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17話 Over Drive


 大変お待たせいたしました。





 肉が焼けて脂が弾ける。野菜が焼けて水気が飛んでいく。貝が焼けて塩気を含んだ泡が噴き出る。コンロの火は肌を熱し、食材が焼ける音が混然一体となって耳に届き、煙と一緒に香ばしい匂いが周囲に広がる。バーベキューの環境はこんな風に五感に訴えかけてきていた。

 コンロの前にはレイモンドが陣取って火の番をして、トングを駆使して具材の焼き具合も管理し鍋奉行ならぬバーベキュー奉行になっている。

 水鈴さんと壱火、マサヨシ君の三人はレイモンドから供給される調理済みの串にかぶりついている。マサヨシ君は先程まで落ち込んでいた様子だったが、今は持ち直しているようだ。ただ、バーベキューを食べる姿が単調で機械的に見えるのは気のせいだろうか。

 そして、途中参加者もコンロを囲んで串を手にしていた。


「いや、悪いね。仲間内でバーベキューしているところにお邪魔して。お詫びと言ってはなんだけど、こちらからも食材を提供させてもらったがどうかな?」

「いえいえ、構いませんよ。クリストフさんにはお世話になっていますし、こういうのは人数が多ければ多いほど楽しいものです。食材もありがたく調理中ですよ。焼き上がったら一番にどうぞ」

「そう言ってもらえると少しは気が楽になるよ。ほら、リーナも食べたらどうだい」

「はぁ、ではお言葉に甘えまして」


 途中からやって来たクリストフとエカテリーナさんがレイモンドと談笑しながらバーベキューを食べている。クリスの提供のお陰でコンロの上に乗っている食材のバリエーションは豊富になって、海での食事らしくなったのは感謝したい。だけど何故こんなところにいるのか、それが不思議だ。

 僕の勝手なイメージだが、クリストフはプライベートビーチなんかを所有していてバケーションはそこでするものと思っていた。一般庶民には縁遠い雲上人、そんな典型的セレブのイメージを持っていた。

 けれどレイモンドの焼く串にパクついている姿は、夏休みに家族旅行で海にやって来た少年にしか見えない。護衛のエカテリーナさんも親戚のお姉さんといった風に見える。世話になっている立場で大いに失礼な感想だけど、同時に素直な感想だったりする。

 こんな具合にコンロを中心としたバーベキュー会場は賑やかで平和だった。僕もそこに加われたらと羨むほどに。


「ルナもそんなところで縮こまっていないで。一串どうぞ、良い感じに焼けているわよ」

「いいえ、使った道具の手入れがあるので結構です。自分の分は後で構いませんからこれはイヴさんが食べて下さい」

「もう、イヴさんって固い呼び方ね。お友達になろうっていうのに。気軽にイヴでいいわよ? 何ならもっと砕けてイーちゃんでも可」

「はぁ」


 目の前に差し出されたのはバーベキューの串。ジャイアントエルクの肉とトウモロコシ、タマネギに程良く焼き色が付いていて、肉の脂とバーベキューソースが滴って見た目だけでも美味しそうに出来ているそれ。それを差し出して来たのはさっき知り合ったばかりの美女、イヴ・フェーヤを名乗る月詠人だ。

 岩場で食材に使う貝を採取していた僕の前に突如として現れ、開口一番に「お友達になりに来たの」と言ってきたのがほんの一時間前である。戸惑うなという方が無理な相談だ。

 イヴへの返答は脇に置いたまま彼女を連れてビーチに戻ってみれば、クリストフとエカテリーナさんがお土産を片手に僕達が確保したスペースにやって来ており、レイモンドがバーベキューに取りかかっていたところだった。後はほとんどなし崩しにバーベキューが始まって今に至っている。


 ラストネームが一緒の部分を考えればイヴはクリストフの関係者で、クリストフがイヴにどこか遠慮している態度を見ればイヴの地位が高いことも推測がたつ。しかもクリストフがイヴにかける言葉に「王」という単語が混じっていれば厄ネタ度も跳ね上がる。

 正直に言おう。僕はこの段階でイヴに関わりたいとは思わなくなっていた。だというのにイヴは僕に興味津々のようで離れてくれない。

 砂浜に敷かれたシートの上に座り、使ったナイフを手入れする作業で気分を紛らわせているけど、段々と追い詰められているような錯覚を僕は感じていた。


「この貝、ルナが取ってきたのよね? なんて貝なの?」

「ロコガイ」

「アワビみたいだけど?」

「似ているだけ。種類も味も違う」

「――あ、ホント。アワビとは違うね。でも美味しいしアリだわ。ロコガイね、覚えた」


 岩場で僕が採取した貝もコンロで殻ごと焼かれ、今がちょうど食べ頃に焼き上がっている。すぐ傍から香ばしい濃い潮の匂いが漂ってきた。

 イヴが食べているアワビに良く似た形状のロコガイは地球だとチリとかペルーとかの南米に分布している貝のはずだ。それがこの世界では分布域が違うのか岩場で大量に見つかった。この世界の生物相は魔獣以外は地球と同じな辺りが非常に助かっている。地球で培った知識がそのまま使えるのは有り難い話だ。

 ――よく考えてみれば奇妙に過ぎる話だ。地球とこの世界の似ているところと違うところ。似ている部分は生態系、気候、一般的な動植物。違うところは魔獣、人種、地理。違うところはゲーム『エバーエーアデ』に出ていた情報、データが反映されたようになっている。こう比較するとまるで、違う部分はこの世界にとって本来はあり得ない異物のようにも思えてきた。

 現実逃避気味に頭に浮かんだ妄想だったけど、考えてみればかなり怖いイメージになっている。僕達転移者もその異物であり、いつかは世界から排除されるのではないかと恐れも湧いてきた。


「ルナ? どうしたのぼうっとして」

「……ああ、いえ、大した事では」

「そう? その割に深刻な顔をして考え込んでいた様だけど」


 ナイフをメンテする手が止まっていたからか、イヴが心配そうな声を出してこちらの顔を窺っている。お互いの距離はかなり近く、息がかかりそうな程だ。

 人付き合いが苦手な僕としては、こんなに近くに人が居るのは耐え難い。シートの上を滑るようにそっと静かに移動してイヴから距離を取って、同時に頭の中から下らない妄想も追い出した。こんな状況で変な想像をするから下らないイメージが浮かぶのだ。

 湧いた想像を振り落とすつもりで軽く頭を振って、ナイフの手入れを再開する。といってももうほとんど終わりの工程で、ナイフに油を塗布してウェスで余分な油を拭くだけになっている。海水に浸かったので作業は念入りに。


「手慣れているのね。ナイフとか良く使うの?」

「仕留めた獲物の解体とかで」

「ふーん、場数とかは踏んでいるのね。でもその割に月詠人としての力の扱いは全くみたいだけど」

「えっと、何か問題でも?」


 そんな下らない妄想に囚われていた間にイヴの雰囲気が少し変わっていた。バーベキューに舌鼓を打って子供のようにはしゃいでいた彼女が、今は何かが切り替わったかのように静かにこちらを見詰めてきている。値踏みなのか、何かを探るためなのかは分からない。

 彼女の紫色の瞳は、深い海の底を思わせて吸い込まれるような錯覚に陥る。


 ――そう、真実意識が彼女の瞳へと吸い込まれていくような感触があって……


 やおら嫌な予感がして、これ以上イヴと目を合わせてはいけない気になった。ついでにこれ以上関わりたくないという気持ちもあって、見詰めてくる紫の瞳から目を逸らした。

 するとどうか、吸い込まれるような錯覚も嫌な予感もキレイサッパリ消え去って、知らず力が入っていた体が弛緩した。


「……ふぅん、勘だけで眼の圧力から逃げたんだ。面白い。力の扱いはサッパリなのに勘働きは凄いわ」

「何をした?」

「ん? 軽く眼に力を込めて君の体に圧力かけてみたの。普通は不意打ちでやられたら身動き取れなくなるのに、上手く避けたので感心したところ」

「……」


 いきなり何をするんだこの人は。あっけらかんと答える目の前の女性に僕は怒るより前に唖然としてしまう。

 ゲーム『エバーエーアデ』ではキャラクターの視界内にいる敵へデバフをノータイムで飛ばす術式『魔眼』があった。恐らくだけど、その魔眼に似たような代物を僕は受けたと思う。

 クリストフの手前、敵対行為はしない。けれど面白半分にデバフを飛ばされるのは気分の良いものじゃなく、ナイフを持っていた手に力が篭もってしまうのも無理がない話だ。


「ごめんごめん、そんなに怒らないで。軽いじゃれ合いだから本気にしないで。でもほら、貴女の今後の課題が見えたんじゃない?」

「今後の課題?」

「そ。ルナって物理的な戦いにはかなり強いみたいだけど、今みたいな搦め手には対処が甘いようね」

「確かに」

「本来、月詠人ってこういう方面には強いはずよ。でも今のルナはサッパリよね。ほら、今後の課題じゃない」

「確かに」


 強引に話を逸らしてきたと分かってはいてもイヴからの指摘は僕を唸らせる。魔眼を飛ばされた不満を一瞬で忘れてしまう位に。これは良く話を聞かなくては。

 ゲーム時代の『ルナ・ルクス』というキャラクターは、今以上に搦め手を混ぜ込んだ戦い方を好んでいた。基本的にソロで活動することが多かったため、敵に足止め、ステータス低下をかけてトラップにはめ、銃撃で仕留めていくスタイルが基本だった。なるべく攻撃を受けず、敵を弱体化させつつ削っていく方法をとっていたのだ。時間はかかるが堅実に勝てる方法だったし、僕の性にも合っていたから自然と身についていたプレイスタイルだった。

 ただ、この世界では僕という意識と『ルナ・ルクス』というキャラクターの性能が一致しているようには思えない。僕の意識が強いせいで呪紋とか武技とかよりも地球で培った技術の方を頼りにしている。振り返ってみるとそのせいで想定外の方向から不意打ちを受ける場面も多くあった。

 なまじ地球でこの手の技術を習得していたがための弊害かもしれない。壱火やマサヨシ君、水鈴さんを見れば分かるように、この世界で武技と魔法を使いこなしている人は真っ新の状態だったからそれらの技能を受け入れられたとも考えられる。

 確かにこれは僕にとって今後の課題だ。そしてそれを指摘したイヴは僕に何を求めているのだろうか。


「課題と言っても具体的にはどうしたら?」

「それは力の制御方法を身につけるしかないわね。普通なら親から子へ、そうじゃなければクリスみたいな一族の顔役が幼い内から面倒を見るものだけど……貴女の場合そういう人に出会わないまま大きくなったようね。転移者って呼ばれる人達はみんなこうなのかしら?」

「程度の差こそあれ、大抵は」

「そう、今後は私も忙しくなるのかしらね。でも今は暇だし、良ければ私がルナの課題の面倒を見てあげるわ」

「面倒を見るというと?」

「噛み砕いて言うと、私とルナがマンツーマンで個人レッスン」

「……」


 今、自分が変な顔をしている自覚がある。目の前の美女から個人レッスンのお誘いを受けた時の僕の内心は、複雑すぎて一言で言い表せるものじゃなかった。

 戸惑い、疑問、忌避感、恐怖、割合の高い順から挙げればこんなランキングになるか。と言うより、イヴは『魔眼』をかけてきた段階からこういう形に持っていきたい様に思えた。

 強引な話の持っていき方といい、誘いの文句といい、保険の勧誘員を思い出してしまう。関わりたくないと思っていた端からコレだ。釣り針にかかった魚の気分はこんな感じかも知れない。

 一つ呼吸を整えて、頭の中をソート。戸惑いは横に置いておいて、疑問を晴らしておこう。


「何故私なのですか? やはりクリストフと関わりがあるからとかですか」

「うん、それもあるわね。クリスは何だかんだ言って人を見る目はあるもの。そんな子が気にかけている相手よ、私も気になるわ。けれど他にも理由はある」

「他にも?」

「転移者はジアトーに数多くて、そこに月詠人もそれなりの数いるのは私達も知っている。けれど、金眼になるくらい強い子は貴女ぐらいね。少なくともこの街では」

「そう、ですか」


 ゲーム時代、月詠人は不遇とまではいかないものの、日中のステータスダウンというデメリットがあるせいかなり手が少なかった。ゲーム時代で明確に種族のデメリットがあるのは月詠人だけで、それがマイナスイメージを助長したのもあり種族選択で選ぶ人が少なかったのだ。

 プレイヤーとしてのデーターが反映されるこの世界、種族のデーターも反映されれば月詠人が少ないゲーム時代の状況も当然の様に反映される。その中で、奇特にも月詠人で最初期からずっとゲームをプレイし続けていた古参の一人が僕だった。

 僕のように月詠人でそれなりに強い人は幾人か心当たりはある。あるけれど、彼らの活動域は大陸の東海岸だったり、北だったりと離れた場所ばかりでこの付近で月詠人の高レベルプレイヤーだった人は、イヴの言うように自分以外には居なかった記憶がある。

 なるほど、僕は現地の月詠人の間ではかなり目立った存在になっていたらしい。そこまで推察が進むと、気分的には気付かずに社会の窓全開で歩行者天国を歩いてる気分になってきた。腹の底から無形の何かが込み上げて頭へと昇ってくる感触がした。かなり気恥ずかしい。

 心中羞恥の思いを抱えてイヴの次の待っていると、


「後は――実際に会ってみた貴女が可愛かったから」


 こんな思わぬ言葉が飛んできた。


「ジョーク?」

「とんでもない。真面目な話よ。可愛く、綺麗で、コンパクト! これは私が面倒見なくてはって思うもの」

「はあ、そうですか」


 喋りながらイブは僕の背後に回って背中から抱擁(ハグ)してきた。さらに頭を撫でてくる。完全に子供扱いだ。もしくはペットかお気に入りのヌイグルミだろうか。

 背中にはイヴのグラマラスな身体の感触が感じられる。感じられるが、僕は以前も言った通り二次元専門家だ。恥ずかしさは感じても性的な興奮などない。抜け出したいが乱暴な真似はNG、となれば他に援護を貰える人を探さないと。

 クリストフが視界の端に映ったが、「悪いけどもう少し付き合ってあげて」みたいな内容を口パクで伝えてきた。エカテリーナさんも同様。他の連中はバーベキューに夢中だ。援護無し。無体な真似が出来ない以上、このまましばらくイヴの好きなようにされるのだろう。

 とりあえず、手入れの終わったナイフはシースに入れてしまおう。このまま抱きつかれるにしても危ないからだ。


「それで、お返事は?」

「そうですね、真面目にレッスンが行われるというならお受けしたいと思います」

「そうっ! もう少し手間がかかるかと思ったけど意外ね。もちろんレッスンは真剣よ。嬉しいわ」


 返答を要求されたので、僕はすぐに判断を下して答えた。こちらが早く回答をよこしたのでイヴは軽く目を見開いている。困惑と迷いで時間がかかると思っていたようだ。確かにいきなりこんな話を持ち込まれて戸惑っているし、人付き合いが苦手だと自覚している身の上で初対面の人を相手にするのにも困っている。けれど迷ってはいなかった。

 この世界に転移して以降、唐突に厄介事が降りかかってくるのに慣れてしまったし、話の展開が早いのにも慣れてしまった。迷っている間にも選択肢は急激に狭まると実感を持って知っているため、判断は地球にいた時よりも早く下すクセをつけるようになっていた。実に不本意な慣れ方が世にはあったものだ。

 この美女の思惑はどうあれ、月詠人としての力の扱いに習熟するのに損は無い。ゲーム時代には使えていた『ルナ・ルクス』としての能力の幾つかが制限されて使えていない。原因は『ルナ・ルクス』の中身が僕になってしまったことで、具体的な扱い方が分からなくなってしまったからだ。ゲームではオートで処理されていた過程もマニュアルで操作しないとダメになってしまった。ジアトーの戦いの後、時間に余裕がある時に練習はしているが、自分一人では限界を感じている。ここにきて指導員に出会えたのは僥倖(ぎょうこう)としか言い様がない。

 回答が早かったのはこんな背景があったためだけど、イヴは果たしてこちらの事情をそこまで察していたのだろうか?


「それで、代価とかレッスン料とかは?」

「そんなの、タダで良いわよって言いたいけど、それじゃあ納得しないわよね。……そうね、貴女達って魔獣退治を中心に便利屋みたいな仕事を始めたって聞いたけど、私やクリスの依頼を優先的に請けるっていうのはどうかしら?」

「依頼の優先権みたいなものですか。そうなるとみんなも関係する話になるので即答できなくなります」

「別に良いわよ。じっくりみんなで話し合って決めれば良いわ。ダメでもレッスンを中止したりはしないから」

「後払い?」

「先払いでも良いわ。ちょうど依頼したい仕事が手元にあるし」


 こういうのを絡め取られたというのかもしれない。僕には詳しいところまでは察せられないが、イヴはこの一手で幾つもの布石を打ったのだろうと薄く感じられた。クリスもそうだがこのイヴという美女も、人を惹きつける魅力を持っていると同時に人を色々と試したがるタイプらしい。まるでおとぎ話に出てくるかぐや姫のごとくだ。

 ただ、かぐや姫の難題と違って無茶振りではないし、実利はキチンとある。口に出したように仕事を回してくるのが対価なら他のみんなにも関わる話になってしまうため相談が必要だ。それでもこの話は前向きに検討しておきたい。バカンス明けに仕事のスケジュールが空白なのは良くないからだ。

 イヴのいう『ちょうど依頼したい仕事』について詳細を尋ねようと口を開いた、そのタイミングで鋭い声が横合いから飛んできた。


「その話、ちょっと待って!」


 声の主は水鈴さんだ。どこまで話が聞こえたのか、鋭い声と視線をイヴに向けて僕達のところにやって来た。片手にバーベキューの串が三本まとめて握られているコミカルさはこの際見なかった事にしよう。


「イヴさん、と呼んでも?」

「ええ、良いわよ可愛いキツネさん」

「……っ。ルナにマンツーマンで月詠人としての扱い方を教えると聞こえました。確かに今後ルナが力を持つのは大切だと分かりますが、マンツーマンで個人レッスンはどうかと思います。後、くっつき過ぎではないでしょうか」

「あらあら」


 やや強引にイブから僕を引き離してくれる水鈴さんは、僕に向けても「嫌なら嫌とハッキリ言わないとダメじゃない」と叱ってきた。イヴから引き離してくれたのは有り難いが、なんだか遙か昔に親に叱られていた時期を思い出してしてむず痒くなる。

 ――この後、日が傾きだすまで水鈴さんとイヴが言い合っていたが、最終的に水鈴さんが折れて僕のレッスン受講は決まった。依頼の優先権の話もレイモンドを中心にOKを出してくれたのですんなり決まったのだ。

 ただ水鈴さんは最後まで渋い顔だったし、マサヨシ君は上の空だった。クリスは苦笑いめいた顔をしているし、イヴは意味深長な笑みを浮かべていたし、どうやらビーチだけで話が終わるような展開になりそうにない。そんな予感があった。


 熱い夏の浜辺でバーベキューとレジャーで楽しめた一日だったはずなのに、僕にとってどこか不安が残る一日だった。



 ◆



 ルナ達一行がクリストフ達とビーチでバーベキューを楽しんだ時間から八時間が経過。地球と同じ時間を刻むこの世界の時刻で夜九時。ジアトー郊外の幹線道路に爆音が轟いた。

 市街地から離れた都市外縁部を走る幹線道路に人気はなく、昼間は首長国や王国との間で輸送トラックが行き交う道も夜になれば車両の通行も一時間に数台通る程度に激減する。そのがらがらに空いた道を爆音は猛スピードで疾走する。

 爆音の正体は一台の車。クーペタイプの車体はイエローにブラックのストライプという塗装。地球で見かける一般的な乗用車の中では大型な車体で、長いフロントノーズからテールにかけて丸みを帯びて、低く抑えられた車体形状は身を屈める猛獣を思わせる。

 爆音の元である排気音(エクゾースト)は野太く、威圧感ある車体に見合う音を上げて夜の道路に咆吼していた。


「ひゃっはーーーーっ! さいっこぉうにエキサイティングだぜっ! もう脳内麻薬がどっぱーーーー!! だぜ!」


 夜の道路を猛スピードで走る車の運転席でステアリングを握り、絶叫と奇声と奇態をさらしている美青年が一人。夜架月刹羅(やかづきせつら)こと山田次郎、この世界に転移してきた転移者の一人だ。

 ジアトー事変の後、彼は住まいをゲアゴジャからジアトーに移しており、燃料スタンドを幾つかと車両修理工場を経営しているオーナーになっていた。彼を知る全員から意外だと言われる仕事だが、山田は地球でもバイクの修理工場に勤めていた経験者で、ある程度のノウハウは分かっている。

 ジアトー復興の中で資材の輸送に関わる車両関係は絶対に儲かると睨んだ山田は、経営者が死んで所有権が宙に浮いていた状態のスタンドと修理工場を大枚はたいて買収、従業員を募集したり、各種申請をしたりと忙しかったが、つい先日ようやく落ち着いたところだった。

 プレオープンしたときの感触は上々。山田が思った通り、現地人も転移者も関係無く車両のお悩みを聞いてくれる店はありがたい存在だった。

 経営が軌道に乗るのはもう少し先だろうが一段落ついたのは確かで、今夜は山田の自分へのボーナスとして趣味全開で大いに騒ぐ時間になっていた。


「げーーははははははあっ! イカスぜエレノア! 最高だぜエレノア! 店の裏で僕の妹ファックしていいぞエレノア! って、僕に妹いないんだった。はははははっ」


 そしてこの奇行奇態である。外見は銀髪が似合う端正なマスクの青年だけに奇矯ぶりが強調される。

 ジアトー事変で市街地に打ち捨てられていた車を山田自身が修理、レストアし、暇を見つけては改造を施した車両。ここまで忙しかったせいで乗る機会に恵まれなかったが、今日ようやく初乗車にこぎ着けたのだ。山田の興奮ゲージはすでにクライマックス、口から出てくる笑いが止まることはない。

 山田の笑い声を打ち消す排気音が鳴って、エンジン音と吸気音が車内に響く。山田が丹精込めてレストアし改造したエンジンだ。エンジン音を聞くだけでも彼は深い充足感に浸れる。

 握るステアリングにパワーアシストなんて運転補助は存在しない。重く感じる手応え、けれどこれが車の状態をダイレクトに手へ伝えてくれる。

 踏み込むブレーキにもABSなんて存在しない。ブレーキがロックしないギリギリの感覚は体で覚えるしかない。けれどそれがたまらない。

 シフトレバーを動かし、車の変速ギアを手動で変えていくダイナミックな感覚はオートマチック車では味わえない喜悦だ。

 燃費? 運転アシスト? 自動ブレーキ? アイドリングストップ? そんなもんみんなまとめてゴミくずだ! 乗って楽しくないクルマなんてクルマじゃねぇ! などと世のエコノミストが聞けば卒倒しそうな独自のクルマ美学を持っているのが山田という男だ。

 クルマは乗っているだけで充足感を与え、見ている人にはカッコイイと思わせる。それが無ければクルマではなくただの移動装置だ。過激派な美学を持った彼は、こちらの世界で出会った愛車に現在進行形で絶頂している。言ってみれば一種の変態である。


 山田の愛車のモデル元はアメリカ製、フォード・マスタング。1973年型のハイパワーモデル、別名『マッハ1』。これに手ずから様々な改造を加えたのが彼の愛車だ。

 古い映画にも出ている車種で、その映画のファンだった山田は愛車の塗装にイエローとブラックのストライブ、エレノアと名前を付けて呼ぶところまで徹底していた。

 さらに改造を施されて原型こそ保っているものの、過給器はボンネットから突き出て、ギラギラにメタリック塗装されたバンパーとホイール、後部座席は取り払われて運転席はバケットシートになっているなど、細かな部分に手が入っていて山田のクルマに対するこだわりが窺える。

 そんなこだわり満載の愛車で夜の幹線道路を爆走している彼は、深い満足感と興奮、脳内で発現する不思議な物質で終始感情の針が振り切れていた。


 信号機のない日本よりも広々とした道路、ガラ空きの交通量、取り締まる警察軍もこの時間この場所までやって来ない、注意するべきは稀に現れる魔獣だけどこのスピードで走る車をわざわざ追いかけてくる奴はいない。つまり誰も走りを邪魔する奴はいない。荒野の広い道路は最高のコースだ。

 大型の過給器が吠えて、換装したV8エンジンが轟く。タコメーターは上々、追加したメーターが指し示す水温、電圧、油温、オールグリーン。スピードメーターの針は時速百五十を超えて二百を目指している。燃費が悪いといっても燃料メーターはまだ余裕がある。

 まだまだ夜はこれからだ。走行音で満たされる運転席で山田は馬鹿笑いをしながらステアリングを操り、コーナーをクリアした。


「ふぅーーーはははははははあはははははははははははははははっはははははははあははははははっははあっはあっは――は!?」


 気分が盛り上がる度に高らかに笑い声をあげる山田が不意に笑い声を止めた。彼が見たのは幹線道路の先、といっても後数秒で通過しそうな地点に人影を見たのだ。

 ルナ程ではないが高めのレベルにある月詠人である山田の視界は、暗闇を問題無く見通して、高速で流れる道路の状態も把握できる。見間違いはまずありえない。そして人影は山田に対して止まって欲しいのか、親指を立てた握り拳を示してくる。ヒッチハイクのようだ。

 どうするか。猛スピードで走る車内で山田は素早く考える。奇態と奇矯な部分が多く厨二思考ではあっても締めるところは締める。

 地球のヒッチハイクでも様々な犯罪の温床になっていると山田は知っている。そのため、このマスタング・マッハ1カスタムにも自衛用の武器を積んでいる。とはいえ厄介事を避けるのが一番の自衛であり、保身を考えるならここは無視するべきだ。

 けれどその一方で、本当に困っているのなら無視するのはどうかとも思う。先もあったようにこの時刻のこの道は交通量がとても少なく、周囲に人家は無く荒野が広がるだけで頼れるものは一切無い。その中で助けを求めてくるとしたら? 無視するのは人道的にどうよ、である。

 保身と良心、その両方を天秤にかけた山田。彼はさほど悩まず選択しブレーキを踏んだ。その間一秒のことだった。


「どうかしましたか?」

「止まってくれてありがとう! すまないが、ジアトーまで乗せてくれないか? 乗っていた車が故障して動かなくなってしまったんだ」


 山田が車を止めると、人影は縋るように近付いてきて感謝を言いながら乗せてくれと言ってきた。案の定ヒッチハイクで、人影の正体は残念ながら野郎であった。

 二十代半ば、今の山田よりも年上に見える男性。良くも悪くも個性が強い転移者が数多く住んでいるジアトーでは中々見られない地味な印象の青年だ。

 どうやら車が故障したので街まで乗せて欲しいらしい。青年が指し示す先には路肩に止まったピックアップトラックが一台。トヨタのハイラックスがモデル元で、ジアトーの街ではよく見かける車種だ。


「良ければ僕が車の状態を見ましょうか? これでも車の修理に携わっている者でして。道具もあるし、この場で簡単な応急処置程度は出来ますよ」

「っ!? いえいえそこまでしなくても良いです。電話のあるところまで乗せてくれれば後は自分でなんとか出来ます」

「そうですか。あー、いいですよ乗って下さい」


 少しお節介だったか、と反省した山田は青年をジアトーの市街地まで乗せていこうと決めて、助手席のドアのロックを解除した。後部座席は軽量化のため取り払ったが助手席は無事である。


「ありがとうございます。……って、なんかスゴイ車ですね」

「ええ、凄くて自慢の愛車です。ああ、でもご安心を。人を乗せたら安全運転ですので」

「は、はあ。よろしくお願いします。ジュード・フリントです」

「紅い月の夜架月刹羅です。どうかよしなに」

「……は、はあ……?」


 山田の厨二テイストの自己紹介に戸惑う青年だったが、しっかり助手席には座る。あのまま誰も来ない荒野で夜を明かす可能性だってあったのだ、助かるロープにはしっかり掴まる。そのロープが花柄だったり、ヘビだったりしても。そんな姿勢が態度として出ていた。

 青年にシートベルトを締めるよう一声かけた山田は、マスタングを再発進させる。野太い排気音が夜の荒野に響き、タイヤは力強く路面を蹴って走り出す。

 人を乗せているので宣言通りに安全運転で走り去るマスタング。その場に残されるのは一台のピックアップトラック。もし山田がトラックに近付いたり、注意深く観察していたら『それ』に気が付いていただろう。

 トラックのドアから地面へ滴り落ちる血、そしてわずかに開いたドアから力なく垂れ下がる人の手。それらに山田は最後まで気付くことなく、マスタングは同乗者と一緒にジアトーの街へと戻っていった。




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