいを持たず大陸中を放浪していたからに過ぎない。この世界の警察機構は地球とは違い、街を渡り歩き国を跨ぐ犯罪者にはまだ対応しきれていないのが現状だった。

 いずれ時代が進み、国境を越える犯罪者に対する協定などが成されるとジュードのような放浪型の犯罪者も減るだろう。けれどそれは今ではなく、街から街へと渡って罪を犯すアウトローはこの大陸に一定数は存在している。ちなみに地球から転移してきて、この世界の法律に馴染まなかった元暴徒達もこの中に含まれていた。


 そしてこの場にもう一人、無法の徒が増えた。


「やあやあ、お楽しみじゃないか。もう終わったみたいだけど、続きがあるなら混ぜてくれないか?」

「――っ!」


 何の気配も無く、不意打ちに声をかけられたジュードは驚きの声を発するよりも早く行動を始めた。声のした方向に顔を向けず手にしたナイフを投げつけた。血まみれのナイフが路地裏の薄い明かりを反射して空中を飛ぶ。

 当たることは期待していない。解体のために屈んだ姿勢から体勢を起こすための時間を稼げれば良いと判断しての行動だった。ナイフが当たったか確かめるよりも早くに体勢を整えて、背中に手をやって投げつけたナイフよりも大振りな戦闘用ナイフを抜き出した。

 ジュードは殺人に及ぶ時は常に数本のナイフを身につけて、用途に応じて使い分けている。月詠人の身体能力は通常の人間よりも高く、種族の固有能力でブーストもかかる。そんな種族を専門で殺して回るジュードは相応の場数を踏んできた。だからこその迷いの無い判断と行動で、体勢を素早く整えたのだ。


「おうおう、早いな。まあ、自分が同じ立場だったらと考えれば分かるけど。躊躇いの無さも良いね。これでコミュが取れれば文句なしだ」


 体勢を整えたジュードが見た声の主は、若い男だった。二十代半ばのジュードよりも若く二十歳前後、彫りが深くクッキリした顔立ちに少年っぽさが残る。この場にそぐわないとても明るく無邪気な笑顔がその少年っぽさに拍車をかけている。若者らしいカジュアルな服装で、活気あるジアトーの街に馴染む雰囲気を持っている。語り口も軽く、ジュードにかける言葉はまるで友人に向けているような気安さがある。

 ここが殺人現場で、すぐそばにバラバラに解体された死体があるというのに男は明るい態度をしている。そしてその手にはジュードが投げつけたナイフがある。どうやら投げつけたナイフをそのままキャッチしたらしく、曲芸じみた真似を披露していた。

 ジュードと目線を合わせた若い男は、不意にキャッチしたナイフをしげしげと見詰め、ニンマリと笑顔を深くした。


「いいねぇ、良いナイフだ。投げてきたって事は捨ててもいいって事で、俺が貰ってもいいよなぁ? 最近お気に入りの一本を失くしちゃってさぁ」

「……出来れば返してくれ。そしてお前は誰だ?」


 若い男の軽い口調に釣られたのだろう。ジュードは思わず口を開いた。とっさに投げつけたが、あのナイフは彼でも気に入っている解体用の一本で、返却して欲しいというのが本音だ。そして目の前の人物が何者で、何の目的で近づいてきたのか疑問もぶつけた。

 こんな殺人現場で殺人犯と向かい合いながら明るく軽く話しかける精神はハッキリ言って異常だ。一体何の目的で自分に近づいてきたのか、投げたナイフをキャッチした芸当を含めてジュードは最大限の警戒をする。

 ジュードの警戒する姿を見ても若い男は軽い態度を崩さず、むしろ笑顔を一層深くして楽しそうに口を開いてジュードの問いかけに答えた。


「アルフレッド。あんたのご同輩さ。気軽にアルフと呼んでくれよ」




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