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18話 サウダージ

 大変お待たせ致しました。18話、どうぞ!




 悩んで、葛藤して、懊悩して、ふと気が付いたら夜が明けていた。

 昨日はみんなでビーチに繰り出して仕事の打ち上げじみたパーティーをしていた、はずだ。なんでこんな言い方をしているかというと、あのショック以降何もかもが上の空で記憶が曖昧になっているからだ。食べたバーベキューの味や女性陣の水着姿さえ思い出せない辺りかなり重症だと思う。

 ショックの原因は考えるまでもなく、ルナさんが年上の元男だったと知った事だ。

 ルナさんが年上なのはまあ分かる。何となく雰囲気的に年上の気がしていたし、だからオレもさん付けで呼んでいた。ただ、年齢が一回り以上も上だったのは予想外だった。ともすればレイモンドのおっさんと同年代じゃないのか?

 けれど、年齢よりも元男だった方がオレにはショッキングだった。いや、元が女性だった人、元が男性だった人がこの世界に来て性別が変わってしまった例なんて幾らでもあるし、身近には壱火という例さえある。ルナさんもそうだったというだけの話なのだ。そうなのだけど割り切れない想いが胸の奥でつっかえていて、それがオレをこうして悩ませている。


 オレはルナさんの事を意識している。それは自覚している。だからこんなに悩んでいるのだ。

 この意識が友人に対する友愛なのか、仕事と住居を共にする人間に対する家族めいた親愛なのか、それとも男女の恋愛なのかは正直言ってこの段階になっても分からない。でも一緒に行動すると楽しいと感じるし、良いところを見せてやろうという気分にだってなる。意識しているのは間違いようがなかった。

 ここでラブコメの主人公よろしく鈍感になれればどれだけ楽になれるか……その手のラノベやマンガを読んでて鈍感主人公にイラついた事はあったけど、羨ましく感じたのは初めての経験だ。

 こんな風に意識している異性の人物が元は同性だった。似たような状況としては、惚れた相手が実はニューハーフの類だったとかか? いやいや、転移して性別が変わった人は肉体的には天然物だし、性転換したのも不可抗力だ。混同してはニューハーフの人にもTS転移者の人にも失礼だ。

 とにかく、オレはこのままルナさんを異性として見て良いのだろうか? 今まで通りに接して良いのか? そもそもオレはルナさんをどう思っているのか? などなど頭に次々と浮かぶ考えに溺れて、思考そのものは一向に前へと進展しない袋小路に入っていた。

 徹夜したはずなのに眠気はやって来ず、目線だけはぼんやりと窓の外へ。窓の外では遠くに霞む山脈から太陽が顔を出してきたところで、山脈までは一面の原野が広がっていて日本ではまず見られない風景がそこにあった。あ、列車が通り過ぎてった。しかも列車砲を牽いているってことは軍用車両か。こんなに朝早くから仕事とは軍人サンも大変だ。

 頭はずっと同じ事しか考えられないし、時折脇道にそれても堂々巡りを繰り返す。体は今一つ力が入らない。それが今のオレだった。


「朝早くからその調子? 大丈夫なのアンタ」

「水鈴か。おはよう」

「大丈夫じゃないわね。アンタ徹夜したんでしょ」

「ああ、眠気が来ないから起きていたら朝になっていた」

「うわぁ……重症ね」

「自覚はある」


 ぼんやりと窓の外に目をやっていたら、起きてきた水鈴に声をかけられた。

 オレが一晩中居座っていた場所は拠点のリビングにあるソファーの上、ルナさんと初めて出会った時にベッド代わりにしていた場所だ。現在はルナさんが自室に自分のベッドを持つようになって、ソファーは本来の役割に徹している。ああ、その時のことを思い返すと今でも気恥ずかしくなる。

 水鈴はオレの答えに呆れた顔をしながらキッチンの方へ向かう。確か今日の朝食は水鈴の当番だったか。

 現在ここの食事事情は昼は各自で、朝と夕方に当番制を敷いて作る人を日ごとに変えている。今日は水鈴が朝食を作る日で、夕食はレイモンドの予定だったはずだ。


「ルナさんは? あの人朝早いと思ったんだけど」

「もうとっくにランニングで外。あんた、物音に気付かないくらいに考え事していたんじゃない?」

「そっか……」


 キッチンとリビングを隔てるものは無い。元が廃工場で工作機械が無くなって無闇に広い屋内をキッチンやリビングなどに適当に区切っているだけの空間だ。だからソファーに座ったままキッチンで料理を始める水鈴と話をするのは簡単だ。


「で、ルナが元男だったのがそんなにショックだったの?」

「――ッ! おいっ! なんで知ってる!」

「知っているも何も昨日の様子を見たら誰だって察しがつくわよ。何? まさか隠していたの?」

「おおおおおおぉぉぉぉ……何と言うか、もう、うおぉぉぉ……」


 水鈴から何気なく放り込まれた言葉(爆弾)にオレはソファーに顔を埋めて叫んでしまう。別に悩みを隠そうとは思わないけど、こうアッサリと核心を言われてしまうと気恥ずかしいやら気まずいやらで、ただでさえ複雑な気分が余計にゴチャついてしまう。

 オレにとっては悩みの核心に切り込む不意打ちな言葉でも水鈴にはそうでもないようで、顔を上げると水鈴はごく普通に朝食の用意をして玉ねぎなんぞをみじん切りにしている。玉ねぎが終わると次はピーマン、さらに狩りで手に入れたジャイアントエルクの肉を挽いた挽肉も用意する。何を作る気だろうか。

 挽肉を炒めて肉が焼けるいい匂いがした辺りから腹の虫が軽く鳴り出した。こんな時でも食い気は健在、眠気は無くても空腹はしっかりと感じられる。こんなオレ自身の身体に苦い笑いを浮かべてようやく複雑な気分が収まってくれる。やっぱオレって自分で思っている以上に単純な奴なんだなーと思ってしまうのだった。

 どうあれ気持ちは落ち着いた。それより水鈴に聞きたいことが出来ていた。


「水鈴はルナさんが元男だったって知っていたのかよ」

「ええ、私が所属していたチーム『幻獣楽団』ってゲーム時代だった時からルナと交流があったのよ。助っ人を依頼したり、アイテムをトレードしたりしてね。ゲーム時代の時には会ったこと無いけど情報はあったわ。レイモンドも出会ってすぐに気が付いていたみたいだし、壱火はよく分からないけど勘付いていた節はあるわね」

「知らないのはオレだけかよ。みんな順応性高いな、いやオレが低いのか?」

「そうね。レイモンドは知った上で『嬢ちゃん』呼びなんだろうし、壱火はそもそも気にしないでしょうね」


 知らぬは己ばかりなり、って結構残念な具合に話がまとまってしまった。しかもレイモンドや壱火はそれぞれでルナさんを受け入れていて性別の事なんて気にしていないらしい。壱火は自身が性転換勢の一人だし、レイモンドのオッサンは壱火の親父さんだ。この手の順応性でいうなら二人は高くて当然なんだろうな。

 となると、水鈴は? と疑問が湧く。先も言ったがオレはラブコメでいう鈍感主人公ではないつもりだ。水鈴がルナさんに向けている感情がどんなものかは察している。だからこそ水鈴に対して奇妙な同族意識があったり、競争意識があったりするのだから。

 今度はそれをぶつけてみた。我ながらデリカシーの無い奴だと自覚しながら。


「水鈴はどうなんだ? お前だってルナさんのこと好きなんだろ」

「……直球で聞いてくるのね。あんた」

「スマン、もって回った言い方とか遠回しな言い方とかは出来ない性質だ」

「まったく……。でも、答えないとね」


 オレの質問に水鈴は「……そうね」とあごに手をやって考える仕草をする。その間の沈黙を埋めるようにキッチンからは料理の焼けて油が弾ける音が聞こえて、漂う匂いはニンニクとトマトと鷹の爪の強烈な匂いが加わりいよいよ料理が完成しようとしていた。いつの間にか茹でられていたパスタが投入されて具材と一緒に絡まり合う。今朝の朝食はパスタ料理のようだ。


「私自身深刻に考えた時期はあったわ」


 水鈴はフライパンの中で絡まり合うパスタ料理に塩とコショウを入れて味を整えつつ口を開く。


「貴方も一緒にいたから知っているでしょう。最初に会ったのが転移直後のジアトー、あの混乱した時期……。当時一緒になっていたベルが死んで、ショック受けて飲み込む間もなく次々に事件が起きて、その中で活躍するルナを見たからか惹かれたのよね。

 代償行為とか吊り橋効果とか、もっと言っちゃうと気の迷いだろうと思った。じゃないとベルにもルナにも失礼じゃない。でも惹かれてしまう気持ちは止めようがなかったの。そして否定するのも出来なかった。だから受け入れてみようと思ったのよ。肯定して自分の気持ちに正直になってみようって」

「随分とあっさりと受け入れたんだな。もっと苦悩するとか、葛藤するとかあるかと思ったが」

「したわよ。言ってないだけ、人に見せていないだけで悩んだに決まっているじゃない」


 水鈴は彼女なりに悩んで、それでも現状を受け入れて前へと進んで行こうととっくに決めていた。だからこんなにもあっさりと答えているし答えられる。覚悟とか気持ちの問題なんてとっくに終わらせているのだ。

 なんだよ、半端者なのはオレだけなのか。悩みを抱えている自分が酷く劣ったものに思えてくる。自分でも分かるくらいに典型的な劣等感だ。そんでもって自覚があるだけに余計に気分が盛り下がる。

 水鈴の料理は仕上げに入り、フライパンにはバジルが投入され、強いトマトの匂いにバジルの香ばしさが加わって、さらにレッドペッパーが大量投下……って、おい!


「おいおいおい! 入れ過ぎだろソレ! 辛くて食えなくなるぞ」

「え? 私アラビアータだとこの位は普通に入れるけど?」

「お前基準で言うなよ。それみんなの朝メシだぞ。朝から激辛料理ってどうなのさ」

「最近暑くなっているし、暑気払いのつもりなんだけど、ダメ?」

「アラビアータで暑気払いなんて聞いたことないぞ」


 まさか水鈴が辛党だったとは。今更誰が得をするのか分からない新情報が明らかになる。本人は暑気払いだと言い張っているが、どうみても(デフォルト)でやった犯行だ。

 料理は完成した。真っ白な皿に盛り付けられた真っ赤なアラビアータは目にも鮮やかだ。鼻に入るバジルの香りと強烈な唐辛子の香りは、徹夜で鈍くなっているオレの頭を強烈にキックする威力を持っている。……これを食べるのかぁ。いや、食べないとメシ抜きなので選択の余地はないのだが、躊躇う気持ちで手が出ない。


「辛さが足りないなら、ほらコレ。『幻獣楽団』のメンバーだった人が開発したこの世界特有の唐辛子を使った激辛ソース。タバスコはもちろん、デスソースもしのぐ強烈さを保障するわ」

「お前はオレに死ねというのか?」


 デスソース越えの劇物なんてさらっと用意するとは、水鈴って実はかなり恐ろしい奴じゃないだろうか?

 漂ってくる辛い臭いに冷や汗をかいていると、拠点の出入り口が開閉する音が聞こえた。迷いのない足音が聞こえて、すぐにこのリビングの扉が開いた。現れたのはオレの目下の悩みの対象、ルナさんだ。

 「おはよう」といつも変わらない調子で挨拶してくるルナさんに、水鈴は元気良く「おはよ! ご飯出来てるよ!」なんて返している。オレはというと、上手く言葉が口から出なくて「お、おはよっす……」なんてどもり気味で情けない限りだ。こんなどもっている返事でも彼女は気にせず、テーブルの上に載った真っ赤な料理に目を向けて「美味しそうだね」なんて言っている。


「朝食の前にシャワー浴びてくる」

「うん、待ってる」

「気にせず先に食べてていいよ」


 ルナさんは日課として朝にロードワークとして二〇㎞ぐらい走っているそうだ。それも単なるジョギングではなく重しとして銃を持ってのランニングだという。これを聞いてオレが真っ先に思い浮かべたのは映画『フルメタルジャケット』の訓練所の風景だ。あの劇中で歌われているヤバイ歌詞の歌を歌いながら走るルナさんの姿をイメージしたところで映像は強制終了。とりあえず、せっかく恵まれた肉体を手に入れたのだからオレも運動を始めてみようと思います。

 運動しやすいようジャージにパーカー姿だったルナさんは、リビングを横断してシャワー室へ姿を隠し、程なく水の流れる音が聞こえてきた。オレが意識しているせいか、やけに大きく水音が聞こえてくる。ああ……くそ、元男だって分かっていても意識せずにはいられない。

 ふと顔を上げるとジーっと見詰めてくる水鈴の顔があった。その視線から窺える感情としては呆れ、だろうか。


「……なんだよ」

「ショックだとか悩んでいるとかって言う割にその辺りの感覚ストレートよね」

「し、仕方ないだろ、男なんだし」

「私、そういう男だからっていう言い訳好きじゃないわ」

「むぐぅ」


 容赦の無い奴だ。水鈴は用意した皿に次々とアラビアータを盛りつけていき、いつの間に作ったのかスープまでカップに入れていく。オレ達五人の中で一番の家事上手な彼女の手際は鮮やかで、容赦ない言葉を言いながらも手は止まらないのだった。

 手早く拭かれたテーブルに人数分の食事が並べられていく時になると、リビングに次の人がやって来た。聞こえてくる足音はルナさんのものよりずっと重く、歩幅もあるせいか足音の間隔も広い。オレ以外でここでこんな足音を立てるのは一人しかいない。

 「おう、おはよう!」なんていかにも体育会系といった太く大きな声でリビングに入ってきたレイモンドのオッサン。彼もルナさんと同じく朝はトレーニングの時間にしていて、ジャージの上下の出で立ちでリビングに来ている。


「おはよ、シャワーは今ルナが使っているから先に食事にしたら?」

「ああ、知ってる。俺が嬢ちゃんにシャワーを先に譲ったからな。……ここスペースに余裕があるし、機会があったらシャワールームを男女別にしてみるか」

「予算があったらね」

「そうだな、無駄遣いになるか。ところで、壱火はまだ起きていないのか?」

「そうっすね。まだ寝てるみたい」

「起しに行ってくる。俺ほどじゃなくても今後は早起きできるようにしないとな」


 「時間がかかるようだったら先に食べてていいぞ」と言い残し、オッサンが壱火の部屋へのっしのっしといった風に向かって行く。それと入れ違う形でルナさんが戻ってきた。シャワーだけとはいえ結構早い。


「レイモンドはどうした?」

「壱火を起こすって。時間かかるようなら食べててとも」

「そうか。じゃあ先に頂こう」

「そうね。ほら、マサヨシもソファにへばり付いてないでこっちに来なさい」

「お、おう」


 水鈴にオカン風に促されたオレは、料理が並べられたテーブルに着いた。近くに寄ると水鈴特製アラビアータから立ち上る辛そうな匂いが鼻を刺激する。これが朝食かぁ……今後辛い料理は水鈴に作らせないようにしよう。

 その刺激臭に紛れてふわりと柔らかい匂いが近くから漂ってきた。その方向へと目を向ければ、ルナさんがすぐ隣の席に座っていた。食事時の席は特に決められていないから、彼女がこっちに来ることに何も意図が無いのは分かる。分かるけど、悶々と思い悩んでいた後にこれは酷い。

 シャワー上がりのルナさんから香る石鹸の匂いをやけに意識してしまう。水鈴のように自分の気持ちにもっと素直になれたらどれだけ楽になれるだろうか? でも、オレはまだ割り切れない気持ちを抱えたままだ。自分でもこんなに不器用だとは思わなかったな。


「マサヨシ君大丈夫か? 顔色が良くないが」

「だ、大丈夫っす。昨日海ではしゃぎ過ぎた反動っすかね?」

「そうか」

「そうっす。じゃあ、いただきます」


 寝不足だったのが悪かったのか、ルナさんに心配されてしまった。まあ、気持ちに折り合いをつけるのはまだ出来ないとしても寝不足はダメだな。キチンと寝よう。

 まずは栄養摂取と目覚まし代わりのつもりで辛そうなアラビアータにフォークを刺して一口――舌を刺激した辛味は予想よりも激しかった。


「ごふっ」


 舌どころか口、いや頭をぶん殴られたような辛味の衝撃が全身を刺激する。水鈴が使っていたレッドペッパーも普通の物とは違っていたらしく、デスソースをかけなくても充分以上に辛い料理になっていた。

 もはや辛味という味覚では量れなくなってしまい、痛みになっていく。しかも時間が経てば経つほどこの辛味は増していくのだ。水鈴には絶対に辛い料理は作らせない。改めて強い決意で心に決めた。


「これはかなり辛いな。僕はまだ平気だけど、マサヨシ君はノックアウトしてるぞ」

「あー、ちょっと辛味が多かったかな。ゴメンゴメン」

「……み、みずを」

「はい、これ」

「ありがとっす!」


 ルナさんから差し出された水をグビグビと一気のみして口の中の火事を消火する。オレの様子を見て水鈴は不思議そうな顔をしているが、こっちこそコレで普通と思う舌が不思議でならない。

 水を渡してくれたルナさんはというと、すでに自分の食事に専念していて激辛アラビアータをパクパク食べている。彼女も水鈴同様辛党だったようだ。いや本当によく平気で食べられるな、オレ驚き。

 あーあ、何やってんだろ。元々思い悩むキャラじゃないだろオレ。もっとこう、周囲を盛り上げたりはしゃいだりして人生エンジョイする人間だったはず。そんな奴が鬱キャラやってもうざったいだけだろうに……。


 ――よし、決めた。もう思い悩むのは止めだ。何時までもウジウジやったって気分が晴れる訳がない。こういう時は体を動かしてしまうのが一番だ。ちょうどトレーニングしようかと考えていたところだったし、良い機会だ。

 ルナさんの事? うーん、今は色々と思う所はあってもこういうのは時間が経たないと気持ちの整理がつかないので後回しだ。問題の放置? 先送り体質日本? 馬鹿野郎、世の中簡単に解決できる問題なんてそうあるわけが無いだろう。時間が解決する問題は時間に任せるのが一番なんだよ。

 よーし、もう悩むのはやーめた! さしあたっては体を動かして体の中に溜まっていそうな悪い気とかを全部追い出してしまおう。

 まずはメシを食って栄養補給だ。激辛だけど良い目覚ましになるだろう。脳筋乙? 知ってるよ。


「おぉ、大丈夫かマサヨシ君、無理して食べなくても」

「だ、大丈夫っす。それよりルナさん、今日このあとの予定はあるんすか? 無ければちょっと……」

「いや、予定はある。昨日会ったイヴ女史から誘いを受けている。早速今日にでも、だそうで」

「え、昨日の今日で? ルナ、大丈夫なの?」


 イヴって……ああ、昨日ルナさんに近付いて来たグラマーなお姉さんだったけ。ルナさんショックが大きくて昨日の事は今一つ記憶にないけど、あれほど目立つ人なら流石に覚えている。

 何と言うか、ハリウッド映画に主演女優として出演していても違和感が無い程存在感があった。こうメリハリがあるナイスバディで、顔立ちはすごく整っていて、いわゆる男が思い描く分かりやすい美女の形とでも言えばいいのだろうか。そんな容姿でいて、ルナさんに積極的に近づいていた記憶もある。あの時はショックで何の感慨も無く見ていたけど、今になって大丈夫なのかという感想が湧いて出てくる。

 ルナさんって、対人関係が苦手なのはここまで付き合った経験上すでに分かっている。ここに元男だったという要素も加われば不安になってくる。まさかルナさん、相手が美女だからこの話を受け入れたのだろうか?

 何気なく顔を上げて向かいの席に座っている水鈴に目を向ければ、「私、面白くありません」と顔に書かれている表情をしている。


「ルナ、私も一緒に行って良い?」

「僕は別に良いけど、向こうが何と言うか……後で確認の電話を入れておく」

「お、オレも行きたいっす。ダメっすか?」

「確認しておく」


 気が付けば水鈴に続く形で同行を願い出ていた。ルナさんは特に思うところはない、といった調子で返しているけど最初の頃に比べたらずっと人当たりは良く感じる。これだけでも進歩したんだと思えた。

 水鈴は『とりあえず及第点じゃない? 葛藤は終わったの?』と念会話を飛ばしてきた。顔を見ると挑発するような表情でこっちを見ている。オレはそれに答えず激辛アラビアータを口に詰め込んでいく作業に集中した。口の中があまりの辛さでジンジンと痛み出したがこれも無視だ。

 葛藤は終わったのかだって? そんなの知るか。今のオレは自分の感情さえ良く理解できないんだから葛藤もクソもないんだからな。だからニヤニヤとした顔で見るなよ水鈴、お前最初の頃と比べてかなり変わったよな。

 ――でも、そうだな。いつかは必ず自分のしっかりした気持ちを持ってルナさん、いや他のみんなの前でも胸を張っていたい。それを目指そうと考えた。


「壱火っ! お前なんて格好で寝ているんだ! パジャマ着ろとまでは言わないが、せめて下着くらい着ろ」

「えーっ、最近暑くなっているし、ここってクーラーないじゃん。パジャマは暑苦しいし、下着も締めつける感じがヤダ」

「ここには男が二人は居るんだぞ! もう少し恥じらいを持て」

「男たって一人は父さんだし、もう一人はヘタレのマサヨシだし問題ないじゃん。それにボクも元は男だし、今更女の子の恥じらいとか言われてもねー」

「そういう意識がダメなんだ! いいか――」


 ここのところ恒例になってきた感がある壱火とレイモンドのオッサンによる親子漫才が壱火の部屋の方向から聞こえてきた。

 それにしても、そうか……オレってヘタレなのか。振り返ってみると確かにヘタレだよなぁ。現に今も結論を先に送ってしまった訳だし……。

 ああ、ヤメヤメ! ネガティブになるのが嫌だから自分の中の結論を見送ったのに、またネガティブになってどうするんだよ。これは――そう! 猶予期間、モラトリアムって奴だ。言い方変えただけで意味は大差無いな。クソ、寝不足で頭が回らないのが悪いんだ。後、壱火はパンツぐらいはけ。


 とにもかくにも、いくらショックを受けたからといって何時までも落ち込んで周囲を心配させるのもダメだ。切り換えていこう! ヨシ!

 オレは気持ちを新たに固め、皿に残った最後のひと掬い分のパスタを口に放り込み水で洗い流す。辛さで舌が麻痺して、この先数十分は何食べても分からないレベルになっている。やはり水鈴に辛い料理は作らせないようにしよう。後、壱火は裸のままでシャワーに向かうな。

 ショックを受けた翌日のオレは、こんな風にして始まったのだった。



 ◆



 夜架月刹羅こと山田次郎にとって、この場所は数時間前に来た場所だった。深夜で人気が全く無かったその場所は、朝になった今では大勢の武装した警察軍が押し寄せていた。

 ジアトーの郊外を走る幹線道路の一つ、周囲には道路以外に乾いた荒野が広がるだけで何もない場所は一つの事件があったために多くの人が押し寄せるホットスポットになっていた。

 山田はその事件の当事者になっていて、朝方に彼の店にやって来た警察軍の任意同行でここまでやって来ていた。


「それで、や、やか、やかつきさん?」

「やかづきだ。夜架月刹羅がこの世界での呼び名だ」

「はぁ、それで夜架月さん、証言であったピックアップトラックはあれで間違いないんですよね?」

「そうだ。暗くて見分けがつかない、なんて事は無い。間違いなくあのトラックだ。位置も変わってない」

「そう言えば夜架月さんの種族って月詠人でしたね」

「ああ。月詠人の紅き月と人としての(みどり)を継ぐ、ダブルブリッドな月詠人とはこの身のことさ」

「……うわぁ」


 事件現場での事情聴取でも山田はいつもの調子で、相手をしている警官も転移者であるため重度の厨二病だと分かって引き気味になっている。もちろんゲーム『エバーエーアデ』にはダブルブリッドというものは無く、山田だけの自分設定である。

 引き気味の警官には構わず、山田はトラックの方向に目を移す。そこでは何人もの警官が周囲を囲んで証拠品を集めている最中だ。特に車内や血溜まりが出来ている地面にはカメラがひっきりなしにシャッターを切っている。道路ではこれまた複数人の警官が交通整理を行っており、夜が明けて幹線道路を利用する大型トラックやトレーラーへの対応に追われていた。

 刑事ドラマでも見た分かりやすいくらいの殺人事件の現場光景がここにあった。不謹慎ながら山田はこのことに内心興奮を覚えていた。


「ああ、でも夜架月さんがそんな調子だからかな? 殺されずに済んだのは」

「というと?」

「殺された方は月詠人なんですよ、現地人の。そしてハイマート大陸ではここ数年、月詠人だけを狙う連続殺人鬼が出没するという話がありまして」

「マジで?」

「マジです」


 元が生粋の警官だったわけじゃないのか山田と話す警官の口は思いの外軽く、月詠人を狙う連続殺人鬼の話を口にする。

 大陸各地で月詠人だけを狙う殺人鬼が出没。行動範囲は国境を越えて、各国の都市で何件か殺しを行った後にふっつりと途絶え、またしばらくして別の都市で殺人が何件か起こるという具合で起こっていた。

 当然各地の警察機構は捜査を行っていたが、国境さえも跨っているせいで連携が取れず、思うように捜査が進んでいなかったのがこれまでだった。


「ですから夜架月さんが車に乗せて顔を見たというのは重要な証言なんです。貴方は今、ジアトー警察軍において重要な証人になっているんですよ。お分かり頂けますか?」

「あの青年がなぁ」


 昨夜自分の車に乗せた青年の姿を思い浮かべながら山田は死体が発見されたトラックを見やる。すでに遺体は警察署に運ばれてトラックももう間もなくレッカー移動され、残るのは地面に広がった血溜まりのみ。それでさえ乾いた大地に吸い取られて乾き切っていて、明日辺りには痕跡も消えているだろう。そんな殺人現場だ。

 それとあの青年の印象とが山田の中では重ならない。気弱そうな印象で、それでいて聞き上手。山田も車に乗せている間、色々と話をした。

 その中で、「貴方は月詠人なんですか?」という質問があったのを思い出した。その質問に山田は「そう! だが、ただの月詠人ではない! 赤と翠のダブルブリッド、紅き月の夜架月なのだ」と答えた記憶がある。質問者の青年は顔を引きつらせてドン引きだったのは言うまでもなかった。思えばあの質問がキーポイントだったらしい。


「ここで幾つか証言と写真を撮ります。その後、署でより詳しい聴取と似顔絵を描きますので、引き続き同行願います」

「ああ。その前に近場の公衆電話まで行ってくれないか? 店に残した従業員に連絡したい。現地人だから念会話できないんだ」

「分かりました。署に行くときに寄りましょう」


 まさか自分の厨二病が身を助けるとは思わなかった山田は、警官の案内に従って引き続き聴取を受けるのだった。

 幹線道路では交通規制で渋滞を起こし始めた車列からクラクションが鳴り、その音は乾いた風に乗って遠くまで響いていた。




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